虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

これからの小中学校がどうであってほしいか  息子とおしゃべり

2019-02-05 13:14:51 | 息子とおしゃべり(ときどき娘)

 

適度な「しばり」が生む学ぶ意欲と喜び と 数学について  息子とおしゃべり

教育と自由  息子とおしゃべり 続き

の会話の続きです。

 

息子 「学校が無作為に40人前後の人を集めて、人と関わる力を育てようという

設定自体が、あまりに雑な対応で、無理があるよな。もし、

人に自分の思っていることを伝えたり、

他人と協調して何か成し遂げていく力を育てるなら、同じ趣味を持ってる者同士とか、

好きなものややってみたいことが重なる者同士とか、議論や会話や思いがそこそこ

成り立つ前提と人数で、もう少していねいにそういった力を育てようとするべきでさ。

小学校の頃は、せめて、3年生までと4年生以降で、

クラスの組み方を変えてほしいと思っていたな。

 授業中は教科書を先に進んでもだめだし、わからないからと戻っても

だめって決まりが絶対だから、

結局、クラスで最も理解が遅れている子のペースに合わせることになる。

そうしたことを6年間続けていて、学力にしても人間関係能力にしても、それだけの犠牲を払うほど

何か得られるのかっていうと、疑問だな」

 

わたし 「確かに、海外在住の方が日本の学校を見学してまわった後で、

今の小学校のあり方は、だれにとっても幸せではない、子どもにとっても先生にとっても。

だれにとっても、実りの少ないものになっているって感想を言ってたわ。

でも、改善するのは難しいわよね。A(息子)は、どんな方法を取ればいいと思うの?」

 

息子 「子どもの個性を大事にする教育と銘打って、どんなに公教育を改善しても、

4,50人の生徒を

無作為にひとところに押し込めて、急激に成長する時期にいつまでも同じ

スタイルで教育しようとしている

限り、難しいよ。そんな風に足し算しようと無茶するんじゃなくて、

引き算の発想で、同学年の子全員に必要だと思う教育部分を減らして、

午前中に基本の授業を終えたら、

午後は、公民館、図書館、小さな学び舎などさまざまな学習の場を国が支援して、

子どもの好みや学びの段階や学び方に合った教育をするとか、

そうした選択をする人も認めるとか、

週の半分くらいは自由選択の部分を作るとか。

子どもってだけでひとくくりにして、能力のちがいや好みのちがいや

身体的なものや思考のちがいまで、

ざっくりと大雑把にしか子どもの教育をとらえていないんなら、

1から10まで自前でコントロールしようとするのを

やめた方がいいんじゃないかな?」

 

わたし「お母さんもそう思うわ。それに、教室に来る親御さんたちも、

学校に対して、そうした考え方をする人が多くなったのを感じる。

というのも、勉強は2学年ほど先までできるし、友達も多い、

社会性も育っている、でも

学校が苦痛で、学校に通えない、というこれまでと異なる

不登校の子を教室でも何人か見るようになった。

不登校まで至らなくても、予備軍と言えるような同じ訴えをする子らが増えている。

支援級があるからかもしれないけど、勉強がわからないから学校に行きたくないという子は

聞かなくなったけど、勉強が簡単すぎて、授業が苦痛でたまらないから

学校に行きたくない、という話はよく聞くようになったわ。

学校がなくなればいいとまで思わないけど、共通に学ぶのが半日なら喜んで学校に

通えるような子を不登校に追い込んでまで、今のあり方にしがみつく必要はないと思うわ」

 

息子 「学校はどうあるべきか、どんなに話しあったって、それはある子たちに

とっていいあり方で、別のある子たちにとっては最悪のあり方かもしれないじゃん」

 

わたし 「そうよね」

 

息子 「周りが就活をするようになって、会社側は、何をやりたいのかという目的意識を

しっかり持っているかどうかを求めてくるのを感じてさ。

学校で詰め込むような知識にしても、まず、先にその目的意識ありきで、

そのために必要な知識を持っているかという順で見られるよ。

それで、ふと、小学校の読書感想文のコンクールなんかで、そこでなぜ賞を与えるのか

ってことについて考えたよ」

 

わたし 「どうしてだと思うの?」

 

息子 「小学生なのに、文才があるとか、こんなことができてすごいって

ことじゃないなって。それだけが目的の審査員はダメだと思う。

なぜ、それがすごいのかといえば、小学生の時点で何かしらに興味を持って、それが

パクリでもいいから、

自分なりの解決策を探ってみる、という一連の流れを学ばされるための

賞じゃないかと考えてさ。

小手先のテクニックを教えて、賞を取りまくっても、

あんまり意味がないよね。

やっているうちに、自分の中にやりたいことが明確化されていくことが

大事でさ。」

 

わたし 「わかる、わかる。お母さんも、教室の活動の中で、

一番大事にしている点だから。お母さんがこういう風に子どもに能力をつけさせよう、

作り上げよう、何かを目指させよう、とするんじゃなくて、いっしょに、

手や頭を使って、いろんなことをやってみるうちに、心の底から自分がやりたいと

思うものは何かが見えてくるし、それに一歩近づけるのよ」

 

息子 「そうだよね。お母さんの教室は、自分の興味から、

自分のこれからの方向性をつかんで

いけるようにって工夫してるしね。そういうの、どの子にとっても大切だと思うよ」

 

 懐かしい記事が出てきたので貼っておきます。

番外 息子の話

 

 

(規則性について考え中 ↑ )

 


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (辰子)
2019-02-06 17:36:54
とても興味深いテーマです。
私が子供の頃でさえも、授業がつまらな過ぎて苦痛でした。
特に先取りなどしてなかったにも関わらずです。
ただ、1人の子が全教科において2年先を習得しているというより、やはり得手不得手があることも多いと思うので、大学のように科目を自分で取れるようになればなと思います。
いずれにしても、現在では小中で学ぶべきとされる内容を習得できてなくても卒業できてしまうし、できない子に合わせるといってもそれはそれで限界があるのではと思います。
潜在的にホームスクーリングやオルタナティブスクールを望んでいる家庭はかなり多いのでしょうね。
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