虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

年長の子たちの電子工作の作品と算数の学習

2018-05-12 19:01:00 | 通常レッスン

レジを作ったAくん。

バーコード代わりに貼っているアルミ箔にバーコードを読み込む機械で

触れると、ビーッと音が鳴るようになっています。

 

買い物かごも作ってお店屋さんごっこをしました。

実は、Aくん。お家でお金と財布を作ってきてくれたのです。

年の離れた大きなお姉ちゃんたちが、工作に付き合ってくれているそうです。

ブロックで保育園を作っていたBちゃん。

製氷皿を靴箱にしています。

下の人形と家もBちゃんの作品。

Cくんはふみきり前を通過時に音が鳴る電車を作りました。

 算数の学習で、『14ひきのおつきみ』という本をテーマにして

学びました。

「おつきみって何月だと思う?」とたずねると、

「9月」と答える子どもたち。

 

「正解。それでは、9月の6ヶ月後は何月でしょう?

 

指を折りながら、「10月、11月、12月、13月、14月、15月」と数えて、

「15月」と自信満々に答えていました。

「12月はクリスマスがあるね。サンタさんが来るね。

12月の次は、も~うい~くつ ねると、お正月~の1月だよ。

その次は、2月。鬼は~そとの2月。節分があるね。

その次は3月。おひなまつりがあるね」

そんな話をしながら、月について学びました。

 

マス目の用紙に絵が描いてあるものを

用意して……。(マス目を描いて、小さなおもちゃなどを置いて問題を出すのもいいです)

「下から3番目、右から2番目は何?」

「下から5番目、1番左は何?」といった当て物クイズをしました。

 

逆思考の問題。

同じ量のジュースを注いだコップが5つあります。

さまざまな量に変化したジュースの量を見比べて、

「1番たくさん飲んだのはどれ?」

「2番目にすこしだけ飲んだのはどれ?」など当てました。

 

水の量が異なる容器に同じ量の砂糖を入れて、

「1番甘いのはどれ?」

「2番目に甘いのはどれ?」といった質問をしました。

 

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別日の年長のCくんのレッスンの様子です。

お化けと劇と手品が好きなCくん。お化け屋敷を作ることにしました。

アルミ箔で道を作ります。

ダンボールで作った人(裏にアルミ箔を貼っています)が、

お化けにぶつかると、ブザーが鳴るようにしました。

井戸からもくもくとお化けが出てくるようにしました。

 『ひらめき算数脳』の問題をじっくりと解きました。

初めての課題ですが、自力で正解できた時は

とてもうれしそうでした。

 

 


点対称の理解に役立つ100円グッズ

2018-05-11 20:29:12 | 算数

 自閉っ子のAくんは、線対称は理解できたものの、点対称を教えても

さっぱりできるようになりませんでした。

そこで、100円ショップの囲碁セットを使って、「駒をひとつ置いて、それと点対称な

場所に駒を置かせる」という練習を何度かしていると、しっかりマスターすること

ができました。

 

ただ、できるようになるまでに、「縦と横のマス目を数えていく」という作業が

かなりいい加減で、あぶなっかしいこともわかりました。

物ではなくて、線なので、何となく、「12346」のように適当に線を抜かしたり、

縦と横をごっちゃにして数えていたりするのです。

そんな場合は、こうした実際に触れて学べるもので、正確に数え上げることができるようになるまで

つきあうことが大事です。

点対称ができるようになると、なぜかできていた線対称を忘れていました。

それで、こちらも学び直しました。

 

自閉っ子のBくんの作品。すばらしすぎて、いつも感動しています。

Aくんが作っていた焼き鳥の屋台です。


子どもの内面に 言葉にできないうっぷんが溜まっている時には?

2018-05-06 07:38:12 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子

 

2歳10ヶ月のAくんは、大らかで茶目っ気のある性質。

2歳を過ぎた頃から、周囲で起こっていることをじっくり観察して

自分なりの意見をよく口にしていました。

 

ところが今回のレッスンでは、ちょっと様子が違いました。

やりたいことがあっても、他の子がしている間は

身構えた慎重な態度で立ちすくしている姿が何度も見られました。

 

