虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

8万人が同時に「ポケモン」ゲーム 「無政府状態」か「民主主義」か 4

2014-02-22 12:27:43 | 日々思うこと 雑感

8万人が同時に参加している「ポケモン」ゲームの進行を見守るうちに、

息子は、

英語の参考書で見たスタインベック(ノーベル賞作家)の

「人間は創造力をもった唯一の種である。

(略)音楽においても、芸術においても、詩においても、数学においても、

哲学においても、有効な協力というものはない。ひとたび創造の奇跡が起これば、

集団はこれを組織だて、拡大することはできるが、

集団が何かを創造することは決してない。尊いのは個々の人間の独自の精神である」

という言葉を、自分の思いに重ねて、考えをめぐらせていました。

 

息子 「ネットで個人でも意見が言えるのはいいことだけど。

でも、誰もが大量に自分の意見をつぶやいてきた結果、意見の価値基準が

おかしなことになってきている気がするな。

 

たくさん支持を集めたか、ツイッターならフォロワーの数が、意見の質を決められ

るといったね。そうやって多数決が暗に力を持ち出すと、

創造的ないい意見が埋もれていることもよくある。

 

でも、本当にそれが問題なのは、

自分の意見と自分が同調している多数派の意見との境目が薄れるにつれて、

自分の精神が本来持っている可能性とかが、力がないもののように感じられること

じゃないかな。

ゼロから何かを作り出すことなんかできない、

個人の精神から何か生まれてくるなんてありえない、なんて

スタインベックの人間観とは真逆の思考に陥るってことだけど」

 

インターネットが必要不可欠となった現代、スタインベックの主張は、

過去の遺物でしかないのでしょうか。

 

それともネット時代の今だからこそ、真剣に吟味すべき名言なのでしょうか。

 

 

わたしは、「★が言っている話題にリンクしているから、読んでみて」と言って、

カニグズバーグ(児童文学作家)がシモンズ大学でした講演の内容を

見せました。

 

キャッツで有名なT.S.エリオットの詩の

「思いきって宇宙を騒がせてみますか」という言葉をテーマにした講演。

 

「宇宙を騒がせる」とは、既存の考え方をひっくりかえす……つまり、

それまでは当然のことと捉えられていた認識や思想や価値観などを

根底から覆すような創造的な行為をたとえた言葉です。

 

カニグズバーグは、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインといった

びっくりするような世界のひっくりかえし方をした人々の生涯をたどって、

宇宙を騒がせるような創造的な仕事をするには

どんな条件を充たさなくてならないのか、探っています。

 

そして得た答えは、「近回りの人々の心証を害する勇気があること」

「孤独をいきいきと楽しむことができる力」という意外なものでした。

近回りの人々とは、自分の生活圏にある人々のことで、

それらが持っている集団心理を敵に回すことは、

宇宙を騒がすよりも勇気がいることなのだそうです。

 

アインシュタインは、「孤独はパーソナリティーの教師として高く評価され、

認められるときがくるだろう」と言っています。

「東洋人は昔からこのことに気づいていた。孤独を知っている人は

やすやすと集団心理の犠牲になることはない」とも。

 

カニグズバーグは、こんな興味深い話題も提供しています。

合衆国はさまざまなマイノリティーの文化を受け入れてきて、アジア系アメリカ人や

アフリカ系アメリカ人は子どもの文学の中心部に食い込み、その発展に寄与している

のに、なぜメキシコ系アメリカ人は中心部どころか、近辺でも何の作品も生み出して

はこなかったのか、カニグズバーグは疑問を抱いたそうです。

調べるにつれ、メキシコ系アメリカ人の移住区に暮らす人々は

何をするのも一緒にしていること、

生活が集団でなされているという事実が浮き彫りになってきたそうです。

テレビを観るのも、コインランドリーに行くのも、食べるのも、

女たちは互いの家を行き来して一緒にするという状態では、

子どもにひとりでいる才能を伸ばす機会が与えられません。

 

カニグズバーグはこの話をこう締めくくっています。

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これでは、移住区はたしかに安全であっても、牢獄とはなりえないでしょうか。

