虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

『地頭力』が育つ幼児期 3

2010-06-24 14:15:08 | 教育論 読者の方からのQ&A
地頭の話からちょっとわき道にそれてますが……

灘中の赤本は、最初、あまりに難しくて親の私にもちんぷんかんぷんでした。
どれを見ても公立の高校入試の問題よりもはるかに難解でした。
ただ最初に赤本を買ったおかげで、
市販の中学入試用の問題集を何冊仕上げたところで、それだけでは
これらの問題を解けそうにないことだけはわかりました。

うちの息子というのは、「難しさ」に魅了される子です。
勉強自体は、6年生になるそのときまで、きちんとしたことがなかったものの、
物を作るときは、それを作ることは不可能でしょう……というものに惹かれて、紙1枚で何がなんでも作りたいものを作ってしまおうとするし、
パソコンでもテレビゲームでも友だちとの遊びでも、どこから手をつけたらよいのかわからないような
難しさを感じさせる場面でこそ、燃えるタイプなのです。

それで、受験がしたいというので本屋に連れて行ったときも、
何冊か過去問に目を通させると、
これはどれもどうやったら解けるのか見当もつかないないな……のオンパレード
だった灘中の赤本にすっかりのぼせてしまって、
息子の頭の中は、
受験するのはここ以外考えられない~というモードになってしまったのです。

そんな適当な理由でスタートした受験勉強ですが、
小学校に受験校に送るための資料をお願いしに行くと、
そんな無茶な……それはやめた方がいい……と、強く反対され、
しまいには算数専門の教師が怒り出す始末でした。
また、息子が軽い気持ちで友だちに受験することを話したため、
子どもを有名な受験塾に通わしている親が、そんな受験がどれほど
とんでもないことか……
まず自分の子の通っている塾で何位くらいにいるのか確認しなさいよ……
と外部の子用のテストの案内を持ってきました。

息子はといえば、「不可能」とか「難しい」とか「無理」とかいう言葉が無性に好きで、それに強烈にそそられるタイプですから、
そうして外から圧力がかかるほど、
火に油を注ぐのと同じで、
「絶対、灘中に行くんだ。この本全部できるようになるよ」と言って、
ひとりで過去問に目を通していました。

その頃は、中学入試というのがどういうものか、何が出るのか、何から手をつけていいものかさっぱりわからなかったため、
息子は公式も何も知らない状態で、灘の過去問を
問題の文面の情報から導けそうなものを自己流に膨らませて、
何とか答えまで持ち込もうと四苦八苦していました。
そうするうちに、シンプルに考えていけば解けるタイプの問題は
自力で答えが出せるし、
難しいものも答えを見れば、納得できるという状態にはなってきました。

そのあたりで、再度、本屋に行くと、
日能研やサピックスの出している問題集や、
『中学への算数』という雑誌
などを選んでいました。

私も、そうした問題に目を通すうち、すっかり中学入試問題の面白さに
心を奪われて……今の虹色教室も
その時期火がついた「私の中学入試問題オタク」な趣味の延長線上にある
のですが、
その年はとにかく掛け持ちでいくつもバイトやパートをしているので、
時間に追われていました。
ですから、外で遊びほうけてたり、テレビゲーム三昧したりしながらも、
何とか飽きることなく続けている息子の受験勉強の進行を
傍らからチラチラ覗き見るだけでした。

