二草庵摘録

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「朝の歌」とその周辺 ~中原中也の詩に魅せられたころ

2015年06月16日 | 俳句・短歌・詩集
中原中也はふしぎな魅力をもった詩人である。
高校の一年だったころ、この中原に魅せられて、当時刊行されていた彼の角川版全集を買ったことがあった。予算がなかったので、全巻買ったのではなく、バラ売りになっていた詩集だけ買ったのではなかったろうか。しかも古書店で。
母屋の二階、そのころわたしが住んでいた部屋へ上がれば、中学高校時代に読んだ本の大半が、分厚いほこりをかぶって眠っている(^^;) ネズミの糞などが散乱しているから「よし!」と覚悟のホゾをかためてからでないと、踏み込めないが(笑)。
そこに、その一巻も置いてある。

「ああ、つまらない。つまらない。なにかおもしろいことないかなあ」
それが思春期のわたしの口癖だった。「なんだと? そんなにつまらなければ、おれを手伝え」と、しばしば祖父にたしなめられたことを覚えている。わが家は兼業農家で、祖父と母が農業(米と養蚕)、父は鉄道マン、祖母は長患いの病人だった。
中学三年の春、旺文社の「中学時代」という雑誌で懸賞小説の募集があり、たまたま書いた「青い花」という30枚ばかりの短編で最優秀賞をいただき、賞金10万円を手にしたときのよろこびは大きかった。

選者は新田次郎。田舎者で世間知らずのわたしは「弟子にして下さい」という手紙を新田次郎に出した。新田さんからは、丁寧なお断りの葉書がきた。「小説は弟子入りして学ぶものではありません」という内容だった。
いまになって考えてみると、「青い花」は、志賀直哉の「菜の花と小娘」をお手本に書いたものだった。そのころ愛読した、川端康成の「掌の小説」の影響もあった。

しかしわたしは、つぎの小説を書くことができなかった。
生まれてきたのは、小説ではなく、詩であった。
高校生のわたしが中原の作品とつきあったのは、半年あまりであったろうか。小林秀雄訳のランボー詩集や、「現代詩手帖」で活躍目覚ましい現代詩人に目移りしてしまったのであった。
中原中也はたちまち、そういったあまた存在する「詩人の一人」となった。



そうして・・・つい最近のことだが、なんというか、不意に「朝の歌」が読みたくなって、本棚でほこりをかぶっていた、大岡昇平編集・解説の「中原中也詩集を、数十年ぶりにひもといたのである。

中原には「サーカス」「少年時」「言葉なき歌」「冬の長門峡」など、よく親しまれた秀作が数編あるけれど、わたしはその中でとくに「朝の歌」に魅せられた。
岩波文庫で彼の詩を少し読み返してみて、わたしの詩体験のいわば基層のような位置をしめているのが、「朝の歌」であることを発見したのだ。




《天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂の香(か)に 朝は悩まし
  うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。》
(「朝の歌」全編。引用は青空文庫)

これは「山羊の歌」の初期詩編に収められている。
おそらくはまだ十代であった彼に、なぜこんなに深い悲しみの歌が詠めたのか? ここにある「喪失感」は、並大抵のものではない・・・とわたしはおもう。彼はいわば、神の啓示をうけて、この詩を書いたのであろう。
まるで彼の辞世の歌といってもいいようなこの作品は、はじめて知った高校生のころからわたしのお気に入りだった。

あえて古臭い表現を使えば、中原は醇乎たる詩人である。じつに抒情詩人らしい抒情詩人であるとわたしはかんがえる。
《中原を理解することは私を理解することだ、と編者はいう。こうして飽くなき詩人への追求が30余年にわたって続く。ここにその成果を総決算すべく、中也自選の『山羊の歌』『在りし日の歌』の全篇と、未刊詩篇から60余篇を選んで一書を編集した。読者はさまざまな詩に出会い、その底にある生の悲しみに心うたれるに違いない。》(岩波文庫表紙のキャッチフレーズ)

「汚れちまった悲しみ」は彼の絶唱といっていいだろう。子どものような魂をもったまま大人になって、傷つき、汚れ、悲しみにまみれていくというある意味だれもが経験するようなプロセスを、こんな美しい歌のようなことばで表現できる才能とはいったいなんだろう?

2015年の現在から、彼を読み返すと、普段は忘れている中学3年から、高校2年のころの記憶が生々しく甦る。
その第一がわたしにとっては「朝の歌」ということである。

《天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
  手にてなす なにごともなし。》

「ああ、そうか。あれからもう、五十年近い歳月が流れたのか」という思いが、いっとき胸をふさぐ。
中原の詩はわたしにいわせれば玉石混淆である。いいものはすばらしい光をいまでも放ちつづけているが、残念ながら駄作も多い。そのとき、突き放される思いにとらわれる。そうしてわたしは、彼の詩的世界から遠ざかってしまったのであろう。
天井や《戸の隙(すき)を洩(も)れ入(い)る光》を眺めている中原は、このあと自分に襲いかかる運命を、漠然と予感していたのではないか?

《小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。》

小林秀雄と中原、大岡昇平と中原。
運命の変転は、世慣れぬ不器用な一人の男の魂を引き裂いていく。当時の若いわたしには見えなかったものが、いまなら十分にわかる気がする。

「うしないし さまざまのゆめ」「うつくしき さまざまの夢」と彼は才能がおもむくままに書いたのであろう。ところがこのことばを、彼は身をもって生きることになったのである。三十年という短い生涯を、かけがえのない代償として捧げながら。

運命の詩人中原中也。
久々にひもといた詩集の中で、彼を取り巻いた幾多の悲しみは、ついさっき咲いたばかりのアジサイかアサガオのように、初々しく色鮮やかであるように、わたしにはおもわれる。

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