虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

計算が大好きになる「折り紙の簡単ビンゴ」

2012-11-27 20:05:12 | 算数

折り紙を写真のように

9マスができるように折って、

マスのなかに2~12までの数を自由に書き込むと

即席ビンゴができあがります。

 

2個のサイコロを振って、

出た目の数を足し算して出た数字に丸をつけます。

たて よこ ななめ

のどれか丸がそろうと勝ちです。

 

足し算を覚えかけた子らが

どの子も夢中になるゲームです。

遊ぶうちに、暗算が得意になりますよ。

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ブロック講座 10日目  (それぞれの子にとっての「魅力を感じるレベルの難しさ」) 1

2012-11-27 17:14:24 | レゴ デュプロ ブロック

 

↑ 映画監督になった気分で。

色違いのスポットライトがきりんたちに当たると、スクリーンに幻想的な映像が浮かび上がります。

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今日のブロック講座の参加者は、2、3歳児さんたちと5歳のお兄ちゃん。

 

基本のブロックの組み方やさまざまな動かし方などを学んでいただいた後で、

お母さん方に、

それぞれの子は、どのような課題に魅力を覚え、

夢中になって取り組もうとするのか、

子どもたちの姿を通して学んでいただきました。

 

また取り組み方はどういったものか、今後の課題についてもお話しました。

2歳9ヶ月の★くん。ブロックで1、2、3、4、5の塊を作って並べる立体パズルを

作ると、「ぼくもぼくも(やりたい)」とブロックに飛びついて、

1、2‥‥‥と並べ始めました。3の次に5の塊を置いてから、「おかしいな」と気づいて、

3と5の間に4を入れました。「できた、できた」と上機嫌です。

「もっとするー」と意欲満々なので、ブロックでテトリスのピースのような形を作って、

四角作りをするパズルを作ってあげました。

すると、それもさっさと解いてしまい、心から満足そうでした。

 

★くんは、通常のレッスンにも通ってくれているエネルギッシュなやんちゃさんです。

前回のレッスンまで、お母さんを自分の意のままにコントロールするのが

すっかり楽しくなって、大騒ぎしてはお母さんを振り回していました。

そこで、お母さんに★くんへの関わり方を学んでいただきました。

 

↓の記事です。

お母さんを困らせてコントロールするのが遊びのメインになってしまう 1

お母さんを困らせてコントロールするのが遊びのメインになってしまう 2

お母さんを困らせてコントロールするのが遊びのメインになってしまう 3

 

今回のブロック講座では、★くんお母さんは手出し口出しを控えて、余裕を持った態度で★くんに接していました。

すると普段ならしつこくごねて大騒ぎする場面でも、ちょっとアドバイスするだけで納得して聞き分ける

ようになっていました。

また、これまではお母さんと揉めることに注いでいた全エネルギーを

わたしの手本から学ぶことや、先に紹介したような課題を解くことに使っていました。

★くんが夢中になっていたスライドする扉。

 

車を閉まった扉の前で待たせて置いて、ボタンを押してから、ギーギーガチャンと

扉を動かします。そして車を渡らせてまた閉めます。

 

影絵のスタジオのセットにライトを当てるのにも夢中でした。

「やりたいやりたい」「ぼくもぼくも」と騒ぐ時、

「ちゃんと先生のお話聞ける?」

「その作り方習う?」

などとたずねると、「うん」と返事し、言葉に責任を持って

ちゃんと学べています。

 

★くんのように親や周囲を振り回すほどエネルギーが溢れている子は、その使い方さえ

いい方向に導けば、

難しそうなことにも果敢にチャレンジし、疲れることなく頑張りぬく力を育てていくこともできます。

そのためには、その子にとって、「魅力を感じるレベルの難しさ」を持った

課題を環境にそろえてあげることも大切です。

 

次回に続きます。


自閉症等のハンディーがある子たちのユースホステルのレッスンに行ってきました 4

2012-11-27 13:47:14 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

自閉症等のハンディーがある子たちのユースホステルのレッスンに行ってきました 2

の記事の最後に、

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その後、他の子らや他の大人たちにあまり関心がないように見えたトムくんですが、

けっしてそうではなかったことを感じさせる出来事がありました。

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と書いたまま、話が脱線していたので、続きを書かせていただきますね。

 

ピアノを弾いたり、絵を描いたり、マッチングする遊びをしたりするトムくんの能力は

ぐんぐん伸びています。

また、「なおみ先生をドリンクバーまで連れて行ってあげて」といった指示に

きちんと従えるなど、言葉の理解力もかなりあります。

 

けれども、会話をする力だけが、本人の様子から爆発的に言葉が出てくるような

兆候があるにもかかわらず、なかなか伸びずに気にかかってもいました。

トムくんは唾が飲み込みにくい上、口の中が過敏だったり鈍感だったりするため、声を

発することに少し抵抗があるのかもしれません。

また、もともとおとなしい気質で、「正しいとわからない限りしない」という完璧主義な一面もあるので

正しさが確認しにくい会話は学びにくく、戸惑いを覚えるものなのかもしれません。

 

わたしは他の自閉症スペクトラムの子らが

会話を覚え始める時、どのようにして学んでいたのか、

 

会話が上手にできるようになっていく自閉症の子と

なかなか会話する力が伸びていきにくいトムくんの間にどんなちがいがあるのか、

 

もしちがいがあるとしたら、どのような働きかけや体験を増やせば

会話をする力を育てていけるのか、注意深く観察していました。

 

今回、お泊りレッスンに参加した子ではないのですが、自閉症の診断を受けている2歳のAちゃんは、

「これ、なにー?」「これ、なにー?」と物の名前をたずねようとします。

 

トムくんは、いろいろなことがよくわかっているし、「これなあに?」と指させば、「○○」と答えられるのに、

自分から「これなあに?」とたずねることはありません。

 

Aちゃんとトムくんの言葉の理解力を比べると、大差がないか、おそらくトムくんの方が上だと思われます。

また「これは何だろう?名前を知りたい」という言葉と物への好奇心の差を比べても、

だいたい同じか、トムくんの方が持っているかもしれません。

それなのに、どうしてAちゃんからは「これなにー?」が出てきて、

トムくんは、自発的に外に名前をたずねようとしないのかといえば、

次のような理由が考えられます。

 

