虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

小学生のつまずきと教え方 3 (知的ゆっくりさん)

2022-07-03 21:53:10 | 算数のつまずき克服

知的障害を持っている子たちに勉強を教えるときには、大きく分けて3つの視点が必要だと感じています。

ひとつには、障害児専門の家庭教師の方々や特別支援教室の先生方がしてくれるようなハンディーに合わせた「教えたい内容の一部分だけに特化して、スローステップで教える」方法です。
それには学習内容をよりシンプルにして、噛み砕いて提示する工夫が必要です。
また「目で見えて、手で操作できる」教具を使って教えることも大切です。
文字を大きくしたり、漢字にふりがなを打ったりして、学習しやすくすることも必要です。

私が会ったことがある知的障害の子に関する印象は、人が好きで温和で素直ということです。ですから、できないことは恐がってしないけれど、できることは何度もやりたがり、褒められるといきいきとしてがんばります。
ルールが易しいトランプやボードゲームなどで遊べるようになると、お友だちといっしょに遊びを共有できていることをとても喜びます。

私が知的ゆっくりさんに学習を教えるとき大切にしているのは、「できることは何度もやりたがる」という性質を最大限に活かすことです。

たいていの親御さんは、できることというのを、学習課題の狭い範囲の中で捉えているので、ひとつのことができるようになっても、いつまでもそこで足踏みしていて、次の課題に進めない知的障害の子の様子にじりじりとしびれを切らしているように見えます。
でも、実際には、何かひとつできるようになって、何度も何度も同じことを繰り返している期間というのは、親の接し方ひとつで、さまざまなことを訓練し、新しいことを学び取ることができるチャンスでもあるのです。

たとえば、知的ゆっくりさんが、折り紙を長方形に半分に折る作業をはじめたとします。何枚も何枚も、長方形に半分に折る姿を見た親御さんは、三角に半分に折る方法や、折り紙で猫や犬を折る方法を教えて、進歩や新しい展開を求めることでしょう。
それでも、本人は、長方形を折り出したらそればかり……。
いろいろな見本を見せても、声をかけても、知らんふり。
いつまでたってもあまりに進歩がないので、イライラしてくるかもしれません。

そんなときは、「上手に長方形が折れているね。ちゃんと、角と角を合わせているわね。」と、本人の作業を認めながら図形の名前や、作業にともなう言葉の表現が覚えられるような声かけや会話をするようにします。
また、「どうやって作るのか教えてちょうだい」と作業の手順を説明させる役をさせるのもいいですね。

「たくさん折ったわね。いくつ折れたか数えよう!」と数の学習に誘うこともできます。
また、できた長方形を図形パズルにして遊んだり、長方形の両脇をセロテープで貼って財布にするという作ったものを生かした工作に誘うこともできます。

折り紙を例にあげましたが、文字の練習でも計算でも、ひとつ何かできることがあって、それを繰り返している期間は、さまざまな新しい課題を習得させるチャンスでもあるのです。

九九を教えると、真似して2の段と3の段が言えるようになったとします。
教えている側が、「はやく4の段を!5の段を!」をあせっても、知的ゆっくりさんたちは、ゆっくりゆっくりしか覚えていかないでしょうし、九九を覚えたからといって、九九を使った文章題の理解に移行するのは難しいでしょう。

私は、2の段と3の段が言えるようになったなら、それをさまざまな場面で活用できるように工夫しています。
写真のように、「2個ずつ人形におやつ(積み木)を配ってね」と言って、「2いちが2~」と言いながら、配ってもらうこともそうですし、友だちとの遊びや、お手伝いの場面で、かけ算が役立つようにするのです。
それと同時に、少しずつ次の段をマスターするための練習を進めていきます。

また、10の合成が言えるようになったとすれば、最初に10個の物を見せてから、いくつか隠して、「いくつ隠れているでしょう」と推理する遊びをしたり、その問題を他の人に出題する役をさせたりします。

学ぶときに子どもが、教える役や説明する役、人形劇を演じる役など、さまざまな役割を体験できるように工夫すると、学習がなかなか進まず停滞しているように見える時期にも、「企画する、評価する、判断する、選択する、類推する、推測する、一般化する、抽象化する」といった経験を深めていくことができます。

知的障害を持っている子たちに勉強を教えるときの3つ目の視点は、「その子の個性をしっかり感じ取る」ということです。
子どもに何かを教えようとするとき、どうしても教えている内容や教え方にだけフォーカスしてしまいがちです。
そうなると、子どもが発信しているものを受信する大人のの感性が鈍るときがあるのです。
知的障害の子といっても、個性も能力もそれぞれ異なりますし、発達の段階も違います。
ですから、その子がどのような子かということを知ろうとする努力は、何をどのように教えるかと同じくらい大事なことだと感じています。

たとえば、ある子どもに数についてのプリントをさせても、いっこうに進まないとします。

その子と話をするうち、お笑い芸人の物まねをするのが好きで、アニメの歌はよく知っていることを知ったとします。
すると「聴覚を利用した学習から入ると学びやすいかも‥‥‥」という可能性が生まれますよね。
そういう子には、先に、足し算や九九を歌にしたり唱えたりする練習から始めて、耳で暗記した記憶を土台にして、書いて解く形に移行させていくと、急速にできなかったことができはじめたりするのです。

その子について知ろうと努力すると、一方的に何かを教え込もうとするより何倍も伸びる場合があります。

知的ゆっくりさんたちの遊びは、敏感期の幼児の遊びに似ていることがよくあります。
はさみでひたすら線を切っていたり、ままごとの果物を容器から容器へと移しかえる遊びを繰り返したり、ブロックをただはめることを繰り返したりするのです。
ひとつのことを覚えてしはじめると、長い期間それに熱中し、あまり進歩が見られないため心配になる親御さんもいるようです。
「またやっている!」とそれをやめさせて、別の遊びを強制する方もいます。
教室の子たちを観察していると、見たところくだらない繰り返しに見えることも、
その子にとって今必要な発達の課題を超えるための訓練である場合がよくありました。本能的に子どもは自分が何をすべきか知っているのです。

たとえば、ブロックの基礎板にみっちりブロックをはめていく作業にしばらく熱中していた知的ゆっくりの子がいたのですが、ひたすらその作業をした後で、それまで知能テストで悪い点だった空間上の位置を理解したり、記憶したりすることができるようになったのです。
また、アニメのキャラクターのポスターを見るのに凝っていた知的ゆっくりの子は、それに熱中したあとで、ひらがなや漢字を覚える力が急速に伸びました。

子どもがしつこく繰り返すことに注目し、それをやめさせるのではなくて、その作業が含んでいる深い意味を読み取って、その作業からより多くのことを学べるように環境を整えてあげることが大切だと思っています。



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