これまでニコッと顔をほころばせては自分の考えをつぶやいていたのに、

終始、表情をこわばらせて黙りこくっていました。

そういえば、数ヶ月前から、Aくんが何かしようとするたびにAくんのお兄ちゃんに

全て奪い取られてしまったり、Aくんが「これで遊びたいよ」と言っても、

「こっちで遊ぶんだよ」と無理強いされたり、

Aくんが何か言おうとするとお兄ちゃんが割りこんできたりすることが続いていたのです。

男の子の兄弟は、こんな風に周囲をヒヤヒヤさせるほどの衝突を繰り返しながら成長していくものです。

とはいえ、あまりに理不尽すぎる出来事の連続に、さすがに大らかな気質のAくんも自分のなかに溜めこんでいるものがあるようでした。

 

この日、Aくんのお兄ちゃんは教室に来ていなかったのですが、お友だちのBくんのお兄ちゃんが来ていて、いっしょに遊んでいました。

Aくんが、Bくんのお兄ちゃんと同じおもちゃを使いたがり、同じ遊びをしたがるものですから、自分のお兄ちゃんとの衝突ほど激しくないものの、たびたび思いがぶつかりあっていました。

 

といっても、Aくんは以前のように自分の意見を主張しようとせず、黙ったまんま固まっていました。

その表情から、口には出さないものの、Aくんの心のなかには、さまざまな思いが渦巻いているのが見て取れました。

 

この日教室には、他の子が「これは、いらない」と残していった工作作品が置いてありました。

それを見つけたAくんは、ゆっくりそれをやぶきだしました。

あわててお母さんが注意しても、さらにやぶいていきます。

「それはね、お友だちが、もういらないよって言ってた作品だから、Aくんがもらうことができるよ。好きなように改造してみたら?」と問いかけても、まだやぶいています。

やぶいているAくんの表情は、派目をはずして悪さをしている感じではありませんでした。

何か言いたいことがあるけど、うまく言葉にできなくていじいじしている……そんな感じです。

 

内面に言葉にできないうっぷんが溜まると、子どもによって、

家のようなリラックスできる場で大泣きしたり、

攻撃的になったり、消極的になったり、赤ちゃん返りをしたりします。

本人の心は深い混乱にあるはずなのに、そうした素振りを少しも見せずに明るく過ごしている子もいます。

でも、そうした子は数年先に、一年以上難しい時期(年長や小1の頃に、問題行動を繰り返したり、極端な赤ちゃん返りをしたりすることです)を送る姿を教室でよく見かけます。

 

それでは、子どもの内面に言葉にできないうっぷんが溜まっているような時、どうすればいいのでしょう?

内面にうっぷんを溜めやすい子自体がハイリーセンシティブチャイルドという敏感なタイプの子が多いとは思うのですが、ごく一般的な子であっても、今ある環境に圧倒されて過敏になっている時期には、このHSC(ハイリーセンシティブチャイルド)の子と同様の対応が重要になってくるように感じています。

 

そうした敏感な子への対応法は、これまでも何度か紹介させていただいているマイコー雑記のマイコーさんが、

ハイリーセンシティブチャイルドの支援に取り組むセラピストによる「HSCが健やかに育つ7つのヒント」

という記事の中でまとめてくださっています。

 

タイトルだけ箇条書きにすると、次の7つです。

 

1、ダウンタイムを大切にする

2、人ごみを避ける

3、自然を楽しむ

4、創造性を優先する

5、一緒にすごす時を楽しむ時間をもつ

6、自ら選択する機会を与える

7、感情の調整を助けてやる

 

先にあげたヒントは、言葉通り解釈するのではなく、それぞれの子の日常や環境のなかで咀嚼しなおして、

「繁華街のような人ごみには連れて行ってないけど、幼稚園での集団の騒がしさで

疲れているはずだから、静かに自分の遊びに集中できる時間を作ってあげよう」など。

 

Aくんの話にもどりますね。Aくんは、しょっちゅう遊びを妨害するお兄ちゃんのせいでストレスを感じつつ、お兄ちゃんに強く惹かれていて、お兄ちゃんのすることが面白くてたまらない様子です。

今回のレッスンでも、葛藤を抱えて黙りこみながらも、同年代のBくんではなく、遊びを一人占めしてしまうBくんのお兄ちゃんにピッタリひっついていました。

 

Aくんの態度が以前に比べて全体的に消極的で自分らしさを抑えたものに見えたので、Aくんの今の「旬の興味」を探ってたっぷりやらせてあげる必要を感じました。

自分がやりたいことを存分にやりつくすことで、子どもは情緒の落ち着きと、自分への信頼感や自信を取り戻しますから。

 