地頭力は……?次回に……

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『地頭力』が育つ幼児期 2

2010-06-24 06:03:36 | 教育論 読者の方からのQ&A
★『地頭力』が育つ幼児期 (シアトルからのお客様)
の続きです。

精神科医の名越康文氏と、神戸女学院大学教授の内田樹氏との対談で、
こんな会話がかわされていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<名越>  
僕は日々、クリニックに来るお母さん方と色んな話をしています。
子どもの場合、通じ合えた場合は、その話の全体から僕が言いたいことを摑んでくれているな、という感じがあるんですよ。
「だから、こうしておこうね」っていう軽い結論さえ言えば、「他に聞きたいことある?」って聞いても、「うん、今日はこれでいい」って言います。子どもは。
しかし、親御さんに同じ話をした場合、
「先生、結局だから私はこうしたらいいんですね」ってその話を百分の一くらいにまとめてしまう。それはそこしか聞いていないってことでしょう。
僕ね、今まで何千人かの子どもと話して、
「先生、結局こうしたらいいんですね」って聞いてきた子どもって
一度も会ったことがない。
ところが、「先生、結局だから私はこうしたらいいんですね」って言う
親御さんには少なくとも数百人会っていると思うんですね。
<内田>
コミュニケーションの現場では、理解できたりできなかったり、いろんな音が聞こえてるはずなんです。それを「ノイズ」として切り捨てるか、「声」として拾い上げるかは聴き手が決めることです。
そのとき、できるだけ可聴音域を広げて、拾える言葉の数を増やしていく人が
コミュニケーション能力を育てていける人だと思うんです。
もちろん、拾う言葉の数が増えると、メッセージの意味は複雑になるから、それを理解するためのフレームワークは絶えずウ゛ァージョンアップしていかないと追いつかない。
それはすごく手間のかかる仕事ですよね。
そのとき、「もう少しで『声』として聞こえるようになるかもしれないノイズ」をあえて引き受けるか、面倒だからそんなものは切り捨てるかで、
その人のそれから後のコミュニケーション能力が決定的に違ってしまうような気がする。
<内田>
今の日本の母親たちは、あえて可聴音域を狭くして、聞き取れる範囲を絞り込んで、その中で整合的なメッセージだけ聴き取ろうとする傾向がすごく強いと思うんです。「要するに、こうなんですね」と言って「話を終わらせる」ことに異常に固執するというのは、そういうことじゃないかと思うんです。
この間、養老先生から聞いた話ですけど、ある講演会で「子育てにマニュアルはない」ということを話された後に、聞いていた母親が先生のところに来て、
「あのー、マニュアルがない場合には、どうすればいいんでしょうか?」と訊いたという(笑)。
とにかく、話を終わらせたいんですよ、簡単に。だから自分の子どもがノイジーなメッセージを発信しても、「要するにあんたは、こういいたいわけね」っていうふうに、
端数を切り捨てて、整合的だけど限定的に「理解」してしまう。子どもが発するメッセージには、まだ輪郭の整わない、子ども自身が自分で何を言いたいのか
わからないような雑多なざわめきがたくさん含まれているんです。
でも、そうい母親はそれを聴き取ることができない。曖昧な言葉遣いというか、グラディエーションをつけることができなくなっている。
 (『14歳の子を持つ親たちへ』  内田 樹 名越康文  新潮新書
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『地頭力』の話をするのに、一見関連のない話のようでもあるのですが、
この対談で話題になっている

「可聴音域を狭くして、自分の聞きたいことだけ聞いて、それ以外は切り捨てて、整合的だけど限定的に「理解」してしまう」

という特徴は、子育て中の方々が、
気づかないうちに陥りがちな態度ではないでしょうか?

音だけでなく、見るものにしても、
あらゆる豊かな情報の中から、小学校受験や学校での評価にむすびつく部分だけ見て、後はシャットダウンしてしまうということも起こりがちです。

例えば、折り紙をぐちゃっと握りつぶしては、
「虫さん」「あめちゃん」「バナナ」などと命名する子がいたとします。

その子のお母さんが、同じ月齢の子が、上手に三角を折るのを目にして、
「うちの子も早く上手に折るようにらないかしら?」という狭い視点でだけ
子どもを眺めた場合、
「この子ったら、いつまでもグチャっとしたものしか作らないで……折り紙がもったいないでしょ!」とイライラするかもしれません。

が、お母さんが、見えているもの、聞こえてくるものを受け取る領域を広げてみると、
この子の「見立てる能力は独創的だな。くだものから生き物からよく思いついてる」
「今は、ぐちゃっと力を手にこめる作業がしたいときのようだから、折り紙より油粘土や、広告の紙などのいらない紙をたくさん与えてあげる方が良い時期なのかも」
「作品としてなりたっていないとはいえ、楽しそうにエネルギッシュにたくさん作る力があるな。できたものはゴミみたいなのに、大事にしていて面白いな」
といったことが見えてくるかもしれません。

そのように親が子ども自身と子どもの環境から
受け取るものを大きく拡げていくと、
地頭力の要素のひとつ
「全体から考える」フレームワーク思考力を育むことに
つながりやすいのではないでしょうか。

フレームワーク思考力とは、
「対象とする課題の全体像を高所から俯瞰する全体俯瞰力」と、
「とらえた全体像を最適の切り口で切断し、さらに分解する分析力」といえます。

