虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ちょっと気になる知的好奇心の薄さ

2021-07-13 19:44:00 | 教育論 読者の方からのQ&A

ちょっと気になる知的好奇心の薄さ 1 の続きです。

 

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「発達や知力に問題なく、社会性の発達も順調で言葉も達者で何でもやりたがるし、

年相応にできるけれど、知的な好奇心が薄いという子」の親御さんの

声をかける頻度、言葉かけの内容、関わり方、解説の仕方、誘導の仕方、諭し方、

可愛がり方、叱り方、注意の仕方、期待のかけ方などが、

非常に似ているということを書きました。

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子どもの知的な好奇心を阻害する、大人の接し方があると感じています。

 

最も問題に思えるのは、「指示の多さ」です。

 

幼いわが子を前にすると、まるで自分と子どもがつながっていて、

何を見るのか、何を聞くのか、何をするのかを考えるのは親の自分で、

そうした大人の指令に指示通り従うのが子どもであるかのように振舞う方がいるのです。

 

あまりに無意識にそうしてしまうからか、

何度も何度も過剰に指示を出している点を指摘しても

「あっそうですね」「わたしの接し方がいけませんよね」と即座に反省の言葉を

口にされるにも関わらず、

1分後には、子どもに自分で考えたり判断したりする隙を与えないほど

指示をたくさん出してしまわれます。

 

そうした接し方をされている子は、

こちらが何かに誘うと、素直に誘いに乗るし、活動そのものをする力はあっても、

次のような行動につながらないことが多いです。

 

「次にどうなるのかな?」「どうしてかな?」と疑問を抱いたり、

やってみた結果を見て、「こうするとこうなるんだな」と規則や秩序を発見したり、

うまくいかなかった場合、ほかの方法を試そうとしたりすることです。

 

実験遊びなどをしている時も

派手な変化の瞬間だけ喜んだかと思うと

「じゃあ、こうしたらどうなるの?」「あれもやってみたい!」「これも!」と

ほかの子らが、その実験をきっかけに、「もっとそれについて探究したい」という

盛り上がりを見せたとたん、

「これで終わりでいい?もう実験終わりでもいい?遊んできてもいい?」

と、たずねるのです。

 

そうした子どもの行動する様子を観察していると、

自分の好きなおもちゃで遊んでいる時以外は、心や頭を使って物を見ていないし、

聞いてもいないし、感じ取ってもいないのがわかるのです。

赤ちゃん時代から、「自分で見て、聞いて、感じて、考えて、判断して、想像して、推理する」という活動を、

ことごとく身近な大人から邪魔されながら育ってきたように思われるのです。

 

といっても、保育園や幼稚園や小学校が、子ども自身が自分で見て、聞いて、感じて、

考えて、判断して、想像して、推理することを許さないようなシステムになりつつ

ある昨今では、これは一部の親御さんと子どもの問題ではなくなりつつあります。

 

保育園や幼稚園や小学校がそうしたシステムで運営されているために、

親御さんたちが、そうした過干渉や過保護(子どもが求める前から物を与えたり、

代わりにやってあげたりするなど)や

過剰な指示や一方通行の大人と子どもの関係をあたり前のように

思ってやってしまう、という悪循環も起こっているように見えます。

 

次は、もう少し具体的にどのような「指示の多さ」が問題なのか書いてみたいと思っています。

続きはこちらです。→ ちょっと気になる知的好奇心の薄さ 3


2~4歳児のけんか どのように対応したらいいでしょう? 2

2021-05-04 10:29:13 | 教育論 読者の方からのQ&A

2~4歳の時期には、とても大切な課題があります。

『自己統制力を育てる』ということです。

 

2~4歳児が、子ども同士で上手に遊べずに、

しょっちゅう大人の介入を必要をとするような揉め事を起こすのは、

大人の手と心を借りて、自分を大きく成長させていかなくてはならない時期だから

ともいえます。

 

大人たちが遠巻きに微笑みながら見つめるなかで、

子ども同士、平和に幸せそうにじゃれあって遊んでいるという……2~4歳の子を持つ

親御さんたちが期待する「子どもの遊びの世界」のイメージは、

テレビCMのための作りあげた虚構の世界か、

子犬たちがドッグランで繰り広げる遊びの世界に近いものです。

 

実際の2~4歳の子たちというのは、人間の子どもとしての育ちの課題を持って

いますから、いろいろと自分で揉め事を創り出しては、

大人から適切な指導を引き出そうします。

 

自分より先に生まれた大人という先輩の手と心を借りて、今の自分より一段高い次元の

精神的な力と態度を獲得しようとがんばっているのです。

 

獲得する力が『自己統制力』なんていう一生を左右するような能力ですから、

1回、2回の練習で身に着くはずもありません。

それで、くる日もくる日もギャーギャーワーワーわめき散らしては課題とぶつかって、

大人に助けられながらゆっくりゆっくり自分の心と身体を作りあげていくのが、

2~4歳児の姿です。

 

「大人の適切な指導」なんて言葉を使うと、

「ああ、しつけのことね」「きちんと正しいしつけを教えていくことね」と

感じるかもしれません。もちろん、そうではあるのですが、

けんかをするから、「けんかしてはだめ」「おもちゃを貸してあげなさい」

「お友だちに優しくね」と教えることが、この時期のしつけだと思われているとしたら、

ちょっと問題があるかもしれません。

 

なぜなら、いつまでも子どもの自己統制力が育たないままで、

親の前ではいい子でも、集団の場や、お友だちの前ではわがまま放題だったり、

小学校に入学してからも2、3歳児のように聞き分けがなかったり、

指示には従うけれど、自主性や意欲が乏しかったり、

自己主張ばかりして自分勝手に振舞うような場合も、

先に挙げたようなしつけはしっかりしていることが多いからです。

 

山梨大学の教育人間科学部の加藤繁美先生によると、

「子どもの自己統制力が育っていく道筋にはひとつの構造がある」そうです。

「子どもが自己統制力を自分のものにする過程で、その途中を省略させられたり、

ゆがめられて自己形成させられた場合、

うまく自分をコントロールできなくなってしまう」というお話です。

 

それでは、自己統制力というのは、どのように育っていくのでしょう?

