自己統制力とは、無意識の世界に形作られていくものです。
幼児は、感情と皮膚の感覚、身体の感覚で、
心地よさをベースに、正しい自分のあり方を学習していきます。
まず、自分の中に湧き上がるもやもやした感じ、ざわざわした感じ、イライラする感じ、
のぼせあがるようなカッとする感じ、もじもじするようなはっきりしない感じ、
そうしたさまざまな身体と心に湧いてくるものを
大人に受け止めてもらって、言葉で表現してもらい、
それと向き合い、乗り越えるまで
根気よくネガティブなものに付き合ってもらうという過程を通して、
身についてくるものです。
「わたしはこういうことがしたいけれど、お友だちも同じようにしたいから、今はがまんして
こうしよう」といった自分の行動を導きだすような
自分の内面の対話ができるようになってくるのです。
虹色教室でそうした不安定な大人のサポートをたくさん必要とする時期の子らと過ごすとき、
子どもの心を充たす創造的な問題解決の仕方、
ワクワクするような想像力あふれる解決法を
大人がたくさん示してあげると、
成長するにつれて、自分をコントロールするのが上手なだけでなく
集団をリードして、揉めているお友だちたちに魅力的な問題解決の方法を
提案できる子に育っていきます。
そうした具体的な解決法については、
またの機会に書かせていただくことにしますね。
何度かリンクしている過去記事なのですが、
今回の内容に関連があるので、また貼らせていただきますね。すでに読んだ方はスルーしてくださいね。
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<どうして現代の子育てにはこんなに不安が生じるのでしょう?>
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昔の親たちは、
現代のように教育から幼稚園選びから子どもの服選びにいたるまで、
熱心だったわけでも、上手だったわけでもありませんが、
あんまり不安も抱かずにそこそこに子育てしていました。
やんちゃでやんちゃで、虫やかえるを次々殺したり、
勉強もせずにけんかばっかりしているような子も
男の子はどの子もそんなもの~と見過ごしていれば、
立派な大人になって、ちゃんと働いているもの……
その程度の子育てスタイル、子育て観で十分、世間に通用していましたし、成功もものにできました。
何で昔の人はそんなにも大らかに子育てできたのでしょう。
その理由のひとつは、子どもを何のイメージに重ねていたか?にあるように思えます。
農業や牧畜が主な仕事だった時代は、
『生命あるもの』『変化するもの』の育ち方に、子どもを重ねて見れたのだと思います。
小さな竹のこが、ある時期が来れば人間の背丈を越えて、大きく成長することを知っていれば、
毎日竹の子が何cm何mmか?と測っては、
根腐れするほど肥料や水をかけるのがどれほどバカバカしいか検討がつきます。
いくら良いとこ取りでいろいろ取り入れたらいいといったって、
パン種を膨らます前にちょっとでも焼き釜に放り込んでしまえば、問題があることくらいわかります。
物にはタイミングや時期があること、たとえ良いこと良いものでも、
そうしたタイミングが狂うと、とんでもない問題につながること。
自然の動植物に近い子どもは、あるがまま、その自然な成長を信じることが
一番なのだ。
と昔の人は体験的に知っていたのでしょう?
なら今の子育ては、何の上に子どもの姿を重ねているのでしょう?
私には、買い物で手に入る『商品』に子どもがイメージされているように感じてなりません。
完全装備でいろんなアイテムつきで売られている『お子ちゃまロボット』です。
親同士、公園や習いごとの場や幼稚園や学校で、自分のおもちゃを披露し合い、
新たに自分が付け加えたワザやら、
おしゃれアイテムや
バイリンガルやら素早い計算といった付加価値を
見せ合いたい、自慢しあいたい、
自分たちの目の前で動かしてみて
動作確認がしたい、新しくアイテムを加えて満足したい
そんな思いが渦巻いているように見えるのです。
ですから、親たちのまなざしの中で、
子どもはそれぞれの個性を持っていて、自分のペースで、
何が自分に必要か、何を自分の願いとしようか……と
たくさんたくさんの失敗と
挫折感、思うようにならない現実の中で自分でそれらを発見し
たくましく成長していく『生命あるもの』のひとつではありません。
たとえ相手が赤ちゃんでも、園児でも、
今、目の前で、完全に自分が思い描く子どもの姿通りの動作確認ができないんだったら、
不良品だわ、返品したいわ、絶望的だわ、
とんでもないものを買っちゃった……
という気分に落ち込んでしまいます。
どの子も天才に変えます!なんて謳っている工場があるのなら、
心なんて、ばらばらになってもいいから、放り込んで何とかしてもらいたい!
と必死に考えてしまいます。
だって『お子ちゃまロボット』は、みんなからすごい!すばらしい!と
賞賛されるためにあるのですから、
心なんて必要ないのです。
行為あるのみ、動けばOKです。
続きを読みたい方は↓のリンク先の記事を読んでくださいね。
私自身こども同士のけんかは悪いことではないと思っているのですが、気に入らなかったことに対して怒りお友達に「もう嫌い!」と言いお友達を泣かせてしまうことが多くあります。怒っているかと思えばすぐに笑って遊んでいるのですが・・・
私の娘の方が気が強く、よくお友達を泣かせてしまいます。
「どうしたの?お友達がないているよ。」と話を聞こうとすると理由を言うのですが相手が順番を守らなかったなど理屈が通っている時もありますが、自分の思い通りに行かなかったワガママからの発言の時もあります。
最後には「ママ嫌い!」と言って時には私を叩きます。
少し前までは自分の意見も言えず、言われたら私に泣きついてくる子であったのが自分の意見も言えるようになり喜ばしいことでもあるかもしれないのですが、あまりにも目に付くのでどう対応したらいいものか頭を抱えています。
このようなことがあった場合どのような対応をとることがいいのでしょうか・・・
『子どもの心を充たす創造的な問題解決の仕方、
ワクワクするような想像力あふれる解決法を
大人がたくさん示してあげる」この解決法の記事がどこにあるのかわからないので教えて頂けますでしょうか。
お忙しいところ申し訳ありません。
宜しくお願い致します。