わが子の子育ての中で、このフレームワーク思考力について、
意識したのは、小6になって息子がいきなり中学入試をしたいと言い出したときでした。
★先生とぶつかって、仲直りした話
★先生とぶつかって、仲直りした話 2

の記事で、その頃の出来事を簡単に書いています。
わが家の事情で何ですが……
子どもが幼い頃は、経済的に何の悩みもなくのほほんと生活していたのですが、バブル崩壊のあおりを受けて、ダンナがリストラにあい、
その後は、自営業で、食べていくのがやっとの暮らしをしていました。

そこに6年生に進級しようという息子の「私立中学に行きたい」があったもんですから、まさに晴天の霹靂で、
「お母さんは入学金を何とかしてあげるから、あなたは勉強を自分で何とかしなさい」と、本屋に連れて行って、受験したいという学校の赤本……選ばせると灘中の赤本だったのですが……を購入して、後は本人任せにするしかなかったのです。
それで、私は郵便局のパートで、晩の10時をまわって帰宅する生活がはじまり、
息子はというと、それまで学習習慣がないもんですから、
やったりやらなかったりではあるものの、灘中の赤本と格闘していました。

それまで私立の勉強をしたことがない子にいきなり灘中の赤本は無茶なようですが、
当時はあまりに中学入試の知識がなかったので、
「まずどういう受験問題が出ているか研究して、
それから必要な参考書なり問題集なりを探しに行こう」という順序で
入試と関わるしか、
何から手をつけたらよいのか想像もできなかったのです。

それと私にとって一番興味があったのは、受験に合格するかどうかではなく、
初めて自分からこういうことがしてみたい!と言い出した息子が、

途中で投げ出さずに、どこまでがんばれるのかな? ということと、

どんな順序で、どんな風に勉強していくのかな? ということだったんです。

自分なりに方法を模索するのか、何か私に頼んでくるのか、息子の出方を見る前に、私が先まわりしてレールを敷くのはおかしな気もしたので、
少し様子を見ることにしたのです。

話の途中ですが次回に続きます。


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教科別学習と、レッスン記事を整理しています。

2010-06-23 19:55:27 | はじめに
教科別学習と、レッスン記事の整理をしていってます。

左のカテゴリーの上から2番目の
まとめ1 (教科別学習 )
まとめ2 (レッスン記事)
です。
よかったら、こちらも楽しんでくださいね。

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番外 <15年以上前の記録 将棋の時間> 3

2010-06-23 12:50:30 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
将棋のネタはまだまだ続くのですが、幼児教育ブログですから、これくらいでおしまいにしますね……。

    <二歩>

4階にある将棋クラブのあるビルの階段を昇る途中で、ちょうど二階と三階の中段あたりで、私はパチパチという音を耳にしました。
まず駒を打つ音だろう、ということくらいはわかるのですが、
その音たるやクラブ中の人が一斉に
「せいの~はいパチ、せいの~」と拍子を合わせて
駒を指しているほど大きいのです。

四十か五十くらいのひとりの男性がその音の主であることが
将棋クラブに着いて判明しました。
その男性は、一手指すごとに、親の仇とばかりに盤をバンバン駒で叩くので、
まるで将棋をしているのではなく、紙相撲でもしているように見えました。

「ひゃ-、こりゃまいった」「こりゃ助からん」と連呼している
その男性の肩越しに盤を盗み見ると、
まさにその人の穴熊城は崩壊寸前でした。
おそらく、その「ひゃー」は断末魔の叫びなのでしょう。

しばらくして、試合を終えたそのにぎやかな男性が、
「どれ、一局どうです?」と
私を誘ってくれました。
「二枚落ちでね、まぁ、教えるという按配でやったって」
とはたから席主が声をかけました。
「ひぇ-、駒落ちかい。まあ、いきましょう」

当時、二枚落ちの定跡を知らなかった私は、スズメ差しの構えで打ち始めました。

私  (トン)
男性 (パンパンパンパン)
私  (トン)
男性 (パンパンパンパン)