Bくんのお兄ちゃんがブロックで作ったストッパーを使って、並べたミニカーを一気に滑らせるという遊びをしていた時、Aくんの関心はこの遊びのメインである「ストッパーをあげた瞬間、ダイナミックに滑っていくミニカー」にあるのではなく、車と車の間にできる一台分の隙間にミニカーを詰めることにありました。

他の遊びでも、空所を目にするたびに、そこにあうものを詰めようとしていました。

 

 
そこで、写真のような木のパズルを用意して、ひとつだけ隙間をあけてみたのですが、
Aくんは興味を示しませんでした。
 
 そういえばAくんは、どっしりとした手ごたえのあるものを扱うのが好きなのです。
また、ストーリーのあるお話が好きなので、ボードゲームや知育玩具も、無機質な教具教具したものよりも、それを手にしてお話ししながら遊ぶような、どこか温かみのあるものやとぼけた風合いのものを好むのです。
 
ですから、同じ「詰める遊び」にしても、Aくんが操作を心地よく感じるもので、ストーリーを展開しながら、それらで詰めていく作業ができるように枠を工夫することにしました。
 

ブロックで枠を作って、新幹線を入口から入れます。

Aくんは入れた後で、奥に電車を詰めていく作業が面白くてたまらない様子でした。

 

それを見ていたBくんのお兄ちゃんが、「ぼくもやらせてよ」と言いました。

Aくんは、列車を全部抱え込んで返事をしません。

「お兄ちゃん、Aくんは今貸したくないみたい。列車ね、Aくんがこうやってこうやってこうやってギューッて奥に入れて遊んでいるのよ。まだ、もっともっとそうやって遊びたいはずよ。

教室にはたくさんミニカーがあるから、いっぱいいーっぱいお兄ちゃんに出してきてあげるよ。先生といっしょに駐車場を作らない?

Aくんのより大きくて、車が出たり入ったりするところと面白いしかけがいろいろあるようにしたらどう?」とたずねても、

「いやだよ。ぼくも、列車で遊びたいんだ。列車を貸してよ」とBくんのお兄ちゃんも譲りません。

Aくんはというと、絶対、ひとつも貸すものかと、電車を抱え込んでいました。

しばらく経った時、Aくんのお母さんが穏やかな口調で、ひとり占めをせずにお友だちとわけあう大切さを教えながら、

「お兄ちゃんにひとつ貸してあげたら?」と誘いかけていました。

Aくんのお母さんの対応は正しいものでしたが、これまでさんざん有無も言わせずおもちゃを取り上げられることが多かったAくんに対して、「今回は特別」という機会を作ってもいい気もしました。

 

「Aくん、列車を1台だけ貸してくれる?」とたずねると、「いや」と小声で答えます。

「じゃぁ、この列車は貸してくれる?」「いや」

「じゃあ、これは?」「いや」

「Aくんは、一台も貸したくないのね。ぜんぶ、Aくんが使いたいの?」と聞くと、真剣な表情でこっくりします。

 

「お兄ちゃん、あのね、前にAくんが遊ぼうとしたらね、だめー貸さないよ、全部取っちゃうよ、ってAくんのお兄ちゃんがおもちゃを全部取ってしまったのよ。

それに、今日は、Aくんがミニカー並べたいなと思ったら、だめだめ、触っちゃだめってBくんのお兄ちゃんが言ったでしょ。

だから、今度はAくんは、この列車は全部自分で使いたいんだって。

ね、今日だけ、お願いよ。

今日は、Aくんが列車で遊ぶことにして、お兄ちゃんは先生とすごくいいおもちゃを探しに行くことにしたらどう?

お兄ちゃんの大きな駐車場を作って、宝物も隠せるようにしたらどう?」とたずねると、

Bくんのお兄ちゃんは「いやだよ。ぼくは列車で遊びたい。列車、取っちゃうよ!」と言いました。

 

するとその時、Aくんが、いいことを思いついたという様子で、

「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」と言いました。

「そうよね。電気消したら、夜になっちゃうかな?