見ていると、Aちゃんは、「これなにー?」とたずねるものの、

その名前を知りたいという気持ちはそれほど持っていないようです。

ただ、「機械のボタンをあれこれ押してみると、何かしら反応が返ってくるのが面白い」といった調子に、

「これなにー?」と言えば、お母さんから反応が返ってくるので、それを面白がっているようでもあるのです。

他の場面でも、Aちゃんはお母さんを困らせたりおちょくるような真似をして、

お母さんがあたふたする姿をケタケタ笑って見ているようなところがあります。

 

トムくんは、わたしにりんごの皮を剥いてもらいたくて、キッチンから皮を剥く道具を取ってきたり、

テレビをつけてほしくて、わたしの手にリモコンを握らせようとしたりすることはあるけれど、

それらの行動からは、おふざけやおちょくりにあるような「無駄さ」や「遊び」は感じられません。

 

「ひとつ」の決まっている目的のためのアクションで、

柔軟でいい加減で無目的で変化する可能性のあるアクションを

自分から人に向けて働きかけることがほとんどないのです。

 

またどう出るかわからない相手の反応を楽しんだり、

予想できない反応を自分から積極的に求めたりしないようです。

 

それは性格的なものもあるでしょうが、

そうしたことを受け入れる素地がないか、というと、

そうでもなさそうです。

人ではなく、物に対しては、そうした変化を受け入れ、積極的に楽しんでいく力が

最近になって、とても伸びているのです。

 

次回に続きます。

 

↑ 「ドーナツ作り」と称して透明のボビンに小さな手芸用のぼんぼんを詰めていく遊びをしているトムくん。


飽きっぽい子、我慢が苦手な子に根気をつける方法

2012-11-26 23:24:17 | 初めてお越しの方

↑ 3、4歳児さんたちとする工作やゲーム。まだまだでたらめですが、本人たちは真剣そのもの‥‥‥。


(過去記事から)

『ねばり強さ』が低いことは遺伝の影響を受ける因子だから、
変えることは難しい‥‥‥という話を記事にしたことがあります。


変えることが難しい気質を、叱ったり責めたりするのは無意味ですが、
ねばり強くない子はない子なりの、
根気との付き合い方が必要だと思っています。

というのも、現在は、飽きっぽくて我慢が苦手な子が、
さらに飽きっぽく、さらに我慢が苦手になるような物が
あふれかえっているからです。

テレビゲームや携帯ゲームやテレビは、
自分から働きかけなくても、
次々、目新しい刺激を与えてくれます。

遊園地もショッピングモールも、
飽きるという気持ちを味わう間もなく、
楽しい刺激に満ちています。

話がちょっと脱線しますが……
うちのダンナは、もうかれこれ10年あまり、
校庭キャンプやジュニアリーダーの養成のボランティアなどをしているのですが、
年を追うごとに、
子ども向けのイベントに対する周囲の大人たち

(親御さんやスタッフなど)の捉え方が変わってきていて、困惑しているようです。

子どもたちが自分たちでテントをたてたり、
自分たちで料理をしたり、子ども同士で相談させて

自主性や社会性や思考力を育むことが従来の主旨だったのに、

「準備は大人がしてあげて、子どもたちには楽しんでもらったらいいのでは?」
「料理は危ないから親がしてあげたらいいのでは?」
「塾があるので、お友だちと相談する時間には出られません。」
「もっとこうしたら、楽しいし、楽になるのでは?」
といった意見がたくさん出るようになって、

イベント当日に、勝手に手出し口出しをする人も増えて、
自主性や社会性を育むという主旨は忘れ去られて、
単なるお祭りと化してきているそうです。

本当なら、ちょっとめんどくさくてブツクサ言う場面があってもいいはずなのです。
クレームのでない楽で楽しいだけの世界を作り出そうなど思わず、
「ちょっとしんどいけど、面白さがそのしんどさを忘れさせてくれる」
「友だちといっしょだから、いやだったこともがんばって我慢できた」
くらいの体験こそ、子どもの心身を鍛えてくれるはずだからです。

先日いただいたコメントでは、学校の授業も、
子どもの自主性や社会性や思考力を育むことより、授業がよりスムーズに脱線しないで進行し、子どもたちが考えたり悩んだりしないで楽に参加できることを優先しているような内容だったそうです。
コチラです↓
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娘が小学一年生になり、授業参観がありました。「じぶんのかおをかきましょう!」というテーマの授業でしたが、配られた画用紙には卵形の顔の輪郭が描いてありました。
「まず、色を塗ります。肌色を横に持って~わたぬりと言います。次に白をわたぬりします。」と先生のする通りに生徒は描きます。
先生が見て、色が濃すぎた子は先生が勝手にテッシュでふきとります。
「次に目を描くよ~隣の人の目を見て~こんな風に描いて~」と先生は黒板に写実的な目を描いてみせます。
私は思わず「隣の子の目を見て描くなら自分の顔じゃないじゃん!」と心の中でつっこみをいれましたが(笑)子供は素直ですね~誰も文句を言わず先生の言うとおりに描いて絵は出来上がりました。みんな同じような特徴のない顔です。
私は「はあ~!」と疲れて、「何?この授業!」と怒りがこみ上げてきました。
一年生の授業って昔からこんなものなんですかね?自分の時の記憶がないのでわからないのですが。
こんなつまらない、それこそ苦行のような事をもくもくと五時間目まで続けられると勉強嫌いになってしまわないか心配です。
算数のプリントも絵の中の動物を数えるだけの問題なのに先生が黒板に書いた通りに写さないとダメらしいです(涙)
休み時間に折り紙をして良いのですが、一日2枚しか使ったらダメらしいです(涙)
今の小学校は何なのでしょうか?

