虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

言葉の遅れ、人と関わる力の弱さ、叱られると笑うところが気になります 2

2016-08-22 13:08:50 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

★ちゃんと★ちゃんのお母さんの関わりを見ていると、いくつか気になるところがありました。

★ちゃんの自分から人との関わりを求めていこうする力が弱いからでしょうが、★ちゃんと★ちゃんのお母さんの関係は希薄に見えます。

お母さんをお母さんと認識していないかのように見えるときもあります。

★ちゃんのお宅にお邪魔して遊ぶ様子を見せていただいたところ、★ちゃんの興味は遊び道具より、フックのようなものや仏様に備えてあるお線香やガラスのコップや木のささくれのような

おもちゃでないようなものに向かっていました。

そのため、★ちゃんが遊び出したとたんに、★ちゃんのお母さんが「ダメダメ」と注意することがあって、

するとなぜか★ちゃんがケタケタとうれしそうな笑い声をあげるということが何度もありました。

見ていると★ちゃんが、お母さんとの関わりで、いきいきとうれしそうにしているときは、このように「ダメダメ」と注意されているときだけでした。

そのためか、★ちゃんはちょっとめずらしいものに興味を示すときだけでなく、お茶を飲んでいる最中や、ペンでなぐりがきをしているようなときも

わざわざ「ダメダメ」という関わりを求めるように、はめをはずしがちでした。

虹色教室でこれまで出会った人と関わる力に弱さを持った子たちもお母さんとの関係が希薄で、心と心がしっかり通いあうというシーンが少ないのに

「ダメダメ」と注意するときには、いきいきしてきて笑い声をあげるというちょっと気になる親子関係があった場合、年を追うごとに悪ふざけや

大人の嫌がる行為をするのがエスカレートすることが多々ありました。

そのため、★ちゃんのお母さんには、次の3つのアドバイスをしました。

 

① 悪いことするとき以外のことで、笑顔を引き出すようにすること。

喜ぶ遊びは繰り返ししてあげること。

★ちゃんがお母さんに抱きついたり甘えたりしやすい態勢を取ること。

自然でリラックスした態度で接して、少しでも甘えるそぶりを見せたら、心地いいようにだっこしてあげるか、ぎゅっと抱きしめてあげること。

反りかえるなど、抱かれるのを嫌がるときは、どのような抱かれ方を喜ぶか、慎重に接しつつ、次第に甘えることを気持ちがいいことだとわからせていくこと。

 

② 悪いことをはじめたら、静かにきっぱり注意して、怒り声を楽しいもののように感じさせて興奮させないこと。

 

③ 「ちょっと変わっているなぁ……」と共感できない遊びに没頭したり、大人にとって嫌な物を好むときには、叱ってやめさせるよりも、何を喜んでいるのか(感触か音か動きかなど)を見極めて、大人にとっても困らない遊びにして提案すること。

(たとえば汚いものを好んで触りたがるようなときは、糊を画用紙に塗りたくる造形遊びに誘うといいです)

次回に続きます。


言葉の遅れ、人と関わる力の弱さ、叱られると笑うところが気になります 1

2016-08-22 07:38:06 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

2歳2カ月の★ちゃんのレッスンです。

★ちゃんのお母さんからは、1歳半検診で指摘された言葉の遅れと、日常関わる中で自閉傾向があるのではないかと心配していることをうかがいました。

虹色教室は病院ではないので、そうした心配の正誤についてはアドバイスしかねるのですが、遊びを通して見えてくるものや必要な関わりを探ったり、親御さんの不安を和らげるお手伝いはできます。

★ちゃんは名前を呼んでも、振り返らずに知らんふりしているところがあります。耳の聞こえを心配して耳鼻科に行ったところ異常がなかったようです。

言葉はぼちぼち出ているけれど、「これなあに?」とか「~はどこ?」「~はどれ?」といった質問は、理解しているように見えません。

こちらの表情を読もうとする意欲が弱くて、ちらっと見ても、すぐ目を別の方向に移します。

ままごとのお鍋をスプーンでかきまぜていたので、手を差し出して、「ちょうだい」と言うと、気づかないかのようにいつまでも無視しています。

背後から背中をさすると、それも気づいていないかのように無視していました。

 

お家で家族が集ってくつろいでいるときも、★ちゃんはひとりだけふらりとその場を離れて電気のついていない部屋で一人遊びをすることがあるそうで、そうした姿が気にかかるというお話でした。

また外出先で触りたいものがあると、祖父母の手をつかんで、触らせようとするクレーン現象のようなものもみられるということでした。

★ちゃんといっしょにいろいろな遊びをしてみたところ、確かに気になる点も多々あるのですが、

「なかなかしっかりしているところがあるな」
「働きかけ次第で、気になるところは軽減しそうだな」

とも感じました。

というのも、★ちゃんはだっこしておもちゃを指さすとちゃんとさしている方向を見ますし、「ちょうだい」とやりとりに誘っても無視しているようなときも、

こちらの求めていることに全く気付いていないのかといえばそうではなく、何となく兆しとしては、「ちょうだい」と頼まれたら、「どうぞ」と渡すやりとりを学んでいけそうな柔軟な雰囲気をかもしだしてはいるのです。