きっとおもちゃが見えなくなって取れないよね。暗くしてみよう」と言うと、

それまで緊張して引きつっていたAくんの表情がほころんで、笑顔がこぼれました。

 

部屋の電気を消してみると、少し薄暗くなりました。

「見えるよ。それに取れるよ!遊べるし。」とBくんのお兄ちゃん。

「えっ、電気を消したのに、本当に見えるの?」とびっくりした様子でたずねると、

「見えるよー!!」と答えます。

「お兄ちゃんは、暗くても、ちゃんと目が見えるの?」

「見えるよー!」

Aくんはそのやりとりをニヤニヤしながら見ています。

昼間なので電気を消しても、ちょっと薄暗いかな程度なのですが、自分以外の人の目にその世界がどのように映っているのか、興味をそそられたようでした。

 

再び、電気をつけた後も、「列車を貸して」と言い続けるお兄ちゃんに、

「じゃあ、列車に聞いてみようよ。

お兄ちゃんがたずねてみてよ、いっしょに遊ぶ?って」と言うと、

「それは、先生が答えるんでしょ?いやだ、遊ばないって先生が答えるんでしょ」とお兄ちゃん。怒ったふりをしていますが、目が笑っています。

 

Aくんはというと、「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」と言ってから、急に本来のAくんらしいほがらかな茶目っ気たっぷりの態度に戻って、ああだから、こうだから……と思いつくままにいろいろなおしゃべりを始めました。

 

Aくんいわく、貨車は列車の仲間じゃないので、列車といっしょに並べるわけにはいかないのだとか。

前にも後ろにも新幹線の顔みたいなとんがったところがないからだそう。

 

いきいきしたAくんらしさを取り戻したとたん、新しい遊びを試してみたり、不思議さに心を奪われたように覗きこんだりする姿がありました。

 

Aくんに笑顔が戻ってきて、いきいきとしたAくんらしさが発揮されだしたのはなぜでしょう?

子どもにはいろんな意味で、十分なスペース(余白)が必要だと感じています。

しつけ上のルールにも。

時間にも。

空間も。

人間関係も。

大人の考えにも。

 

 子どもは、自分の本当の気持ちを言っても大丈夫というスペースが保証されていないと、自分の思いを別のネガティブな行動で表現することがよくあります。

本当の気持ちを言っても大丈夫というスペースを作るとは、

「その場で本音を言ってごらん」とアクションをかけるような浅い対応ではなく、

子どもは過去の出来事を事細かに記憶しているものだし、

従う従わないに関わらず、

大人の言葉の影響を大きく受けているものだと知った上で、

子どもの思いを尊重して対応することです。

Aくんの「貸したくない」「全部、ひとり占めしたい」という気持ちには、

「電車は、全部電車の仲間だからここだよ。電車が1つなくなったら、間があいちゃうからダメだ」という

今、敏感になっている秩序への思いが含まれているのでしょうし、

「ぼくが最初に遊んでいたよ」

「さっきBくんのお兄ちゃんに別のおもちゃを貸してもらえなかったよ」

「前の時はぼくのお兄ちゃんが全部取ってしまって、ひとつも貸してもらえなかったんだよ」

 という訴えや過去の体験で味わった不満感を再び心の浮上させようとする行為でもあるのでしょう。

また、「今、やっている途中だよ。面白いからもっとやっていたい。やりだしたことを落ち着いて完成させたい」という発達上の要求や、

「お母さんや先生は、お友だちに貸してあげなさい。順番よっていうから、言うこときかなくちゃ。でも、お母さんや先生の言うこと聞きたくない」という反抗期の葛藤もあるでしょう。

 

そうした複雑に絡みあった思いを整理して、自分を素直に表現できる状態になるには、どう見積もっても、たっぷり時間が必要です。

訴えを言葉にできないものも含めて聞いてもらう時間も必要です。

 

不満感が満たされる体験、不満やイライラなんてどうでもよくなるくらい自分のやりたいことをやりきる時間もいります。

 

自分の個性的な資質を発揮することで、自分の強みを手にして、いやな出来事を眺めることも大事です。

 今回の話でいうと、Aくんの強みは、「物語を作っていく力」です。

Aくんは自分の強みを使って、

「電気を消して、まっ暗にしたら、取れないよ。遊べない。」というアイデアを

言葉にした瞬間から、

「おもちゃを取ったり取られたり……」というストレスフルな体験を

ごっこ遊びのストーリーの一部として、

ちょっぴり刺激的で創造的に関わっていく対象へと変化させていました。

おもちゃを貸してくれず自分のおもちゃを執拗に取り上げようとする存在だったお友だちのお兄ちゃんは、Aくんの遊びの世界を豊かにする案内人へと変わりつつあるようでした。