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こうした子どもをめぐる環境の変化のダメージを特に受けやすいのが、
もともと「ねばり強さ」が低い子どもです。

飽きっぽかったり、我慢が苦手でも、
友だちと駆け回って遊ぶ時間がたっぷりあれば、体や心が鍛えられて、
少しずつ我慢ができるようになるでしょうし、
お手伝いをしたり、物作りをしたりする時間があれば、
飽きずにがんばれることも増えることでしょう。

でも、それが難しい昨今です。

使う道具も、使い方など練習しなくても、「スイッチ オン」で
動く便利なものばかり。

そうした便利で刺激的で楽で楽しい環境の中で、
我慢が苦手な子たちにとって、
我慢を強いられる場面といったら、「お勉強をするときだけ」
となってしまいます。


「ねばり強さ」が低く飽きっぽい子というのは、好奇心が強くて
目新しいものに強く惹きつけられる子が多く、
次々新しい刺激を求めるので、頭の回転が速い子も多いです。

ですから、本当なら、決してお勉強が嫌いなわけではないのです。

でも、便利で楽チンな世界で、唯一、勉強だけが自分に嫌な我慢を強いてくるとなると、
そうした子たちの頭の中では、

「お勉強」=「我慢すること、 苦痛」

とイコールで結ばれてしまいがちなのです。

それこそ、ほんの一瞬でも考え込まなきゃいけないものは、「いやいやいやいやいや!」とオーバーなほど毛嫌いして、
いつもいつも楽しくて楽な時間だけ求めようとする習慣が身についている子もいます。

それで私は、そうしたタイプの子たちには、
お手伝いや工作といった地味な活動の中で、
できるだけ飽きずに作業をやり遂げる力を養うようにしています。

多くの親御さんは、我慢が苦手な子たちに宿題をさせるのが
あまりに大変なものですから、
「やりなさい、やりなさい」と叱って勉強させて、
勉強の時間に苦痛を味合わせて、その埋め合わせをするように
残りの時間をゲームやテレビで埋めてしまいがちです。
でも、それだと、どんどん勉強が悪者になるばかりです。
親御さんの心に、「遊びにエネルギーを使ってもしょうがない。
少しでも勉強に力を入れて!」という気持ちがあると、
なおのこと、勉強が悪者になりがちです。

しっかり何かに関わって、集中力を継続する体験を
遊びや工作やお手伝いの場でさせていけば、
「ねばり強さ」が低い気質は変わらなくても、
勉強だけを極端に拒絶することはなくなってきます。

自分の手を使って何かをして達成した体験がいろいろあると、
勉強でもそれを生かして、
勉強の面白い面に気づいたり、工夫したりしながら
やるべきことはこなすようになってきます。

うちの子たちも、「ねばり強さ」が低い子で、
息子は大のテレビゲーム好きでしたから、
これはキケン!と……
昭和の時代のような生活の不便さや地味な活動をわざわざ取り入れて、
大切にするようにしていました。

「買えばすむものも、作ってみる。
便利な道具があっても、あえて手間のかかる道具を使う。
遠出も自転車で行く。
友だちと遊ぶ時間をたっぷり取る。
たくさん失敗して自分で考えさせるため、
やりたがることは何でもやらせて、細かく干渉しない。
好きなことはとことんやらせる。」

といったことです。
うちの家族はみな、我慢強さからほど遠い気質なのですが、
そうした生活のおかげで、
それぞれが自分のやろうと決めたことを
途中で諦めたり、放り出したりせずに、ずっと続けていける
力がついていると思います。

 

↑の文章にこんな質問をいただきました。

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昭和の時代のような生活の不便さや地味な活動をわざわざ取り入れて、大切にするようにしていました。

便利さになれないように生活したいと思っています。

体重計もデジタルを使っていたのですが、デジタルだとただ数字を読んでいるだけなので、ダメだなと思い、デジタルではない体重計を使うことにしました。最初は何キロか読めず、「前の体重計がいい」とぶうぶう言っていましたが、数ヶ月で読めるようになり、「後1kgで20kgやぁ」とか妹やパパとの体重の違いもわかるようになりました。

先生のされていた不便な生活を、もう少し具体的に紹介していただきたいです。
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私自身が我慢が苦手な性質なので、自分に無理をさせるような
「生活の不便さ」ではなくて、
「ちょっと面倒だけど、まぁ、いいか……」レベルの選択をたくさんする
といったものです。

まず、子どもたちが幼かった頃の工夫から書きますね。

たとえば、子どもが幼かった頃でしたら、
買い物してきた食品を袋から取り出すとき、子どもが手伝いたがることがよくありました。
子どもって、包んである袋を自分で開けるとか、
新しいマヨネーズの銀色の蓋部分を自分で剥がすとか、
しょうゆを移し変えるのとか、やりたがりますよね。
ちょっと目新しくて、失敗しそうな危なっかしいものが好きなものです。

それで、大惨事にはならないようにだけ工夫して
子どもにやらせるんですが、
たいていこぼすか、ひっくり返すかするし、上手に出来てもけっこう面倒。
でも、とにかくやらせて、こぼせば、拭くものを取ってきて
子どもといっしょに拭いて、
今度はそのぞうきんを絞らせてあげました。

大人がやれば、1分もかからないものに、
ぐだぐだと無駄な時間と労力を使うのですが、
幼くたって自分がこぼしたならそれなりの責任感が芽生えますから、
いっしょうけんめい後始末を手伝いました。

子どもは「いいとこ取り」のお手伝いが大好きです。
マヨネーズをやさいの上に絞るとか、
氷をトングでつかんで入れるとか、
卵を箸でかき混ぜるとか、
こしょうをパッパと振りかけるとか……。

そういう子どもが好みそうなものは、サッと私がしてしまわずに、
子どもを呼んでやらせてあげて、「○ちゃんが、こしょうをかけてくれるから、いつも助かるわ。」とか「○くんがこないと、卵をかきまぜる人がいなくて大変だったわ。あーよかった」などと言って、
ひと仕事をしてもらいました。

ちょっと暖かくなってくると、子どもは水遊びをしたがります。
うちは一軒家なので玄関なら水がこぼれてもさほど問題はないので、
洗面器に水を汲んでハンカチを洗わせてあげました。
小さい石鹸でごしごしこすったり、絞ったり、干したり……何十分でもきりがないくらいしています。

飽きれば、近所に子どもと野の草を取りに行って
ままごとがしやすいように整えてあげました。途中で子どもの友だちにあったら、ついでに連れ帰って(親御さんの承諾済みです)
いっしょに遊ばせていました。
すると、木のナイフで切ったり、すりこぎですりつぶしたりして、
いくらでも機嫌よく遊んでくれます。