試合が進み、私の耳がようやくこのパンパンパンパンに慣れたころ、
その男性に新たな癖が加わりました。
「わぁ、ここに打たれちまったら、しまいだ」
「おれがここに指す、あんたがそこに指す、こりゃ駄目だ」
と盤を人差し指でコツコツやりながら、先行きを読むのです。
本当言うと、中盤あたりから、私はさっぱりどこに指したら
良いのかわからなくなっていたのです。
けれど、その人が、ここほれわんわんとばかりに、
指で叩く場所に駒を置くうちに、
私の有利はどんどん拡大していきました。

席主の「教えるように……」という命を受けて、
私に行く先を指導してくれているのだったら、そんなに悔しがらなくともいいものを、
その男性ときたら、「くそぉ」「こりゃまいった」と
やたら吐く息が荒いのです。

飛車の頭に打たれた歩を取るべきかどうか悩んでいたときです。
私はある驚くべき発見をしました。

なんとその歩の筋をたどっていくと、もうひとつ同じ方を向いた歩があるのです。
私は頼りない笑みを浮かべながら、その奇怪なふたつの歩を指差しました。

狐につままれたような面持ちで私の手元を見つめていた男性は
「に、に、二歩だ~!!」と叫んだかと思うと、
椅子から転げ落ちんばかりに笑い出だしました。
そして、周囲の人が何ごとかと眉をひそめて振り返るなかで、ぐちゃぐちゃと駒をかきまぜてしまいました。
まるで子どもが、積み上げた積み木を嬉々として崩してしまうように……です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



(二歩(にふ)は、成っていない歩兵を2枚同じ縦の列(筋)に配置することはできないという、将棋の禁じ手です。 )
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番外 <15年以上前の記録 将棋の時間> 2

2010-06-23 11:40:42 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
前回の続きです。

   <先生>

ある土曜日(子どもをダンナに預けて息抜き中)
梅田の将棋クラブの○席主から
「ちょっと、待っときいや。ええ先生が見えはるからな」と言われた私は、
傍らの椅子に腰掛けて、のんびりと先生のお見えを待ちました。
この席主の言う「先生」とは、奨励会の指導対局……○○○円っとかいう例の先生のことではなく、私のような初心者の下のクラスの者とでも、
一局指してあげようという奇特な人のことです。

「暇なんか? 教えたろか?」
その日、声をかけてくれたのは、お好み屋あたりで、
焼きそば食べながら昼間から一杯やってそうな下町風の人で、
「バカ、ドアホ、どこ指しとるんや」と叱咤しながら教えてくれました。

その先生はトイレに立つ際、持っていた扇子で将棋盤を指して、
「次の一手は宿題やぞ。俺が戻ってくるまでに、考えときなさい」
と言い残していきました。

宿題というのは、今にも破られそうな8筋をかにして受けるか、という問題で、
私はこの答えを子ども向け将棋の入門書で知っていました。
それで私は、手を拭き拭きかえってきた先生に、得意満面で
飛車の頭を歩で叩いて見せました。
そうしておいて、手持ちの角で飛車とト金の両取りをかけようという了見なのです。
「あれっ」という顔をした先生は、いきなり隣で静かに
将棋を指している人に向かって、
「くそっ、お前教えたな」といちゃもんをつけました。

また別の日、市役所の窓口にでも座っていそうな生真面目な男性に教えてもらいました。その先生は、二枚落ちの勝負の間中、一言もしゃべらず、
額にしわを寄せて難しい顔をしていたので、
私はてっきり(あんまり私の棋力がひどいんで怒ってるのだ)と解釈して
びくびくしていました。
ところが、対局がすんだとたん、その先生はにっこり笑って、
「趣味は何ですか?」とたずねました。
「絵を描くことですね」と答えると、先生は神妙な口調で
「では、お茶やお花は?」と問い返しました。その「お茶やお花」という言葉を聞いたとたん、なんだかお見合いでもしているような錯覚を起した私は、
突如姿勢を正し、真面目くさった声で、「はい、絵です」と答えました。
それから自分で自分がおかしくて苦笑してしまいましたがね……。

こうやって、一日生徒体験を積んでいると、即席先生 対 即席生徒 の会話が面白くて、将棋の劇の台本でも書けそうな気分になります。
そこで、実際あった私とある先生との授業府警を寸劇風に書いてみようかと思います。

  場面 将棋クラブ
     卓上にお茶
     将棋盤をはさんで向かい合った男女。
     パチリ……パチリ……(将棋を指す音)