『人とのかかわりで「気になる」子』にあった加藤繁美先生のお話を簡単に

要約して紹介しますね。

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まず、まだ泣くことくらいしか自己表現できない赤ちゃんの時期に、

大人たちが子どもの発する言葉にならない子声(自覚しない要求)を

読み取り、ていねいに「意味づけ」し続けること。

そうしたコミュニケーションの繰り返しのなかで、自分の要求が音声と対応すること

を知っていきます。

同時に人と関わる心地よさを無意識世界に形成していきます。

 

次に、「愛されることの心地よさ」をベースに、音声で表現できることを知った

要求世界を、自分の興味・関心にひきずられるようにして

どんどん表現するようになります。

(『人とのかかわりで「気になる」子』ひとなる書房より要約しています)

 

要求を主張する主体として成長していくこの時期、大人の対応が重要です。

つまり「受け止めながら、方向づける」という対応が、ていねいになされることが

重要です。大人の側に余裕と辛抱強さが必要になってきます。

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どうして大人の側に余裕と辛抱強さが必要なのかというと、

この時期の子どもの要求は、融通が利かない一方向のものだからです。

どうしてそんなにわがままな要求なのかというと、幼児はまだ幼児だからで、

そうした原石のような要求を表現しつつ、

しだいにそれに磨きをかけて、自分の力でコントロールできるものにしていく

という課題を抱えて生きているからです。

 

でも、ちまたで見かける大人の幼児への対応は、

子どもの要求自体を無視する、機嫌を取って紛らわす、大人同士の関係維持のために

要求を変形する、要求を表現できない場に連れていく(習い事や

ショッピングセンターなど)というものが多いです、

また、大人が子どもに対する余裕を持って辛抱強く接することが我慢できないため、

その言い訳として、

「子どもには小さいときから、きちんとしつけないといけない」「最初が肝心」などの

言葉を使って、問答無用で大人の意のままに従わせるという場面もよく見かけます。

一方で、子どもの言いなりになって、大人として

子どもの成長を方向づける仕事を放棄してしまっているケースも目立ちます。

 

自己統制力とは、無意識の世界に形作られていくものです。

幼児は、感情と皮膚の感覚、身体の感覚で、

心地よさをベースに、正しい自分のあり方を学習していきます。

 

まず、自分の中に湧き上がるもやもやした感じ、ざわざわした感じ、イライラする感じ、

のぼせあがるようなカッとする感じ、もじもじするようなはっきりしない感じ、

そうしたさまざまな身体と心に湧いてくるものを

大人に受け止めてもらって、言葉で表現してもらい、

それと向き合い、乗り越えるまで

根気よくネガティブなものに付き合ってもらうという過程を通して、

身についてくるものです。

 

「わたしはこういうことがしたいけれど、お友だちも同じようにしたいから、

今はがまんしてこうしよう」といった自分の行動を導きだすような

自分の内面の対話ができるようになってくるのです。

 

虹色教室でそうした大人のサポートをたくさん必要とする時期の子らと過ごすとき、

子どもの心を充たす創造的な問題解決の仕方、

ワクワクするような想像力あふれる解決法を

大人がたくさん示してあげると、

成長するにつれて、自分をコントロールするのが上手なだけでなく

集団をリードして、揉めているお友だちたちに魅力的な問題解決の方法を

提案できる子に育っていきます。

そうした具体的な解決法について、実際の教室での例を紹介しますね。

 

<実際の虹色教室での揉め事の解決例>


★2、3歳児のけんか……想像力を使って解決を♪


3歳になったばかりの☆ちゃん、★ちゃんのレッスンです。

2歳のころはけんかばかりしていた☆ちゃん、★ちゃん。

お母さんたちの協力で

十分感情を外に表現できる環境(泣いたり、わがままを言ったりすることを

しっかりできるようにさせること)を用意して見守ってきました。

そうして、3歳になった☆ちゃん★ちゃん、

創造的に協力し合って遊ぶ姿は目を見張るものがあります。

自己主張をきちんと受け入れてもらってきたため、自分がしっかりできて、

自分とは異なる意識を持つお友だちをきちんと理解しています。

ごっこ遊び、創作遊びと自分の頭で考えて、

内面からキラキラするものがあふれてくるように遊びます。

今興味があるのは引っ付くものと引っ付かないもの。

じしゃくやテープで引っ付く引っ付かないを試すことに夢中です。

写真はかばん作り、ボタンや糸のコラージュを相談しながらしているところです。

作り方はこれまでの経験から、全て自分たちで考えたんですよ。

本当に仲良く上手に遊べるふたりですが、疲れたり、お気に入りが重なると

けんかをはじめます。

今日は白いネコのぬいぐるみを取り合っていました。

「それなら、ぬいぐるみさんたちに誰と遊びたいか決めてもらおう!」

と提案して、フラミンゴやトトロバスや白いネコのぬいぐるみを抱えて

「遊びたい子に、遊ぼうよって相談してごらん」と言いました。

ふたりともけんか気分はどこかにいっしまって、いきいきした表情になりました。

☆ちゃんが、フラミンゴに「遊ぼうよ」と声をかけます。

「いいけど…おなかがすいているのよ。おいしいものを食べさせてくれる?」

「いいよ。食べさせてあげる」フラミンゴが納得して☆ちゃんにだっこされます。

★ちゃんは、白いネコに「遊ぼうよ」と声をかけます。

「え~眠いんだけどな~どうしようかな……。だっこしてゆらゆらしてくれる?」

「いいよ。」白いネコは★ちゃんのところに。

2、3歳の子は、絵本の中のようなイメージの世界を生きています。

絵本の世界で起こるような問題の解決法が大好きで納得します。

とてもユーモアがあって、不思議で優しい気持ちのある解決法が好きなんです。

牛乳のおもちゃの取り合いの時も、近くにあったブランケットを

ぐりとぐらの作ったような大きなホットケーキを焼くお話の世界に導くと、

たちまち仲良く牛乳をそれにそそいで、ホットケーキを焼き始めました。

子どもがけんかを始めたとき、楽しくユーモアのある解決を提案していると、

大きくなるにつれて、友達同士でとても上手に問題を解決するようになってきますよ。


2~4歳児のけんか どのように対応したらいいでしょう? 1

2021-05-04 08:38:37 | 教育論 読者の方からのQ&A

2~4歳児というのは、それはよく揉めるものです。

とにかく相手の子の遊んでいるもので遊びたいし、

仲良く遊びを発展させるほどの能力もありませんから、

物を取り合ってるだけで遊び時間が過ぎていくこともあります。

 

そんなときの親御さんの介入の仕方によって、

子どもが精神的にしっかりしてきてお友だちと上手に遊べるようになる場合と、

いつまでも幼いままでとどまって、少し心配な態度をしめすようになる場合に

分かれるように思います。

 

わたしが少し心配な態度だと感じているのは、

その子の感情と態度が、かけ離れているように見えるケースです。

 

たとえば、おもちゃの取り合いでけんかになっているとき、

「そのおもちゃが欲しいんだ!」という欲求が、相手の欲求とぶつかって、

「そのおもちゃでどうしても遊びたい!貸すのはいや!おもちゃを取られそうに

なったらいや!」と、

思い通りにいかない事態にパニックを起こして、わんわん泣いて、

しまいにお母さんに抱きついてなぐさめてもらう、

感情が鎮まってくるまですねている……という具合に

幼い子の感情が素直に表現されているのはとてもいいことだと思うのです。

 

幼児はまだ感情をコントロールするのが難しいですから、

何度もそうした体験を重ねるうちに、次第に、

感情をコントロールするのが上手になっていくものです。

 

そうしたネガティブな気持ちを親御さんに受け止めてもらって、

自分でも認めて受け入れていくうちに、他の子に対する理解や、自尊感情が

芽生えてきます。

そのうち意味もなくけんかばかり繰り返すよりも、協力しあって楽しく遊ぶ方が

楽しいことを学んでいくはずです。

 

わたしが気にかけているのは、けんかをしていても、

その子自身の感情とかけ離れたところで揉めているように見える子です。

 

