虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

遊びが育むやる気 と 問題を乗り越える力

2016-05-10 18:22:13 | 子どもの成長
この記事を探しているという方がいらっしゃったのでアップします。
 
『お母さん、火って何から出来ているの?』という
6歳のタロウくん、2歳のハナちゃんの日々をつづったブログを
いつも楽しく見させていただいています。
このタロウくんとハナちゃんの思いつきや工作の仕方……言動もですが、
うちの子たちの小さいころにすごく似ていて、
読ませていただいているうちに思わずうちの子たちが小さいころに
タイムスリップしています。
失礼ですが、お母さんのふるまりさんのゆるい対応(ごめんなさい~)も、
私の子育ての手抜きワザとそっくりで……世の中、似たような方法で
子どもと付き合ってく方もいるもんだな~と
ちょっとびっくりしたりもしています。
そんなふるまりさんの
★タロウのプレゼン失敗と、本当の「問題解決能力」という記事に、
次のような思いがつづってありました。
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タロウには(ゆくゆくはハナにも)、自分のやりたいことをやるために、
 
どんな状況であっても諦めずに努力する力、をつけていってもらいたいと
 
思っています。
 
そのためには、少々の困難(この場合はダンナのダメ出し)にもくじけず
 
「では、どうすれば良いのか」を考える力をつけていくのが大事なのかなと。

でも、そうやって、「問題を乗り越えていく力」というのは
 
なかなかエネルギーがいるもので、そのためには、その原動力となる、
 
「~したい」という強い思いがなくてはダメです。
 
子供であれば、遊びがその原動力となると思いますが、その遊びを通じて、
 
「~するためにはどうすれば良いのか」という対応能力を、
 
つけて行ってもらいたいなーと。
 
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読ませていただいて、
 
そうそう~うちの子たちのやる気と自発性と
 
何があってもめげずに問題を乗り越える力や、くじけなさは、
 
小学生時代に毎日、毎日、遊んで遊んで遊びつくしたあげく
 
作られていったものだな~と思い当たりました。
 
どちらかというと、うちの子たちは、飽きっぽかったり、人間関係で、
 
打たれ弱かったりする所があったのですが、
 
子ども同士わいわい群れてする遊びは自然に子どもをたくましくして
 
くれるな~と思います。

前にも書いたことがあるのですが、

娘が5、6年生、息子が2、3年生のとき、近所の子どもたちと一緒に、

息子を社長にして、「そそそ会社」という架空の会社を立ち上げていました。

娘と娘の友だちは、いつも息子をからかったり、

キツイ言葉をかけたりしているのですが、社長に祭り上げているあたり……

遊びを生み出す発想力に関しては息子のことを一目置いてたんでしょうね。

「この子の思いつくアイデアに乗ってたら、はずれがなく面白いはず」と。

 

娘と娘の友だちは、いつも社長より一段上の会長職か何か……のような

立ち位置にいて、陰の支配者のようにも見えました。

 

この会社、子どもたちの思いつくままにどんどん事業を広げて、

(よく思いつくもの……と呆れるうちに……)

テレビゲーム製作部門、おもちゃ製作部門、販売部門、映画制作部門、

販売部門、プレイパークの運営……あげくの果てには、学校経営にまで

手を出していました。

それで、近所の低学年を勧誘して、面接試験をし、社員研修まで

おこなっていました。

この試験とか、社員研修といったアイデアや内容は、ほとんど娘の友だちが

考えていました。

「将来はシナリオライター?」と思うほど、おもしろおかしい文章や

アイデアがつらつら出てくる子なんです。

二階で好き勝手に遊んでいるのですが、時々、聞いていると、

この「そそそ会社」の面接試験も、経営している学校の入学試験も、

世間の価値観の逆さまなのです。

「トイレに行ったあとで手を洗いますか?」といった質問には

「いいえ」と答えないと減点されて、試験に落とされたりするのです。

本気で試験に挑んでいた子が、泣きながら試験に落ちた~と

私のところに訴えてきたこともありました。

時折、バーッと外に出て行っていなくなったな~と思うと、

バタバタ駆け戻ってきて、

また遊びが再開するという繰り返し……でした。

 