これからの小中学校がどうであってほしいか  息子とおしゃべり

2018-05-05 17:56:48 | 日々思うこと 雑感

 

適度な「しばり」が生む学ぶ意欲と喜び と 数学について  息子とおしゃべり

教育と自由  息子とおしゃべり 続き

の会話の続きです。

 

息子 「学校が無作為に40人前後の人集めて、人と関わる力を育てようという

設定自体が、あまりに雑な対応で、無理があるよな。もし、

人に自分の思っていることを伝えたり、

他人と協調して何か成し遂げていく力を育てるなら、同じ趣味を持ってる者同士とか、

好きなものややってみたいことが重なる者同士とか、議論や会話や思いがそこそこ

成り立つ前提と人数で、もう少していねいにそういった力を育てようとするべきでさ。

小学校の頃は、せめて、3年生までと4年生以降で、

クラスの組み方を変えてほしいと思っていたな。

 授業中は教科書を先に進んでもだめだし、わからないからと戻っても

だめって決まりが絶対だから、

結局、クラスで最も理解が遅れている子のペースに合わせることになる。

そうしたことを6年間続けていて、学力にしても人間関係能力にしても、それだけの犠牲を払うほど

何か得られるのかっていうと、疑問だな」

 

わたし 「確かに、海外在住の方が日本の学校を見学してまわった後で、

今の小学校のあり方は、だれにとっても幸せではない、子どもにとっても先生にとっても。

だれにとっても、実りの少ないものになっているって感想を言ってたわ。

でも、改善するのは難しいわよね。A(息子)は、どんな方法を取ればいいと思うの?」

 

息子 「子どもの個性を大事にする教育と銘打って、どんなに公教育を改善しても、

4,50人の生徒を

無作為にひとところに押し込めて、急激に成長する時期にいつまでも同じ

スタイルで教育しようとしている

限り、難しいよ。そんな風に足し算しようと無茶するんじゃなくて、

引き算の発想で、同学年の子全員に必要だと思う教育部分を減らして、

午前中に基本の授業を終えたら、

午後は、公民館、図書館、小さな学び舎などさまざまな学習の場を国が支援して、

子どもの好みや学びの段階や学び方に合った教育をするとか、

そうした選択をする人も認めるとか、

週の半分くらいは自由選択の部分を作るとか。

子どもってだけでひとくくりにして、能力のちがいや好みのちがいや

身体的なものや思考のちがいまで、

ざっくりと大雑把にしか子どもの教育をとらえていないんなら、

1から10まで自前でコントロールしようとするのを

やめた方がいいんじゃないかな?」

 

わたし「お母さんもそう思うわ。それに、教室に来る親御さんたちも、

学校に対して、そうした考え方をする人が多くなったのを感じる。

というのも、勉強は2学年ほど先までできるし、友達も多い、

社会性も育っている、でも

学校が苦痛で、学校に通えない、というこれまでと異なる

不登校の子を教室でも何人か見るようになった。

不登校まで至らなくても、予備軍と言えるような同じ訴えをする子らが増えている。

支援級があるからかもしれないけど、勉強がわからないから学校に行きたくないという子は

聞かなくなったけど、勉強が簡単すぎて、授業が苦痛でたまらないから

学校に行きたくない、という話はよく聞くようになったわ。

学校がなくなればいいとまで思わないけど、共通に学ぶのが半日なら喜んで学校に

通えるような子を不登校に追い込んでまで、今のあり方にしがみつく必要はないと思うわ」

 

息子 「学校はどうあるべきか、どんなに話しあったって、それはある子たちに

とっていいあり方で、別のある子たちにとっては最悪のあり方かもしれないじゃん」

 

わたし 「そうよね」

 

息子 「周りが就活をするようになって、会社側は、何をやりたいのかという目的意識を

しっかり持っているかどうかを求めてくるのを感じてさ。

学校で詰め込むような知識にしても、まず、先にその目的意識ありきで、

そのために必要な知識を持っているかという順で見られるよ。

それで、ふと、小学校の読書感想文のコンクールなんかで、そこでなぜ賞を与えるのか

ってことについて考えたよ」

 

わたし 「どうしてだと思うの?」

 