物を取り合っていても、実はそれを本当に欲しいと思っているわけではないようで

大人に取りあっていた物を取り上げられても、

さっぱりしていて、たちまち別の物に興味を移していきます。

 

いろんな場面で、その子の気持ちが見えにくく、

ニコニコとよく笑うけれど、感情そのものは希薄な印象があって、

簡単に大人の指示によって動かされてしまう場合、

ちょっと子どもとの関わり方を見直す必要があるかもしれないと感じています。

 

子どもの揉め事を解決する際、

大人同士の親しい関係を保つために、子どもの気持ちがほとんど無視されたままで

「揉めさえしなければいい」「けんかにさえならなければいい」という

解決法が取られている場合、

そうした気になる態度につながりやすいように感じています。

 

「わが子には、相手の親から心が優しい良い子だと思ってもらうような

態度をしめしてほしい」という一方的な親の期待が押し付けられている場合も、

子どもが気になる態度を取るようになりがちです。

 

心理カウンセラーの袰岩奈々さんが、

『感じない子ども こころを扱えない大人』という著書のなかで、次のように書いておられます。

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「授業中にほかのことをしているので、注意をするが、ぽかんとしている。

何を注意されたのか、わかっていないようだ」

「『そんなに言うことを聞かないのなら、もう帰りなさい』というような言い方をすると、

本当に帰ってしまう。子どもに言葉のニュアンスを受け取ってもらえない」

(略)

子どもとのコミュニケーションがうまく成り立たない……教員たちのこういう訴えから

気づくことは、相手の気持ちや自分のなかにおこる危険や不安といった感覚、感情を

子どもたちがうまく感じとれていないのではないか、ということだ。

小学校で知識を学び始める。その段階までに、開発されるべきものが育っていない。

そんな子どもたちを多く抱えながら、知識を伝えることを主とせざるをえない、

という矛盾が今の学校にはあるのではないだろうか。

では、知識を学び始める前までに開発されるべきものとは、なんだろうか。

それは「自分の感情を十分に味わって、その自分なりのコントロール方法を、

ある程度身につけているかどうか」ということだ。

かつては、気持ちを取り扱うための訓練が、家庭のなかで自然になされていた。

たとえば、兄弟ゲンカをしたり、家族との駆け引きをしたりしながら、

自分の気持ちを自覚し、それを表現する方法を自分なりにみつけ、磨く機会があった。

(略)

けれども、今の子どもたちは、そういった予行演習の場がない。突然に学校といった

公の場に出ることになる。

(『感じない子ども こころを扱えない大人』 袰岩奈々 集英社新書)

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袰岩奈々さんは、自分の子どもの子育てを振り返って、

「年齢がいってから子どもを産んだせいもあって、親である私は

モノの名前や状況についての説明には長年慣れ親しんでいたものの、

情緒的な反応やイマジネーションの世界からは遠ざかっていた」とおっしゃっています。

絵本に猫がいれば「ネコよ」、ハリネズミはいれば「ハリネズミよ」と反応して、

ネコが気持ちよく眠っていてかわいいとか、ハリネズミの針がツンツンして

さわると痛そうだとかいった、情緒的・感覚的な反応が出てこなくなっていたそうです。

そうした子育ての体験から、「もしかすると、世の中全体でこういった「知的」なものを

乳幼児期からいっぱい注ぎ込む傾向が強くなっていて、

子ども自身、自分のなかにわき起こる感情をもてあましているのかもしれない。

気持ちを言葉にしたり、コントロールする体験が少なく、

自分なりの気持ちのコントロール法を編み出す機会が少なくなっているのではないか?」

という疑問を導きだしておられます。

 

虹色教室でグループレッスンをしていると、

子どもたちが本当に意味で、生き生きと学び出すのは、

友だちやわたしの前で素のままの自然な自分が出せて、それでいて

心から共感しあえ、笑いあえて、互いの欠点が許しあえる友だち関係ができてきた

あとからなのです。

 

それまでは、学ぶことに対して斜に構えた馬鹿にしたような態度をとったり、

そわそわ落ち着かなくて、心から楽しそうでなかったり、

優等生ぶっていても、成果ばかり気にして好奇心が鈍っていたりするのです。

 

それが、人との関わりのなかでリラックスして楽しめるようになり、

自分の感情と素直につながるようになってくると、面白くない訓練や

難しくてどう取りかかったらいいかわからないような問題にぶつかるのも

ワクワクする体験のひとつになってくるのです。

あらゆることに心が開かれてくるのです。

 

難しい問題にぶつかると、心もとない気持ちになって、

友だちと協力しあってそれを打破しよう、人と相談しあうのは

こんな風に大切なのかと実感できます。

また、それをやり遂げて、みんなのヒーローになりたいという気持ち、

「すごいな~」と友だちを賞賛する気持ち、

アイデアを出すのがうまい子、根気がある子など、それぞれの特技を生かして

互いの良い面を生かしながら、認めあって物事にあたるすべが身についてきます。

わたしの役目はそうした関係をサポートしていくことですが、

そうした関係が成り立つには、

まずそれぞれの子が自分の感情と素直につながっていなくてはならないし、

友だちとけんかをしあえるほど仲良くならなくてはなりません。

自由に感情を表現して、それをコントロールしていくのを学べる時間や場が必要なのです。

 

この夏、ユースホステルでのお泊りレッスンを実行したところ、

小学生の算数クラブや科学クラブの子らに大きな変化が見られました。

勉強に対する意欲と責任感が劇的に変化した子が何人も出たのです。

といっても、ユースホステルで特別な勉強をしたわけではありません。

ただ、子ども同士、ゆったりした時間のなかで親しくなったのです。

次回に続きます。


自分の時間を過ごしている子は、抽象的な思考ができる状態に自然に発達していく

2019-10-21 19:22:17 | 教育論 読者の方からのQ&A

上の写真は、紙飛行機を飛ばす道具を作る小学生たち。

電池の向きを変えると、モーターの回転の向きが変わるので、

飛行機が飛ばないことに気づいて驚いていました。

 

(過去記事です)

コメント欄で次のような質問をいただきました。
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この4月から、4年生の理科を担当しています。
1学期は、自然観察、天気と気温の関係、電気のはたらきと学習を進めてきました。(教科書の順です。)
前の2つの学習では、テストをしても大した差は見られず、平均点もよかったのですが、
「電気」の授業・テストをして、これは!と歴然とした差が子ども達の中にあるのを感じました。
前の二つの学習は、目に見えるものを扱っています。
気温にしても、体感でどの子もある程度の経験量がある。
でもこの「電気」は、目に見えない上に、経験にも大きな差が。
問題を解こうとすると、抽象的な思考を要するんですよね。
するととたんにできなくなる子が続出!
見えないものをイメージするのがかなり難しい様子。
担任の先生方に聞くと、算数でも同じような状態になっているとのこと。
抽象的な考え方って、どれくらいで身につけていくものなんでしょう?

