靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

ホームスクールという制度

2011-09-23 02:18:09 | 子育てノート
こちらにはホームスクールという制度がある。既成の学校へ行かず家で学ぶ、ということが制度的に許されている。州政府からは一学年度につき15万~20万前後(学年によって異なる)の補助金も出る。年々ホームスクールを選ぶ家庭は増えているといわれる。(the National Home Education Research Institute)

ホームスクールを選ぶ理由としては、2003年の調査では85%の親が安全性、ドラッグ、性的ハラスメント、いじめ、否定的ピア・プレッシャーなどの「社会的環境」をあげ、72%が「宗教的モラル的に導くため」、68%が「既成の学校の学力指導への不満」をあげている。(Wikipedia)

ホームスクール用のカリキュラムは数多くあり、家庭の方針に合ったものを選ぶことができる(宗教性を強調したものや、モンテソーリ式ウォルドルフ式なんてものも)。そして親が教えるだけでなく、オンライン授業、チューターを雇う、ホームスクール・グループで他の子達と少人数で共に学ぶ、など様々なスタイルを選ぶこともできる。ホームスクールを支援する団体やグループも様々ある。ホームスクールをした生徒は様々な試験を経ることにより大学にも進学できる。

長男と長女がキンダー(こちらはキンダーから小学生と同じ環境で学校に通い始める場合が多い、ホームスクール補助金もキンダーから支給される)の時、ホームスクールをした。

ホームスクールをしているグループと集まり科学の授業をしたり遊ばせたり、博物館や科学館などのホームスクール・プログラムに出かけたり、英語の発音読みを教えるチューターを雇ったり。

周りのホームスクールの状況をみていると、学力的にはかなり先をいっているケースが多かったように思う。その子に合ったやり方でどんどん進んでいくわけだから当然なのかもしれない。全国的な調査でもホームスクールをした生徒は公立学校に通う生徒よりも学力が高いとされる。(Wikipedia) 情緒面でも安定した満ち足りた雰囲気の素直ですれてない子が多かったようにも感じた。守られた環境でゆったりと自分のペースで進みストレスも少ないのだろう。情緒面では社交性や協調性を心配する声もあるようだけれど、周りをみてみても、全国的な調査でも、ホームスクールをした生徒は卒業してからも社会的に活動的、「とても幸せな人生、人生はエキサイティング」と答える人が一般向けの調査結果よりも格段に多いといわれている。(Wikipedia)

様々なホームスクールをする人々と交流したけれど、成功するかどうかは親に大きくかかっている。規則正しくカリキュラムを進め、社交面を育てるためにも他の子供たちと交流する機会を頻繁にもたせ、その子の様子を観察してうまくいい面を引き出し伸ばしてやるようにし、神経質にならず大らかに張りすぎず緩みすぎの学習環境を整えられたら理想なのだろう。

長男長女一年ずつ、ホームスクールの世界を少し垣間見た。続けなかったのは私にはかなりの努力が必要だと感じたこと(こちらで教育を受けているのならまた違ったかもしれない)、その努力に費やす時間とエネルギーを捻出するのは難しいという生活状況(下の子の世話等)、そしてそれらを公立学校へ通うメリットと天秤にかけた結果。

ホームスクールで親が選んだ「安全な環境」で温もりに包まれて育つ、既成の公立学校に通い子供時代から多様な価値観に囲まれ時には理不尽な扱いに傷つきながらも力強く育っていく、こんな分け方は少し極端だけれど、どちらにもよい面注意する必要がある面はあるだろう。私は子供時代に培われた内面の安定はかけがえないものだと感じているのだけれど、公立学校に通う上三人、家庭でできる限りのケアをしていきたい。


ところで、このホームスクール制度、日本にこそ導入されたらいいのにとつくづく思う。ホームスクールを支援する団体は日本にもいくつかあるようだけれど、もっと制度として定着していけばいいのにと。こちらでは学校に合わないからホームスクールを始めたという家庭も周りにたくさんある。不登校や引きこもりなんて言葉もホームスクール制度がオプションとして行き渡っているのなら聞かれなくなるだろう。「もっと情報が欲しい」も含め制度化した方がいいと思わない62%、思う31 %なんていう2009年日本での調査結果もあるようだけれど。

私自身子供時代40人以上の子供が一斉に同じことをするという教室設定が嫌で嫌でしょうがなかった時期がある。何て不自然なのだろうと感じていた。そんな教壇に立つ先生の言うことにただ従うだけのような画一的な教育はこれから価値観がますます多様化していくだろう時代にもう合わないのじゃないだろうか。

確かにホームスクールができる生活状況にある親も今の日本の状況では多くはないのかもしれない。それでも少人数のホームスクール・グループやサポート団体などが制度的にももっと認められ補助金なども支給されるようになれば、共働きの親だってマネージしていくことは可能だろう。