(略)ひとりでいることができるようにならなくて、人はどうして近回りの

人々の心証を害することができるでしょう。

仲間うち、あるいは地域共同体から人々を自由に解き放たなくて、

どうして社会は宇宙を騒がす人々を生み出すことができるのでしょう。

私たちには孤独が必要です。

その孤独を支え、元気づけるものが必要です。

そして私はそれをしてくれるのは、本だと信じています。 (略)

本は想像力を豊かにし、孤独を充実したものにしてくれます。

でも逆も真なり。想像力と孤独が本を肥やし、本を書くことも可能にしてくれるのです。

            『トーク・トーク カニグズバーグ講演集』  岩波書店  

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


真に創造的に生きていくためには、

集団心理との距離の取りかたがこんなにも大切だとは……と深く胸に響く文章でした。

ネットゲームの話題をきっかけに、

息子にわたしが子ども時代大好きだった作家の文章を紹介する機会ができて、

とてもうれしくもなりました。

 


8万人が同時に「ポケモン」ゲーム 「無政府状態」か「民主主義」か 3

2014-02-22 09:19:10 | 初めてお越しの方

わたし 「このポケモンゲームって、主にアメリカ人が参加しているの?

それともイギリス人?」

 

息子  「どちらもだと思うよ。世界中から参加しているから、日本人だって入って

いるんだろうけど、意見がほとんど英語で交わされているし、内容からしても、

日本人はあまりやっていないと思う。」

 

わたし 「お母さんが、無政府状態と民主主義のモード切り替えが可能になってから

ずっとこのゲームを気にかけているのも、

民主主義という言葉のせいで、無条件にそっちが正しいと思いそうになる

自分の心に、ざわざわするものを感じるからだと思う。

なぜ、どうして、ざわざわするのか、突き止めたいし、言葉にしておきたいのね。

 

じゃ、それが何なのか考えてみると、民主主義という言葉の持つブランド力というか、

これまでいったん正しいと見なしたタイトルに対して、

今、その場面でその言葉がどんな意味を伴っているのか、

 ★(息子)が言っていたことだけど……状況の大意に添ってるのか、考えるのを放棄

しそうになることかな」

 

息子 「ぼくは、今の日本で、

政治体系にとって大事な民主主義が、そこは民主主義じゃなくてもいいだろうってものに

まで浸透し過ぎていることが気にかかるよ。

たとえば、芸術とか、今回のようなゲームなんかだけど」

 

わたし 「そう、お母さんも子育てや教育の場で、それを感じる」

 

わたし 「お母さんは政治についてさっぱりわからないけど、

誰かを支持して投票したら最後、

自分がどのような社会であってほしいか、個々の問題について自分はどう判断し、

どのように解決したいのか考えることを完全にやめてしまって、

自分が支持した人の言動に無条件に追従していくってのは嫌だわ。

たとえ無力な一市民でも自分の意見ぐらい持っていたいもの。

 

ざわざわする理由……

言葉は危険なものを安全なものに見せかけるオブラートにもなりうるから……

多数決のよって正しいと見なされた意見が、戦争を後押しすることもあるし、

弱者を食い物にするシステムを作ることもあるから……なのかな。」

 

息子  「政治の世界には明確な判断基準がないもんね。

だから、本当に聡明な意見が、大多数の正解でないかもしれないことを、

いつも忘れちゃいけないんだと思う。

ゲームにしても、投票制にしたとたん、個人個人が自分で思考して進めようとするの

ではなく、全体の流れに乗って、合わせていくことに慣れてきて、

自分の発想で問題を解決したり、別の視点から考えてみようとしたりしなくなるから。

政治でも今のシステム方の中で、個人個人が自分の意見をどう扱うか、どう向き合うか、

どう責任を持つか、捉えなおす必要があるんだろうな」


8万人が同時に「ポケモン」ゲーム 「無政府状態」か「民主主義」か 2

2014-02-21 21:51:33 | 日々思うこと 雑感

息子 「実際に完全に多数決派に主導権を譲らない限り、

ゲームに決着がつくのかすら怪しいんだから、

日本の掲示板の意見は正しいといえば正しいんだろう。

海外のゲームの進行具合は無茶苦茶といえばその通りだしね。

ぼくも、どっちがいいって思ってるわけじゃないんだ。

 