子どもって、親が選ぶ「良いこと」だけでは育たないな~と

子どもが大きくなるにつれて感じます。

子どもの気持ちを前向きでチャレンジャーにしてくれるのは、

失敗したってどうってことない、飽きたら次を考えれば済む~という

環境のゆるさだったりします。

「新しくこんなことしてみたい、自分の全力をこれに傾けてみたい」と

ひらめいたとき、一瞬の迷いも、大人への遠慮も、罪悪感もなく、

自分をその中にどっぷり投入できる……。

それが子供だけでする自由な遊びのよさですよね。

思い通りにいかないことが多いこと、頭をしっかり使わないと

すぐ退屈すること、きょうだいも、友だちも、自分から働きかけて、

一生懸命、説得するなり、ぶつかりあうなりしないと、親や大人たちのように、

簡単に折れてくれないこと……。

とにかくジレンマを感じる場面に何度もぶつかるし、

考えてもみなかった事態に遭遇することもよくあります。

でも、それが、「どうしてもこれがやりたい!」という気持ちに駆り立てて

くれるし、退屈ついでの言い争いが、多少のことにくじけず、あきらめず、

どうすればいいのか考え続ける挑戦し続ける姿勢を作ってくれるのです。

 

私は毎日の子どもの生活に、退屈や無駄やけんかや、

大人から見ると「無意味で非効率的」なことがたくさんあるといいな~

と感じています。また、親の私が正しいと思う考えとは対極にあるものも

チラホラあるのがいいな~とも。

実際、子どもたちがかなり大きくなってみると、

私が価値をおいていなかったものが、

子どもたちを鍛え成長させてくれていたことがよくわかります。

 

ふるまりさんの記事にもうひとつリンクさせていただいて↓

★「輪ゴムをひっかけてあそぼう」オモチャ

 

タロウくんが地団駄を踏んで、「これがしたいんだ~」

「これじゃなきゃダメなんだ~」と訴えて、その熱意におされて、

しぶしぶ工作準備に手を貸す様子が描かれています。

これを読んで、そうそう~、もし最初から、

「お母さんはいつでもあなたの工作に手を貸しますよ、

スタンバイしてますよ」だったり、

「子どもに工作をしてほしいのは、

本人よりお母さんかもしれない」って状況だったり、

「工作教室で、きちっと材料が整っていて、今工作の時間ですよ」

だったりしたら、それほど工作に熱が入るのか……。

工作以外のことまで、貪欲にやりたいがんばりたいという気持ちが

起こるのか、疑問だな……と感じました。こうしたところに、

子どもをやる気にさせる、主体的にさせる原動力が生まれる

瞬間が潜んでいて、それは大人が「がんばって」作ろうとすると

すごく難しいことだなと感じるのです。

まず、本気で交渉すれば相手が動くという経験なり信頼感が

ベースにあって、それでいて、まあまあ手ごわかったり、

思い通りいかなかったりして、軽いジレンマや、必死に、あの手この手で

ぶつかる時間があって……

つまり、時間に追われていないことが大事で、

その後、人と人との間で自分の思いが達成できたという満足感が

残るという経験。

そうした繰り返しのなかでこそ、

自分の知力や、技術力や、体力や、精神力の限界が把握できるし、

自分が何がやりたいのか、内面から湧き上がってくるものを

実感できるのですよね。

 

2歳くらいの子でも、

新しいおもちゃを渡しても見向きもしなかったりするのに、

お友だちが持っていると欲しくなる、取り合うとさらに欲しくなって、

ものすごくやってみたくなる、

いつもならすぐに飽きてポイなのに、渡したくないからおもちゃに

熱中するという瞬間がありますよね。

そうやって人と人との間でジレンマを抱きながら、

自分の気持ちがワーっと湧いてくるから、

いろんなことに夢中になれるようになるのですよね。

もちろん勉強だって、大人の期待に応える形ではなく、

また級とか賞とか、プレゼントとか関係ないところで

「自分自身の心が強く強く何かを欲した経験」がベースになって、

がんばれるようになるのだと感じます。

 

うちの子たちの小学生時代のことを思い返すと、何が良かったのかって、

大人の価値観に真っ向から反抗して、好きなように無駄をやりつくして、

ひとつも「大人のため」が入っていない世界で、自分のしたいことをした、

やりたいことのエネルギーがいくらでも湧いてきたという

経験なのでしょうね。

そこで、すっきりとゼロの自分になって、

自分の人生にどんな計画を思い描こう、この人生に自分の知力、技術、体力、

精神力の全てを投入して何をやってやろう!

って力が湧いてきたのでしょう。

そして、今度は、一歩、現実の世界にも足を踏み入れて、

その力を勉強なり、人との関係の構築なり、使い出すのだと思います。


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