9歳~10歳の4年生の今が、そういう時期なのかなとは思うのですが、
(だからこそ、教科書にもそういった内容を扱う学習が出てくるのだと思うのですが)
一朝一夕に、身につけられる力ではないと思うのですが、
そうであっても、ただ何もせずそういう力がついてくるのを待つしかないのでしょうか?
そんなことを考えながら、ブログを読んでいたら、この記事に出会いました。
自分の手を使って、切ったり、貼ったり、組み立てたり・・・。
「工作」する中で、抽象的なものの見方などを育てることもできるのでしょうか?
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この質問をいただいてから、以前、教員をされていた☆さんと、

このコメントの内容についてお話する機会がありました。

(質問主さんと☆さんは別の方です)

「抽象的な見方や考え方は、どのようにして育つのでしょう?」とたずねると、

☆さんは、小学校高学年と低学年のふたりのお子さんをこれまで育ててくるなかで、

感じた考えを聞かせてくださいました。

☆さんの上のお子さんは、小さい頃から飲み込みが早く、記憶力が良くて、

人と関わりながら学ぶのが大好きな子でした。

おまけにまじめで聞きわけが良く、学習習慣もつけやすくて、

自分から進んでワークをするおりこうさんでした。

それで、☆さんは、この子にさまざまなことを教え、この子は驚異的なスピードで

マスターしていました。

ところが、このおりこうさんぶりが災いして、

9歳~10歳になった頃、抽象概念の理解につまずきはじめました。

この子はとても賢い子ではあるのですが、それまで大人が教えることを

できるだけ効率的に受動的に学ぶ習慣が身についていました。

そうして、教わってできるようになることの繰り返しでは、学習をどれほど先に進んでも、

それが抽象的な見方に発展していかないところがあったのです。

「ひとつの答え」を急いで求めようとする早押しクイズをしているような態度や、

大人から正しい解き方の説明をしてもらって、できるだけ素早く正確にマスターしようと

する態度は、抽象的な思考につながりにくいどころか、

それを邪魔するような遠ざけるような面があったのです。

一方、下のお子さんは、工作やブロック制作や自由遊び、親子の会話や日常生活の中で、

自分で体験して学ぶことが主で、☆さんは、極力、「教える」ことを控えて子育て

してこられました。すると、下のお子さんは、まだ低学年なのにも関わらず、

自分で論理的な筋道を立てて考えたり、抽象的な概念も正確に理解して問題を解いたり、

高い思考力で問題解決をするように育ってきました。

そこで、☆さんは、上のお子さんにも、教え込んで、その日のうちにわからせて

しまうことを避け、自分で自由に試行錯誤するゆったりした時間を与えるように

しました。また、日々の生活をゆっくりマイペースに過ごせるようにしたり、

友だちとの遊び時間を大切にしてあげるようにしました。

すると、時間はかかりましたが、上のお子さんにも、

抽象的な見方や考え方が芽生えてきました。

☆さんは、現在も教育関連のお仕事をなさっていて、そこで、子どもたちの知能の

発達や抽象概念を扱えるようになる子とならない子のちがいについて、

ていねいに観察しておられました。

☆さんいわく、「抽象的な見方や考え方は、大人に抽象的思考を教えられたから

身につくものではなく、子どもが自分で日常の体験を味わうことが大事で、

そうして自分の時間を過ごしている子は、脳が、ちゃんと抽象的な思考ができる状態に

自然に発達していくものですよ」というお話でした。

次回は、『よみがえれ思考力』(ジェーン・ハーリー  大修館書店)に書かれて

いる抽象的な見方や考え方を育むための方法を紹介しますね。

 

『よみがえれ 思考力』 ジェーン・ハーリー  大修館書店

には抽象的な見方や考え方について、次のように書かれています。

(要約して紹介します)

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十代の初期には、物の世界を習熟し終えて、抽象的な考えの操作へ進まなければ

ならない。

ある人は、ピアジェのいう「形式操作の思考」である抽象的な思考の段階に

達しているのは大人のに3分の2だけだと考えている。

おそらく、抽象的な問題に対して創造的な答えを生み出すことが要求される「課題発見」

とよばれる究極の段階に到達する者は、きわめてわずかだろう。

われわれの社会が、そういった能力をもつ人々をもっと多く必要としていることは

誰も異存はないだろう。

 

<抽象的思考の手立て>

◆ 演繹的推論  
人間の脳は経験の中に規則や秩序をさがし求めるようにされている。

幼い子どもは情報のさまざまな断片に注目し、大きな規則や広いカテゴリーへと

それらの情報をまとめていくことを学習する。

「昆虫は全て足が6本みたいだ。だから昆虫であるということの規則は足が

6本であることにちがいない」というのは、帰納的推論である。

この語、一般的原理を取り入れ、未知の状況へ応用する。

 

◆ 仮説検証

問題について可能性の高い答えを考えだし、うまく機能する答えが見つかるまで

系統的に検証していくことは、科学的な推論の基盤である。

一つの考えに固執して、事実を無理やりそれに合わせてしまう傾向がある時期は、

大人の援助が必要。毎日出会うさまざまな問題に、心をひらいて対処していくことは、

この仮説検証という重要な成長へと向かう明確な水路である。


◆ 命題的論理

「メアリーはサリーより背が高く、サリーはマージーより背が高い。一番、

背が高いのは誰でしょう」という問題は、具体的操作を習得した子なら理解できる。

しかし、「雨が降っている。夏にちがいない。とすれば、夏であれば雨が降るのじゃ」

といった命題を理解することは困難である。


◆ 比率

比を扱う問題を心で操作できるようになるには、具体的な材料や公式を必要とする。


◆ 二次表象システム

代数と文法はどちらも別のシンボル体系を表すシンボル体系である。

幼い子たちには、規則を抽象的に応用することを期待すべきではない。

◆ 「抽象的な心的態度」

状況の外側に立ち、通常のかたちでは相伴うことのない考えを結びつける能力。

隠喩、文の中ではあからさまに述べられていないような推論、ある種のユーモア、類推、

自分自身の現実的な評価などである。

感受性の高い大人であれば、質問を正しくすることで、この種の推論へと

子どもたちを引き上げることができる。 


◆ 抑制することの重要性

われわれは脳が活動的であることを好むが、過度に活性化された脳というのは、

一度にあまりにも多くの刺激に反応し、

考えから考えへと飛躍してしまうといった問題を生じやすい。

前頭葉の発達の研究では「内言」(自分自身との心的な対話)の重要性を強調している。

衝動的に行動を起こすのではなく、問題に対して心の中で一通りの言葉を使って

考えることができる生徒は学校において優秀であり、高次の思考技術をより早く

獲得することができる。

 

◆ 意志決定

身につけた新しい精神的見識が、個人の意志決定のための全く新しい構造を

若者たちにもたらす。その構造を使って実践するにつれて、

彼らは依存したいことと主張したいことをふるい分けるようになる。

       (『よみがえれ 思考力』 ジェーン・ハーリー/大修館書店より)



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前回の記事で、知人の「抽象的な見方や考え方は、大人に抽象的思考を教えられたから