北の果てで感じていること。

母乳かフォーミュラか、より大切なもの

2011-09-21 00:04:09 | 子育てノート
過去にはフォーミュラの方が栄養的に優れているとされた時期(1950s)もあるようだけれど、今日ではthe American Academy of Pediatricsだけでなく世界的にも母乳をあげることが勧められている。

母乳には乳児の成長に必要な成分がバランスよく含まれているだけでなく、乳児を細菌やウイルスから守る抗体成分が含まれているといわれる。母乳の成分についてはまだ全て知られているわけではないらしいけれど、「調べれば調べるほどフォーミュラが母乳を複製することは不可能だと明らかになっている」(John D. Benson, Ph.D, and Mark L. Masor, Ph.D., in the March 1994 issue of Endocrine Regulations.)。

また授乳時に母親と密着することによる情緒面の発達、乳児の顎の発達、乳児自身で飲む量を調節できる、母体にとっても子宮収縮を促し産後の回復を促進する、など成分以外の利点も多々あるらしい。「とにかく栄養面なんかだけじゃないんですよ。」( “The Ultimate Breastfeeding Book” by Dr Jack Newman )

こういった知識だけでなく、感覚的にも母乳のほうがいいだろうと思っていた。乳児と同じ環境で暮らす母体で作られたできたてほやほやフレッシュをそのまま直送なのだし。

疑うことなく「よし母乳」、と決めていた。

ところが一人目が生まれ、ビュービュー溢れ出すと想像していた母乳がなかなか出ない・・・。出産のショックのなか今度は母乳ノイローゼ気味に。「私なんて病院の待合室で母乳がなかなか出ない”可愛そうな”母親に分けてあげるほど出たのよ。」「母乳がたくさん出ているのなら赤ちゃんが泣くわけがない。」訪ねて来ていた姑(優しい面もいっぱいある人です;笑)の言葉を身体に突き刺さしたままヨレヨレとひきずっている。

授乳コンサルタント(lactation consultant)なるもののカウンセリングを受けたりしながら、とにかく飲ませた。頭は乳のことでいっぱい。寝ても覚めても乳,乳、乳。

結局、体重が順調に増えているのでこのまま母乳でいっても問題ないと小児科医。それでもいつも足りないに違いないと悩んでいた。長男とにかくよくぐずって泣く。夜中に耐えられなくなり何度かフォーミュラを足そうとしたけれど哺乳瓶はもう受け付けなくなっていて。

私の精神状態、かなりおかしく。母乳への執着はもう赤ちゃんのためというよりは私の意地やプライドのためが大きかったのかもしれない。息子がよくぐずって泣いたのもそんな私の心の状態が大きかったのだろうと今になっては思う。

母乳だろうとフォーミュラだろうと、多分一番大切なのは母親がゆったりと満たされた気持ちで乳児に接することだろう。フォーミュラのディスアドバンテイジなんて母親の笑顔や温もりでいくらだってカバーできる、そう思っている。



追記: 母乳を出すにはとにかく回数をあげること。最初は長い時間かけて寝かせないようにしながらとにかくしっかりあげる。あげればあげるほど作られる。そして2人目からはよりスムーズに出るようになる。もち米、フェヌグリークなどのハーブもいい。

演じ始める前

2011-09-21 00:03:02 | 子育てノート
ふと気がつくと エルモとミニーマウスが静かにブロックで遊んでいた・・・。

エルモの三女は額に水中眼鏡もつけ、ミニーマウスのドレスは次男。

結構シュールな空間があった。(笑)


すぐ上3人が女であることもあり、次男も真似をしてこういった遊び用のドレスを着たりハイヒールを履いて遊ぶ。大好きな電車や飛行機で遊ぶのと同じように。

2歳次男の当たり前のようにドレスを着込む姿を見るたび、ジェンダーというものがいかに社会的に作られたものか、と思う。

何て自由なんだろう。

生物学的な性というものの違いは、ほんのわずかと聞く。(SCIENTIFIC AMERICAN MIND -BEHAVIOR. BRAIN SCIENCE. INSIGHTS- May/June 2010)



次男ももうすぐ「男」という役割を演じ始めるのだろう。

自身の内にある「女」を大切にしてほしい、次男を見ながらそう思っている。

出産という体験

2011-09-19 01:00:04 | 子育てノート
長男妊娠7ヶ月のときアラスカへ移住した。

一人で降り立った空港、久しぶりに会った夫にとって初めて見る私の妊娠姿だった(結婚してすぐ2年間の別居、時々アラスカ日本を互いに行き来していた)。

右も左も分からない二人、出産に向けて準備。病院の手続きを済ませ、マタニティクラスへ出かけ、呼吸法の練習をし、本を何度も読み返して。

自然志向を決めた私は、出産の際医師や看護婦に配る手紙のようなものも用意した。「極力自然に。極力薬剤を使わず。会陰切開もなしで。母乳をすぐにあげる。産後母子ずっと一緒に。」そんなことを書き綴って。