ただ、今までツウィッチで起こってきたことを見て、

絶対絶命のピンチに直面したときの、向こうの人の切りかえの早さというか、

柔軟性にはびっくりしたよ。

日本人が同じ実験をしていたらもっと早くクリアしていたかもしれないけど、

ここで行き詰ってしまったら投げ出してしまうだろうなって場面があるんだけどね。

みんなが自由意志で自分勝手にプレイしながらも、そうした緊急事態に

やたら強いというか、何とか持ちこたえていくところがすごいと思ってさ。

 

これまでも、みんなで同時にポケモンゲームをするのと同じようなことを、

日本でも真似ようとしたことはよくあったんだけど、

いつも盛り上がりに欠けて、失敗していたんだ。

 

それって、やっていることの根本にあることを理解しないで、

形だけを真似ようとしてきたからかな、って感じたよ。

 

今回の実験で言うなら、ゲームだからより短時間にクリアするという

唯一の正解とそれ以外の不正解という捉えではない

どうして何万人なのか、このゲームにどんな意義があるのかも

考えてみるということだけど」

 

わたし 「何万人もの人が同時にプレイするとなると、

もし、最終的にクリアできなかったとしても、クリアできない状態が

長引けば長引くほど、ある意味、シュミレーションの結果としては面白いわね。

何万人もの人が、一人ですればすぐにクリアできるようなゲームに

多くの時間を浪費するとしたら、

その価値は確かに短時間にゲームを終えることではなく、

良いことも悪いことも含めた、ゲームのプロセスで起こったことのはず」

 

息子  「そうだよ。といっても、事件がたくさんあるほどいい、

大勢でやるから上手くいかないほうが盛り上がるってことじゃないんだ。

 

統率が取れたり、取れなかったりして先が見えない状態が続けば、

不満が出てくるのは当然だよ。

そうしたストレス下にあるときや、それを奇跡的に切り抜けたときに絆が生まれるのは、

大勢で何かするときの、一人でプレイするときの正誤とは別の価値といえるのかも。

 

これがゲームであるからには、多数決状態に固定されたまま心を一つにしていると

錯角して意識通り進んでいても、不満はあるはずだしね」

 

わたし 「民主主義は大事だけど、多数派が必ずしも正しいわけじゃないし、

たとえ多数派の意見の方が本当に正しかったとしても、

小数派の意見をないもののように切り捨てていいわけじゃないわ。

 

そういうこと、親子間でもよくあると思うのよ。

特に相手が幼い子の場合には。大人と子どもは多数派と少数派のような

力関係ができてしまうから、そこで優位にある大人側が正しさを振りかざして、

まるで子どもに自由な意志などないかのように扱ってしまうこともある」

 

息子 「ゲームを早くクリアしたい気持ちと同じように、

何歳までに何ができて、何歳までに何ができるか、ということだけを正解と

思ってしまうと、そうなるのかな」

 

次回に続きます。


8万人が同時に「ポケモン」ゲーム 「無政府状態」か「民主主義」か 1

2014-02-21 13:24:24 | 日々思うこと 雑感

8万人が同時に「ポケモン」をプレー?配信サイトで大実験……と

CNNニュースでも取り上げられているゲーム映像配信サイト『ツウィッチ』の実験が

数日前からおこなわれています。

 

ゲームボーイ用ソフトのポケモンを「社会実験」と称して

改造した人がいるらしい。

 

主人公のレッドをチャット欄にコマンドを書きこむと動かせるようになっています。

レッドは、参加者が増えるにつれ、動きが取れなくなっていました。

 

その混乱ぶりを見た作成者が、75%の賛同を得たら

現状通りのコマンドが反映される「無政府状態」モードか「民主主義」モードに

切り替えることができる、という修正を加えたのだとか。

 