こうした兆しは、言葉にして表現しにくいのですが……。

★ちゃんは、「できるか」「できないか」でチェックしていくと、「できない」がたくさんある子ではありましたが、「できそう」という可能性を含んだ「できない」がほとんどなのです。

今後もきちんと病院での検査等は必要でしょうが、同時に親子関係の質を向上させていくことで、心配なところはひとつひとつ減っていきそうな子でもありました。


「教える早期教育には反対だけれど、気づかせる早期教育には大賛成。」という言葉

2016-08-21 18:07:19 | 日々思うこと 雑感

この写真の答えは間違っています。どこがおかしいか直感でわかりますか?

 

以前も紹介したことがあるのですが、『よみがえれ思考力(ジェーン・ハーリー/大修館書店)』の中に、

就学前の「学習」環境の設定する研究に基いたガイドラインが示れています。

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★6歳以前の子どもの仕事は、周りの世界を理解する方法を学習することであり、学習に関わる神経構造が関与しない意味のない教材を丸暗記させることではない。

★数や文字などの作業的レベルの学習課題を「教える」ようなワークブック、あるいはそれに類似した市販の「学習教材」を避ける。

★遊びの感覚的な側面は言葉でつなぎとめることができる。それはどんなに見え、聞こえ、嗅い、味がし、感じがするのかたずねる。

★黒板や塗り絵、粘土や砂、フィンガーペインティング、水、折り紙、のり、どろんこが子どもの感覚受容系を構造化し、さらに成功にさせる助けとなる遊びの素材である。

目を閉じて子どもの混沌とした頭の中で、ニューロンの樹状突起が枝を広げていくさまを思い浮かべてほしい。

(『よみがえれ思考力』から)
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子どもの思考力について研究している方々によると、早期教育には「弊害が生まれるもの」と「豊かな成長の土壌となるもの」の2タイプあるようです。

 

先に紹介したような就学前の「学習」環境の設定する研究にもとづいたガイドラインを目にしても、教えれば教えるだけ吸い取り紙のように覚えていく幼児を見ていると、

「早めにできるようになることが、それほど問題があるとは思えない」

「たくさん知識があるのにこしたことはないのに、教えることに問題があると聞いても、ピンとこない」

という方が多いのではないでしょうか。

 

わたしも何度も繰り返しブログでこの話題を取り上げてきたものの、どうも伝えたいいとがきちんと伝わっているように思えずもやもやしていました。

 

 

そんな折り、受験業界でお仕事されながら3歳と1歳のお子さんを育てておられるあさがおさんのブログを読みました。

読んだ瞬間、

「そうだー、私が考えていたことは、まさにそれ!」という一言が喉元まで‥‥‥(すいません、あまりに同じ感想だったので、あさがおさんの記事から言葉をそのまま拝借しています

 

話が脱線しますが、他の方の言葉をそのまま拝借して、自分の意見にしてブログに書いたことがわが子や教室の小学生らにばれたら、

2009年の凧作り記事のヤッターマンのイラストに向けられたどころではないブーイングの嵐が起こるはず‥‥‥。

 

そこであさがおさんにお願いして、ブログで記事を紹介させていただくお許しをいただきました。

中学受験の算数について同僚と話していたあさがおさん。

ある一定のところからなかなか伸びず頭打ちになってしまう子と、そうでない子の違いは何か?

なぜ女子は(の多くが)ああも筆算が好きなのか?

工夫できるものは、筆算せずに解いた方がミス減るはずなのに。

それに筆算は機械的に計算できてしまうから、それに頼る癖がつくと、数字に対するセンスが磨かれなくなる‥‥‥などなど。

「筆算より計算の工夫をする方が楽だし応用が効くのに、何で頑なに筆算にこだわるのか」

頭をかしげていたそうです。


そこで、「筆算好きな女子」の代表として、孤軍奮闘したという あさがおさん。

一度便利な道具(筆算)を手に入れて、汎用性があるとなれば、頼るようになるのは当然。

その道具に頼ることに慣れてから突然、「筆算せず、まずは計算を工夫してみろ」って言われても、
それは「思考回路を一から組み立て直しなさい」、と言われているようなもの。

同僚の方々は、先に便利な道具を与えるから頼ってしまうのではないか‥‥‥と、

学校で筆算を習う段階が、現状早すぎるのではないか?

習う前に、もっと計算の工夫というか、「具体」で数を扱う練習を沢山しないとダメなのではないか?