男  駄目だ、駄目だ。
女  何でしょう?
男  玉の囲いは、矢倉に組まなきゃ駄目だ。
女  相手が振り飛車でもですか?
   私、ようやく舟囲いを覚えたんですけど。
男  相手が四間に振ろうと、三間やろうだろうと、舟囲いなんちゃ駄目だ。
   囲いは、矢倉がいっちゃん固いんだ。


  場面  卓上のお茶はなくなっている。
      先ほどの男女が二局目のために駒を並べたところである。
      パチリ……

男  駄目だ、駄目だ。
女  まだ、一手しか指していませんが。
男  上手相手に角道開けてどうすんだ。
   (男、ふんぞりかえり)
   飛車の前を突きなさい。 


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番外 <15年以上前の記録 将棋の時間> 1

2010-06-23 10:19:58 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)
そろそろ夏休みの日程を決めさせていただきます。コメント欄への書き込みは
今日中によろしくお願いします。

続き物の記事がたまっていますが、話が堅苦しくなってきたので、
我が家の過去の記録から、笑い話を拾ってみますね。
これは、まだうちの子たちが幼かった頃……
私が将棋の凝って、家族を辟易させた頃の話です。


   <将棋の時間>

うちの近所に「あなたのところは、いつもダンナさんが傍にいていいわねぇ」
と、うちが自宅兼自営業なのを、
ひたすらうらやましがる人がいます。

その人ときたら、高校生になる息子さんがいるのだから、
当然、結婚フタ桁目だと思われるのに、
「私も毎日主人に家にいて欲しいわぁ」と
まるで新婚さんのような言葉を繰り返すのです。

その人がしょっちゅう「うちの主人は面白い人だ」と自慢するので、
私はその詳細な根拠をたずねました。
するとその理由というのは、そこのご主人が頻繁に「トイレにいっトイレ」
といった駄洒落を飛ばすから……という
何ともマニアックな内容でした。

うわぁ……さむいギャグだ……
うちのダンナにそんな氷点下レベルの駄洒落を連発された日には、
暖房費がかかってしょうがないわ……

と思ったのですが、これからの近所付き合いの手前、黙っていました。

将棋を覚えたての頃(といってほんの数ヶ月前ですが)私自身、ダンナが
一日家にいるのを、とてもありがたく感じました。
うちのダンナというのは、子ども時代、少し将棋をかじった程度、
まぁ、ようやく矢倉囲いが組めるかな、
といった棋力の持ち主なのですが……
駒の動かし方を覚えたばかりの私にとっては、二枚落ちでも到底かなわぬ
上手でした。

それで、ダンナは、私が1手指すたびに
「そんな見え透いた手を打って」だとか、
「これは10枚駒を落としてちょうどだ」などと、からかってばかりいたわけです。
ところが、そうして半月も経つ頃には、
お互いの棋力が並んで、ヘボはヘボ同士、手に汗握る白熱した試合を
するようになりました。

一局にかかる時間も、1時間、1時間半……と伸びていき、夕食後、ふたりで
将棋に熱中するうちに、子どもたちは、パジャマにも着替えずに
寝てしまったという日も……ままありました。

その頃、将棋に定跡というものがあることを知り、初心者向けの定跡書を買ってきたのは私でした。私がひそかにそれを研究していると、
初めは、
「定跡なんて、相手はその通りに打ってくれないんだから、無駄だ」
なんて言ってたダンナも、定跡書の棋譜を盤に並べて
研究するようになりました。

それからしばらく、わが家では、

<うろおぼえ中飛車  対  いいかげん向かい飛車>

<おぼえたて四間飛車  対  間違いだらけ穴熊>

といった試合が続きました。
私は昔から活字中毒で、本ならば何冊読んでも苦としないので、
ダンナに勝とうと、次から次へと将棋の本を読み漁りました。

といって、本を読むだけでは、実際の棋力は伸びないものです。
……が、私の傍らに積みあがっていく将棋の本を見て恐れをなしたのか、
私の将棋熱中病のために散らかった部屋を見て、
百年の恋も冷めたのか(将棋への? 私への?)
ダンナは、唐突に、断筆宣言ならぬ断駒宣言をしました。

「二度と、将棋はしないぞ」 

こうして、ダンナに将棋の相手をしてもらえなくなった私は、将棋クラブに通うようになりました……


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『地頭力』が育つ幼児期 (シアトルからのお客様)

