2~4歳児というのは、それはよく揉めるものです。
とにかく相手の子の遊んでいるもので遊びたいし、
仲良く遊びを発展させるほどの能力もありませんから、
物を取り合ってるだけで遊び時間が過ぎていくこともあります。
そんなときの親御さんの介入の仕方によって、
子どもが精神的にしっかりしてきてお友だちと上手に遊べるようになる場合と、
いつまでも幼いままでとどまって、少し心配な態度をしめすようになる場合に
分かれるように思います。
わたしが少し心配な態度だと感じているのは、
その子の感情と態度が、かけ離れているように見えるケースです。
たとえば、おもちゃの取り合いでけんかになっているとき、
「そのおもちゃが欲しいんだ!」という欲求が、相手の欲求とぶつかって、
「そのおもちゃでどうしても遊びたい!貸すのはいや!おもちゃを取られそうになったらいや!」と、
思い通りにいかない事態にパニックを起こして、わんわん泣いて、
しまいにお母さんに抱きついてなぐさめてもらう、感情が鎮まってくるまですねている……という具合に
幼い子の感情が素直に表現されているのは
とてもいいことだと思うのです。
幼児はまだ感情をコントロールするのが難しいですから、
何度もそうした体験を重ねるうちに、次第に、
感情をコントロールするのが上手になっていくものです。
そうしたネガティブな気持ちを親御さんに受け止めてもらって、
自分でも認めて受け入れていくうちに、
他の子に対する理解や、自尊感情が芽生えてきます。
そのうち意味もなくけんかばかり繰り返すよりも、
協力しあって楽しく遊ぶ方が楽しいことを
学んでいくはずです。
わたしが気にかけているのは、けんかをしていても、
その子自身の感情とかけ離れたところで
揉めているように見える子です。
物を取り合っていても、実はそれを本当に欲しいと思っているわけではないようで
大人に取りあっていた物を取り上げられても、
さっぱりしていて、たちまち別の物に興味を移していきます。
いろんな場面で、その子の気持ちが見えにくく、
ニコニコとよく笑うけれど、感情そのものは希薄な印象があって、
簡単に大人の指示によって動かされてしまう場合、
ちょっと子どもとの関わり方を見直す必要があるかもしれないと感じています。
子どもの揉め事を解決する際、
大人同士の親しい関係を保つために、子どもの気持ちがほとんど無視されたままで
「揉めさえしなければいい」「けんかにさえならなければいい」という
解決法が取られている場合、
そうした気になる態度につながりやすいように感じています。
「わが子には、相手の親から心が優しい良い子だと思ってもらうような態度をしめしてほしい」という
一方的な親の期待が押し付けられている場合も、
子どもが気になる態度を取るようになりがちです。
心理カウンセラーの袰岩奈々さんが、『感じない子ども こころを扱えない大人』という著書のなかで、
次のように書いておられます。
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「授業中にほかのことをしているので、注意をするが、ぽかんとしている。何を注意されたのか、
わかっていないようだ」
「『そんなに言うことを聞かないのなら、もう帰りなさい』というような言い方をすると、本当に帰ってしまう。
子どもに言葉のニュアンスを受け取ってもらえない」
(略)
子どもとのコミュニケーションがうまく成り立たない……教員たちのこういう訴えから気づくことは、
相手の気持ちや自分のなかにおこる危険や不安といった感覚、感情を
子どもたちがうまく感じとれていないのではないか、ということだ。
小学校で知識を学び始める。その段階までに、開発されるべきものが育っていない。
そんな子どもたちを多く抱えながら、知識を伝えることを主とせざるをえない、という矛盾が
今の学校にはあるのではないだろうか。
では、知識を学び始める前までに開発されるべきものとは、なんだろうか。
それは「自分の感情を十分に味わって、その自分なりのコントロール方法を、
ある程度身につけているかどうか」ということだ。
かつては、気持ちを取り扱うための訓練が、家庭のなかで自然になされていた。たとえば、
兄弟ゲンカをしたり、家族との家族との駆け引きをしたりしながら、自分の気持ちを自覚し、
