小学校の2、3年生の頃の話です。
クラスの一人の男の子が
今思うと発達障害を持っていたようでした。
落ち着きのない行動や
友達への乱暴で
(怪我をさせるほど ひどいものではありませんでした。)
目立っていました。
クラスの子の親や
先生からの苦情を受けて
その子のお母さんが
ある時から 教室の後ろで
毎日 参観するように なりました。
時々 振り向くと
その子のお母さんが
困惑しきった悲しそうな様子で
立っていました。
といっても 私もクラスの他の子も
ちょくちょくその子と遊んでいましたし
本当は それほど乱暴だとも
嫌な子だとも 感じてなかったのだと思います。
けれども 何となく 一人の子を
特別な子で悪い子なんだ…
と 信じる奇妙な空気が
どんどん広がって
みながそれぞれ 根拠もないのに
その子にいじめられた
と訴えるようになっていきました。
悲しい顔のお母さんを さらに悲しませたいような
残酷な気持ちが感染していました。
ある日 先生がクラスのみんなに
机に伏せるように言いました。
そして
「○○君にいじめられた事のある人は
前に出てきて
黒板にされたことを
書きなさい。」と言いました。
いすをガタガタひく音や
黒板に向かって歩いていく足音が
次々としました。
私も何ひとつ浮かばないのに
自分も前に出て行って書かなければ
仲間はずれになるような
妙なあせりを感じました。
顔をあげていい と言われた時
黒板は びっしりと文字で埋まっていました。
それから少しして その子は引っ越してしまいました。
6年生になった時
クラスの知的障害のある女の子のことで
再びクラスの子の親から
学校に苦情が届くようになりました。
その子は
時々 教室を飛び出していくことがあり
先生が追いかけていく間
授業が中断してしまうのです。
その時の担任は小塩先生とおっしゃいました。
小塩先生は 参観日で親たちが集まった日に
黒板に2つの鍋の絵を描かれました。
そして
1つの鍋を指差されて
「これは 味付けがちょうど良くできているスープ。」
とおっしゃいました。
そして もうひとつの鍋を指されて
「これは 味付けが足りないスープ。
みなさんは どちらの鍋にお塩を足しますか?」
親たちがざわざわ
しゃべりあう声が聞こえました。
先生は「私は よい味のスープは見守ります。
お塩の足りない方には 塩を足します。」
と毅然としておっしゃり
障害を持つ子に心を配ることは
クラス全体にとっても大切なことだ というようなことを
私たちにもわかる言葉で説明してくださいました。
それからも苦情はあって
大変だったでしょうが
それからも先生は
優しくて強い 私たちにとっても
その子にとってもいい先生でした。
算数や国語の授業時間が数分減ったかわりに
かけがえのない大切なことを教えていただきました。
この2つの思い出は
いつも私の心から消え去ることはありません。
自分も含め大人たちが みな 表面的な損得に惑わされず
子どもにとって本当に いいものを与えていけるように
願います。
イラストは「数えきれない太陽」から。「私が私にかえる日」
クラスの一人の男の子が
今思うと発達障害を持っていたようでした。
落ち着きのない行動や
友達への乱暴で
(怪我をさせるほど ひどいものではありませんでした。)
目立っていました。
クラスの子の親や
先生からの苦情を受けて
その子のお母さんが
ある時から 教室の後ろで
毎日 参観するように なりました。
時々 振り向くと
その子のお母さんが
困惑しきった悲しそうな様子で
立っていました。
といっても 私もクラスの他の子も
ちょくちょくその子と遊んでいましたし
本当は それほど乱暴だとも
嫌な子だとも 感じてなかったのだと思います。
けれども 何となく 一人の子を
特別な子で悪い子なんだ…
と 信じる奇妙な空気が
どんどん広がって
みながそれぞれ 根拠もないのに
その子にいじめられた
と訴えるようになっていきました。
悲しい顔のお母さんを さらに悲しませたいような
残酷な気持ちが感染していました。
ある日 先生がクラスのみんなに
机に伏せるように言いました。
そして
「○○君にいじめられた事のある人は
前に出てきて
黒板にされたことを
書きなさい。」と言いました。
いすをガタガタひく音や
黒板に向かって歩いていく足音が
次々としました。
私も何ひとつ浮かばないのに
自分も前に出て行って書かなければ
仲間はずれになるような
妙なあせりを感じました。
顔をあげていい と言われた時
黒板は びっしりと文字で埋まっていました。
それから少しして その子は引っ越してしまいました。
6年生になった時
クラスの知的障害のある女の子のことで
再びクラスの子の親から
学校に苦情が届くようになりました。
その子は
時々 教室を飛び出していくことがあり
先生が追いかけていく間
授業が中断してしまうのです。
その時の担任は小塩先生とおっしゃいました。
小塩先生は 参観日で親たちが集まった日に
黒板に2つの鍋の絵を描かれました。
そして
1つの鍋を指差されて
「これは 味付けがちょうど良くできているスープ。」
とおっしゃいました。
そして もうひとつの鍋を指されて
「これは 味付けが足りないスープ。
みなさんは どちらの鍋にお塩を足しますか?」
親たちがざわざわ
しゃべりあう声が聞こえました。
先生は「私は よい味のスープは見守ります。
お塩の足りない方には 塩を足します。」
と毅然としておっしゃり
障害を持つ子に心を配ることは
クラス全体にとっても大切なことだ というようなことを
私たちにもわかる言葉で説明してくださいました。
それからも苦情はあって
大変だったでしょうが
それからも先生は
優しくて強い 私たちにとっても
その子にとってもいい先生でした。
算数や国語の授業時間が数分減ったかわりに
かけがえのない大切なことを教えていただきました。
この2つの思い出は
いつも私の心から消え去ることはありません。
自分も含め大人たちが みな 表面的な損得に惑わされず
子どもにとって本当に いいものを与えていけるように
願います。
イラストは「数えきれない太陽」から。「私が私にかえる日」
毎日楽しみに読ませていただいています。
勉強になる事ばかりで、何度も何度も読ませていただいています。
特にLDの記事は、穴があくほど読みました。
いつも発達障害の子供を育てる親に、勇気と希望をもらっています。
長男は、特に漢字がなかなか覚えられなかったり、また覚えても時間と共に忘れてしまいます。
計算もミスが多く、応用問題などははじめから手をつけません。
なにかいい学習方法があれば、教えて下さい。
長男の様子を、詳しくブログにアップしてみました。
なおみ先生の塾が近くにあればなあって思いながら読ませていただいています。
また、右脳はやり方が大切だとのことでしたが、訓練次第で発達するものなのでしょうか?
とてもいいお話を読ませていただき感動しました。
こんなすばらしい先生がうちの子の担任にもなってくだされば…涙 うちの子もなおみさんの塾に通わせたい(うちは四国ですが)。。。
9月からモンテッソーリに通おうかと思っています。
これから順に書いていきますね。
先ほどはコメントありがとうございました。
ステキなお話ですね。
どこへコメントをさせていただこうかと迷いましたが、こちらにしました。
先生との出会いは、それがすばらしいものでも、少し悲しいものでも、必ず子どもの心に、私たちの心に残っていきますね。
今、どうしておられるのかな。
その子どもたち。
チェハ好きのなでし子です(笑)
良いお話と、切ないお話・・・。
小塩先生、とても素敵な先生ですね
そして、発達障害と思われる男の子とそのお母さんの気持ちを思うと、とても切ないです。。。
その後どうされたんでしょうね。
今も昔も、うるさい親は同じなんですね
最後に、こちらのブログとリンクさせて頂いても宜しいでしょうか