その話題を耳にして以来、わたしもこの「ポケモン」ゲームの行方が

気になりだして、朝、息子と顔を合わせる度に、

「ポケモン、どうなってる?クリアできそう?」とたずねるようになっていました。

 

この実験が始まった当初から、日に数回、このサイトに加えて

この話題で盛り上がっている海外と日本の掲示板の両方をチェックしている息子が、

「まだまだ、クリアするのは無理かもな」と答えてから、

こんなことをつけ加えました。

 

息子 「無政府状態が行き詰ってにっちもさっちも行かなくなると、

大勢が民主主義に傾くんだけど、少しするとそれが窮屈になってまた無政府状態に

戻るのを繰り返しているからね。

 

これ、海外でプレーしているからこんな流れになっているけど、

プレイヤーのほとんどが日本人だったら、「無政府状態」か「民主主義」かモードが

選べるようになった時点で、デモクラシー派がずっとゲームを引っぱってくことに

なって、あっという間にクリアーしてしまうんじゃないかな?

掲示板見ていても、ほんとに、日本人というか、アジア圏の人は真面目だな。

 

 どっちがいいか正しいかってのは抜きにして……

つまり、ぼくは無政府状態がいいとはちっとも思っていないわけだけど……それでも、

日本の掲示板で誰もかれもが一致団結して、「民主主義」モードに切り替えて

より短い時間でクリアすることだけを当然視する様子を見て、

多数決の状態で、より早くクリアすることを目指すんだったら、

一人でプレイするのとどう違うのか、疑問を感じたよ」

 

わたし 「そうよね。多数決で進むゲームなんて、少しも面白くないわね。

プレイするにしても、見るにしても」

 

息子「そうなんだ。より効率的にクリアーすることだけを最高善としてしまうと、

何万人もの人がプレイすることの意味が見失われそうでさ。

日本の掲示板では、誰も少数派を安易に切り落とすデメリットを口にしないし、

投票制で多数決することに慣れすぎて、

デメリットがあることすら忘れているようでもあるよ。

 

そういえば、中学の時、こんなことがあったんだ。

K先生が体育館クラス全員で一斉に手を打たせてから、

初めてみんなの心がひとつになったと言ったんだ。

自分は、初めてこの「パン!」を聞いたときに心の底から感動した……とも。

でも、ぼくは、それは無理矢理に強制されたから指示に従っただけで、

みんなの心が一つになったという表現はちょっと違うな、と感じたんだ。

 

何万ものがプレーしている状態で無政府状態を続けると、

大多数が正しく効率的にゲームが進行することを望んでいても、自分勝手に振舞う

人や他人の意見を聞かない人がめちゃくちゃにしてしまうのは事実だよ。

 

でも、この実験が、

どんなにひどいことが起きても裁かれないような状況でも、

奇跡的にうまくいくことがあるってことも示しているんだ。

結果として同じでも、

そんな風に個人個人が自由意志のもとで行動した上で先に進むのと、

1人の指示……それが多数決という指示だったとしても、

それに従って、先に進むのでは、ずいぶんちがうんじゃないかな」

 

次回に続きます。


恐竜好きくんとする遊びと工作

2014-02-21 13:13:58 | 幼児教育の基本

恐竜が大好きなこの春、年中さんになる★くん。

いっしょに古生代、中生代、新生代の開く絵本タイプのジオラマを作りました。

 

タイムマシンで古生代や中生代に行くゲームをしたところだったので、

これまではただ恐竜で遊びだけだったのですが、

それぞれの恐竜が生きていた時代への関心がでてきました。

ジオラマに恐竜を飾って、説明をするのも楽しそうでした。

アルミ箔で作った恐竜の化石です。

アルミ箔は粘土のように扱えて

面白い素材ですよ。

 


子どもの個性に添った次のステップアップのためのアイデア 4

2014-02-20 14:46:27 | 子どもの個性と学習タイプ

子どもの個性に添った次のステップアップのためのアイデア 3 の続きです。

 

親しくさせていただいている

『e-com.のスタッフブログ~子育て、教育のヒントをお届け~』ブログの羊先生が、

コモディティ化する人材~子ども達の生きる時代 という記事を書いておられます。

 

