
(こんなアンソロジーが宝島社から刊行れている)
名作短篇と見なされているものを列挙してみよう。
・羅生門
・鼻
・芋粥
・藪の中
・地獄変
・蜘蛛の糸
・杜子春
・戯作三昧
・玄鶴山房
・枯野抄
・河童
・歯車
・侏儒の言葉
ざっと数えても短篇に限ってこれだけあるのは、他の作家を圧倒している。つまり純文学作家、作品として。
大正時代は、芥川龍之介の時代であったのだ。「第四次新思潮」の発刊が大正5年、芥川の自殺が昭和2年のこと。


(よく知られた友人ちと記念写真。上のは親友井川恭と。下のは右より成瀬正一、龍之介、松岡譲、久米正雄)

(第3短篇集なる「傀儡師」のリメイク版、頂点へ上りつめる)
この「傀儡師」には、「奉教人の死」から「地獄変」まで11篇の作品がならんでいる。ほかに「枯野抄」「蜘蛛の糸」「袈裟と盛遠」「ある日の大石内蔵助」「毛利先生」「戯作三昧」「地獄変」等が収録されていて、芥川の最高傑作集といわれている。
しかし、好調であったこの時代に比べると、晩年の作品はどうにも好きにはなれないなあ・・・と思っていた。関口安義さんの評伝「芥川龍之介」の第八章「重荷の人生」を読んで、その理由・原因がかなりわかった。
「一塊の土」に対する正宗白鳥の絶賛に勇気づけられはしたものの、「近代日本文芸読本」事件と、義兄西川弁護士が鉄道自殺に追い込まれる事件が発生し、芥川はその双方の渦中に巻き込まれてしまう。そして不眠症に悩まされ、数種の睡眠薬を常用することになる。
《晩年の芥川は、睡眠薬の副作用でも苦しんだ。幻覚、食欲不振、全身倦怠、めまいなどは、明らかにこれら催眠剤の常用による慢性中毒症状としてよい。》(183ページ)
考えてみると、東京大学のころから優秀であった。まさに順風満帆の半生であった。
したがってつぎつぎ襲いくる逆風には弱かったのであろう。女性スキャンダルにも巻き込まれていた。
「催眠剤の常用による慢性中毒症状」
これが、彼のいのちを35歳という働き盛りで断ち切ったのだ。
しかし、いまでも大正期の作家として人気を保っている。とやかくいう人がいるにはいるが。30代で自殺した小説家としては、太宰治と双璧をなすだろう。ご存じのように太宰は芥川に強くあこがれていた(。-ω-)
芥川賞。友人の菊池寛が創設し、毎年マスコミでこの名がとりざたされるとき、芥川龍之介の業績をしのぶ読者も必ずいる。
名作短篇と見なされているものを列挙してみよう。
・羅生門
・鼻
・芋粥
・藪の中
・地獄変
・蜘蛛の糸
・杜子春
・戯作三昧
・玄鶴山房
・枯野抄
・河童
・歯車
・侏儒の言葉
ざっと数えても短篇に限ってこれだけあるのは、他の作家を圧倒している。つまり純文学作家、作品として。
大正時代は、芥川龍之介の時代であったのだ。「第四次新思潮」の発刊が大正5年、芥川の自殺が昭和2年のこと。


(よく知られた友人ちと記念写真。上のは親友井川恭と。下のは右より成瀬正一、龍之介、松岡譲、久米正雄)

(第3短篇集なる「傀儡師」のリメイク版、頂点へ上りつめる)
この「傀儡師」には、「奉教人の死」から「地獄変」まで11篇の作品がならんでいる。ほかに「枯野抄」「蜘蛛の糸」「袈裟と盛遠」「ある日の大石内蔵助」「毛利先生」「戯作三昧」「地獄変」等が収録されていて、芥川の最高傑作集といわれている。
しかし、好調であったこの時代に比べると、晩年の作品はどうにも好きにはなれないなあ・・・と思っていた。関口安義さんの評伝「芥川龍之介」の第八章「重荷の人生」を読んで、その理由・原因がかなりわかった。
「一塊の土」に対する正宗白鳥の絶賛に勇気づけられはしたものの、「近代日本文芸読本」事件と、義兄西川弁護士が鉄道自殺に追い込まれる事件が発生し、芥川はその双方の渦中に巻き込まれてしまう。そして不眠症に悩まされ、数種の睡眠薬を常用することになる。
《晩年の芥川は、睡眠薬の副作用でも苦しんだ。幻覚、食欲不振、全身倦怠、めまいなどは、明らかにこれら催眠剤の常用による慢性中毒症状としてよい。》(183ページ)
考えてみると、東京大学のころから優秀であった。まさに順風満帆の半生であった。
したがってつぎつぎ襲いくる逆風には弱かったのであろう。女性スキャンダルにも巻き込まれていた。
「催眠剤の常用による慢性中毒症状」
これが、彼のいのちを35歳という働き盛りで断ち切ったのだ。
しかし、いまでも大正期の作家として人気を保っている。とやかくいう人がいるにはいるが。30代で自殺した小説家としては、太宰治と双璧をなすだろう。ご存じのように太宰は芥川に強くあこがれていた(。-ω-)
芥川賞。友人の菊池寛が創設し、毎年マスコミでこの名がとりざたされるとき、芥川龍之介の業績をしのぶ読者も必ずいる。