息子 「小学生なのに、文才があるとか、こんなことができてすごいって

ことじゃないなって。それだけが目的の審査員はダメだと思う。

なぜ、それがすごいのかといえば、小学生の時点で何かしらに興味を持って、それが

パクリでもいいから、

自分なりの解決策を探ってみる、という一連の流れを学ばされるための

賞じゃないかと考えてさ。

小手先のテクニックを教えて、賞を取りまくっても、

あんまり意味がないよね。

やっているうちに、自分の中にやりたいことが明確化されていくことが

大事でさ。」

 

わたし 「わかる、わかる。お母さんも、教室の活動の中で、

一番大事にしている点だから。お母さんがこういう風に子どもに能力をつけさせよう、

作り上げよう、何かを目指させよう、とするんじゃなくて、いっしょに、

手や頭を使って、いろんなことをやってみるうちに、心の底から自分がやりたいと

思うものは何かが見えてくるし、それに一歩近づけるのよ」

 

息子 「そうだよね。お母さんの教室は、自分の興味から、

自分のこれからの方向性をつかんで

いけるようにって工夫してるしね。そういうの、どの子にとっても大切だと思うよ」

 

 懐かしい記事が出てきたので貼っておきます。

番外 息子の話

 

 

(規則性について考え中 ↑ )

 


遊べない子は、遊びに必要な技術を習得していない

2018-05-03 22:32:14 | 幼児教育の基本

 「子どもは遊びの天才」なんて言われますが、

実際には、遊ぶのが苦手な子、遊び方が不器用な子が

たくさんいるんじゃないかな?と思います。

 

子どもたちが心の底から楽しそうに真剣に遊び込むことができるようになるには、

いくつか体得していかなければならない技術のようなものがあると感じています。

 

遊ぶのに技術を体得しなくちゃならないなんて

おかしなことを言うように聞こえるかもしれませんね。

でもやっぱりいると思うんですよ。上手に遊ぶためのワザ!

 

目新しいおもちゃをちょっと触ってはうろうろするだけだったり、

遊び方の説明を聞いて、ちょっとうまくいかなくても何度か試してみるほどに

ひとつの物に根気よくつきあうエネルギーが乏しかったり、

遊びがワンパターンだったり、幼なかったり、依存的だったり、

友だちとふざけたり物を取り合ったりするばかりで

遊びが発展しなかったりする子っていますよね。

 

そうした遊び方は性格や能力に起因しているように思われがちです。

もちろん、それらの影響も大きいはずです。

 

でも、それとは別に、

「遊びに必要な技術を持っているかどうか」というのも

遊びの質と密接に関わっているのではないでしょうか。

 

では、「遊びに必要な技術」って、どんなものなのでしょう?

 

まず最初に大事なのは、

「何かとしっかり関わっていける力」をつけることかもしれません。

ひとつの遊びに愛着を抱いて、ひとつの活動を通して、

「面白いな、楽しいな」という気持ちを持続していくことができるようになることです。

 

遊びというのは、おもちゃがあって、それをいじってさえいれば

発展していくわけではありません。

楽しく遊ぶには、「いろんな形で想像力を使ってみる」という

実際に自分の頭と心を使って遊んだ体験が必要です。

遊びの世界で自分の頭を使えるようになっておかないと、

おもちゃがあるから、遊具があるから、楽しめるわけではないのです。

子どもは、自然に、物を何かに見立ててみたり、ごっこ遊びに興じたりするものですが、

大人の接し方やおもちゃが子どもの想像力を枯らせてしまったり、

奪ってしまったりすることもよくあることです。

また、もともと想像力に弱さがあって、ていねいに育んでもらわないと、

自分から使おうとしない子もいるのです。

 

環境と大人の役割は大きいです。

 

 

 
 
想像力だけでなく、思考力を遊びの中で活かしていく方法を習得すれば、
遊びはどんどん魅力的なものに発展していきます。
それでは、写真のブロック遊びをしている子どもたちを例に挙げて、
これまで書いてきたことを具体的に説明させてくださいね。
 
5歳と3歳の子たち、5人の遊びの風景です。
 
ひとりの男の子が電車のおもちゃを出してきて、ただ前後に動かしたり、
好きな電車を集めたりして遊んでいました。
遊んでいました……といっても、電車をいじっているだけなので、
それほど面白そうでじゃないのですが、飽きると新しいおもちゃを探しに行って
お気に入りに加えることで、本人の中では遊びが成り立っているようでした。
 