九九だって、暗唱を先にさせる前に、自らその法則性に気づけたかどうかでその後の伸びが大きく違う。

道具を先に与えてしまうことで、自ら気づいたり考えたりする機会が奪われてしまっているのでは。

と議論が深入りしていったその時、同僚の方がこんな言葉を口にしたそうです。

教える早期教育には反対だけれど、気づかせる早期教育には大賛成。

この言葉が、あさがおさんの心にストン!!と落ちてきましたそうですが‥‥‥

わたしの心にもストンと落ちてきました。本当に同感です。

 

「教える」教育と「気づかせる」教育のちがいとは、突き詰めていくと、「わかる喜び」のあるなしのちがいなのかもしれません。

 

今月の初めに算数難問研究部 1  算数難問研究部 2というレッスンの記事を書いた際に、

青空学園数学科というブログの南海先生にホームページ上の言葉を転載させていただくことをお願いすると、次のようなお返事をいただきました。

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前にも一度ブログで紹介いただきました.こちらはリンクも引用も自由です.
むしろ引用いただいたことに感謝します.

高校生を見ていますと,人に聞く前にまず自分でわかるまで考えないと気がすまない生徒と,
途中ですぐに答を見てしまう生徒がいます.
前者の方が時間がかかっても必ず力が伸びるのです.

この二つの傾向が,高校段階ではもうその人の考える態度としてある程度できています.
もっと小さい頃に自分で考えわかる喜びを経験していれば,
記憶の中のその喜びに引かれて,高校になってもわかるまで考えるようになります.

ですから小さい時の経験がたいへん重要だということを実感しています.
教える立場でいえば,それを引き出す指導は,なかなか難しいだろうと思います.

追伸:幼少時代に「わかった」という経験をすることが,
高校大学でどのように生きるのか,追跡調査もされると,ありがたいです.

これからもよろしくお願いします.


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文中の「人に聞く前にまず自分でわかるまで考えないと気がすまない生徒と途中ですぐ答えを見てしまう生徒がいて、

この2つの傾向は、高校段階ではもうその人の考える態度としてできています。

もっと小さい頃に自分で考える喜びを経験していれば、記憶の中の喜びに引かれて、高校になってもわかるまで考えるようになります」という言葉に触れて、

幼児や小学生に対する教育のあり方の大切さをしみじみと感じました。

「教える」のではなく「気づかせる」環境を与えて、自分で考え、「わかった!」という喜びをつかめるように子どもたちを支えていきたい、と強く思いました。


びっくり!! 子どもの好奇心の広がりは無限大!

2016-08-21 07:33:14 | 日々思うこと 雑感

朝、水槽の中の青弁慶ガニが、↑の姿でじっとしていました。

昨晩まで青黒い姿だったのに、ゆでた食用ガニのような色に……!

数日前から背中が白っぽかったので、もしやカニの感染症にでもかかったのかとネットで調べていました。

ちなみに、「カニ 病気」でヒットする情報はどれも、病気の説明のあとで「食べても人間に害がないかどうか」について書かれていました。

ユースに行っている間、水温や水の汚れを気にかけてあげれなかったから……死んじゃったのかな?と脱力していたところ、水槽のなかの置物の下からカニの足がにょっきりと見えました。

この水槽にはカニは1ぴきだったはず。

ということは、これ(↑の写真)は脱皮後の抜け殻?

 

にょっきり出ていた青弁慶ガニのあし。

 

抜け殻をその形のまま保存して子どもたちに見せてあげるため、さっそく清酒を買いに行ってきました。

 

カニの脱皮といえば、少し前にもびっくりすることがありました。弁慶ガニにあしを一本食べられてしまった赤手ガニを1匹だけ別の容器で飼育していたら脱皮しました。

(こちらも驚くほどきれいな抜け殻でしたが、今回の弁慶ガニの抜け殻ほどカニそのものというごついものではなかったです。)

脱皮後、共食いで食べられてしまった足が元通り生えていたのにはびっくりしました。

 

教室で生き物に親しむうちに、生き物の生態や進化の過程などに深い関心を寄せるようになった子が何人かいます。

最初のきっかけは小さなものでも、どこに住んでいるのかと世界地図を見るようになり、何時代に生きていた生き物かと年表を調べるようになったりと好奇心の広がりは無限大です。


遊びが幼く、ゲームのルールを説明しても聞こうとしない子にどう対応したらいいですか?

2016-08-21 07:19:24 | 教育論 読者の方からのQ&A

4~6歳の子をお持ちの親御さんから、「いっしょにゲームを楽しみたいのですが、ルールを教えてもきちんと話を聞こうとせずゲームのコマやチップやカードをバラバラに散らかして遊びます」

という相談を受けるときがあります。

そんな場合、子どもが喜んでやっていることをヒントに 、ゆるめのルールを設定するといいかもしれません。

写真は、チップをグチャグチャバラバラ~とかきまぜて遊んでいた子のために考えたゲームです。

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『グラグラゲーム』

赤いブロックの上に赤いチップ、黄色いブロックの上に黄色いチップを乗せていきました。

チップが落ちたら負け。

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ルールが複雑なゲームをする前に、このくらいのルールの遊びで

★ルールの説明を聞く★順番を守る

★ルールがあることの楽しさに気づく

ことに慣れていくと、市販のゲームをするときも、ルールを理解する姿勢が育ってきます。

4~6歳の子で、遊び方が幼くて、積んでいたものを崩したり、投げたり落としたり散らかしたりすることからいっこうに遊びが発展しないという子がいます。そんな場合、身近な大人が