基本は、あまり予定を入れず、ゆっくりペースの生活です。

のんびりした気楽な生活をしながら、
ちょっとめんどくさいなと思うことを、子どものためのビッグイベントにして、とにかく作業に熱中させていました。


洗濯物を取り入れたら、
その中から子どもの靴下と洋服数着を選り分けてかごに入れて、
「お仕事、お仕事。
この中に靴下があるんだけど、探さなきゃいけないのよ。
見つけられる?」とたずねて、
やりたがったら、靴下探しをさせておいて、私は他の洗濯物をたたみました。

息子が1,2歳の頃、引き出しを開けては、
ポイポイ中身を取り出して散らかしていました。
開けてほしくない引きだしはストッパーで開けられないようにして、
その代わり、息子の背の届く位置の引き出しのいくつかに、わざと散らかすための
もの(空き箱など片づけやすく、出すとき心地よいもの)を詰めておいて、
ぜんぶ散らかし終えるまで見守って、
それから、いっしょに片付けました。
空き箱のひとつに息子の好きなミニカーなどを入れておく工夫もしました。


かなり地味なイベント……
たとえば、「お外にカラスを探しに行こう」とか、
「きれいな宝物の石を見つけよう」とか、
「今日はスーパーのレジでおつりを受け取ってね」とか、
「橋の上から見た景色が夜はどんなだか見に行こう」とか、
そのくらいのことをメインにしてお出かけをして、
子どもの要望をよく聞いて、
「あっちの公園にも石があるか探してみたい」とか、
「お札を渡したときのおつりももらいたい」とかいう願いを実現するために
わざわざ少し手をかけてあげるようにしました。
その代わり、その他はゆるゆる育児で、楽をしました。

「今日は、夜になったら、月が出るかな? お母さんに見つけられるかなぁ?」といった悩み相談も、子どもにしておくと、
子どもは真剣に、暗くなると窓の外を見上げて、
「お母さん、月、出てたよ。出てる、出てる。○ちゃん、見つけてあげたよ。よかったねぇ」とうれしそうに報告してくれていました。


「飽きっぽい、我慢が苦手」といっても、
感覚が優れている子の飽きっぽさや我慢の苦手さと
直観が優れている子の飽きっぽさや我慢の苦手さと
感情が優れている子の飽きっぽさや我慢の苦手さと
思考が優れている子の飽きっぽさや我慢の苦手さとでは、
種類が異なるように思います。
ですから、どのような理由ですぐに物事を放り出しているのか
よく見極めて、対応をちょっと変える工夫が必要だと思っています。


感覚が優れている子は、本来、我慢強くコツコツがんばれる子が多いですが、
美意識が強くてプライドが高く、完ぺき主義なので、
自分の不器用さが原因で他の子より見劣りする作品が生まれたり、
字がくねくねとゆがんだりするのが我慢なりません。

「みんなと同じレベル」にできるくらいではダメで、
いつも周囲の人よりダントツですばらしくなくてはならない……くらいの
期待を自分にかけがちです。

といっても、他の人の評価はまったくといっていいほど気にかけないことも多いのですが、
大人の作った完璧な作品とか、お手本の字とそっくり同じにできないから、
努力なんてしてもムダという気分にとらわれて、
投げ出すことがよくあります。

感覚が優れている子たちは、
器用さに関わらず美しい仕上がりを楽しめる作品作りを好みます。
ブロックで作品を作るときには、色の配分に気を配りながら
直方体やピラミッド型といった均等な形を
よく作っています。

感覚が優れている子たちは、先の見通しが立つものが好きです。
見通しが立つ課題で、自分の実力にあったものなら
とても集中力を示します。
同じことばかり繰り返したり、お手本の真似ばかりしているようにも見えますが、何度も同じことをやり通した後では独創的で大人顔負けの完璧な作品を作り出します。

勉強では、「算数の文章題を絵を描きながら考えなさい」といった課題は
とても嫌がる子が多いです。
具体物を操作して、数の世界の秩序の美しさを
感じ取りながら学ぶのはとても好きです。
新しい未知の事柄には不安を感じやすいので、
家庭の中でさまざまな概念に事前に触れさせておくことが、
強い拒絶を防ぐコツだと思います、

感覚が優れている子が、飽きっぽく我慢が苦手になっている場合、
自分に対する自信が揺らいでいる可能性があります。
また周囲が期待して子どもにさせようとしていることと、
本人の気質がずれている場合があります。

私が気にかけているのは、直観が優れている親御さんが、
感覚が優れている子を育てているケースです。
直観が優れている親御さんは、どんどん新しいことを取り入れるのが好きで、
子どもにも、さまざまなことをやらせようとし、
さまざまなものを与えて、子どもが、それらに次々と興味を示し、新しい才能を発揮してくれることを望みがちです。

感覚が優れている子は、
見たり聞いたりする分には、とてもたくさんのことを受け入れる準備がありますが、自分で何かするときは地味なほどに同じ作業にこだわります。

すると、そうした生活の中で、
「外の世界や他の子どもの中にはすばらしいものがたくさんあるけれど、
自分はつまらなくて価値がない」と思い込む感覚型の子がけっこういます。
そして、
親御さんが子どもが同じことを繰り返すと進歩がないように感じて
嫌がるために、実際に訓練が不足して
あれもこれも上手にできずに自信がない子に育ちがちです。
すると、自分では何もせずに、
「これはつまらない」「こんなのしても意味がない」「あの子の作っているの変」「○ちゃんの字がゆがんでる」といった
自分以外のものや人を評価することだけに力を注ぐようになることがあります。

感覚が優れている子たちは、もともと根気がある子が多いので、
そうした子が、すぐに飽きて何でも放りだす場合は、
環境や周囲の大人の態度を見直す必要があると思っています。


遊びが幼く、ゲームのルールを説明しても聞こうとしない子にどう対応したらいいですか?