2010-06-23 06:21:08 | 通常レッスン

前回の続きは次回に書きますね♪

昨日は、シアトルからからもうすぐ4歳になる★くんが遊びに来てくれました。
去年の夏のレッスン以来、1年ぶりの再会です。
元気いっぱいのやんちゃくんで、去年は自分の我を通そうとがんばる姿が目立ちましたが、今年はその強い気質が
集中力や我慢強くがんばりぬく根気に変化してきていました。
「この一年、虹色教室で紹介してくださっている工作や実験に励んだところ、
以前は物を見たら、買おうよ、買おうよと騒いでいたのに、
このごろは、何でも工夫して自分で作るようになってきました。」
とうれしい報告をいただきました。

ゴミはちゃんとゴミ箱に捨てなくてはならないことを教えようと、
「あんなところにペットボトルが落ちているね。どう思う?」とたずねると、目を輝かせながら、
「あれがあれば面白いものが作れるね。~や~が作れるよ」
という返事が返ってきて、思わず吹き出してしまったそうです。

一般化するほどたくさんの事例にあたったわけではないのですが、
海外から教室に来てくれる子たちと会うと、
身体の引き締まり方や目の力、自分がしっかりある感じに、、
「子どもってこういう存在だったのか……」という驚きます。
今の日本で暮らしていると、身体感覚や「自分」という感覚がスポッと抜けたように成長しがちですよね。
スポーツをさせて、体を鍛えている子も、
大人に「見て!見て!自分のことを評価して」とアピールすることに忙しく、心の面では自分がないように見える場合がよくあります。
海外にはその国なりの子どもを「ダメ」にしてしまう要因も多いそうですが……。

★くんといっしょに「ピタゴラスイッチ」を作って遊びました。
「このエレベーターの先をあっちのコロコロ落ちるのがついてるところにつないで、それを、やどかりさんのお家のところにつないだら?」
「これはね、こういうお話なの。
ここから、誰か出てきたら、あっ、上から何か落ちてくる!危ない!そうだっ、ここに逃げよって、この下に行って、それが、こっちにつながっていて、こことここが引っ付いているの」と、遊び方がダイナミック。

部分に集中して製作しているときも、
常により大きな視点からも自分の作業を眺めて、いくつもの物を複合的につなげていこうとする姿や、ストーリーをこしらえて展開しようとする姿が見られました。

しっかり『地頭力』が育っているな~!と、感心

『地頭力』という言葉は、幼児を育てている方の間で、けっこう話題になっているものの、正確に定義するとどういうものか言い表しにくいものですよね。

『地頭力を鍛える』問題解決に活かす「フェルミ推定」
 細谷 功  東洋経済新報社

が、地頭力というのは本当のところ、どのような能力なのか、どのようにすれば鍛えられるのか納得できる良書でした。

著書によると、
地頭力の本質は、「結論から」「全体から」「単純に」考える三つの思考力。

地頭力を鍛えるための強力なツールとなるのが「フェルミ推定」という小難しげな名前がついているものですが、
物理学者フェルミが得意だったことから命名された
「つかみどころのない物理量」を短時間で概算することです。
「フェルミ推定」は、問題解決の縮図で、地頭力を試したり鍛えたりするツールとして有用とされていますが、
自由工作や自由なブロック製作の場では、
簡単な形とはいえ、自然に使いこなせるようになっていく力でもあります。

地頭力って、
要は、
どれも幼児期にこそ育つもので、
幼児の幼児らしさを奪わないことこそ、子どもに地頭力のベースをつけてあげられるのだな~と感じました。

フェルミ推定に一番求められるのは、問題解決に対しての好奇心なのだそうです。

幼児はもともと自分のぶつかった問題を失敗を通して解決しようとする
強い好奇心を持っていますが、
大人が失敗させず、手助けばかりし、子どもの自由を少なくすると、そうした性質はなくなっていきます。
教室の子たちを見ていると、年長さんくらいになると、自分の全頭脳と全経験を総動員して、問題解決に、好奇心いっぱいで自分を投入しようとする姿がありますが、
育ちの中で、そうした力をほどんど失ってしまっている子も多いのが気がかりです。

「結論から」「全体から」「単純に」考える地頭力の本質といえるものは、
子どもが生得的に持っている物の捉え方や考え方、物への取り組み方そのものといっていいものです。
幼児が、外でたっぷり遊んだり、
友だちと群れて遊んだり、悩んだり、我慢したり、喜んだり、創作したりする
うちに、自然に身についてくるものです。