本人がいつもやりたがることと、もう少し創造的な遊びの橋渡しとなるような、ゆるめの物作りを提案するとよいかもしれません。

↑写真のおもちゃに山ほどチップを入れては、ザーッとひっくり返していた★くん。

「また、こんな遊びばかりしている……」と嘆くより、紙コップや紙箱で回転する仕掛けや、エレベーターのようにチップを入れて上下させる仕掛けを作ってあげるといいかもしれません。

(詳しい作り方はオンライン教材の『回転』のコーナーでもいろいろと紹介しています。)

大人が教えたいことに、無理矢理 子どもを引き寄せようとしても、うまくいかないことがあります。

そんな時は、子どもが楽しんでいることの方に大人が近づいて、より広い世界との橋渡しをすることを考えてみるとうまくいくかもしれません。


100円グッズで、ピタゴラスイッチ装置のゴール + 算数学習

2016-08-19 19:19:58 | 積み木  ピタゴラスイッチ

 

ユースホステルでのレッスンから。

工作やボードゲーム、算数の学習……とどれもすごい熱気でした。100円ショップで、ピタゴラスイッチのゴールにピッタリのグッズを見つけました。

自転車の車輪に取り付ける、振動すると光るライトです。

2個100円なのですが、ちょっとした振動で鮮やかに光ります。

 

ピタゴラスイッチのゴールにこれを使うのは、小4のAくんのアイデア。

転がってきたビー玉がこのライトに触れるときれいに光ります。

↓はAくん作のピタゴラ装置で、左の丸いチーズの空き箱がゴールとなっています。

 

こちらは、小3のBくんのピタゴラ装置。

紙コップが土台をかねて、うまく使われています。

 

小学生の男の子が主だった今回のユースホステルのレッスン。

算数の問題で大いに盛り上がりました。

線が少しゆがんでいますが、こんな問題です。

 

辺が1㎝の立方体を写真のように積み重ねて、表面のすべての色を塗ってから、バラバラにします。

(1)3面の色が塗られているものはいくつですか。

(2)2面の色が塗られているものはいくつですか。

(3)まったく色がついていないものはいくつですか?

 

1年生の子たちも大奮闘。

↓のようにキューブを積んで、

「表面にすべて色を塗ったとき、色がまったくついていないものは?」とたずねると、「1つ」と答えていました。

他に、算数のお店屋さんをしたり、大阪城の入場料クイズをしたりして

算数を楽しみました。

 

算数のお店屋さんは、子どもが自分で選んできた売りたいものに値段をつける算数遊びです。

たとえば、自分のえんぴつけずりに360円の値段をつけた子がいた場合、わたしがみんなに、こんな問題を出します。

「ひと月に120円のおこずかいをもらっています。このえんぴつけずりを買うためには、6月から何月までお金を貯めたらいいでしょう?」

この問題は、初めて参加した1年生の子もできていました。感心、感心!

大阪城の入場料クイズというのは、こんな問題です。他にもいろいろ……。

 

「大阪城の大人の入場料が100円。子どもの入場料は50円です。

ある日の入場者数は、大人が100人。子どもは大人の半分でした。

この日の入場料金として大阪城に入ったお金はいくらでしょう?」


ポケモンGOのゲーム作りが流行中 (音がでます♪)

2016-08-19 18:45:38 | 工作 ワークショップ

今、教室では、ポケモンGOのゲームを作るのが流行中です。

小1のAちゃんのポケモンGO。

 

電池ボックスにブザーをつないだもので遊ぶポケモン探しゲームです。

2つのポイント(穴にアルミ箔が貼ってある部分)にプラス極側から出ているコード(先をアルミ箔で巻いています)と 、マイナス極側のコードをそれぞれタッチさせます。

ブザー音が鳴ったら、そこに隠れているポケモンをゲットできます。

 

木の中にはメタモンが……。

 

裏面はこんな感じ。

 

こちらは同じしかけを使って、小4のBちゃんの部屋を移動してアクセサリーをゲットしていくゲーム。

 

小4のCくんのキャンプ場のポケモン探し。

 

裏面に工夫を加えて、その都度、マッチングが変化するようにしているものもあります。

 


ユースホステルでのレッスンに行ってきました 3

2016-08-16 09:28:49 | 工作 ワークショップ

ユースホステルでの工作三昧。

口から玉を吹き出す怪獣。

 

プリンセスのティアラ。

 

スーパーの食材。

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 Cくんが、「ぼくにも自動販売機作って!」と言ってきた話の続きです。

 Cくんというのは、物作りを始めた当初から、大人に「作って」と頼る子ではなく、何をどう作りたのか決めるところからできあがるまで、自分ひとりでやりぬく子です。

周囲に手助けを頼むとしたら、硬い素材をカッターで切るときくらいで、それにしても、作業している大人の横にぴったりついて、非常に細かい部分まで、「これこれこんな風にしたいから、こういう風に切って」と指示しています。

