二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

カメラになった男 中平卓馬

2011年04月02日 | Blog & Photo
いったん忘れられたかに見えた写真家、中平卓馬に、いまあらたなスポットライトがあてられている。
彼はおよそアマチュアに好まれるような写真は撮らないし、難解でとっつきにくく、クソおもしろくもない写真を、毎日(文字通り毎日!)、営々と撮り続けている。
今年「Documentary」という大きな写真展が企画され、同名の写真集も刊行(限定2,000部)された。
これをきっかけに、「知る人ぞ知る」といった過去の写真家は、いまあらためて、広範囲の反響を呼ぶにいたった。
わたしは40代のはじめころ、「決闘写真論」(単行本朝日新聞社)を古書店で入手し、それまで受けたことない種類の衝撃をうけている。ググってみれば、いろいろなことがカンタンに調べられるから、彼がどういった写真家なのかは、ネット情報におまかせしよう。興味がある方は、YouTubeを検索してみたらおもしろいだろう。

「カメラになった男」というドキュメンタリー映画が制作され、数年前から中平を再評価する動きが見えはじめてはいた。
もはや伝説となった写真雑誌「プロヴォーク」の創立者(多木浩二と中平卓馬)である。
森山大道の著書を読んだことがある者なら、中平の存在が、初期の森山に決定的な影響をもたらしたことを知らない人はいないだろう。

ポスト・モダンを模索する思想家、写真家、アーチストのあいだで、中平がひそかに注目を浴びるようになったのは、いつからだろう。
病後、再起をかけて(必ずしもそうではないが)刊行された写真集「新たなる凝視」を書店の棚の前で手にとって、買おうか買うまいか迷った日のあったことを、いま思い出す。

あのとき、わたしには「なぜこんな写真がおもしろいのだろう」という戸惑いがあった。
むろんそのとき、彼が急性アルコール中毒で記憶とことば(鋭利な批評家としてのことば)を失ったことと、彼の写真をつなぐ回路が見えてはいなかった。
わたしにとって、中平理解のヒントは「中平卓馬 来るべき写真家」(河出書房新社刊)の中にあった。とりわけ小原真史「カメラのように」という一文が鋭い指摘に満ちている。この人こそ、中平と起居をともにしながら「カメラになった男――写真家 中平卓馬」というドキュメンタリー映画の制作監督である。



はっきりいえば、彼は写真家としては、これまで、森山大道の影にかくれしまっていて、人びとには、よくは見えていなかったのである。むしろ、いっときすぐれた写真評論を書いたが、その後病にたおれ、廃人のようになりながら、風変わりな写真を毎日、日課として撮りつづけている人・・・といった認識であったようだし、わたし自身、そういう見方をしていた。
だからこそ、ここ数年ですすんだ“中平再評価”の動きに、眼を瞠っているのである。

中平の存在と、その写真をどう受け止め、どう受容したらいいのか?
それは、写真はどこへいくのか、いま写真とはなにかという問いかけを、平易なことばと試行錯誤の積み重ねによって方法化しようとしているホンマタカシにとっても、仕事の中枢にかかわる、重要な問題を提起している。

わたしを捉えてはなさないのは、いまは、「写真の荒涼たる極北を歩みつづけて倦まないこの写真家のまなざしのさきにあるものとはなんだろう」という疑問である。
多くの後進たちが、写真を撮る中平を撮っている。ホンマタカシさんも撮っている。
ことばによる理解の手がかりがなくとも、人は「それ」を撮影することによって、指し示すことができる。それこそまさに・・・まさに、記憶とことばの多くを失いながら、「自分は写真家である」という一点で現世に踏みとどまっている中平卓馬が見出した“方法”なのではあるまいか。障害によってことばの多くが、とくに繋辞が機能しないとき、周囲の環境やモノが、いったいどう見えてくるのか。

バラバラにされ、相互の関連性を失った外界の断片を拾い集めて、それを映像・画像として所有する。それはいったん解体されてしまった記憶と自己にかかわる意識を、ジグソーパズルのピースのように採取し、組み立て直す行為のように、わたしには見える。
あるいは赤ん坊が「あー、あー」といいながら、自分が関心をもったものを指し示す、あの行為を思い起こさせる。それは限りなくピュアで、哀切極まりない、「見ること」の原初の光景へと、われわれをいざなう。人びとは(いやこのわたしも)おそらく、そのことにいま衝撃をうけながら、中平卓馬と、彼の「写真」のまえにたたずむ。







ところで、上の2枚は、昨日敷島公園で出会った少年たちの記念写真。
この4月から、小学5年生。
下の1枚の背後に写っているのが、ハトのジョナサンがやってくる一本の木である。


<中平卓馬写真展>
http://bld-gallery.jp/exhibition/110108nakahiratakuma.html
http://www.art-it.asia/u/shugoarts/LKy1ngZDSlfwHitpM5rP/

<写真集「Documentary」>
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E5%8D%93%E9%A6%AC-Documentary-%E4%B8%AD%E5%B9%B3-%E5%8D%93%E9%A6%AC/dp/4904883349

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