日本の場合、時間も空間もやたら区切って、
子どもが大きな視点から世界を眺めることが難しいのです。
すると、「結論から」「全体から」見ることが難しくなります。
また子どもの成長を急がせることで、「単純に」考えることができなくなってしまいます。
ただ何より子どもの地頭力を育む元凶となるのが、
大人の狭いステレオタイプな物の見え方や見方を
ちょっとでも早く賢い子に仕上げようとして、教え込んでしまう、刷り込んでしまう、干渉しすぎてしまうことに
あるように思います。
幼児には大切なことを手短にしっかり教え、それ以外は
自由にたくさん遊ばせ、たくさん失敗させるのが一番です。

次回に続きます。


「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 5

2010-06-22 12:21:52 | 教育論 読者の方からのQ&A
★「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 1
★「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 2
★「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 3
★「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 4

の記事に次のようなコメントをいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今回の記事は、ずっと感じていたことがあまりに明確に書かれていたので、思わずコメントさせていただきました。

ずっと静かにベビーカーにすわりっぱなしの赤ちゃんがとても多いのには本当に驚きます。本来、赤ちゃんは常に親とのコミュニケーションを求め、また、少し大きくなると、周りの興味対象について親と共感したがるものですよね。でも、小さい頃からほっておくことで、長時間、ひとりでぼーっとしておく技を身につけていってしまうように感じます。これも一種の花火自己防衛本能ですよね。
赤ちゃんの頃にこうやってじっとしている子の親は決まって「うちの子は手がかからないのよ~」といいますが、2歳くらいになると決まって手がつけられないほど暴れ回るようになり、外食なんてままならなくなっています。コミュニケーション不足で、親のいうことを理解することができなくなってしまっているようです。

悪いのは子供ではないですよね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ベビーカーに座りっぱなしの赤ちゃんというのは、最近ではあまりに当たり前になってしまって、
公園やショッピングセンターで他の親の子育てを目にすることで、
自分の子どもへの接し方を修正するということが
できなくなってきたように感じています。

今朝、テレビで、携帯電話やパソコンのメールなどの影響か
対面してする会話が苦手にな若者についての特集をしていました。

お互いに顔を見てする会話が苦手で、
親しい者同士でも携帯のメールがあるので、
わざわざ会って話をする必要を感じない……

そうした若い方々が増えていて、職場で上司や取引先の人と話をしなくてはならない場面で、困っているようなのです。

顔を見てする会話が苦手。その必要も感じない……も、
会社で大人を相手にする場合、トラブルにぶつかって悩んで自分を変えようと思うか、
うまくいかなくても相手も大人なので、人間関係が壊れる程度ですむことですが、

相手が幼いわが子だった場合、表立ったトラブルはないものの、害は深刻ではないでしょうか。

以前、ショッピングセンターの前にある公園で
こんな光景を目にしました。
若いママさん(子どもが「ママ」と呼びかけていたので、ここではママさんとします)が、携帯電話でメールを打ちながら、
そばにいる2歳くらいの男の子に買ったばかりらしい戦隊物の人形を箱のままで渡していました。
男の子は、ぼんやり突っ立ったまま、うれしそうな様子もなく
その人形を見ていました。
その子のママさんは、かなりの時間、携帯の画面に釘付けだったのですが、
子どもの方は、ぐずるでもなく、暴れるでもなく、甘えるでもなく、
おもちゃを箱から取り出そうとする気配もなく、
立ち続けていました。
そうしてママさんの視界から締め出されることに、慣れっこになっている様子です。
すると、その子より年下らしい
まだ歩き方がヨチヨチとぎこちない男の子が、そのおもちゃに惹かれて
近づいてきました。
手こそ出しませんが、興味しんしんの様子でおもちゃを覗き込もうとします。
おもちゃを手にしている男の子は無言のまま少し後ずさりしました。

すると、若いママさんが不意に携帯から顔を上げ、
無言のままで、ヨチヨチ歩きの男の子をあっちに行けと言いたげににらみつけました。

そのヨチヨチ歩きの男の子のお母さんも、別のベンチで携帯メールを
打っていたらしく、今、気づいたという様子で子どもを連れにきてました。
子どもを背後から抱き取って連れ去る際、何か言うのかな……トラブルにならないかなと気にかけていたのですが、
周囲の状況にはまったく無関心で、無言でした。