それを表現する方法を自分なりにみつけ、磨く機会があった。
(略)
けれども、今の子どもたちは、そういった予行演習の場がない。突然に学校といった
公の場に出ることになる。
(『感じない子ども こころを扱えない大人』 袰岩奈々 集英社新書)
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袰岩奈々さんは、自分の子どもの子育てを振り返って、
「年齢がいってから子どもを産んだせいもあって、親である私は
モノの名前や状況についての説明には長年慣れ親しんでいたものの、
情緒的な反応やイマジネーションの世界からは遠ざかっていた」とおっしゃっています。
絵本に猫がいれば「ネコよ」、ハリネズミはいれば「ハリネズミよ」と反応して、
ネコが気持ちよく眠っていてかわいいとか、ハリネズミの針がツンツンして
さわると痛そうだとかいった、情緒的・感覚的な反応が出てこなくなっていたそうです。
そうした子育ての体験から、
「もしかすると、世の中全体でこういった「知的」なものを
乳幼児期からいっぱい注ぎ込む傾向が強くなっていて、
子ども自身、自分のなかにわき起こる感情をもてあましているのかもしれない。
気持ちを言葉にしたり、コントロールする体験が少なく、
自分なりの気持ちのコントロール法を編み出す機会が少なくなっているのではないか?」
という疑問を導きだしておられます。
虹色教室でグループレッスンをしていると、
子どもたちが本当に意味で、生き生きと学び出すのは、
友だちやわたしの前で素のままの自然な自分が出せて、それでいて
心から共感しあえ、笑いあえて、互いの欠点が許しあえる友だち関係ができてきた後からなのです。
それまでは、学ぶことに対して斜に構えた馬鹿にしたような態度をとったり、
そわそわ落ち着かなくて、心から楽しそうでなかったり、
優等生ぶっていても、成果ばかり気にして好奇心が鈍っていたりするのです。
それが、人との関わりのなかでリラックスして楽しめるようになり、
自分の感情と素直につながるようになってくると、
面白くない訓練や
難しくてどう取りかかったらいいかわからないような問題にぶつかるのも
ワクワクする体験のひとつになってくるのです。
あらゆることに心が開かれてくるのです。
難しい問題にぶつかると、心もとない気持ちになって、
友だちと協力しあってそれを打破しよう、人と相談しあうのは
こんな風に大切なのかと実感できます。
また、それをやり遂げて、みんなのヒーローになりたいという気持ち、
「すごいな~」と友だちを賞賛する気持ち、
アイデアを出すのがうまい子、根気がある子など、それぞれの特技を生かして
互いの良い面を生かしながら、
認めあって物事にあたるすべが身についてきます。
わたしの役目はそうした関係をサポートしていくことですが、
そうした関係が成り立つには、
まずそれぞれの子が自分の感情と素直につながっていなくてはならないし、
友だちとけんかをしあえるほど仲良くならなくてはなりません。
自由に感情を表現して、それをコントロールしていくのを学べる時間や場が必要なのです。
この夏、ユースホステルでのお泊りレッスンを実行したところ、
小学生の算数クラブや科学クラブの子らに
大きな変化が見られました。
勉強に対する意欲と責任感が劇的に変化した子が
何人も出たのです。
といっても、ユースホステルで特別な勉強をしたわけではありません。
ただ、子ども同士、ゆったりした時間のなかで、
本当に親しくなったのです。
2~4歳の時期には、とても大切な課題があります。
『自己統制力を育てる』ということです。
2~4歳児が、子ども同士で上手に遊べずに、
しょっちゅう大人の介入を必要をとするような揉め事を起こすのは、
大人の手と心を借りて、
自分を大きく成長させていかなくてはならない時期だから
ともいえます。
大人たちが遠巻きに微笑みながら見つめるなかで、
子ども同士、平和に幸せそうにじゃれあって遊んでいるという……
2~4歳の子を持つ
親御さんたちが期待する「子どもの遊びの世界」のイメージは、
テレビCMのための作りあげた虚構の世界か、
子犬たちがドッグランで繰り広げる遊びの世界に近いものです。
実際の2~4歳の子たちというのは、
人間の子どもとしての育ちの課題を持っていますから、
いろいろと自分で揉め事を創り出しては、