そんなCくんが、他の子に作ったのと同じものを「作って!」と言ってくるのは本当にめずらしいことなのです。

「わかった、あたりのルーレットがついている自販機ね」と作りかけると、Cくんが、「やっぱり、ガチャガチャ作って」と言い直しました。

「わかったわ」と答えたものの、材料が限られているので、色画用紙と紙コップで、レバーをねじると、タピオカ用のストローで作ったカプセルが出てくるものを作ってあげました。

Cくんは、それはうれしそうに長い時間遊んでいて、夕食後に食堂でグミ作りをしたときも紙のガチャガチャをもってきて、ずっと仕組みを調べていました。

自分ですべて作ることができる子が、「作って」と甘えてきて、「作る」のではなく、「作ってもらったもので遊んでいる」状態というのは、

進歩や発展とは真反対の姿に……まるで後退しているように映るかもしれません。

でも、子どもには(子ども以外もですが)、こんな風に後戻りしているように見えて、後戻りしているのではなくて、

それまで関心のなかったものに強い興味を寄せていたり、新しい自分のあり方を獲得しつつあったりするときがあります。

先にも書きましたがCくんは自分の中に「こういうことしたい」というものがはっきりあって、自分で作りあげる力も持っているためか、他者から学ぶ気持ちが薄いところがありました。

わたしや他の子のすることや作るものは、チラッとみてスルーしがちでした。

ですから、作る力やねばり強さはかなりのものなのに、作品のほとんどは絵を描くことを主にした平面作品で、動きのある物作りにチャレンジする姿はあまり見られませんでした。

でも、自分から「作って」と言い、ずっと、作ってもらったものを持ち歩いて、しかけを調べ続けていたCくんは、

「ここは、こうなっているんだ」とか、「ここから落ちて、穴のところに入って、くるってなるから出てくるんだ」とか、

「この紙をこういう風に折っているんだ」とつぶやいたり、周囲の人に説明したりして、これまで工作を重ねてきたゆえの観察眼や理解力を発揮していました。

おそらく、この「ただ見たり触ったりして遊んでいる行為」は、自分の世界に新しい風を吹きこむ行為でもあるのでしょう。

ユースホステルでの親御さんたちとの勉強会では、こんな「グレー」の体験の大切さについて話が盛り上がりました。

もし周囲の大人たちや環境を統制しているの価値感が白か黒かにきっぱりと塗り分けられたものだったら、

すでに「できるようになっている子」が「作って」と甘えてきたら、「自分でできるでしょう?」と背中を押して終わってしまうことでしょう。

わたしは、「作って」とあまり言わないCくんが、「作って」と頼んだのだからと、言葉通りに作ってあげたのですが、

本人に作らせて、適度にフォローしたらよかったのでは……?と感じる方もいらっしゃるかもしれません。

それは、それで、そうした方がいいときもあるでしょうが、そうしてしまうと、これまでやったことのないことをするいっぱいいっぱい感で、

「動く仕組みって面白いなぁ」「ぼくは、今度はこうしてみようかなぁ?」とイメージの世界で膨らむ感動がCくんの心に広がらなかったかもしれません。

話は変わって……ユースホステルで作ったグミです。

食堂の電子レンジで作って、名札をつけてユースの冷蔵庫で冷やしました。

子どもたちは大感動していました。

 


子育てがわからなくなった方に(子どもの魂と触れ合うこと)

2016-08-16 08:27:49 | 教育論 読者の方からのQ&A

昨日、『ことばに探る 心の不思議』という本のなかで、INREAL法というメソッドを目にしました。

それを見た時、わたしと同じような考え方をしている方々がいることと、なかなか伝わらず、誤解を受けがちだった「大人側の沈黙」の

ような引き算を主にした方法に価値が置かれていることをうれしく感じました。

INREAL法というのは、「子どもと大人の関わり方の改善」のための考え出された提案です。

子どもの言葉を育むヒントのひとつとして紹介されていました。

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 <INREAL法>

Silence (沈黙)

子どもにああしなさい、こうしなさいと一方的に言うのをやめて、口を閉じ、黙って子どものようすを見守ります。

 

Observation(観察)

子どものしていること、子どもが何を見ているのかよく観察します。

 

Understanding(理解)

子どものしていることがみえてくると、子どもの考えていることがわかってきます。

 

Listening(聴くこと)

言葉を聴きとるだけでなく子どもがからだ全体で発している訴えを、感情も含め、全部聞いてあげてください。

 

『ことばに探る 心の不思議』(今井和子・汐見稔幸 村田道子編/ひとなる書房) 

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『ことばに探る 心の不思議』は一般に流布している「子どもってこういう存在」というステレオタイプな観念に依拠することなく、