身につくものではなく、子どもが自分で日常の体験を味わうことが大事で、

そうして自分の時間を過ごしている子は、脳が、ちゃんと抽象的な思考ができる状態に

自然に発達していくものですよ」という発言は、上の<抽象的思考の手立て>を読むと

納得できるものです。

「演繹的推論」ができるようになるには、自分で身の回りの世界から規則や秩序に

気づく体験の蓄積が必要です。

でも、大人が教えたり、図鑑を見て最初から一般的原理を教えたのでは、

脳が経験不足に陥ったり、考えずに鵜呑みにする悪い癖が身に付きますよね。

また、「仮説検証」についても、子どもに教え込んでいく学習をさせると、

「自分が大人に教わったものだから正しい」というよく考えを練りもせずに、

ひとつの考えに固執して、事実の方を無理やりそれに合わせてしまう癖がつきがちです。

私が、大人や現代の環境が、子どもから、「内言」が発達することを奪っているように

感じています。自分自身との心的な対話は、子どもが自分でいろんな体験をして、

ゆったりしたその子の時間を与えられなかったら生じてきませんよね。

 

子どもをお勉強マシーンのように捉えて、次々課題をこなさせて、

そうした過度に脳を活性化させるばかりの活動が続くと、自分で自分と対話する

静かな時間が失われるのです。

その静かな子ども自身の時間を、学習漫画やパソコンやゲーム機でする知識を

インプットする知能が向上しているような錯覚を覚える活動で埋めては、

お得感(時間を無駄にせずにすんだという理由で)を感じるという親御さんがいます。

抽象的な思考力の発達という点からすると、そうした反射的な思考回路ばかり

強化するのはとても危険なことのように思われます。

 

子どもはボーッとしてゆったり過ごす時間に、自分で自分と対話をし、

自分の経験を振り返ってそこから規則を見出したり、自分の意志で選びたいものに

ついて夢想したりするからです。

といっても、ただ放任して時間を十分に与えたからといって、

どの子も抽象的な見方や考え方ができるようになるかというと、難しい問題です。

-抽象的な見方や考え方ができるようになるには、

次のふたつの体験がベースになっています。

 

◆ 身体、五感でする体験。

◆ 物に触れて、操作しながら具体的に考えること。

 

このふたつの体験の豊かな蓄積の上に、抽象的思考は成り立ちます。

「抽象的な思考力がないと「9歳の壁」を越えられない……だから、思考力を鍛える

ワークや頭脳パズルを早くから学習に加えよう」と考える方もいます。

でも、それは抽象的な思考力のごく一部にしか通用しないかもしれません。

思考力を養う教材で抽象的な思考を養おうとするのでは、

実際、抽象的に考える段階になったときに、身体感覚からのインプットの量も、

遊びや創作活動を通して触れる具体的に目で見て、手で扱って考えた体験の量も

少なすぎるからです。

 

物事を正しく認識し、文字や数など抽象的なシンボルを扱う思考力は、

身体を通して学び、感覚を統合させていく体験と、おもちゃや工作の素材に、

自由に働きかけて、手を使って何かを作りだしたり、想像力を使って見立てたり、

自分のアイデアを形にしたり、うまくいかない時には工夫して解決したりする体験を

通して養われます。 



↑の写真は、ユースホステルでの工作作品です。

機械が大好きな2歳の★くんが、クーラーの室外機のファンが回る様子に

強い興味を示していたので、お母さんが★くんといっしょに作ったものです。

★くんは、紙コップで作ったファンをくるくる回したり、

スイッチをつけたり消したりする真似をして、大喜びでした。

2歳くらいの子にとって、「ある物が、何かの内部にある」という関係も、

実際、手で触れて出し入れしてみないと難しいものです。

このようにティッシュ箱の中に何かが入っている状態というのも、体験して初めて、

「わかる」ものだし、こうして手で扱えるものになってから、

「こうしたらどうなるのかな?」「こうやったらこうなるのか」

「あの機械は、こんな風な力で動いているのか」「くるくる回るのはこうするから

回るのか」と具体的な体験を通して考えることができるのです。

 

抽象的な思考をする力を育むには、

「身体と五感を通じてする体験の蓄積」

「遊びや創作活動を通じてする具体的な物の操作」

「内言を育むこと」

「親子の対話」

「読書」

「身近な大人が抽象的な思考を使う姿を見せること」

の6つが、とても大切なように感じています。

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虹色教室のグループレッスンでは、それぞれの年齢の子たちが好む遊びの機会を

提供して、それがより洗練されたものに展開する手助けをしています。

さまざまな年齢のグループレッスンに付き合っていると、

非常にさまざまな内容の濃い遊びや活動を展開する幼児たちに比べて、

小学生のグループは年齢が上がるにつれて、地味であまり活発とはいえない

遊び方に変化していきます。

 

<教室で子どもたちがしている遊び>

◆機能
1歳くらいから、目と手を協応させる遊び、手指の感覚を育てる遊び、

身体を使ってする遊びがはじまります。

 

★象徴

2歳くらいから、つもりやみたてがはじまり、

3歳くらいから、ごっこ遊びがはじまります。

模倣や社会的役割の理解と獲得が進みます。

 

☆構造

2歳半くらいから。
空間認知、創造性、仲間との協調性が育む構造遊び。

 

○数の世界
2歳半くらいから。数の敏感期とともに遊びが展開していきます。

 

■ルール

3歳半くらいから ボードゲーム カードゲーム

 

●知恵

4歳くらいから 頭脳パズルなど ニキーチンの積み木など

 

■抽象的思考

対話の中で、抽象的な考え方を深めていく

 

でも、表面的には、同じトランプゲームを繰り返したがったり、

だらだらおしゃべりしていたがったりして非生産的に見える時も、

それに適度に関わっていると、子どもの内面で具象から抽象へ、

興味の変化が起こっていて、大人の手を借りてそれをより深めたがっているのが

わかります。

 

現代の小学生は、きょうだいが少ないので、自分の家にも近所にも、

少し年上のお姉ちゃんお兄ちゃんという存在と接することができない子が多いです。

そのため、抽象的な思考力が発達する時期には、同年代の友達同士のおしゃべりや、

ひとりでぐるぐるろ同じところを回っていた考えを、

身近な大人にそっと軌道修正してもらう必要があるように思います。

間違いを正してもらうのではなくて、脱線しそうになる考えを、ひとまわり大きな

枠組みから捉えたり、他の視点から眺めたりできるような

質問をしてもらったり、相槌を打ってもらうことがいるんだな、と感じているのです。

 

先日も、小学校高学年の女の子たちのグループで、

「私はいつも運が悪いわ。先生(私のこと)は、今、運が悪いんだったら、

後でいいことがたくさん起こるんじゃない?なんて言ってたけど、前に運が悪かった

ときから思うと、今は後だと思うけど、やっぱり今も運が悪いわ」とぼやいている子が

いました。

「運が悪いって、具体的にいうと、どんなことがあったの?」とたずねると、

「具体的にいうって?」と聞き返します。

「ほら、よく石につまずくとか、くじびきで、はずればっかりだとか、実際に

運が悪いと思う理由になったひとつひとつの出来事のことよ」

「なら、ウノをするときは、運が悪い。配られたカードが悪いのばかりだから……でも、

ボードゲームとかだと、運が良いときもある。トランプのときも、

あんまり運が悪くない」

「Aちゃんは、ウノだと運が悪くて、他のゲームだと運が悪くないのね。

それなら、私はいつも運が悪いわって言葉は、私はウノをするときいつも運が悪いわ、

っていうある部分に限定した言い方に変えた方がいいんじゃない?」

「そうだけど……」と、ちょっと不服そうに口ごもりながらも、考え込んでいました。

グループのお友だちもこの問題についていろいろ考えていました。

 

