虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 9

2014-07-13 21:23:46 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

大人が思わず眉をひそめたくなるような『タブー』となっているものや

『悪』と認識されているものと安全な形で関わることが、

緊張が強くてなかなか周囲と打ち解けるのが難しい子を

外の世界との関係へと誘い出すのを、何度も目にしています。

それは、他の人の思いやルールを受け入れることにもつながります。

 

また、周囲はもちろん、自分自身も震え上がらせてしまうような攻撃性を

アウトプットしてしまったり、

「許されないかもしれない」と感じるほどのことをやってしまったりして、

叱られるには叱られたし、泣けるだけ泣いたりしたあとで、

大人のちょっとしたことで揺るがない強さや、地に足がついたどっしりした姿を

肌で感じたときや、

大人がさまざまな視点で物事を眺めていることや、子どもが思っているより

広い視野で考えていることに気づくときも、

子どもは固い殻を破って、自ら外へ歩み出てくるようです。

 

そうしたプロセスを、経験的にはよく知っているし、わかってもいるけれど、

うまく説明できないもどかしさに苦しんでいました。

そこで、助けを求めるように河合隼雄先生の『子どもと悪』を読み返しました。

 

河合先生が、「悪の問題を論じるのに、最初に『悪と創造』を論じるのは、

思いきったことのように感じられるかも知れない」と前置きした上で、

冒頭から、悪と創造の関係について語っておられます。

著書の一部を短くまとめて紹介しますね。

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悪には、文化差のようなものが存在して、個人差を強調しすぎるきらいがある

アメリカでは、子どもが他と異なる意見を言おうとするのを教師も応援しているし、

しっかり他人と同調すると「悪」の烙印を押されそうでもあります。

一方、日本においては、創造性が悪に接近して受け止められる度合いが高いのです。

「いい子」を育てようと、教育熱心な社会では、

子どもが創造的であり個性的であろうとすることが、悪と見なされることも

多々あります。


創造性は想像によって支えられていて、想像する力なしに創造はできません。

創造につながっているような想像というのは、表層的なものではなく、

自分の存在全体と関わってくるものです。

想像のレベルが深くなってくると、平素は抑圧している内容が含まれ出すので、

悪とかかわってくることもあります。


悪は大変な破壊性を持っているものだし、理屈抜きに許されない悪があるのも確かです。

しかし、悪とは一筋縄でいかないもので、排除すればいいというものでもありません。

教師や親が悪を排除することによって「よい子」をつくろうと焦ると、

結局は大きい悪を招き寄せることになってしまうのです。

 

悪は不思議な両義性を持っています。

それを端的に示す例が、「悪と創造性」ということになります。

悪は取り返しのつかない破壊力を持つ一方で、未知のものを秘め、活力に満ち、

古い秩序を解体して、新しいものを生み出そうとする力にもつながっています。


                    『子どもと悪』河合隼雄/岩波書店

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3 コメント

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子どもの悪について (ワーキングマザー)
2014-07-14 15:23:10
以前この本を読んだとき衝撃をうけた記憶があります。
価値観がかわるとこんなにも悪と考えるものが違うのだと。そして、自分の考えやまわりの雰囲気で悪と考えるものを決めてしまわないほうがいいなあと。また先生が以前記事にしていらした、お子さんたちがつくった会社のテストでしたっけ?トイレの後は手を洗うか洗わないか?とか。子どもの立場に立ったり、自分の子ども時代を思い起こしたりしたら、意外と悪だと思っていたものがそうでもないものだと感じたりしました。

すると、こどもの困った行動が、そんなに困ったことでもなかったり、意外に魅力的なものに見えたりしました。それに、この子どもの破壊力が、私の心を改革してくれたのです。子どもはすごい力をもっていると思いました。

一方、タブー等で自分自身が嫌だと感じる気持ちは嘘ではなくて、この自分の気持ちを否定しなくていいのだ、判断にまよってもいいのだ、と感じたとき、とてもほっとしました。するとタブー等嫌だと感じていたこともそう嫌でもなくなったりして、一緒に楽しむ余裕も少しでてきました。

これからはありのまま迷ったり困ったりする姿を見せながら一緒にタブーとなることも話をできたらよいなあと思っています。
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Unknown (はるてる)
2014-07-14 09:49:26
緊張が強い子、うちの息子にもよく当てはまります。
とても興味深く読ませていただいています。

小さい頃は今よりも顕著に、周囲へのバリアや悪への敏感さが見て取れました。

ニュースなどで建物が壊れた、人が亡くなった、殺された
という内容を少しでも耳にすると、何度も何度もかなり時間がたった後でもその内容について尋ねてきていました。

今でもその手の内容には敏感です。

ですので、私はあまり見せない方がいいのかなと思い
ニュースを息子の前であまりつけないようにしていました。

どう答えていいのか分からず「怖いね」などと返事をしていたのですが、もっとオープンな接し方があったのかな?
息子もそれを望んでいたのかな?
と、この記事を読んで思いました。

悪についての話を求めてきたとき、どう接してあげたら
いいのでしょうか?とても知りたいです。
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Unknown (tamaki)
2014-07-14 03:41:19
ことばにするのが難しいことを、記事にしようとしてくださってありがとうございます。

魂の深いところで起きていることだからなのでしょうね。

このところの記事はわたしの心の深いところをえぐられるようなすばらしい洞察に満ちています。

緊張の強い傾向を持っているうちの子を見ていても、確かに悪に敏感、いわれてみればそうです。

ちょっとしたことでごめんね、といいながら泣いたりしますし、幼稚園でお約束を守れない子を話題にして「だめなのよ」といったりすることが多いです。そういう行動を謎に思っていましたが、それは、自分のことを悪い子じゃないか、と思っているからなのですね。

そんな気はなくても親やまわりの人を困らせたり、怒らせたりしてしまうこと、とっても気にしているのですね。

よい子、よいママを求めがちな文化って息苦しい。特にそこから自分でそんなつもりなくてもはみ出してしまう子(大人)にとっては。

そんなこと、本当はたいしたことじゃないって肌で感じる瞬間があると、緊張が緩んで少し歩き出せる、そういうことかなと理解しました。

また、わたしがこどもにどんな教育的環境を用意してあげたいかなと考えたとき「創造性」の要素がすごく大事、と考えていて、なぜかは自分でもわからなかったのですが、この記事を読んでなんとなく腑に落ちました。
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