頭で何度もシュミレーション、痛みを呼吸法でうまく逃し、ゆったりと生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて感動する自分を想像しながら。新しい命の誕生のため、どんな痛みだって大丈夫だ。大昔から果てしない数の女性が乗り越えてきたこと。

夜中に破水、なかなか強い陣痛が来ず朝になると陣痛促進剤を入れ始める。痛みが増していく。午後になって促進剤の量を増やす。破水から24時間以内に生む必要があると、感染などを防ぐためにと。

「ヒーヒーハーハー」必死の呼吸法も勢いを増し、過呼吸を心配する看護婦に止められる。リラックスも瞑想も色々習った姿勢も、全部吹き飛んだ。身体が裂ける。

「エピデラル(無痛分娩に使う麻酔)~!」「もうどうでもいいから帝王切開してくれ~!」そう叫んでいた。この痛みから逃れられるなら何だってする。付き添う夫の腕からは私の爪がめりこんで血が流れている。

多分「自然志向の手紙」を配ったせいか、エピデラルはやってこず・・・。夜8時過ぎ、子宮口は全開ではないものの赤ちゃんがすぐそこまで下がっているということでいきみ始める。「会陰切開するとすぐに出てくるよ、どうする?」そう聞く医師に「お願いします」即答。

破水から21時間。無事生まれた長男をぎこちなく抱く。それまで感じたことのない気持ちがじわじわとこみ上げる。これが私の中にあった新しい命。とまどいと奥の底から湧き出る愛おしさと。


「あれは一体誰だったのだろう?あの病室で取り乱し叫んでいたのは?命の誕生などそっちのけで。」自分のアイデンティーティーのようなものを回復するのにしばらく時間がかかった。頭だけで作り上げていた私と現実の私。認めたくない自分と向き合う。身体の痛みより心の痛みを癒していくほうが時間かかったように思う。この出産の体験がどれほど私を謙虚にしてくれたか。

普段自然とかけ離れたライフスタイルをおくりながら、お産だけ自然に、というのも随分と無理があるのかもしれない、そう思った。

自分の弱さに向き合い、普段の生活をより意識し始めると同時に、もっと理想的なお産がどうしたら可能になるのだろう、そう考え始めた。


促進剤で急激に起こす人工的な陣痛は母体にかなり無理があるのではないか。時間をかけて自然な陣痛を待つことでその母体に合った速度でお産が進むのではないだろうか。日本では破水したとしても24時間以内にということはあまり聞かない。

2人目からは助産院や助産婦付き添いの自宅出産も考えたのだけれど、「破水後24時間」は同じ決まりのようで、微弱陣痛が続き結局病院に回され間に合わず帝王切開になったというケースを何件か聞いた。強い陣痛が中々来なかった自分には踏み切れず、結局2人目からも病院で産むことに。促進剤を入れることになったら「エピデラル」を入れるという方法をとった。


下の子の出産になるほどより自然に強い陣痛がつくようになっていった。促進剤も徐々に出産間近に少しという程度に。そして5人目にして初めて促進剤なしで産むことができた。4回の出産を経て子宮口が開きやすくなっているということもあるだろうけれど、下の子の妊娠生活ほど動き回る毎日、ここアラスカの自然の中で「出産直前まで畑仕事」というような昔のライフスタイルに少し近づいていったことも大きいのじゃないかと思っている。

命の始り、親としての人生の始り。どんな出産でもかけがえのない新しい命の誕生ということに変わりはない。その大前提の下、より多くの人々がそれぞれ描く「理想の出産」に一歩でも近づけるよう願っている。

ロールキャベツ!

2011-09-19 00:59:55 | 
キャベツ!


さてさて作るよ~。


巻いて巻いて。


こんな数のロールキャベツ見るの、これが最初で最後だろう・・・。


トマト・ウスター・オイスターソースで煮込んで、

出来上がり! 絶品とろとろロールキャベツ!


この「作って食べる会」、毎回持ち寄られる料理も驚きの数々。

おからハンバーグ、サーモンパイ、ビーツ甘煮フェタチーズ、ケールせんべい(ぱりぱりに焼いたもの)、庭で育てた豆、ふわふわ手作りパン、ニンジンピラフなどなど。


ああ、堪能!