<AはBである> (私はいつも運が悪い)

なんていう子どものつぶやきも、それをテーマに対話をすることによって、

抽象的に考えていく方法を学ぶ機会になります。思春期に近くなるにつれ、子どもたちは、

活発に楽しげに遊びを繰り広げるのではなくて、こうした日常で感じた心のささくれの

ようなものを相手に、「ああでもない、こうでもない、でも……」とぐずぐずと悩んだり

愚痴ったりするようになります。

でも、よく聞いていると、それは抽象的な思考を試して練習している場合が多いです。

脳が、そうした脳内の言葉だけの操作を求めるようになるんですね。

でも幼い頃から、「はやくはやく」とせかされて、ひとつの正解を求めて練習を

積むような訓練をたくさんしている子は、こうした自然な抽象的な思考への移行が

見られないときがあります。

子どもにゆっくりと考えを練る時間を与えてあげたいですね。

 

ひとつのことにじっくり関われる素地

2019-04-23 15:30:34 | 教育論 読者の方からのQ&A

小学3年生の女の子たちと

空気の圧力で水を飛ばす道具を作って遊びました。

 

うまくいかないとき、「こうかな?」「こうじゃない?」とあれこれやってみて、

やっているうちに「そうだ、こういうことやってみよ!」と閃いて、ためしています。

一人の子のアイデアで、ストローの先に空気の吹き込み口にプラスチックのコップ

を取りつけてみたら、うまくいきました。

 「遊び」に近い自発的な活動のなかで何かに夢中になって関わると、

学習する時の考える力の持久力が変わってきます。

 

理科実験や工作の後で解いた「つるかめ算」などを面積図で解く問題。

 

集中して頭を使うような遊びをした後は、

見たことがない問題を解くときに、柔軟に多角的に考えて、

自力でやりきろうとする態度がアップします。

 

「もっと問題を出して!」とやる気が高まっていたので、

つるかめの足が200近いケースなど大きな数で問題を出しました。

 

すると「結局大きい数になったって、筆算する時に(ケタが)増えるだけでしょ?」

と自分なりに基本を応用させて解いていました。

 

そういう姿を見ると、「あれもこれも」と将来役立ちそうな知識を詰め込んだり、

技能を訓練するよりも、

 「ひとつのことにじっくり関わることを楽しめる」素地を養うことが大事だなと

思いました。

 

それは「うまくいかないとき、わからないとき」に簡単に他人に頼ったり、

放りだしたりしないで、自分で試行錯誤をしていくことにつながります。

 

子どもの遊びの世界を豊かにすることは、

そのまま子どもたちの学力の向上につながっていくことを今回も強く実感しました。


大好きな段ボール工作

2019-04-15 15:31:38 | 教育論 読者の方からのQ&A

小学4年生のAくん、Bくん、Cくんはとにかく工作好きで、

段ボールを使って、大掛かりな作品をもりもり作ります。

この日、Aくんが作りたがったのは

ATMです。ここ数年の工作体験で、完成した形のイメージから展開図を描くことができる

ようになっているので、あっという間に形を作って組み立てていました。

 

 

Bくんは忍者屋敷を作っていました。

Cくんはお城を作っていたのですが、一度、作っていたお城を崩していたので、

写真を撮りそびれてしまいました。写真はカッターで折り筋を入れているところです。


いきいきや学童で豊かな時間を過ごす子どもたち

2019-04-07 22:16:00 | 教育論 読者の方からのQ&A

もうすぐ小学1年生になるAちゃんが、春休み中から始まっている学校体験について

うれしそうにこんなことを言っていました。

「あのね、いきいき教室(放課後の教室)に、こーんなにいっぱいおもちゃ(ボードゲームなど)が

あるんだよ。最初に宿題をして、それが終わらないと遊べないけど、すっごく楽しいから!」

「すごいね。楽しそうね。いきいき教室好き?」とたずねると、

「面白くって大好き!」と元気な声で言っていました。

この日、Aちゃんは虹色教室内のゲームを真似て、ペンギンのおにごっこゲームを作りました。

数年前、学童にボードゲームなどを置くようになってから、

子どもの知力やコミュニケーション能力が上がったという話を親御さんから聞いて、

このブログでも記事にしたことがあります。

当時はそうした学童はすごく珍しかったようですが、

最近は、学童での時間を豊かにしようと、お家にあるカードゲームやボードゲームを

寄付しているという話もよく耳にするようになりました。

この日、教室に来ていた別の子の親御さんも、

「うちの学童もさまざまなボードゲーム類があって

子どもたちがアナログなゲームを楽しんでいるようです」と言っていました。

そんな風に子どもの遊びを大事に育てていこうとする環境にいる子らは

概して遊ぶのが上手です。「こういうことしたい!」「こういうこと好き!」をたくさん

持っているし、自分でやりたいことを考えて、遊びを作っていく力を持っているのを感じます。

 

 

 


『フロー状態』が起きやすいような環境を作るには?

2019-03-09 20:16:00 | 教育論 読者の方からのQ&A

なかなか新しい記事を書く時間が取れなくて、過去記事をアップすることが多くて申し訳ありません。

「フロー」に関する記事をもう一度読みたいという声をかけていただいたので再アップします。

その前に最近いただいたコメントでうれしかったものをこちらに貼らせていただきます。

(コメント欄で埋もれてしまうと嫌なので)

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ご無沙汰しております。以前算数教室などでお世話になった娘も今日中学校を卒業です。
思考タイプと先生に教えていただいた娘は、その後メキメキと思考タイプを突き進み(笑)受験勉強には、まったく興味をみせず、中学になってからは、哲学書や思考実験の本を読みふける日々でした。
その娘は、高校受験をどうするかギリギリまで、悩んでいました。大学には行きたいものの、大学受験のためだけの勉強を3年間も費やすことに嫌気がさしているようです。
まさに知識を詰め込みすぎて、自由で柔軟な思考をする余地がなくなることに疑問を覚えたのでしょう。
私も仕事場で子ども達を見ていても、子ども達が自由に思考でき、挑戦し、失敗できる機会が年々減っていっているのを実感しています。
これから、グローバル化やAI化が進む未来で、答えをひとつと決めつけず、あらゆる可能性を考える力、また、、考える機械に『何を』考えさせるか?を考える力が必要になると感じています。
子ども達がのびのびと自由に思考の羽を羽ばたかせる世界を願ってやみません。
娘と「小学校の道徳の時間、せめて半分哲学にしてくれないかなぁ。楽しいのに!」なんて、話しています(笑)

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上のコメントを読ませていただいて、最近、中学生になった虹色教室の卒業生の男の子と女の子の

