二草庵摘録

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20世紀の小説について ~プルーストを読むかどうか?

2021年05月04日 | 小説(海外)

20世紀を代表する海外の小説といえば、ジョイス「ユリシーズ」とプルースト「失われた時を求めて」になるのかしら。
どちらも大作、最後まで通読するのは容易ではない。
・・・というわけでどちらも読んでいないし、これからも読まないだろう。
わたしばかりでなく、かりに読みはじめたとしても、最後のページまでたどり着ける人、どれほどいるだろうか(´・ω・)?

文庫本では、つぎのシリーズが“定番”かしらね。
■ユリシーズ 丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳 集英社文庫 全4巻
■失われた時を求めて 吉川一義訳 岩波文庫 全14巻

20世紀の小説でわたしが親しんできたのは、カフカくらいである。しかし、長編の代表作「審判」「城」は読んでいない。
「ユリシーズ」はギリシア神話「オデュッセイア」を下敷きにしたモダニズムの小説。
ジョイスといえば、ほかに1914年の『ダブリン市民』(ダブリナーズ、短篇集)と1916年の『若き芸術家の肖像』がよく知られている。この2作は近々読もうとかんがえて、手許に用意してある。
丸谷才一さんが師と仰いだ、アイルランド出身の小説家である。

ところが、「ユリシーズ」となると敷居が高く、おいそれとは手が出せない。実験的な手法が採用されているため、覚悟の臍をかためてかからないとすぐに挫折する。わたしはフォークナーで“意識の流れ”は懲りごりしている(。-ω-)
「ユリシーズ」おもしろいなあ・・・おれもああいう小説を書いてみたい、といった友人がいたが、その後どうしたか聞いてもみない。

ところで「失われた時を求めて」である。
こちらは岩波文庫で全14巻。すでに完結している。
全14巻ですぞ! 「レ・ミゼラブル」「モンテクリスト伯」より長いなが~い。興味深々なのだけれど、手を出すには敷居が高すぎ。終わりの方を読むころには、最初の方は忘れているだろう(笑)。
中里介山の「大菩薩峠」(ちくま文庫で全20巻)のように、筋だけを追って、ふん、ふんおもしろかったよというわけにはいかない。


じつは先日、レビューは書かなかったけれど、この本を読み終えた。
■文学こそ最高の教養である (光文社新書 2020年刊)
光文社から新訳を刊行した訳者に、編集長だった駒井稔さんがインタビューした本である。
そこでピックアップされているのはつぎの14冊。
・プレヴォ『マノン・レスコー』……野崎歓
・ロブ=グリエ『消しゴム』……中条省平
・フローベール『三つの物語』……谷口亜沙子
・プルースト『失われた時を求めて』……高遠弘美
・トーマス・マン『ヴェネツィアに死す』『だまされた女/すげかえられた首』……岸美光
・ショーペンハウアー『幸福について』……鈴木芳子
・デフォー『ロビンソン・クルーソー』……唐戸信嘉
・オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』……黒原敏行
・メルヴィル『書記バートルビー/漂流船』……牧野有通
・ナボコフ『カメラ・オブスクーラ』『絶望』……貝澤哉
・ドストエフスキー『賭博者』……亀山郁夫
・鴨長明『方丈記』……蜂飼耳
・アチェベ『崩れゆく絆』……粟飯原文子
・プラトン『ソクラテスの弁明』……納富信留

教養ということばには抵抗があり、読む必要なし、とかんがえていたが、つい手を出した(^ε^)
翻訳者ならではの“読みの深さ”があって、なかなかおもしろかった。翻訳という作業がどんなものなのか、痒いところろに手が届くように理解できる。
・プルースト『失われた時を求めて』
この高遠弘美さんのインタビューはことに印象に残った。

というわけで、リビングに置いてあるプルースト「失われた時を求めて」をぱらぱらとめくっていたら、こんなことばに出会った。
《ところが人間というものは、人生のどれほどささいなことから判断しても、全体が物質でできているわけでもなく、請負契約書や遺言書のように全員から同じように理解されるわけでもない。われわれの社会的人格なるものは、他人の思考の産物なのである。》(岩波文庫「失われた時を求めて」第1巻56ページ)

わたしが注目せざるをえなかったのは、《われわれの社会的人格なるものは、他人の思考の産物なのである》という部分である。
プルーストの作品が、並みの小説ではないことはわかっていた。
登場人物のほとんどは、読者たるわたしには縁遠いフランスの金持ち階級(プルーストは働かなくてもゆとりある生活を愉しむことができた)。しかもベルエポックというなじみが薄い時代が背景になっているし、同性愛が、小説の核の一部をなしている。

ただ、「失われた時を求めて」が、まぎれもない“思考の産物”であるところは、以前から気にはなっていた^ωヽ*  しかも、プルーストは堀辰雄や中村真一郎をはじめとするわが国の作家に、多大な影響を及ぼしている。
全14巻はともかく、2-3巻読んで、それからつづきを読むかどうか判断しても遅くはないだろう。
踏ん切りの悪いわたしは、そんなことをかんがえながら、古書店で「失われた時を求めて」をみつけては、何冊か買って、枕頭にならべてある。
そういう本は「失われた時を求めて」以外にも、何冊もある。


読む、読まない、読む、読まない。
まるでコスモスの花弁をむしり取っている気分。読みはじめる前の、こういう悩みも、読書の愉しみの一部といえる。
プルーストの場合、だれの翻訳を選ぶか・・・というのも、その悩みに入る。
高遠弘美さんのインタビューを読みながら、いろいろなことばたちが、わたしの脳裏を駆け巡った。

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