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虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

働いているお母さんと子どもの小さなボタンのかけちがいについて ①

2012-11-21 08:57:44 | 日々思うこと 雑感

保育所などに子どもを預けて

働きながら子育てをしているお母さんとお子さんの関係に

小さなボタンのかけちがいが起こって

何だかややこしいものになっているのを見かけることがよくあります。

 

 小さなボタンのかけちがいってどういうものでしょう?

 

よく相談をお受けしたり、関係がこじれていくのを目にするのは

次のようなケースです。

 

働いているお母さんからすると、

家での子どもの態度やできることにやや不満があるというか……。

 

 

つまり他の子らより幼く感じたり、意欲が乏しいように見えたり、呼んでも知らんふりだったり、

テレビやゲームの固執したりする様子が気になることがあるようです。

でも、働いているため、十分構ってあげられない罪悪感があったり、

用事がたくさんあるので現実的に子どもと衝突する暇もエネルギーもなかったりするため、

その「もやもや」を保留にしたまま日々の忙しさに追われがちです。

 

そうするうちにお互い相手の心がよくわからなくなって

親子関係が表面的で何だか寂しいものになっていくことがあるようなのです。

 

働きながら子育てするのは本当に大変です。

 

少し立ち止まって親子関係を豊かなものにする工夫を凝らしたり

お互いの気持ちのずれを修正したりする時間も

なかなか取れないかもしれません。

 

そこで生活はそのままで

ちょっと視点を変えたり、子どもへの対応を変えるだけで、

親子関係が実りあるものになっていくコツを紹介しますね。

 

先ほど次のようなことを書きました。

<働いているお母さんからすると、

家での子どもの態度やできることにやや不満があるというか……

つまり他の子らより幼く感じたり、意欲が乏しいように見えたり、呼んでも知らんふりだったり、

テレビやゲームの固執したりする様子が気になることがあるようです。>

 

 

もちろん働いていないお母さんだって、子どもの態度やできることに不満はあるし、

子どもの発達やすることが気になるはずです。

それはそうなのですが、仕事を持っていないお母さんのそれと、仕事を持っているお母さんの

それはちょっと性質がちがうな、というのがわたしの印象です。

また子どもの態度や姿そのものも、仕事を持っていない方のそれと、仕事を持っていない方のそれは

ちょっと質が異なるのです。

 

仕事を持っているお母さんは常に社会と接触していて、

たいてい、時間内に義務を果たしたり、時間内に何らかの成果を残すような

「お仕事モード」に心のチャンネルを合わせて過ごしています。

 

「お仕事モード」のチャンネルは、ものの見方や、感じ方や、価値観や、考えの展開の仕方も

お仕事向きに調整されているはずです。

「お仕事モード」にチャンネルをあわせられることは、責任感を持って社会と関わっていくために

必須の能力です。

 

でも仕事中はもちろん、仕事が終わってたとしても、

「オフモード」に切り替えられないと

あれこれ微細な問題が生じてくるようです。

といっても家に帰っても家事や子どもの世話に追われる主婦は

そうやすやすと「オフモード」に切り替えることができませんよね。

 

そこで、自分が、ものの見方や、感じ方や、価値観や、考えの展開の仕方などの何が

「お仕事モード」のままになっているのか意識しておくことが大事だなと感じています。

切り替わってないものは切り替わってないな、と知っておくということです。

 

そうでないと「お仕事モード」の価値観と正反対の世界で生きている「子ども」に

チャンネルを合わせにくくなってくるからです。

 

 

保育所などの集団生活の場で長い時間を過ごしている子は、

帰宅する頃には、すっかりエネルギーを消耗していて、

テレビでも見ながらダラダラゴロゴロしていたいと思うことが多いようです。

人とずっといっしょにいれば、そりゃ身体も心も疲れるはずです。

おまけに幼い子には、お母さんが近くにいない寂しさに耐える

苦行も加わります。

 

ですからお家に帰ったら、長距離走を走りぬいたランナーみたいに、

ひたすら消耗したエネルギーを充電して

翌日に備えたいと感じているのかもしれません。

 

でもお母さんと離れている時間が長い子がようやくお母さんに会える短い時間は、

お母さんの側からすると、わが子の姿を目にできる貴重な時間でもあります。

 

その短さゆえに、

「成長をこの目で確かめたい」

「個性や才能を実感できるようなアウトプットを見たい」

という期待は、濃度が濃いものになりがちです。

 

もちろん、そうした期待を投げかけるのも忘れるほど忙しい場合もあるのですが、

それはそれで、

「(親も)忙しいし疲れているから、自分でテキパキ動いてほしい」

「手をわずらわせずに自立してほしい」

という別の形の期待が高まるようです。

 

おまけに仕事の世界では、時間内に目に見える結果を出すことに価値が置かれていますから、

その価値観に染まれば染まるほど、

リラックスしてダラダラしたり、感情を表現したり、無意味な遊びに興じたりすることなんかからは

何の価値も見出せなくなりがちなのです。

本当は、疲れたときに身体を休めることはとても意味があることですよね。

 

他所の子が「こんなことができるようになった」「あんなこともできるようになった」

という話を聞くと、ちょっとあせりもします。

そうしてちょっと不安になって、「わが子に何かさせたい」「がんばってほしい」と思って

接する短い時間に、

子どもはというと、「疲れたから休みたい。もう何もしたくない」

「いやなことをたくさん我慢してイライラが溜まっているから発散したい。ただただ泣き叫びたい」

という心境であるのは自然なのです。

なぜながら子どもにすると、お母さんと過ごす貴重な時間は、

「もう少しもう少し」と我慢を重ねた後にようやく手にした

息継ぎの時間なのですから。

 


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