親御さん二名からも

「読書に夢中で、哲学書を熱心に読みます」とうかがって、「哲学書?」と意外に

感じる思いとうれしい気持ちを味わっていました。競争よりも

自分の考えをゆっくり練ることを大事にされてきた子たちです。

たまたまなのか、何か共通する下地があるのか、好奇心がそそられました。

 

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ずいぶん前のことになりますが、虹色教室では『ピタゴラスイッチ研究部』と

いうクラブを作って、自分で考えたアイデアを競いあうことをしていました。

競いあうといってもそれぞれの子の自分のアイデアですから、その子の個性が強く出て、

電気やモーターを使った仕掛けに熱中する子、音の出る仕掛けばかり作る子、

ゴールに凝る子と興味の方向が異なります。

優劣決めがたい互いに切磋琢磨する面白い研究報告になりました。

私は基本的に、材料の調達と、『フロー状態』が起きやすいような環境を

作ること以外はあまり手を出さないようにしていました。

「そんなものを使うの?」という子どもならではの変なアイデアが、

すごい動きを生み出すこともよくありましたから。

また、そうした遊びの興奮のあるうちに、レッスンの後半は算数や

数学の学習に集中させるようにしていました。「たくさん学んで、

もっと高度なことができるようになりたい」という気持を引き出したかったからです。

フローとは、人が時間も忘れて無我夢中になって何かに没頭しているときの

精神状態をいいます。

心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱されました。

やってることにのめりこみすぎて、行為と意識が溶けあうような感覚です。

子どもにフロー状態を体験させるには、管理しすぎず、

成果を求めず、それぞれの子が自然な状態で自分に自信が持てるよう支えることが大事です。

また、友だちと協力しあって同じ目標に向かって努力するときも、

それぞれひとりひとりの子が、

自分自身の好奇心や探究心に突き動かされて取り組めるよう支援します。

この当時、5歳だったピタゴラスイッチの研究部員さんたちは

勉強中もフローの状態を作り出すことができるように成長してきています。

この研究部は、アイデアマンの主力メンバーが受験に突入したことと、

幼い子たちが『化学実験』ばかりやりたがる時期が続いたので、半休部状態のまま

今に至っています。

それが最近になって子どもたちの間に、「面白い崩れ方をするドミノが作りたい」と

いう気持ちが生まれてきたので、ピタゴラスイッチ研究部、復活しそうな気配です。

 

ピタゴラスイッチ研究部の報告 無事にライトがつきました!

ピタゴラスイッチ研究部の報告 無事にライトがつきました!2

ピタゴラスイッチ研究部の報告 運動の向きを変える 1

ピタゴラスイッチ研究部の報告  運動の向きを変える 2

ピタゴラスイッチ研究部の報告 ビー球スライダー 1

ピタゴラスイッチ研究部の報告 ビー球スライダー 2

ピタゴラスイッチ研究部の報告 ゴール地点の工夫 3

ピタゴラスイッチ研究部の報告  ビー球がよくすべる波の形 

ピタゴラスイッチ研究部♪ 音の出る仕組み

ピタゴラスイッチのスタート部分♪

科学クラブでのピタゴラスイッチ研究 1

科学クラブでのピタゴラスイッチ研究 2

 

ピタゴラスイッチ作品のアイデアは、

これ以外にも面白いものがたくさんできたのですが、きりがないのでこれくらいで……。

これは昨日の小1生たちがドミノで遊んでいる様子です。

最初に円の上にドミノを並べてみて面白かったので、

もうひとつ作って、8の字を一筆で書くように倒れるようにしたいと思いました。

が、台にしている円形の板は周りが丸まっていて、

思うように交差しておくことができません。

そこで、8の交差する部分にあたるドミノを吊り下げる作戦に出ました。

よいアイデアではあったんだけど、これは失敗。

すると、ひとりの子が、この吊り下げたドミノを使ったゲームを思いつきました。

下にドミノを重ねておき、ひもをつけたドミノを上から落として

いくつドミノが崩れるか競うゲームです。

改良を加えて棒を1本足すと、カーブを描いてドミノが降りて来て

積んだドミノをはじくゲームが完成しました。

子どもたちが次々にアイデアを出しながら、自分たちで工夫しながら遊ぶようにするには、

子どもたちのひとりひとりが『フロー状態』に入っていけるように

環境や大人と子どもの関係を整えることが大切です。

おまけーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ピタゴラスイッチ研究部♪ 透明ホースの中を走る

ピタゴラスイッチ研究部員さんたちの研究発表です♪

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ピタゴラスイッチ研究部 と フロー

の記事を読んだ方からこんな質問をいただきました。

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『フロー状態』が起きやすいような環境を作ること

→この点について家庭でできること、親としてできることを教えていただけますと

嬉しいです。うちの子(もうすぐ3歳です)は非常に気が散りやすいタイプで、

遊びが長続きしません。おもちゃも次から次へと変えていきます。もう少し集中して

遊び込めないものか・・・と悩んでおります。よろしくお願いします。

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3、4歳の子たちは遊びが長続きせず、おもちゃを次々変えていくことはよくあります。

一つの遊びで遊び込むことができるように導くために、次のような点に注意して

関わっています。

 

① それぞれの子の敏感期に注目する。

手作業で夢中になること。知能面で敏感になっていること。

 

② その子の好み。個性。

色、形、作業の好み。頭の使い方の個性。遊びの好き嫌い。

 

③ 最近の出来事。その日、関心を持ったものなどに注意する。

体験したことを遊びに取り入れる見本を見せる。

 

④ 遊びのさまざまなシーンで敏感期の活動を満喫できるようにする。

 

今日、レッスンに来ていた3歳と4歳の★ちゃん、☆ちゃんの遊びを例に挙げて、

もう少し具体的に説明させていただきますね。

 

教室に着いた当初、★ちゃんも☆ちゃんも、

次々と遊びを変えて落ち着かない様子でした。

☆ちゃんは椅子が好きな子で、2歳くらいの頃も、教室にある子ども用の椅子を

部屋中に並べたり、重ねたりして遊んでいました。

 

人形劇の劇場を取ってもらいたがったので、☆ちゃんに渡すと、劇場の前に椅子を

並べだしました。

以前、教室で人形劇の劇場を作って遊んだことがあるのを思い出したようです。

虹色教室では、子どもが何か新しい体験をしたときは、それを

おもちゃや工作で再体験できるようにしています。

 

保育園の発表会を楽しんだ☆ちゃんと発表会の様子楽しんだ日の記事 

この日は2つ年上のお兄ちゃんが主になって、舞台装置の仕掛け作りをするのを

見るのと、お人形を椅子に座らせていくのが☆ちゃんの仕事でした。

 

それを思い出したのか、☆ちゃんは人形劇場を目にするなり、椅子を並べ出しました。

「もっと椅子がほしい」と言いました。

 

椅子とお人形を用意すると、どんどん椅子を並べては人形を座らせていきました。

(椅子は100円ショップで購入したグラグラゲームに入っていたものです)