子どもの真実を見つめようという努力を重ねてきた方々が、議論を重ねた末に綴った文章を集めたものです。  

わたしはこの1ヶ月ほど、「広汎性発達障がいと診断されたり、広汎性障がいの疑いを指摘されたら」という文章を書き連ねてきました。

途中であっちこっちに脱線しながらも、しつこいほどこのタイトルで書き続けたのには、教室にいらしている一部の親御さんをのぞく

「多くの親御さんたちやこのブログの読者の方々」と「わたし」の間に横たわっていた溝を埋めたい、という思いが煮詰まっていたからでもあります。

 

わたしの言葉を尊重していただいているし、お互いの親しさこそは増すものの、わたしが最も重要だと感じているポイントを、相手方は最も軽く扱っているように見えるし、

わたしが伝えたことの一部は、理解されていないか、誤用されているように思われる……という、

わたしと相手方の間にある「しっくりいかない感じ」を言語化していくことでそれを解消していきたいと意気込んでいたのです。

そして、「36記事目」を書き終えてから、『ことばに探る 心の不思議』の本に出会って、心の底からホッと一息つくような心地を味わいました。

それは先に紹介したINREAL法を知ったこともありますが、何よりも、最初の書き手である汐見稔幸先生の『生きたものとしてのことば』という文章に自分の表現したかったことが全て科学的な裏付けのもとで集約されていたからだと思います。

先に汐見稔幸先生の文章に非常に勇気をいただいたという話を書きました。

『ことばに探る 心の不思議』からいくつか心に残った部分を紹介させていただきますね。

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ところでこのコミュニケーションということを考えるとき、リズムということがとてもたいせつになります。

最近の人間の研究の中で、人間の行為はすべてリズムをともなった動きであり、人間の内部での筋肉やことば、

大脳の働きのそれぞれのリズムは協応しているだけでなく、人間と人間がコミュニケーションしているときのお互いのリズムも、

さらに人間のリズムと人間の外の自然のリズムも協応していることが知られてきています。

人間内部のリズムでいえば、わたしたちがゆっくりしゃべるときは身体全体のたとえば心臓などのリズムも大脳の脳波のリズムもすべて

同調してゆっくりとなるのですが、あわててしゃべるときはすべて逆になります。

後者の人間と自然のリズム同調ということでいえば、コミュニケーションをしようとする人間同士でリズムが次第に一致していく(エントゥレイメントと言います。そうしないとコミュニケーションにならないのです)だけでなく、

体内時計のリズムが月の引力による潮の干満のリズムや地球の日周リズムと協応していくこと、

さらには宇宙の一定のリズムと一致していることなどが、知られてきているのです。

 (『ことばに探る 心の不思議』今井和子 汐見稔幸 村田道子編/ひとなる書房 より引用)

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紹介した文章に、

「コミュニケーションをしようとする人間同士は、だんだんリズムが一致していくということ。

その現象をエントゥレイメントと言って、そうしないとコミュニケーションとならない。」

と書かれています。

 

それは人間の自然な姿なのでしょうが、親子でこうしたコミュニケーションが上手く交わされていないことが多々あるのです。

親御さんは子どもを目に入れても痛くないほど可愛がっていて、常に最高のものを与えてあげたいと思っており、子どもの側にはハンディーキャップなどはなくても、母子や父子で、エントゥレイメントと呼ばれるような現象がほとんど見られないことがめずらしくないのです。

子どもは、身近な大人とコミュニケーションをしてリズムを同調していくことで、物の見方や感じ方、扱い方、自分や相手、世界というものへの理解を深めていきます。

そのために、周囲の人や自然と同調する力を持って生まれてくるのでしょうから。

また自閉傾向のある子たちは、しばしばこうしたリズムを周囲と同調させていくことができないために、生き辛さを抱えて暮らしているのでしょうから。

でも気になるのは、ごくごく普通の子が、母子で自然な同調した状態にないということです。

 

数ヶ月前、アメリカのシアトルに行った際に、幼稚園のお迎えに見えた親御さんと子どもは、しっかりと心と心を通わせていた姿を見て、これは今の日本で顕著な状況なのかな?とも感じました。

もっとも、このエントゥレイメントという言葉自体は、この本を読んでから知ったのですが、言葉自体は知らない間も、自分が体験的に知っているコミュニケーションが成り立たっていない母子が多いことに違和感を感じていました。

長年、子どもと関わる仕事をしてきた子育て中の知人も、自分の子のお友だちにあたる幼児の親とコミュニケーションが成り立っていないことに驚愕していました。

会うたびに、それがいかに奇妙なことか、公園や園で見かける光景について話をうかがいます。

この人と人、子どもと大人がリズムを同調させていく現象は、本能的で自然なものですから、ない方が不思議なのですが、なぜか最近では、ある方がめずらしく感じるほどなのです。  

 

それは、なぜなのでしょう?

自然な同調に基づくコミュニケーションが成り立たないまま成長するとどうなるのでしょう?

コミュニケーションんが成り立っているか、成り立っていないのか、その違いはどこにあるのでしょう?

 

「人間と人間がコミュニケーションしているときのお互いのリズムも、さらに人間のリズムと人間の外の自然のリズムも協応していることが知られてきています。」と汐見先生はおっしゃっています。

でも、現在、親と子の間でお互いのリズムが共鳴しあうようなコミュニケーションが成り立たちにくくなっているのは、なぜなのか?