この光景にちょっと驚きはしたものの、めずらしさは感じませんでした。
本当によく見かける風景なのです。

若いお母さん同士で、携帯で子どもの写真を撮るときと、
子どものファッションについて話題にしているときだけ、
子どものことを見て、後は一瞥もくれないし、
子どもの方もお母さんの顔を見ることに関心がなく
おとなしすぎるか、動きすぎるかのどちらか……という光景は、
そうでない方が目を引くほどに、街中では当たり前の親と乳幼児の姿なのです。

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2歳前後の子で、お母さんに「はいどうぞ~」と物を渡すときに、
お母さんの顔を見ようとしない子がいます。
またお母さんに何かしてもらったり、取ってもらうときも、
物だけを見て、お母さんの方を見ようとしない子がいます。

ボール投げなどをしていると、
まったく相手を見ずに投げているわけではなく
にこにこと笑顔もこぼれているのに、その視線にこちらの表情を読もうとする
意志が感じられず、こちら顔より少しずれたところを見てボールを投げ返しています。

こうした気がかりな姿は
やりとり中の親子ではわかりずらい場合がありますから、
やりとりの様子を第3者に観察していただいて、
目と目の間で交わされる自然なコミュニケーションが取れているか見てもらってください。

このように相手の顔を見ずにコミュニケーションする幼児は
発達障がいを持っている場合がよくありますが、
身近で接している親が、いないないば~や、目と目を見詰め合ってあやすのをあまりしないでいた、赤ちゃん時期に入院していた、ビデオの視聴が長かった、フラッシュカードなどを長時間していた、物と物だけでやりとりすることにお母さんが慣れているなどの原因で、
障がいを持っていない子でも
そうした行動が習慣となっている場合があるように感じます。

発達障がいがない子がそうした習慣を続けていると、
成長すると、自閉症スペクトラムの子ととてもよく似た行動を取るのを見かけます。

2~3歳の子がたくさん集まる場にボランティアに行くと大変たくさんの子が
そうした特徴を持っています。

本来、このくらいの年の子は、小さな穴を向こうとこちらでいっしょに覗き込んで
目と目が合って笑いあう
というシチュエーションが大好きです。
一度、目と目が合って笑うと、しつこく何度でもやりたがります。
こうした遊びを何度もしたがることが、
おもちゃで集中して一人遊びができるよりも大切と感じています。

自分のまなざしを受けている相手のまなざしを感じ取る。
自分の働きかけに対する相手からのフィードバックが楽しい……
そうした遊びがふざけっこに発展し、自分のふざけを相手がどんな風に受け止めているかな?と相手の表情を見ながら、さらに笑います。

少し気がかりな2~3歳の子は、
こうして覗き合って目と目が合っても、にこにこするだけで
あっさりしています。空中に向かってニコニコしている場合もよくあります。

こうした目の合いにくさを持っている子は、できれば生後3ヶ月くらいで気づいて
あやしかけることを増やすのが一番良いです。
が、2~3歳で気づいた場合も
笑いや表情を引き出す遊びを増やし、
物だけ見てやりとりするのをやめてアイコンタクトをしっかり取るようにしていると、数ヶ月でいきいきとコミュニケーションが取れるようになってきます。
(そうした働きかけの他に発達障がいがないかどうか、成長を注意深く見守ることも大事です)





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本当に悪い子なの?

2010-06-21 22:12:25 | 記事のまとめ(リンク)
(過去記事整理中です)

★本当に悪い子なの? 1

★本当に悪い子なの? 2

★心の中は 誰にもわからない

★何を教える? 何を伝える?

★お塩の足りないスープ鍋

イラストは、『春の山』です。

著者や訳者の方からコメントをいただいた嬉しい記事

2010-06-21 21:24:29 | 記事のまとめ(リンク)
(過去記事整理中です)
3年もブログを続けていると、
その間には
大好きな本の著者や訳者の方々からコメントをいただくという
感激する出来事もありました。
うれしいです!
こうした出来事は、毎日、地味に書き続けている自分へのごほうびですね♪

★パソコンの生みの親 アラン・ケイの子ども時代

★雨さんへのお返事。『ユングとタロット 元型の旅』について

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