友人の読み聞かせも。


(よかったらこちらイマココ煮もどうぞ。複数人で続けるブログです。カイで書いてます。)

最近の「書くこと」

2011-09-19 00:59:03 | 思うに
小説「砂漠の紅」(仮題)、あれをこっちに動かし、これをこっちに持ってき、とあれやこれやとなかなか時間がかかりそうです。ゆっくりじっくり煮詰めていきたいと思ってます。

その間、以前書いた小説を少しずつ手直ししながらここに載せていこう、一度仕上げた形を磨くことが、今書いているものにも生かされるだろうし、と思って見てみたら、こりゃひどい! 当時はいける!と思いながら書いていたんだなあ。(笑) かなり手直し必要かも。こうやって見えるようになることも進歩ですね。一年後に振り返り同じことを言っているのかな。

小説をポツリポツリ続けながら、どうしても今まとめておきたいことも出てき。フィクションとノンフィクションの間を行き来し、境界がなくなっていくようにも感じながら、一歩一歩進んでいます。最近はほとんどリサーチとノンフィクション浸りの毎日になってますが。

時間を搾り出すこと、時間のやりくり、鍛えられる日々です。

読んでいただくことで大きな励みとなっています。

心よりの感謝を込めて。

友人のプレスクール&日本語クラス開校のお知らせ

2011-09-16 22:42:34 | お知らせ
友人がプレスクール&日本語クラスをオープンします。

「Primrose Garden & Primrose Japanese Language Class」 
プリムローズは桜草という意味。

ウォルドルフとアンカレッジ・スクール・ディストリクト教師の資格を持ち、10年以上教えてきた経験(ウォルドルフ・スクール、ジャパニーズイマージョン等)のある友人、これまで培った知識と経験を統合させ学校を開くことになりました。

オープンは10月2周目。10月4日1時から3時までオープン・ハウスがあります。

英語と日本語を交えたプレスクールです。この友人もアシスタントの友人(このブログにもコメントをいただくことのあるりんさんとtintinさん)も日本人。

実は学校の場所、長男がウォルドルフ・プレスクールに通っていた場所なんです。当時長男の先生だったAさんがプレスクールを、隣の教室でりんさんはキンダガーデンを教えていました。その後ウォルドルフ・プレ&キンダーは他の場所に移り。木々に囲まれ広々としたとても素敵な場所です。


プレスクール:火曜日水曜日11時45分ー2時45分。3歳半から6歳(年齢については直接問い合わせしてみてください。3歳半前でもO.Kの場合も)。

日本語クラス:木曜日午後。3歳から。3時半以降学校終わってからのクラスも。

場所:2311 Pembroke Street. (ボナフェスとノーザンライトあたり)

コスト:
プレスクール
$10 for registration fee,
$460 for 10 weeks of two-days class tuition,
$250 for 10 weeks of one-day class tuition.
$30/$15 for snacks and materials.
For $20 discount, please pay full by October 20th, Tuition and material fee may be paid in half by the end of October and the other half by the end of November.
日本語クラス
$150 for 10 weeks

連絡先:351-6160 or email primrose_garden@yahoo.com


次の10週セッションは2012年2月7日(プレスクール)9日(日本語クラス)スタート予定です。


興味のある方、是非問い合わせてみてください!

友人の新しい出発を祝いつつ。

綱渡り師曰く、

2011-09-15 23:44:07 | 思うに
シベリアの強制労働収容所(gelug)でMendel Futerfasというラビと綱渡り師がこんな会話を交わしたという話を聞いたことがある。


ラビ:   「綱渡りをマスターするには何が必要なんだい?バランス?スタミナ?集中力?」

綱渡り師:「秘訣は常に行き先(destination)に集中すること。
      綱の反対側の端に目を据え置かなければならない。
      ところで一番難しいのはどんなときだと思いますか?」

ラビ:  「真ん中あたりにきたときかな」

綱渡り師:「違うんです。ターンするときなんですよ。
      なぜならほんの一瞬行き先を見失うから。
      行き先を見失うときが最も落ちる可能性が高くなるときなんです。」


この話を聞いたとき、体に稲妻が走ったような気がした。(大げさでなく;笑) 自分は綱渡りをしているようだと感じることがよくある。まあ色々な面で実際日々綱渡りなのだけれど、象徴的な意味での綱渡りということ。(笑)

現実的に目に見える「行き先」というのも様々決めてあるわけだけれど、それらを統合するような本当の「行き先」は目の前の外ではなく、内にある。目の前の「様々な現実的行き先」はその「内の行き先」の「表れ」のようなもの。

綱渡り師のように「行き先」を見据えて、一歩一歩。

散歩、海辺

2011-09-15 23:43:13 | 風景・散歩・旅
近所のトレールをしばらく行くと、


海!まだまだ青々とした芝生の向こうに秋色。

長男長女「これなんだろ~?」
地面に深く埋め込まれた柔らかいゴムのような物質の先を引っ張って。

こんな家のそばでままごとしたり、


流木渡りしたり、


泥だらけになったり、


水溜りに群がったり。

「ああああっ、エビ!」 水溜りに小さな小さなエビ発見。