と疑問を抱きました。

 

ちょっと話が本筋からそれるかもしれませんが、わたしがいつも、「う~ん……」と寂しく感じる事柄について話させてくださいね。

 

幼稚園に通っている教室の子たちが、お友だちからお手紙をもらってくるようになった、という報告を親御さんからいただくことがあります。

また、まだもらっていないけれど、園でお手紙交換が流行っているらしい、という話や、幼稚園でお手紙を交換したりするかもしれないので……という噂話やまだ先の話も耳にします。

どちらにせよ、親御さんたちの関心は、年少さんの入園当初から、

幼稚園のお手紙交換で不手際がないように……

つまりお手紙はもらったはいいものの、お返事を書く際にきちんと文章が書けなくてわが子が恥をかくようなことがあっては困るし、

字が汚くてあちらの親御さんからいらぬ評価を受けたくないし、

ここでつまずいて「自分はみんなのようにできない」と自己肯定感が下がるようなことがあったらどうしよう……?

ということなのです。

子どものいない方には笑い話に聞こえるかもしれませんが、園児の親にとっては深刻な悩みのひとつです。

 

でも、本当は、お手紙というのはコミュニケーションの一形態で、幼稚園の子にすれば、もらった時には、相手から「自分に寄せる気持ち」をもらったようでもあるし、自分が渡す番には、ワクワクドキドキ、何だか面白い遊びの輪に参加しているようでもあるし、言葉を交わしたり、プレゼントを渡しあったり、おもちゃを借りたり、貸してあげたりする経験の広がりのひとつとしてあるものです。

ですから、「はい」って渡す時に、それがシールを貼っただけでも、絵を描いただけでも、字を書かずに封筒に折り紙をたたんで入れただけでも、その子のその時期の能力で表現したいと思うものは何でも「手紙」になるし、それがその子の「心」でもあるのです。

そうして今自分のしたいことをしたいようにして、それがうまくコミュニケーションとして成り立った時に、子どもは自分に自信を持つし、とても幸せそうです。

 

子どもにとって、自分が思いつくものも、自分が決めたことも、自分が選んだものも、自分が表現したものも、

他のどんな素晴らしいものより、どんな優れたものより価値があるものですから。

 

大人がそうした子どもの心と共鳴しあっていたら、そうした子どもと同じように感じ、同じようにワクワクし、同じように誇りに思い、同じように感動することでしょう。

でも実際には、「お手紙」と認識したとたん、それがたとえ幼稚園児のようなまだ夢の国に住んでいるような子たちのやりとりに対しても、赤ペン片手に、テストの採点でもするように厳しい表情で覗き込むようなまなざしがあるのが現状です。

 

子どもがお友だちと親しくなっていく過程を味わうホンワカした気持ちに、ちょうどいい具合に同調する親御さんは少ないのです。

 

上の写真は、お友だちと関わることをずっと怖がっていた非常に敏感な女の子が取った行動の一シーンです。

この子は、ずっとお友だちを寄せ付けず、近づかれるのも嫌だし、何かもらうのも嫌だし、自分からおもちゃを貸したり、あげたりするなんてもってのほか、という様子で過ごしていました。

 

虹色教室でも、最初のうちは、教室の隅に敷物を敷いて、周囲を吊った布で仕切ってお母さんとだけやりとりしていました。

誰かが近づくと暴言を吐いて撃退し、お母さんとだけ会話を交わしていました。

 

それが教室でグループレッスンを続けるうちに、

そうした自分のスペースでぐちゃぐちゃと粘土をこねて遊んでいた状態から、お母さんとふたりだけの遊びがだんだんと美しくて想像力あふれるものへと変化していき、次には、わたしに「犬のリードを作って!」といった工作の注文を出すようになりました。

 

そのうち無関心だったお友だちの遊びを眺めることが増え、お友だちのお母さんとなら口が聞けるようになり、

しまいに、それまでは全く無関心だったお友だちが遊んでいるおもちゃを自分も使いたがるようになりました。 

そして、ある時、かわいいシールを見つけて欲しがったので、貼らせてあげると、急に思いついたように、「どうぞ」と言って年下のお友だちにそれをあげたのです。

お手紙なのだそうです。

それから、自分の持っているおもちゃを他のお友だちにも配ってまわって、心からうれしそうにお母さんに抱きついていました。

 

「手紙」って、子どもにとって、こういうものなのです。

 

はじめてお手紙をもらった子どもの心が、相手とつながる喜びでホンワカしている時に、

「○○ちゃんったら、もう、ね が書けるのね」

といったまなざしで、それを見る時、子どもの心のリズムと、大人の心のリズムは不協和音を奏でているのではないでしょうか。

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食後にくつろいでいる息子に、こんなことをぼやきました。

「今の時代、いい教材もいくらでもあるし、学校にしても熱心すぎるくらいに勉強を教えているわけだから、それ以上、勉強させる方に力を入れなくたって、意志とか意欲とかセルフエスティームとか、自分で決めて自分で表現できるようにするとか、