2012-11-26 22:56:10 | 虹色教室の教具 おもちゃ

4~6歳の子をお持ちの親御さんから、
「いっしょにゲームを楽しみたいのですが、
ルールを教えてもきちんと話を聞こうとせず
ゲームのコマやチップやカードをバラバラに散らかして遊びます。」
という相談を受けるときがあります。

そんな場合、子どもが喜んでやっていることをヒントに
ゆるめのルールを設定するといいかもしれません。


写真は、チップをグチャグチャバラバラ~とかきまぜて遊んでいた子のために
考えたゲームです。
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『グラグラゲーム』

赤いブロックの上に赤いチップ、黄色いブロックの上に黄色いチップを
乗せていきました。チップが落ちたら負け。
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ルールが複雑なゲームをする前に、このくらいのルールの遊びで

★ルールの説明を聞く
★順番を守る
★ルールがあることの楽しさに気づく

ことに慣れていくと、市販のゲームをするときも
ルールを理解する姿勢が育ってきます。


4~6歳の子で、遊び方が幼くて、積んでいたものを崩したり、投げたり落としたり散らかしたりすることから
いっこうに遊びが発展しないという子がいます。
そんな場合、身近な大人が
本人がいつもやりたがることと、もう少し創造的な遊びの
橋渡しとなるような
ゆるめの物作りを提案するとよいかもしれません。

↑写真のおもちゃに山ほどチップを入れては、ザーッとひっくり返していた★くん。
「また、こんな遊びばかりしている……」と嘆くより、
紙コップや紙箱で回転する仕掛けや
エレベーターのようにチップを入れて上下させる仕掛けを
作ってあげるといいかもしれません。
(くわしい作り方はオンライン教材の『回転』のコーナーでも
いろいろと紹介しています。)


大人が教えたいことに、無理矢理 子どもを引き寄せようとしても
うまくいかないことがあります。
そんな時は、子どもが楽しんでいることの方に大人が近づいて、
より広い世界との橋渡しをすることを考えてみると
うまくいくかもしれません。


自閉症等のハンディーがある子たちのユースホステルのレッスンに行ってきました 3

2012-11-26 12:53:53 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

 

トムくんの話題の続きを書く前に

少し脱線させてくださいね。

 

 

☆くんは知力が高く人と関わることも好きな年長さん。

 

といっても、正確には4歳代までは他の人が近づくのも許さないほど人を避けていたし、

何かたずねられると「わからない」といったきり考えようとしませんでした。

 

この1年半ほどで会話する力が伸び、物を作ったり、物語を考えたり、「なぜなのか」「どうしてなのか」

という理由を考えたりするのが好きになってきたのです。

 

●くんと仲良くなるにつれ、同年代のお友だちと遊んだりおしゃべりしたりする

楽しさに気づくようにもなりました。

 

その一方で、「なおみ先生、ぼくが考えたゲームをしよう」

「なおみ先生、ぼくがあそこの影に隠れるから、見つけて、そてからさぁ~」

と自分から発信したことに、周囲に合わせてもらうのはOKだけれど、

 

「☆くん、~しない?」「☆くん、こんなことしようよ」と相手側から提示されると、

即座に

「そんなこと言わないでさぁ~ぼくが考えたので遊ぼうよ」と自分のやり方に変更してしまう姿もありました。

 

まだ、わたしと☆くんの間なら、☆くんにとって魅力のある工作の手本は

わたしに作ってもらって模倣する、ということもできるようになってきたのですが、

子ども同士だと、お友だちのやり方に従ったり、お友だちから学んだりするのは

難しいようでした。

 

それで今回のお泊りレッスンでの課題も、そのあたりかな~と思っていました。

 

すると、夕食後、くつろぎながら紙工作などをして遊んでいた最中に

チャンスが訪れました。

 

いっしょにレッスンに参加していた○ちゃんの弟の■くん(ハンディー等はない子です)が

色画用紙と紙コップなどを使って手品を見せてくれていた時のことです。

 

コップに紙をかぶせて、型どってから、そっとコップを下に落として

コップがまだあるように見せかけながら、バシッとそれを叩いてつぶす‥‥‥という手品。

 

よほど魅力的だったのか☆くんは目を皿のようにして

身を乗り出してそれを見ていました。

「☆くんもやってみたい?」とたずねると、

「無理ですよ~。そんな難しいのは

ぼくできませんから」とていねいな口調で返事をしました。

「難しくないわよね。■くん。ね、種明かし、どうやって手品をしているのか見せてあげてよ。」

と言うと、■くんが照れながらも、ていねいに解説してくれました。

 

☆くんはやっぱり自分でもやってみたくなって

■くんに教わりながら手品を練習しはじめました。

そしてうまくできるようになると、満面の笑みを浮かべて、お母さんとお父さんのもとへ

走っていきました。

 

こうした「いつもの自分から一歩踏み出して、成功する体験」を

いっぱい味あわせてあげたいな、と感じました。


テクニックより態度と心

2012-11-26 08:49:46 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

(補足  共同注視を誘う遊び方で記事にさせていただいた★くんは、現在年長さんになり、語彙が豊富で物作りが好きな頭のいい子に成長してきています。先日のユースホステルでのレッスンにも参加してもらっています。現在も、頭を切り替えるのが難しかったり、社会性の面で少し幼さも持っているのですが、人と関わることを楽しみ、何に対しても知的な好奇心を抱き、理由を分析したり、自分の考えを論理的に追っていくことができるという魅力的な個性が育ってきています。)


共同注視を誘う遊び方 1

共同注視を誘う遊び方 2

共同注視を誘う遊び方 3

 
↑ の記事について。、こうした内容をテクニックと捉えて実践しても、

なかなかうまくいかないかもしれません。
書いておいて、うまくいかない……とは、失礼なのですが、
なら、どうすればうまくいくのか、言葉にできる範囲で書いていこうと思います。

広汎性発達障害の子のこだわりを真似るといっても、
ただ、向こうのすることを真似すればいいというわけではありません。
その前に、子どもと表面的には見えない部分で、
心がつながりあっていなくてはならないのです。
ゆっくりと関係作りをし、小さなサインをたくさん受け取って、
「あっ、この子の中に私への興味と、
いっしょに遊びたい気持ちが芽生えているな」と感じ取って、
その次の段階で、「子どもの遊びを真似る」というテクニック的な部分があるのです。
そこには、大人の側のとても繊細な感受性が必要です。