お家で、そうした遊びを遊びと思っている子がたくさんいます。
 
おもちゃをしばらくいじっていると、「片付けなさい」とお母さんに言われ、
片付けると、次のおもちゃが出したくなり、
出してきて触っているうちに、次の「片付けさい」という指示が来るということを
エンドレスに繰り返すうちに、
「遊び」という活動が、「赤ちゃん時期の見て触って満足」という段階から、
少しも発展していない子がたくさんいるのです。
 
電車のおもちゃを出してきて、ただ前後に動かしたり、好きな電車を集めたりして
遊んでいた子に、「ブロックを使って、その電車の駅や線路を作らない?」と誘うと、
少しとまどった顔をしながらうなずきました。
 
そこで、「ほら、前に、長い長い道路を作ったことがあるわね。
どんどん板をつないでいって」と言うと、
横でそのやりとりを聞いていた子が、パッと顔を輝かせて、
「あぁ、前にやった。もっといっぱい板がいる。もっともっと長くなくちゃ」と
言いながら、ブロックの板を並べだしました。
 

↑と↓は前にブロック用の板を並べた時の写真です。

 

↑ こんな風に道路を作って遊んだ楽しい体験を思い出したようです。

 

わたしが列車を走らせるためにブロックを横につないでいく見本を見せると、

他で遊んでいた子らも集まってきて、長い線路を作り始めました。

 

こうして手を使ってする作業に没頭し始めると、

子どもの態度は素直で落ち着いたものになっていき、

同時に頭の中はいきいきと活発に動きだすようで、

意欲的でよく練られた考えや言葉が出てくるようになります。

 

線路をつなぎ終えたとたん、Nゲージを走らせてみてから、

「そっちとこっちとで発車したら衝突しちゃうよ。

こっちの線路は、こっちからあっちに行って、あっちに着いたら

戻ってくるようにして、

あっちの線路は、あっちからこっちに行って、戻ってくるようにしたら?」と

言う子がいました。

すると別の子は自分の好きなように走らせたかったようです。

線路に1台だけ走らせるのでは嫌らしいのです。

 

そのため何度かNゲージが衝突することになり、言い合いになりかけたものの、

「それなら、連結したら?」という意見が出て、問題が解決しました。

Nゲージをどんどん(セロテープで)連結すると、長い1台の列車になるので、

1台ずつを行き来させているのと同じになったのです。

 

そうして遊び出すと、ここが終点、こうやって切符を買って……とごっこ遊びを広げる子、

駅で電車に乗る人が住んでいるお家を作ってストーリーを膨らませる子などが出てきて、

遊びが広がっていきました。

 

遊びって、ある程度、「ああ疲れた」「やるだけやった」というところまで

自分の身体なり、頭なりを使いきらないと、楽しさが湧いてこないものなのです。

その「やるだけやった」は、その時期その時期の子が

やっているうちにどんどん楽しくなっていって、「もうちょっともうちょっと」と

自分の限界までやり遂げないと気がすまなくなっちゃうような活動であること、

五感にとって気持ちいいこと、目で見て満足できるものであることが大事です。

 

だからといって、

わざわざこういうおもちゃを買いそろえなくちゃいけないということはなく、

お家にあるもので十分だと思います。

 

今回の「つないでつないで長く長くしていく」という活動は、

子どもにとって楽しくて達成感のある活動のひとつですが、

ブロックの板がなくても、下の写真のように「柵だよ」と言いながら

ブロックを置いていくだけでも、子どもにしたらさまざまな想像力を

掻き立ててくれりものなのです。

 

↑の写真の作品を作った子は、教室の端から端まで柵を付けた後で、

おもむろに立ちあがると、

しみじみと自分の作り上げた作品を眺めながら、

「どうして、こんなにすごいのが作れちゃったんだろう?」とつぶやきました。

 

置いていくだけ、並べていくだけ、囲むだけでも、道路ができ、

線路ができ、工事現場ができ、公園ができます。

そうした作業に熱中するうちに、想像力がいきいきと働き始めます。

 

「新しいおもちゃを出して、ちょっと触ってはお終い」という遊び方をしていたら、

自分の想像力を使うところまで行きつかないのです。

 

そうして想像力を働かせて遊んでいると、次には、

「上から電車を眺める駅を作りたいな」「これは特急で、こっちは回送で……」

「こういう風にしたい」「ああいう風にしたい」と

今度は思考力を働かせて、遊び始めます。

 