そうした心の力をつけてくようにサポートしたらおのずと勉強が得意になっていくんだけどね。

 

虹色教室でしているのは、大方、それなんだけどね。

 

教室の子たちにしても、自分の好きなことをたっぷりさせて、自分の気持ちを言葉にできるようにして、

宿題だなんだってあんまり追いたてないように注意する……ってことだけで、よく頭を働かせるようになるし、勉強も好きになってる。

でもね、心の力をつけたら、結果として勉強もできるようになった子を見て、勉強部分だけ取りだして真似ようとしてうまくいかない人もいるし、こういうことをうまく伝えるのは難しいわね」

 

すると、息子からこんな返事が返ってきました。

「いろいろなものがメソッド化されて、他人を行動から評価することができるようになった分、心のように目に見えない力は成長しにくくなったのかもしれないね。

評価そのもののレベルが上がって、正確になってきたんだろうけど、評価を過信しすぎたり、子どもを比べたり分析したりするのが当たり前になっているのは、その弊害だろうな。

だって、ひと昔前までは、そうした評価対象からはずされているのが子どもだったはずだよね。

 

子どもは成長し変化していくものだから、どうなるものかわからない未知の部分をたくさん含んでいるものとして。

 

でも見える部分、行動として現れている部分を、すべてわからないにしろ仮定の段階でも、何らかの比べられる数値で表せるような評価の体系が増えすぎたことで、見えないし測るのが難しいようなものが過小評価されたり、無視される危険が出てきているのかな?

 

心とかアイデンティティーとかセルフエスティームとか、測れないとしても、いわばそれが人間のほとんどを占めていると言ってもいいもんじゃん。

 

体験とか、教育とか、おもちゃとか、子どもに価値のあるもの与えるといったって、体験や教育やおもちゃの側に価値基準があるわけじゃない。

そういうものにどんなに価値があったって一過性のものに過ぎないはすだよ。

 

本当の価値は、与えた時に派生してくるものの側にあって、その子のなかで生まれたり、結びついたり、変化したりする心と関連が深いものだからね」

わたしは、「そうそう」と言ってうなずきながら、

「教育の場でも、カリキュラムばかりが重視されて、何を学んだとか、どのページまで進んだとか、そういったことだけ注目されて、子どもの意欲とか責任感とか好奇心とか学ぶことへの愛情とかをどのように育てて、守っていくのかはあまり話題にならないのよね。

子どもはマシーンじゃなくて人間だから、自分で愛情を感じて自発的にするものじゃないと、長続きしないのに。」

 

息子 「評価方法のレベルが上がって、範囲も広がったら、外の世界から入ってくる情報が絶対だと思う人が増えてくんだろうな。

学びとる主体の側の、自分の感性のようなものに自信がもてないんじゃないかな。」


ユースホステルでのレッスンに行ってきました 2

2016-08-15 07:25:23 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

3歳~小1の子たちのユースホステルでのレッスンの続きです。

年中のBちゃんのワゴン車でおでかけする紙コップファミリー。

おでかけ先でバーベキューをしています。

 

大人気だったモーターを使った扇風機作りを発展させて、

わた菓子やポップコーンを作る機械のようなものを作っていた子。

発砲スチロールの玉がポンポン飛び出します。

 

絵を描くのが大好きな年長のCくんが作っていた妖怪退治すごろく。

Cくんは、教室に来るたび、カラフルで美しい絵を何枚も描く子です。

少し前のレッスンでは、紙箱で劇場を作って、

自分が描いた恐竜の絵に割りばしをつけてぺープサートを作っていました。

 

 Cくんは創造性の高い内向型の子で、「こういうものが描きたい。作りたい」と考えて、

ひとりで最後まで作りきるねばり強さには、年長さんとはとても思えないような

目を見はるものがあります。

 

一方、Cくんは、自分がやりたいと思うことや自分が好きなこと以外には

無関心な一面があって、これまで教室で教えたゴムや風や電池などを使って

面白い動きを作りだす方法や他の子が作った作品のしかけなどを

作品つくりに取り入れることはほとんどありませんでした。

 

ユースホステルのレッスンでは、子供がそれまでの自分とは異なる面を

発揮しはじめることがよく起こります。

他の子との関わろうとしなかった子が、お友達との関わりあいを心から楽しんだり、

自分から何かしようとしなかった子が、積極的に学習やお手伝いや遊びの場でリーダーシップを

とってみたり、すでにやったことがあるできることしかしようとしなかった子が、

どんどん新しいことにチャレンジしてみたりするのです。

 

今回のユースホステルのレッスンでも、

そんな子どもの内面の変化をたくさん目にすることができました。

 

わたしが「あたり」のルーレットつきの自動販売機を、まだ工作をするのが難しい

年中のDちゃんに作ってあげていた時のこと、

Cくんが「ぼくにも自動販売機作って!」と言ってきました。

 

途中ですが、次回に続きます。