大人から適切な指導を引き出そうします。
自分より先に生まれた大人という先輩の手と心を借りて、
今の自分より一段高い次元の
精神的な力と態度を獲得しようと
がんばっているのです。
獲得する力が『自己統制力』なんていう一生を左右するような能力ですから、
1回、2回の練習で身に着くはずもありません。
それで、くる日もくる日もギャーギャーワーワーわめき散らしては課題とぶつかって、
大人に助けられながら
ゆっくりゆっくり自分の心と身体を作りあげていくのが、
2~4歳児の姿です。
「大人の適切な指導」なんて言葉を使うと、
「ああ、しつけのことね」「きちんと正しいしつけを教えていくことね」と
感じるかもしれません。
もちろん、そうではあるのですが、
けんかをするから、「けんかしてはだめ」「おもちゃを貸してあげなさい」「お友だちに優しくね」と
教えることが、この時期のしつけだと思われているとしたら、
ちょっと問題があるかもしれません。
なぜなら、いつまでも子どもの自己統制力が育たないままで、
親の前ではいい子でも、集団の場や、お友だちの前ではわがまま放題だったり、
小学校に入学してからも2、3歳児のように聞き分けがなかったり、
指示には従うけれど、自主性や意欲が乏しかったり、
自己主張ばかりして自分勝手に振舞うような場合も、
先に挙げたようなしつけはしっかりしていることが多いからです。
山梨大学の教育人間科学部の加藤繁美先生によると、
「子どもの自己統制力が育っていく道筋にはひとつの構造がある」そうです。
「子どもが自己統制力を自分のものにする過程で、その途中を省略させられたり、
ゆがめられて自己形成させられた場合、
うまく自分をコントロールできなくなってしまう」というお話です。
それでは、自己統制力というのは、どのように育っていくのでしょう?
『人とのかかわりで「気になる」子』にあった加藤繁美先生のお話を簡単に要約して紹介しますね。
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まず、まだ泣くことくらいしか自己表現できない赤ちゃんの時期に、
大人たちが子どもの発する言葉にならない子声(自覚しない要求)を
読み取り、ていねいに「意味づけ」し続けること。
そうしたコミュニケーションの繰り返しのなかで、自分の要求が音声と対応すること
を知っていきます。
同時に人と関わる心地よさを無意識世界に形成していきます。
次に、「愛されることの心地よさ」をベースに、音声で表現できることを知った
要求世界を、自分の興味・関心にひきずられるようにして
どんどん表現するようになります。
(『人とのかかわりで「気になる」子』ひとなる書房より 要約しています)
要求を主張する主体として成長していくこの時期、
大人の対応が重要です。
つまり「受け止めながら、方向づける」という対応が、
ていねいになされることが重要です。
大人の側に余裕と辛抱強さが必要になってきます。
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どうして大人の側に余裕と辛抱強さが必要なのかというと、
この時期の子どもの要求は、融通が利かない一方向のものだからです。
どうしてそんなにわがままな要求なのかというと、
幼児はまだ幼児だからで、
そうした原石のような要求を表現しつつ、
しだいにそれに磨きをかけて、自分の力でコントロールできるものにしていく
という課題を抱えて生きているからです。
でも、ちまたで見かける大人の幼児への対応は、
子どもの要求自体を無視する、機嫌を取って紛らわす、大人同士の関係維持のために
要求を変形する、要求を表現できない場に連れていく(習い事やショッピングセンターなど)
というものが多いです、
また、大人が子どもに対する余裕を持って辛抱強く接することが
我慢できないため、
その言い訳として、
「子どもには小さいときから、きちんとしつけないといけない」「最初が肝心」などの
言葉を使って、問答無用で大人の意のままに従わせるという場面もよく見かけます。
一方で、子どもの言いなりになって、大人として
子どもの成長を方向づける仕事を放棄してしまっているケースも目立ちます。
長くなってしまったので、続きを読みたいという方は、
を読んでくださいね。