*ヨーロッパ型の人間が、いかにキリスト教という宗教に骨がらみになっているか、本書を読むとよくわかる。
人格あるいは主体の底辺は、わたしの眼から見ると、キリスト教によって形成され、ある意味で“支配”されいるということだ。人格はその宗教の上に組み立てられる。
ピエールが聖書やそれと関連する宗教書をどう読んだかは、多少ねじれた形ではあるにせよ、この男の内面を推定する大きな手がかりとなるだろう。
*本書を読みながら、ドストエフスキーの「死の家の記録」を思い出した。
ドストエフスキーが、シベリアへ流刑となり、オムスク監獄に収監されていたのは1849~1854年のあいだ。
彼は「死の家の記録」を“作家の眼”で書いている。
しかし、ピエールは、ろくすっぽ教育をうけていない二十歳の農民の眼で、手記を書いている。しかも、異常といっていいくらい視野が狭く、偏っている。
「死の家の記録」は、監獄の中を描き、そこに収監された囚人たちを描く。
しかし、ピエールは「自分の心の中」を描く。
*この時代のフランスは、文学でいえば、バルザック(1799~1850年)が作家活動を盛んに行っていた時期と重なる。時代の雰囲気をつかみたければ、バルザックの世界を参照するといいだろう。
ただし、こちらはフィクションによっていわば“構築”された小説という違いがある。
*本書がたぐい稀なドキュメントであるのは疑いない。
第一部は、哲学の書でも、思想の書でもない。こういう本=ドキュメントがあることを、わたしはほかに知らない。
悪とは何か?
人間はなぜ、殺人を犯すのか?
結局のところ、善なるものが、悪を裁くのである。しかし、そう考えた場合、では善、善なるものは、歴史的に社会的に、どのように形成されたのか?
そこから浮上してくるのは、表現をかえれば、人間にとって、倫理とは何か・・・という問題である。
倫理は俗ないい方をすれば「人の道」にはずれたことをしてはならないということである。
そうすると、人の道にかなった生き方があることになる。
しかし、当然ながら、そこには温度差が存在する。ヨーロッパ型の人間ならば、カトリックにせよ、プロテスタントにせよ、あるいはロシア正教にせよ、キリスト教が絶大な権威をふるって、社会的な人間をつくり出してきたのである。われわれは、原始の時代に、原始人として生まれたわけではない。
「人を殺すなかれ」というのは、いわば黄金律であり、窃盗や詐欺(虚偽)とならんで、絶対的なタブーとして社会的な人間をきびしく律している。
その根源にある善とは何か?
悪があるから、善があるとすれば、それは人間という社会的な存在者にとっては硬貨の裏と表の関係ではないのか!?
「善は悪があるから、その存在根拠がある」というような・・・。すべての人が善人で、人は「よいこと」しかしないとすれば、それは善ではなく、当たり前の事実になってしまうだろう。
*ピエールを逮捕し、収監する。
その監獄とは、どういうところなのか?
だれによって、どのように管理されているのか?
ここからも、興味ある世界が開けてくる。
じつはわたしは第二部収録の論考をすべて読みおえたわけではない。
本書を世に送り出したフーコーをはじめとするゼミの面々が、「ピエール・リヴィエール」に対してどのような考察をおこなっているのかは、これからの検証となる。
ところで、フーコーには「監獄の誕生――監視と処罰」という、大部な代表作がある。
そこでフーコーは、
《ヨーロッパにおける刑罰は、人道的観点から身体に対する刑罰から精神に対する刑罰へと移行した。フーコーは、刑罰が進歩したというよりも、その様式が変化し、新しい権力作用が出現したと主張した。》(ウィキペディアより引用)といっているそうである。
本書は1973年にフランス語初版が刊行されている。
そして「監獄の誕生――監視と処罰」は1975年の出版となる。いずれ読まねばなるまいと、わたしはいま考えている。
*地獄の釜の中をのぞくとはいかにも仏教徒的な発想といわれるだろう。
その通りなので、わたしは自身が仏教徒であることを否定しない。
ドストエフスキーの「死の家の記録」は二度読みしているが、それを読んでいるときも、「現世における地獄の釜」とは、こういうところだ・・・といった感想を抱いた。
人間は類的存在なので、歴史的に、また民族的に社会を形づくって社会生活をいとなんでいる。監獄や病院は、人を収監し、管理し、療治するところである。市民的な日常から分断された世界が、ここに存在する。
刑務所も病院も、いたるところにある。それらすべては「近代の所産」なのである。
本書「ピエール・リヴィエール 殺人・狂気・エクリチュール」は、1830年代の殺人事件を取り上げている。