私は多くの方々が、(親も教師も)
『子どもに対してテクニックを使う』ことに慣れすぎて、
まるで理科実験でもするような一方的なまなざしで子どもに接するために、

子どもの側にすると、対人的スキルを学ぶ見本がどこにも存在しない

ということが、発達に問題がない子たちの間にも起こっているように
感じています。

言葉でうまく伝えられるか自信がないのですが、
最近こんな出来事があったので、それから、伝えられる範囲で
このことについて話してみたいと思います。

私は長い間、ABAという名前は聞いたことがあってもそれがどういうものか知りませんでした。
ABAというのは、「応用行動分析」と訳され、
自閉症の子たちに教えるのによいとされている理論です。
何度か、知人からその名前をうかがっていたので、何冊かそうした関連の本を購入して目を通してみました。


写真は、パカパカ駆ける馬。からくりの仕掛けを教えるために作った小1の男の子との共同作品です。ストローにモールを通すことで回転する部分を作りました。
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ABAについての解説書を何冊か読むうち、

「こういうことって、教える上では
ごくごくあたり前のことのように感じていたけど、
わざわざ理論になっているんだな」

と、ちょっと驚くと同時に、

「子どもが良くない行動をするとき、
それを自然にやめさせる方向へ導き、
良い行動をしたときはそれを持続させる方向に導く大人の態度とか、

子どもに教えるとき、

課題とその子の今の能力の間にどのような種類のステップが存在していて、

何から取り掛かればスムーズに階段をのぼるように
必要な課題に達することができるか

わからないという方が多いのだろうな。」

とも感じました。

私の周囲には、ABAについておそらくご存じないでしょうが、、
『子育ての勘』として、
この応用行動分析で理論として展開されているような子どもへの接し方を
している方はけっこういます。

私にしても、目の前に子どもがいれば、無意識のうちに
そうした行動をとっていて、
(習ったわけではなく母性的な勘で)

それを基本とか基盤とした上で、

「教え教えられるという枠を超えた成長をうながしていくにはどうすればいいだろう」
「柔軟に新しいことに対応したり、創造的に解決したり、
自発的にいろんなことをしていくようになるにはどうすればいいだろう」
といった問題を悩みつつ、
解決しています。

何が言いたいのかというと、どんな理論にしろテクニックにしろ、

そこに目標があるわけでも、それが全世界でもなくて、

取りあえず踏まえておくべき基本とか基盤のようなものだ
ということなんです。
もちろん相手が自閉症児であってもです。

話がややこしくなってきたので、いったんABAの話題からそれますね。

子どもを伸ばすためのテクニックって、あっちでもこっちでも溢れていますよね。
子どもは、大人から、より合理的に効果的な結果を出すことを期待されて、
さまざまなテクニックを施されます。

いろんな知識をインプットされることもそうですし、
叱らない受容的な態度で子育てするというのもそうですし、
早期からの習い事、○○式、○○法などもそうです。

そうしたテクニック自体は、どれも一理あるのでしょうし、その方法が合っている子もいるのでしょう。

その良し悪しについて言いたいわけではないのですが、
次のような点で注意が必要だと思っているのです。
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チンパンジーの子って、産まれた時から人間の子と一緒に育てると
4~5才くらいまで、よく似た発達をするそうです。
そこで、チンパンジーの子と、人間の子に、
箱の中に「まる」「しかく」「さんかく」と順番に入れるように
指示する実験をしたそうです。

正確にチンパンジーも人間の子も入れることができ、
何度もするように言うと、何度もしたそうです。

ところが、人間の子は次にこう聞いたそうです。

「なんでこんなことをするの?」

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人間の子は、大人が既存のテクニックで接しても、
そうした枠を超えて、自分のしていることの意味を問い、
それをより広い意味を与える視野の中におこうとします。
それほど賢いのです。

でも、それは周囲の大人が
地に足をつけ、今ある広い世界や現実の社会に心を開いてコミットメントして
生きているからこそ可能なことで、

テクニックに適応させることしか見えていない大人のもとだと、
そうした人間の子としての成長が阻害されるのではないでしょうか。

人工的に作られた○○式とか○○法とか、
○○理論とかにがんじがらめになって、
それが『世界』になってしまったら、

「なんでこんなことをするの?」という人間の子にしかない問いは
生まれなくて、
指示された課題を素早くたくさんこなす力だけが、伸びるのではないでしょうか?

 


写真は、小1の子どもたちと『暗算ゲーム』をしているところです。
1~13までの数が書いてあるラミイキューブの札を何枚か並べて、瞬時に答えを出す遊びです。
最初は2枚からはじめてだんだん数を増やしていってます。
私が「7枚チャレンジしたい人?」「8枚チャレンジしたい人?」と声をかけて、自分から進んでやりたがった子にさせています。
8枚までは「はい!」「はい!」と元気よく全員の手があがっていたのですが、
それを境に、意欲満々に手をあげる子は減っていきます。
必ずしも、計算が得意な子がチャレンジし続けるわけでなく、
計算はそれほど得意ではないけれど
リラックスして、難しい課題にチャレンジしようとする子と、
計算は得意だけど、慎重で失敗を恐れる子もいます。

この日、10枚にチャレンジしたいという2人の1年生が、
「用意、スタート!」で計算していきました。
ひとりの子が先に解答し、答えもあっていました。
もうひとりの子は答えは合っていたけれど、少し時間がかかりました。
時間がかかった方の子にどうやって解いたのかたずねると、
ユニークで新鮮な解き方でした。
12+8とか、13+7とか、20になるものを除外して、残りも10の位がいくつになったのか意識しながら足していき、10の位の数と1の位の数をできるだけすばやく出すようにしたのです。

私は、計算が速かった方の子には、すばやく丁寧に計算できていることを褒めて、
遅かった方の子には、工夫して効率的に解く方法を考えついたことを褒めました。
また、10個の暗算にチャレンジした子たちには、
「負けるかもしれないって怖さを乗り越えて、やってみようって思ったことはそれだけですごいことよ」と褒め、
「9個まででやめておく」と宣言した子には、「自分がどこまでやりたいのか、自分の意志できちんと決断できるのはえらいことよ。」と褒めました。

子どもの行動に対して、具体的に良いところを説明して褒めると、
子どもたちは友だちを尊重して認め合うようになります。
小競り合いこそ、しょっちゅうありますが、
思い切り自分の気持ちをぶつけあった後でも、
すぐに仲直りしていて、いっしょにいるのがうれしくてたまらない様子なのです。