コモディティ(日用品・必需品)のように取引きされるようになりつつある“人材”。


羊先生は、記事の中で、

「金太郎飴のように、どこを切ってもみんな同じ顔をして、

同じような能力だとすれば、高い賃金で雇う必要がない。


逆にいえば、コモディティの反対である自分なりのブランドを作ることが、

あちこちから必要とされるための戦略となりますと書いておられます。

 

自分のブランド、つまり得意や強みといったものを持つ大切さについて、

「ここが強みと言い切れるものを持つことです。

・独創的なアイディアを出すことが得意

・チームの潤滑油となってまとめるのが得意

・諦めずに粘り強く挑戦し続けるのが得意

・正確にきっちりとやり遂げるのが得意

こうした、それぞれ違う特質を持った人が集まることで、

一人では成し遂げられない目標を突破することができるのです」

とも書いておられます。

 

羊先生の記事を紹介させていただいたのは、

「大人が用意した成長のモデルなり系統学習なりのステップを、より高いところへ

高いところへと追い立てていくのではなくて、それぞれの子の個性に添って、

ステップアップしていくことの意味に気づいていただきたかったからです。

 

強みといえば、以前、『ストレングス・ファインダー』というネットできるテストを

試したことを記事にしたことがあります。

自分の本来の資質(自分でも気づいていない本当の才能)

最上志向について

最上志向について 2

 

わたしはADD傾向(不注意型)があるので、できることとできないこと、

得意と不得意の凹凸の差が大きいです。

そんなわたしでも人並みに仕事をして、昨日のようなミスはたびたび起こしながらも、

それほど大きな問題にぶつかることもなく、充実した日々を過ごしてこれたのは、

常に自分の強みを活かすようにしてきたからかな、と思っています。

 

お仕事裏話 という過去のパート経験談でも書いたのですが、

雑だし、ポカミスが多いし、定期的に体調崩す……という仕事ができない人の代表格の

ような状態にも関わらず、当時も自分の強みを使って、それなりに切り抜けていました。


もちろん、強みを活かすだけじゃなくて、

短所や弱所の底上げをすることだって重要なのでしょうが、

せいぜい失敗を修復可能なレベルにとどめたり、

大きな問題にしないために人と協力しあって物事を進められるようにしたり、

苦手感を持たないようにすることが、凹凸の差が大きい人の凹対策の限度かな、

という思いはあります。

それに短所や弱点も、強みを伸ばしながら、それから逃げずに付き合っていけば、

仕事にも人間関係にも子育てにも大いに役立つ急所にもなると感じています。

たとえば、わたしのADD気味で気が散りやすくて不注意なミスが多い特徴のおかげで、

これまでの人生に多大なダメージをこうむってきましたが、

一方では、そのおかげで多動のある子たちを落ち着かせたり集中させたりするのが

上手くなったり、我が子の子育てで寛容になれたり、

物語の作り手(作家になる夢を持っているので)として、笑えたりドキドキしたり

絶望したりするような体験をたくさんすることができたりしたな、とも思っています。

 

子どもたちと接するとき、いつも、それぞれの子の強みに磨きをかけて、

個性を輝かせてあげたい、と願っています。


かなり推理力のいる算数問題

2014-02-19 18:54:44 | 算数

 

もうすぐ2年生になる★ちゃん、☆ちゃん、●ちゃんのレッスン。

みんなで少し凝った算数問題を解きました。

 

4年生向けの問題を易しくした問題です。易しくしたとはいえ、

かなり高い推理力が必要です。

算数好きな子らなので、ワクワクした様子で真剣にチャレンジしていました。

☆ちゃんはあと一歩というところまで考え抜き、★ちゃんは自分で正しい答えを導きだしました。

●ちゃんは少し難しかったようですが、最後まで取り組んでいました。

 

こんな問題です。

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10点満点のゲームに 6人の子どもたちが さんか しました。

 

ゆきちゃんは9点、かよちゃんは6点、

まりちゃんは3点、みちこちゃんは7点をとりました。

4人だけで、高いとく点をとった 順にならべると、

つぎのようになりました。

 

1位 ゆきちゃん 9点

2位 みちこちゃん 7点

3位 かよちゃん 6点

4位 まりちゃん 3点

 

ゆきちゃんとみちこちゃんの順位の数をたすと

1+ 2なので、3になります。

 

このゲームには、あとふたりの子がさんかしています。

ふたりの点数を順位にくわえると、

ゆきちゃんとみちこちゃんの順位をたした数が、6になりました。

あとからさんかしたふたりの点数は何点と何点でしょう?