歴史の地層が、このようにして、剥き出しにされたのである。
人格あるいは主体の底辺は、わたしの眼から見ると、キリスト教によって形成され、ある意味で“支配”されいるということだ。人格はその宗教の上に組み立てられる。
ピエールが聖書やそれと関連する宗教書をどう読んだかは、多少ねじれた形ではあるにせよ、この男の内面を推定する大きな手がかりとなるだろう。
*本書を読みながら、ドストエフスキーの「死の家の記録」を思い出した。
ドストエフスキーが、シベリアへ流刑となり、オムスク監獄に収監されていたのは1849~1854年のあいだ。
彼は「死の家の記録」を“作家の眼”で書いている。
しかし、ピエールは、ろくすっぽ教育をうけていない二十歳の農民の眼で、手記を書いている。しかも、異常といっていいくらい視野が狭く、偏っている。
「死の家の記録」は、監獄の中を描き、そこに収監された囚人たちを描く。
しかし、ピエールは「自分の心の中」を描く。
*この時代のフランスは、文学でいえば、バルザック(1799~1850年)が作家活動を盛んに行っていた時期と重なる。時代の雰囲気をつかみたければ、バルザックの世界を参照するといいだろう。
ただし、こちらはフィクションによっていわば“構築”された小説という違いがある。
*本書がたぐい稀なドキュメントであるのは疑いない。
第一部は、哲学の書でも、思想の書でもない。こういう本=ドキュメントがあることを、わたしはほかに知らない。
悪とは何か?
人間はなぜ、殺人を犯すのか?
結局のところ、善なるものが、悪を裁くのである。しかし、そう考えた場合、では善、善なるものは、歴史的に社会的に、どのように形成されたのか?
そこから浮上してくるのは、表現をかえれば、人間にとって、倫理とは何か・・・という問題である。
倫理は俗ないい方をすれば「人の道」にはずれたことをしてはならないということである。
そうすると、人の道にかなった生き方があることになる。
しかし、当然ながら、そこには温度差が存在する。ヨーロッパ型の人間ならば、カトリックにせよ、プロテスタントにせよ、あるいはロシア正教にせよ、キリスト教が絶大な権威をふるって、社会的な人間をつくり出してきたのである。われわれは、原始の時代に、原始人として生まれたわけではない。
「人を殺すなかれ」というのは、いわば黄金律であり、窃盗や詐欺(虚偽)とならんで、絶対的なタブーとして社会的な人間をきびしく律している。
その根源にある善とは何か?
悪があるから、善があるとすれば、それは人間という社会的な存在者にとっては硬貨の裏と表の関係ではないのか!?
「善は悪があるから、その存在根拠がある」というような・・・。すべての人が善人で、人は「よいこと」しかしないとすれば、それは善ではなく、当たり前の事実になってしまうだろう。
*ピエールを逮捕し、収監する。
その監獄とは、どういうところなのか?
だれによって、どのように管理されているのか?
ここからも、興味ある世界が開けてくる。
じつはわたしは第二部収録の論考をすべて読みおえたわけではない。
本書を世に送り出したフーコーをはじめとするゼミの面々が、「ピエール・リヴィエール」に対してどのような考察をおこなっているのかは、これからの検証となる。
ところで、フーコーには「監獄の誕生――監視と処罰」という、大部な代表作がある。
そこでフーコーは、
《ヨーロッパにおける刑罰は、人道的観点から身体に対する刑罰から精神に対する刑罰へと移行した。フーコーは、刑罰が進歩したというよりも、その様式が変化し、新しい権力作用が出現したと主張した。》(ウィキペディアより引用)といっているそうである。
本書は1973年にフランス語初版が刊行されている。
そして「監獄の誕生――監視と処罰」は1975年の出版となる。いずれ読まねばなるまいと、わたしはいま考えている。
*地獄の釜の中をのぞくとはいかにも仏教徒的な発想といわれるだろう。
その通りなので、わたしは自身が仏教徒であることを否定しない。
ドストエフスキーの「死の家の記録」は二度読みしているが、それを読んでいるときも、「現世における地獄の釜」とは、こういうところだ・・・といった感想を抱いた。
人間は類的存在なので、歴史的に、また民族的に社会を形づくって社会生活をいとなんでいる。監獄や病院は、人を収監し、管理し、療治するところである。市民的な日常から分断された世界が、ここに存在する。
刑務所も病院も、いたるところにある。それらすべては「近代の所産」なのである。
本書「ピエール・リヴィエール 殺人・狂気・エクリチュール」は、1830年代の殺人事件を取り上げている。
歴史の地層が、このようにして、剥き出しにされたのである。