テクニックの話題にこんな話を入れたのは、

『計算速度をあげるために、こういう方法で訓練する』という

○○法‥‥‥という方法に重きを置くと、
こんな場合に、効率的な計算の工夫を編み出すことも、自分で自分のことを決めることも、友だちの良い部分について学ぶことも
なくなってしまうということをお伝えしたかったからです。

私は、単にできるようになることだけでなく、

友だちに親切にわかるように教えてあげること、
友だちから習うこと、
自分の苦手を自分で分析して、どうしたら改善できそうか考えてみること、
しんどいときは、休んでもいいと知っていること、
どんな方法ですると自分のモチベーションがあがるのかいろいろやってみること
など、さまざまな経験をすることが、(それが計算練習であっても)
子どものメタ認知力や発想力、思考力を向上させると感じています。

テクニックは、ひとつの指針となりますし、
実際、役立つものです。
でも、それを使う人の立ち位置は、
テクニックという一本の直線の上でも、
テクニックの世界の中心でもダメで、

それを十分理解し、消化して、
それを基礎、基盤とした上で、
子どもの個性に対応し、さまざまな外の世界の価値観にも開かれた場でなくてはならないのでしょう。
 

自閉症等のハンディーがある子たちのユースホステルのレッスンに行ってきました 2

2012-11-25 19:35:21 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

今回のお泊りレッスンでとっても魅力的な時間になったのは、

参加してくださったお父さん方の活躍が大きいです。

わが子はもちろん

初めて会った他所の子たちとも時間の許す限り遊んでくださり、

心から可愛がってくださいました。

 

ですから、他人への関心が薄かったり、警戒心が強かったりする自閉症スペクトラムの子たちも、

「あぁ、あれは○○くんのパパだな」「あっちはママ。

○○くんには、パパとママがいるんだな。ぼくにもパパとママがいるからいっしょだな」

とお友だちの家族にも関心を持ったり、

自分の親以外の人と手をつないで歩いたり、遊んだりする楽しさに気づくこともできました。

 

ユースホステルに着いた初日、トムくんだけは、そうした遊びの輪に入るのをためらっていました。

他の子らと一緒になって遊んでいたのは、

押入れに潜って壁に映像を映したり、蛍光する星を見たりした時くらいでした。

 

お母さんとクラシックピアノを弾いた時と、

わたしといっしょに楽器作りをしていた時は、とても楽しそうにしていましたが、

積極的に他の子らと関わろうとする様子はありませんでした。

(↑トムくんが喜んでいたストローの遊び。

ブロックの発射台にストローをセットし、それを吹いて、紙の人形や舟を飛ばして

います。)

 

いつもなら妹さんの遊びに自分から入っていこうとする場面でも、

窓辺に寝転がって

窓にうっすら映る自分の表情を眺めて過ごしていたところを見ると、

長旅で疲れているか、知らない人々との関わりに戸惑っているかしているように

見えました。

 

ところが、翌日、遊びに出かけた(赤ちゃん連れの家族だけは先に帰宅されました)下水道科学館では、

前日とは別人のような元気っぷり。

どの体験型の展示物もトムくん用にあつらえたかのようにトムくんのつぼにドンピシャりだったようで、

遊びに全力投球していました。

 

話が脱線しますが、水を触ったり、水の流れを眺めていることが好きな自閉症スペクトラムの子たちには、

下水道科学館はとってもオススメです。たいてい空いているので、順番を待たずに遊べます。

(興味が冷めないうちに遊ぶと集中が持続しやすいです)

 

ちなみにトムくんが夢中になっていたのは、大阪市の下水道科学館の次のような展示物です。

 

① 大きな掃除機のようなもので、(自分で)小さくてカラフルなビーズを吸い込むと、奥から吸い込まれたものが出てくる展示物。

 

②レバーを押すとかなりの量の水が飛ぶポンプ

 

③力を込めて回転させると水の中に竜巻のような渦ができる展示物。

 

④本物サイズの車の運転をする間、雨が降ってくるので、ワイパー等を動かします。

 

⑤穴に手を入れておいて、雨が降ってくる感触を楽しむことができる展示物。

 

⑥大きめのボールコースター (自分で扱えるところがあります)

 

⑦ゴーカートのような乗り物に乗ってアクセルを踏んで

下水道探検ができる乗り物。(トムくんはまっすぐ進むのなら自分でもできるようになって

とてもうれしそうでした。

 

⑧丸いトンネルをくぐって登っていったり、滑り台をすべったりできる遊具。

この遊具を頑張って登りきると、外の水が溜まっている(プールのような場所)に出ることができます。

ガラス越しに外の景色が見えます。

外でポンプで遊んでいた時に、「あそこに行ってみたいね」と指をさしていたスペースでもあるので、

登れた時にとても達成感があるし、メタ認知力も増すように思います。

 

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他にもトムくんが夢中になったものがいっぱいありました。

あまりの一生懸命ぶりに、お母さんのyoshikoさんもわたしもひたすら感動してしまいました。

 

その後、他の子らや他の大人たちにあまり関心がないように見えたトムくんですが、

けっしてそうではなかったことを感じさせる出来事がありました。

 

次回に続きます、

 

 

 

 


工夫して計算する (算数クラブのレッスンから)

2012-11-25 17:43:12 | 算数

小3の女の子たちの算数クラブです。

 

「1本の帯を100とする時、25にあたる量を切り取ってください」

という課題を出して、それぞれに紙の帯を配りました。

 

どの子も紙を4分の1に折って、100のうちの25にあたる量を作りました。

 

それから上の写真のように100と合わせて、「125の歯ブラシ」ができあがりました。

 

「125の歯ブラシ4本で、いくつ?」と問うと、

「500」という答え。

 

「それなら1000にするには、125の歯ブラシの形をしたものがいくついるでしょう?」

とたずねると、

「8つ」という答えが返ってきました。

 

このインパクトのある形と4本セット、8本セットの時の個数は

忘れにくそうですよね。

 

式にするとこんな形。

 

これで工夫した計算をします。

 

125×48=

 

125×72=

 

125×64=

 