 

(答え 10点と8点)

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この日のレッスンで、☆ちゃんがお家で作ってきてくれた

アイカツの携帯ゲームが、このグループみんなの心を鷲づかみにしていました。

 

 

ゲーム機の中にセットする画面の数々

 

 

こんなふうに使用するそう……。

 

 

みんなも真似して携帯ゲーム作り。

 

 

メロディーカードの中身を取り出して取り付けて

音楽も流れるようにしました。

 

 

いっしょに教室に来ていた年少さんの妹ちゃんも

ゲーム機作りに参加しました。

 

 

ゲーム画面のカードは

かわいいメモを折って作りました。


簡単実験 2つ

2014-02-19 13:47:06 | 理科 科学クラブ

ペットボトルの中にお香のけむりをためて

空気砲作り。

 

的作りも真剣です。

 

けむりの大砲で撃ちます。

 

 

<ついでにこんな実験も>

けむりをためたペットボトルを懐中電灯で照らすと、

光の通り道が見えます。

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『学研の実験』に載っていたものです。

コーヒーフィルターを丸く切って8つ折りにします。

 

写真のように水性ペンで丸を描いてから、

 

フィルターを8つ折りにして、その先端を水に浸します。

インクの中に混じっていたさまざまな色が出てきます。

特に黒色は面白いです。

 

 

どんなふうになるか実験してみてくださいね。

実験をしながら、分数についても学んでいます。


お花がジュースを飲んでいる?

2014-02-19 09:42:36 | 理科 科学クラブ

『学研の図鑑 科学の実験』にあった花の実験をしました。

 

ゆりやスイセンを使うと

はなびらの色がきれいに変化します。

 

切った花のくきを

食紅で色をつけた水につけておくだけです。

赤い食紅入りの水に入れておくと、白かった花の花びらが赤く変わります。

緑色の方も変化しますが、少しわかりにくいです。

 

「花も生きている」ということや

「くきの中を水分が吸い上げられていくこと」など

驚きや発見がたくさんある実験です。

実験の後から、植物を観察する態度が変化します。


ドーナツショップで宿題をする子

2014-02-19 09:13:10 | 日々思うこと 雑感

過去記事です。

午後に休みが取れたので、買い物ついでにドーナツショップに寄って

一服することにしました。

アイスコーヒーを手に席に着くと、隣の席では4,5歳の子が

英語のプリントと格闘していました。

傍らでお母さんらしい女性が、その子に向かってあまりに攻撃的に毒づいているので、

一服ついでに読む予定だった単行本を開く気も萎えて、

こちらまで縮こまってドリンクをすすっていました。

子どもの袖には色から判断すると年少さんか年中さんの名札がとめられています。

その女性はとてもきれいな発音で英文を読んでから、

「アイス」「アーイス」という発音を2タイプのイントネーションで付け加え、

「どっちなの?アイスなのかアーイスなのか?

意味分かんないのに宿題にでるわけないでしょ」と責め続けていました。

 

どうもアイスクリームのアイスなのか、氷のアイスなのかを判断して

単語の綴りを練習していく宿題らしいのですが、

子どもが困惑した様子で押し黙っているので、その方は質問の仕方を変えて、

「アイスは何でできているの?」とたずねました。

それからだんだん声を荒げながら何度も何度も「アイスは何でできているの?」と

繰り返しました。

 

隣のわたしは聞きたくなくても聞こえてしまうその質問に、

「アイスクリームのアイスなら生クリームと砂糖と卵でできているんだろうし、

氷のアイスなら取りあえず水が答えなのかな……。それにしても成分が分かると、

つづりがどっちか判断できるんだろうか……」と暗い気持ちで考えていました。

 

「今日は英語で言ってんじゃないよ。日本語なのにわかんないわけないだろ」

と激しくののしられて、

それまでひとこともしゃべらなかった子が蚊の鳴くような声で

「か、き、ご、お、り?」と答えました。

「まぁ、クラッシャーしたら、そうとも言えるけど。でも、何?氷は何でできてるの?