↑ 電車をくぐらせようとしたら、人形がトンネルの屋根にあたってしまうから

トンネルを高く作り直しました。

 

どんどんどんどん線路を長くしていく遊びから、

「地下鉄が上の駅のところに登って行くようにしたい」という願望が生まれ、

苦労してだんだん高くなっていく高架を作りました。

 

どんどんつないでいく楽しみも、

お城のなわばり図を作るという意味を意識しながら作ることで、

昔の人の知恵への関心が高まり、

自分たちもあれこれ知恵を絞って遊びこむことができました。

 

↑通ろうとすると、橋が崩れる仕掛け。

 

どんどん並べて、どんどん乗せているうちに、いろいろな物語が生まれていました。

 

どんどんどんどんつないでつないで……に熱中していると、こんな素敵な街になった

こともあります。

 

夢中になって遊ぶには、簡単にすぐできて、何度も繰り返したくなるような作業を

思い存分やることができる環境が大事だと思います。

公園でする砂遊びでも、お花を絞って作る色水遊びでも、何でもいいのです。

そうした身体を使って集中する活動を洗練させていきながら、

それがごっこ遊びにつながっていって、想像力をたっぷり使う機会が生まれるように

サポートしてあげることが大事だと思っています。

また思考力を使って次々生まれてくる願望を言葉にしたり、それを達成したり、

問題を解決したりする楽しさをたくさん体験させてあげるのも

とても大切な身近な大人の役目だと考えています。 


教育と自由  息子とおしゃべり 続き

2018-05-01 22:38:03 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

適度な「しばり」が生む学ぶ意欲と喜び と 数学について  息子とおしゃべり 

の続きです。「しばり」の話が途中でどこかへ行ってしまったので、タイトルからどけました。

 

息子 「教育は自由にあるべきだって話でいえば。

小学生の頃、学校の先生に立方体の体積の説明を受けていた時、先生の説明だと納得がいかなくて、

自分なりの考えを言うと、間違っていると決めつけられて、書いた説明にバツまでつけられたことがあってさ。

大学に入って、今考えると、やはり自分の持っていたイメージは間違いではなかったし、

今ならそれが正しい理由を説明することもできるよ」

 

わたし 「立方体の体積の求め方の説明って、どういうこと?」

 

息子  「立方体の求め方について、当時の先生はブロックを積み上げるイメージで説明していたんだ。

ぼくは、高さについて、引き伸ばしたり、縮めたりするイメージで考えていた。

点が0次元なら、線は1次元、平面は2次元だよね。上下、前後と左右のある立体となると3次元。

そうして2次元から3次元に高さのイメージを加えるとしたら、それは縦方向に

引き伸ばされたり、縮められたりするイメージで表現できるんじゃないかと思ったんだ。

といっても、ブロックを積み上げてイメージすることが間違っているわけじゃないし、

実際にそうしたものが教科書や参考書なんかの説明として載っている場合もある。

問題なのは、小学生用の算数では、たとえ教科書の定義であっても、多少はしょって

説明してあるのは仕方がないことで、その説明には穴があること、語弊があることを

教える側は理解していなくちゃならないってことさ。

それを念頭に置かずに、教科書に載っていることだけが正しくて、それ以外の意見を

全て間違いとしてしまうのは、おかしいよ」

 

わたし 「そうよね。でも、お母さんもブロックで説明したりするけど、いいのかな?

まず、子どもに具体的なイメージをつかんでもらいたくて」

 

息子 「お母さんの説明はいいと思うよ。それに、子どもに

わかりやすく説明するという教育の部分をほっぽりだして、

数学の定義として正しいかどうかばかり議論するのはどうかとは思ってるんだ。

ただ、子どもが先生の説明とは異なるイメージを持った時に、

安易にバツをつけるのではなく、それが物事を考えるきっかけになるよう

教えるのが大事だと思ったんだよ」

 

わたし 「そうよね。お母さんは、たいした教える力はないけど、

教室の子らが、数の世界と自分の頭で考えることに愛情を持てるように、

そうした場作りを心掛けているわ」

 

息子 「確かに、工作をすることで、抽象化された世界を扱う空想イメージが広がるよね。

数学って、数を抽象化したものだってことを理解すると、急に易しくなるものでもあるんだ。

子どもの頃に、ねんどとか水とか砂とかブロックとか、さまざまな素材と触れ合って、

抽象化に必要なイメージの豊かさを養うことは、すごく重要だと思うよ」