答えは、上のように

125×8のセットを1000でまとめて、それに何かをかけた形に変形して考えます。

 

125×64については、同様の方法で、答えを導きだしてくださいね。

 

動点の問題や列車が鉄橋を渡ったり、トンネルを抜けたりする問題を解く際の

コツを学びました。

↑ 注目する点を固定することについて、ミニカーを使って学んでいます。

シャボン玉の実験や絵本作りも楽しみました。


自閉症等のハンディーがある子たちのユースホステルのレッスンに行ってきました 1

2012-11-24 15:40:11 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

本文の前に、の記事にいただいたコメントを紹介します。

 

コメント主さんのお子さんは、左の耳が全く聞こえないという

ハンディーを抱えているそうですが、虹色教室と似たスタンスの幼児教室との関わりを経て、

トップ校を受験するまでの学力を供えるまでの成長を遂げたそうです。

 

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12歳の息子は、中学受験の勉強の真っ只中にいます。大好きな野球を両立して頑張っていますが、このまま野球を続けていていいのかといつも不安に駆られてます。(そんな気持ちは本人には言いませんし、見せませんが

今回のお話の、「親のメタ認知能力」について2~3歳に限らず、今の息子にも大事なことだなとつくづく痛感しました。

大きくなり会話が成立する分、「分かるだろう」の感覚で物を言っている気がしました。

さらに、マイナスコメント。
仕事の愚痴は、言ってしまっている~~~。
よくないと思いつつも、ついつい「聞いて今日ね、仕事でね」と夫と息子に愚痴を聞かせてしまっている~~~

また、本人の事はあまり言わなくても、本人にかかわる人・事へのネガティブ発言が最近増えてる~~~と反省。
受験の時期に、確かに、余裕がなくなり追い込まれて、変な方向に行ってしまっている親や子供が増えてますが、
その事を話題にしている(●●君は、お母さんが点数ししかじゃなくて頑張りもみてあげればいいのにね。などなど。)自分もダメな親だな~とこのブログを読ませていただいて反省しきりです


ストレスがかかった時に、2~3歳の子がとる行動も、12~13歳の子がとる行動にもそんな違いはないのだと、
あらためて認識しなおしました。

12・13の年齢だからこそ、もっと見つめること、声をかけることが大事なのかもしれませんね。

左の耳が全く聞こえない障害をもつ息子ですが、虹色教室の内容に近い幼児教室でお世話になり、
トップ校を受験するまでの学力を供えつつ、公立に行く友人とも強いきずなを作り、先生にも信頼されて、
充実した学生時代を過ごしています。

子供に寄り添うことは、紆余曲折あり本当に忍耐のいることで大変ですが、その分子供とのきずなは深く太くなっていると思います。


まだまだ、ダメ母ですが、こちらのブログで力を分けてもらいながら、子育てを楽しもうと思います

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自閉症や知的障がい等のハンディーキャップがある子たちのためのユースホステルのレッスンに

行ってきました。

予想した何倍もの楽しい実りのある時間が過ごせました。

子どもたちのたくさんの笑顔が見られたこと、意欲と達成感に目を輝かせる体験を

どの子にも持ってもらえたことが、本当にうれしいです。

(そうした質のいい時間を子どもたちにプレゼントするためには、

それまでの段階を踏んだ配慮が大切なことをしみじみ感じた時間でもありました。)

 

今回のお泊りレッスンは、レッスンでいっしょの時間を過ごすうちに

互いに「お友だち」という気持ちが芽生えたことから、外の世界への興味が強くなり

会話のキャッチボールが成り立つようになってきた

自閉症スペクトラムで幼稚園児の●くんと☆くんの

ために企画しました。

(●くんは二ヶ月前の自閉っ子と社会性の発達の時点で、エラコリアが減り始め、

☆くんに「ぼくの靴はかっこいいんだよ」と言われて、●くんが「ほんとうだぁ~」と返したのが

初めて子ども同士で成り立った会話だったほど、人と会話することに関心がなかった子です。

 

その日を境に会話能力が伸びだし、今回のレッスンでは、さまざまな人と のびのびと会話のキャッチボールを

楽しむ姿がありました。

あまりの●くんのおしゃべりぶりに、参加者の誰もが驚き、笑いが絶えませんでした。)

 

また、今回のレッスンでは、このブログで成長記録を紹介させていただいている自閉症のトムくん

にお友だちとの心に残る思い出を作ってあげたい‥‥‥という思いもあって、トムくんの家族に

神奈川から来ていただいていました。

 

他に知的障がいのある○ちゃんと弟くん、自閉傾向の強い3歳の◆くんと

それぞれのご家族もいっしょに参加していただきました。

 

☆くんが来たので、はしゃぐ●くん。お父さんに、「ぼくのお友だちの☆くんだよ」

と何度も紹介していました。

☆くんは、自分が来たことを●くんが喜んでいるのがうれしくてたまりません。同時に

借りていたココプラザのダンス室に知らない子たちもいることで緊張してもいます。

 

それで、なかなか室内には入ろうとせずに、ガラス越しに●くんを誘って、隠れて探させる遊びをしたり、

「おいでよおいでよ」と呼んでいる●くんの反応を楽しんだりしていました。

その後、わたしを誘って、部屋の外で☆くんが物陰に隠れて、わたしが気づかないフリをして☆くんを探すという

自分が考えたかくれんぼのような遊びをした後で、「ぼくが作ったトランプで遊ぶ?●くんとなおみ先生で!」と言いながら

部屋に入ってきました。

 

 

戻ってみると、●くんは、お父さんとブロック遊びをしていました。

↑は、●くんのブロック作品で、3歳の◆くんが遊ばせてもらっているところです。

 

ブロックを作りながら、●くんは、「(トンネルをつくるのには)同じ高さにして、ふたつに分けて、

こうして作るんだよ。それから」と自分のしていることを的確に説明していました。お父さんから質問されると、

自然にその場にあった返事も返していました。

 

部屋の空きがなくて、壁は鏡貼りで、周囲をガラス越しの廊下に囲まれたダンス室を借りたのですが、

それがとてもよかったようで、工作やブロック遊びに集中できた上に、

追いかけっこなど存分に身体を動かす遊びも楽しめました。

 

次回に続きます。