虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

『魚を与えるのではなく釣り方を教えよ』じゃダメ?

2019-05-28 13:20:41 | 日々思うこと 雑感
3,4歳の子たちと算数遊びをしているところです。
「赤い玉3個と青い玉1個」
 
 
 
 
「子どもに魚を与えるのではなく釣り方を教えよ」という言葉をよく聞きますよね。
 
笑顔を創りたいWeb屋の日常というブログで、
゛魚を与えるのではなく釣り方を教えよ゛じゃダメだと思う
という面白い記事があって、そうそう……とうなずきながら読ませていただきました。
 
「子どもに魚を与えるのではなく釣り方を教えよ」という格言、

「魚を与えればその場の飢えはしのげる。しかし明日も同じ状態になる。
つり方を教えれば、その後もずっと食べていける」という意味ですが、

「今このご時勢では「釣り方」を教えるんじゃダメだと思うんです。
いや、もっというと釣り方ばかりを教えてきたからダメなんだと思います。」という意見。

もう子どもも日本人も飢えていない。日本人は、「手法偏重主義」「公式偏重主義」など
「釣り方」にこだわっちゃう人が多いわけで、それもわるくないけど、
結局テクニックにすぎないから、それを使う”心”を育まないと意味ないじゃんっ
というお話でした。
 

「魚を与えるのではなく"釣り方"を教えよ」

ではなくて、

「魚を与えるのではなく"釣り"を教えよ」だそう……。

食べ物という意味でも、情報という意味でも、生きるという意味でも飽和状態にあるこの国において「釣り方のみを教える」というのは、とてつもなく危険!
 
とおっしゃるtoksatoさんの警告は、わたし自身もいつも抱いている危機感と重なりました。
 
どんなにテクニックやプロセスを学んでも、それが好きで「良いものを創りたい」という熱意や興味がなければ、
本当の意味での使い道がわからないし、
好きじゃなかったら分析法を知ってたって、分析する楽しさはわからない。
 
どうしても紹介したいので、ブログを書いている方にお許しをいただいて、
記事の最後にあった言葉を写させていただこうと思います。
 
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自分の生き方や興味なんて自分で見つけて当たり前って言われそうですが、
少なくとも、この国の教育はそれを否定していると思います。なぜそれを行い、
どうしてその公式を使い、どんな個性や魅力があるのかをきちんと考えさせてこなかった、
画一的な教育で「考えること」を否定する教育を受けた人間に「自分の行き方を自分で考えろ」
というのは甚だ矛盾しすぎではないかと思うのです。

だからこそ、人に何かを教えるには「釣り」を教えることが最も大事だと思います。
楽しさや意義という土台から、テクニックまで。
「釣りとはなんぞや」を教えることが、大切なんじゃないかと思います。

                    (笑顔を創りたい Web屋の日常 より)

 

 

 

↑ 無我夢中。

 

「釣り方じゃなくて

釣りを教える」

まさしくわたしが子どもの教育に最も大切だと感じているものを

的確に言い表した言葉だと思いました。

 

教室でレッスンをしていると、

レッスンの内容からそうした思いがきちんと子どもにも親御さんにも伝わっている場合もあるし、

そうでない場合もあります。

 

「そうでない場合」というのは、

とにかく親御さんは「テクニックを学びにこよう」「テクニックを子どもに学ばせよう」と考えていて、

子どもがレッスンでする課題を習得しているかどうかを

常に気にかけておられます。

その子が学んでいる内容に興味を抱いたり、活動に喜びを見出したり、うまく頭を使えて幸福そうにしている時に、

すかさず「それならもう1つこれがんばってみよう~」というプッシュをして、

子どもが常に最後には学習に対する少しイライラした感情と自分に対する自信のなさとを体感して

いるように見えます。

おそらくたくさんテクニックを教えれば教えるほど、テクニックを習得させればさせるほど

子どもは伸びるはずで、そのために多少、子どもが気分を壊したり、学習に対する愛着を失うくらい

どうってことなくて、

きっと良い成績さえ取れたら、そんなの全て忘れてやる気が出てくるはず……と思っている

みたいです。

子どもから学ぶことの楽しさや意義を奪ってしまう親御さんたちがいるのは

とても残念です。

 

とはいえ、それもこれも子どもへの愛情がなせるわざでもあるのです。悪気があるわけじゃありません。

 

幼い子らを育てている親御さんたちが、子どもから学ぶことの楽しさや意義を奪ってしまうこともあります。

ひとりの子が「風船欲しい!」と言って、わたしがその子に風船を選ばせて

膨らましてあげているとしますよね。

すると、すかさず、「先生が風船くれるよ。もらっといで」

と子どもをプッシュする2、3歳児のお母さんがいるのです。子どもが無関心だと

無理にでもらいにいかせようとします。

 

でも幼い子は、

「あっ風船だ、いいな、ぼくも欲しいな」と考える時間を与えてもらえなかったら、

ほんの少しの飢餓感を味わうことも、

「何かをほしい」「やってみたい」という気持ちが自分の内部から湧きあがってくるのを

経験することもできません。

そこで、「この風船は赤色よ」とか「ありがとうは?」などと

テクニックだけ教わっても、自分がない感じを味わうだけですよね。

もしそこで少し親御さんが待ってあげたら、子どもは

風船をもらいにいったとしても

もらいにいかなかったとしても経験からさまざまなことを学ぶはずなのです。

たとえば、ぼんやりしていて自分の分がなくなたとしても、

「ある」ということと「ない」ということ、

「自分から積極的に働きかけていく大切さ」「お友だちがしていることへの関心に

つながっていたかもしれないのです。

 


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