もう時間ないんだよ。早くやってしまい!」と女性。

 

下を向いたまま黙々とえんぴつを走らせていた子が、黙ったままスッと立ち上がると、

プリントとその子の手首をあわただしく掴んで、その方は店を後にしました。

 

大阪ではこういう光景は特にめずらしいものではありません。

わたしが特別ドーナツ好きというわけでも、

ドーナツショップにしょっちゅう行くわけでもないのだけれど(年に数回?)

なぜか十三でも、天王寺でも、京橋付近でも、西九条でも

ドーナツショップで宿題をする子に遭遇しました。

 

塾にしても習い事にしても、

その子がどれだけほかの習い事をかけ持ちしているかとか、

習い事や学校でどれだけ宿題が出ているかとか、

休日に用事を抱えているかとか、

電車通学で時間を消費しているかとか、

通信教材の提出物があるかどうかなんておかまいなしに、

幼稚園児にも宿題を出すのですから。

 

それも、どんなふうに宿題をして、誰が宿題の世話をするかなんてことも、

親が宿題見ているうちについつい熱くなって必要以上に子どもを責めちゃうんじゃないか

なんてこともおかまいなしです。

 

特にフランチャイズの塾や習い事ともなると、

テレビではキラキラ輝く子どもの笑顔を広告に使いながら、

人間味の感じられないむごい苦しみを子どもに味あわせてしまうことがあるな……と

胸が痛くなりました。

子どもを責め立てていた方にしろ、子どもを追い詰めずにはいられない動機は、

おそらく子どもへの憎しみというよりも、

日本人特有の「出された宿題は絶対しなくてはならない」という

強迫観念の混じった生真面目さから来るものが大きそうです。

 

いろんな人が……いろんな物が……いろんな管理システムが、

子どもをいじりすぎているのでしょうか。

 

ドーナツショップで隣に座っていた子のお母さん(だと思われる女性)が、

一つの解答を求めて問いただすような言い方をしなければ、

また普段から子どもの間違いに寛容だったなら、子どもは、

「アイス」がアイスクリームと言い表すこともあるし、

氷でもあることに興味を抱いて、

自由に疑問を口にしたり、持論を語ったかもしれません。

 

また、氷は何からできているかという質問を、

氷が細かい氷にもなり、水にもなり、水蒸気にもなるという科学的な興味にまで

つないでいたかもしれません。

 

虹色教室でこうしたクイズを子どもたちに出題すると、

トンデモ発言がどんどん飛び出すなかで、

こうじゃないか、ああじゃないか、でもおかしいな、不思議だな、納得できない、

きっとこうだとぼくは思う、わたしはこうだと考えるわ、といった意見がどんどん

生まれてきて、

「何て世界は面白いもので満ちているんだろう」

「何て自分の頭を使うのは楽しいんだろう」

「何て言葉で表現するのは気持ちいいんだろう」

という思いが子どもたちの間に響き渡るのです。

それは、大人が先に一つの答えを用意しておいて、

それを答えないと「×」の評価を子どもに押しつけることがないからだし、

時間内に教え込もうと焦ってもいないからでもあります。

「子どもに間違えさせたくない」という余計な心配症で

子どもを囲いこんでもいないからです。

 

実際、学問を深く追求する人々は、「1+1」のようなあたり前に思われていることにも

疑問を投げかけて探求し続けているのです。

 大人にしたって、誰もが理解している知識なんて知れているのですから、

子どもと一緒に「不思議だね」「知りたいね」「なぜだろう」と探求する楽しみを

共感しあうだけで、十分なんじゃないかなと考えています。

その土壌から、子どもの自発的に学ぶ意欲が芽を出すはずです。