☆ちゃんは真剣な表情で、「先生、前は小さい人が座って、後ろは大きい人が座るよ。

だって、前に大きい人が座ったら劇が見られなくなるから」と言っていました。

幼い子たちは、手と目を協応させて集中してやらなくてはならない作業を、

何度も何度も満喫するまで繰り返すのを好みます。

その子がやりたがる作業をたくさん行える環境を作ってあげることが大事だと

思っています。

また時折、イメージを育てるために、大人が体験を再体験できるような

見本を作ってあげることも必要です。

 

★ちゃんに、「何がやりたい?何が好き?」とたずねると、「ビー玉」と答えました。

らせんにビー玉が転がっていくおもちゃにビー玉を入れて遊びだしました。

★ちゃんは感覚に訴えることが好きで、こうした遊びをはじめると

いつまでも続けています。

集中しているとはいえますが、こればかりでは発展しない上、知力や想像力をしっかり

使って遊ぶ満足感は得られません。

 

そこで、★ちゃんが熱中する作業の一つひとつを

次の段階に発展させたり、個々の遊びをつないで意味を作りだしたり

する方法をいくつか提案しました。

 

上写真の左は、★ちゃんが遊んでいたビー玉がクルクルとらせんに滑り降りていく

おもちゃです。高い位置に滑り台を作って、滑り台から飛び出したビー玉が

らせんに滑り降りるおもちゃの中に入るようにしました。

★ちゃんは放射線状に落下するビー玉の動きに大喜び。

滑り台の高さや位置を調整しながら遊んでいました。

 

ビー玉がポンッと跳びあがるおもちゃと、受ける道具の組み合わせでも、

十分楽しんだあとで、受ける側の穴を滑り台につないだり、

ビー玉を飛ばす道具を椅子の上に設置して遊びました。

 

ホースをゴムで椅子につないであげると喜んでいたので、最初は転がして受ける

遊びをし、途中から、それまで作っていた線路に貨物列車を作って、

ホースを使ってビー玉の荷物を荷台に入れて、運んで行くというごっこ遊びをする

ことにしました。

 

このように敏感期の作業的な活動と見立て遊びがつながると、

子どもはとても長い時間、夢中になって遊ぶことがよくあります。

 


幼児が「よく考える」ようになるためのいくつかのステップ 5

2019-03-08 16:38:21 | 教育論 読者の方からのQ&A
幼児が「よく考える」ようになるために大事な3つめのことは、
「感じる」です。
特に自分の気持ちを感じて味わうという意味の「感じる」が大切だと思います。

「感じる」って、考えることと関係がなさそうですが、
幼児期に情緒的なものが十分発達しないと、
小学生になって、
ちゃんとがんばる気持ちの軸になるものがなくて、
「だるい~」「なんで、そんなんしなきゃならないの?」「どうでもいい」「べつに~」が口癖の子になってしまうかもしれません。

「できるようになりたい」
「ほめられたい」「認められたい」
「達成したとき気持ちがいい、スカッとする」「お友だちと共感しあいたい」「自分自身に満足」「もっとお話を読みたい」「あんな風になりたい」
といった前向きな気持ちは、

幼児期に、はずかしい、悲しい、うれしい、くやしい、さみしい、
といった気持ちをたくさん経験して、
大人に共感してもらったり、ゆっくり気持ちと向き合うのにつきあってもらって、自分の気持ちに通じていく先に生じてくる思いです。

幼児期に、悲しくても、寂しくても、「早く早く」「今忙しいから」「まだ泣いてるの?」「もうお姉ちゃんでしょ」と、感情を無視するように
教えられていると、
自分の基本の気持ちがだんだんわからなくなってきますよね。

そうすると、「どうして、人に優しくしなくちゃいけないのかわからない」
「どうして勉強しなくちゃいけないのかわからない~」
と、気持ちに関わることには、どれにも疎くなってしまうのも
仕方ありません。

子どもと接するとき、「教えたい」ことで接するのでなく、
気持ちを通いあわせることを一番にすることが、
「考える」ことを得意にする近道です。

ふしぎなだ、うれしいな、わくわくするな、悔しいな!できたらいいのにな、
いいな~うらやましいな、気持ちいいな、楽しいな

そうした気持ちが引き金になって、「知りたい」「学びたい」「考えたい」
という意欲が生まれるからです。

気持ちに気づけないのに、
知識だけインプットされても、
無気力や燃え尽きにつながる過剰ながんばりを生むだけですよね。

幼児期は、気持ちいいな、面白いな、不思議だな~といった「感じる」を
育むように心がけると、
自然と学ぶ意欲が高くて、
よく考える子に育っていくと思いますよ。

幼児が「よく考える」ようになるためのいくつかのステップ 4 <聞いた後で>

2019-03-08 12:51:33 | 教育論 読者の方からのQ&A

「聞く」にもいろんな技術があります。記憶力が良く、語彙が多く、
園や学校生活をいきいきと楽しんでいる子というのは、この聞く力が発達した子が多いです。

「語りかけ育児」や、アウトプットを求めずにシャワーのように子どもに
言葉をかけましょう~

と最初に発言した方は、
おそらく、子どもと大人の間に自然なコミュニケーションの形があることを前提として、そうした方法を紹介したのだと思います。

絵本の読み聞かせにしてもそうです。

まだ言葉がしゃべれない赤ちゃんであっても、
非言語の状態で、大人と子どもの間に、身振りや表情や目の動きや、
なん語によって、
「思い」がいったりきたりする関係があって、それを補うように
「語りかけ」や「読み聞かせ」があるのなら、
それは子どもにとって貴重な体験となるはずなのです。

が、この「語りかけ」や「読み聞かせ」が、子どもの「聞く」力を鈍らせ、
大人に素直に心を開かない状態を作ることもあるのに注意していただきたいのです。

どういう声かけがよくないか……というと、
日本人がテレビ画面に向かって、「あほやな~こうしたらいいのに、ぶつくさ~」と独り言を言うことよくありますよね。
テレビから返事があるとは思ってないので、
自分が見たまま、そこで感じたことを外に吐き出してそのまま~という言葉です。

また、テレビゲームをしていて、
「もっと右右!」「だめだめ、そうじゃなくて、あっちに行かなきゃ。はやく取りに行って!」とゲーム画面の主人公に向かって、
声に出さないとしても、独り言を言い続けるときがありますよね。
これも、テレビから返事があるとは思っていないので、
言いっぱなしです。

カセットテープに絵本を音読して録音するとき、
ひたすら読むことに集中しますよね。
これもカセットテープが何を考えてるかなんて考えず、
言いっぱなしです。

この機械に向かって「言いっぱなし」の習慣が、
そのまま乳幼児に向けての言葉かけでも使われているケースを
見かけることがよくあります。

そうした機械に対するような言葉かけは、どこで集中して、どこで受け答えすればよいのかコツがつかみにくい上、

子どもの内面から伝えたい、しゃべりたい、会話のキャッチボールがしたいという気持ちを
引き出しにくいです。

「伝えたい、しゃべりたい、会話のキャッチボールをしたい」という気持ちを育てるには、
大人の側に、子どもの言葉を聞きたいという姿勢があって、
子どもの言葉に共感する言葉と、
それを膨らまして子どもの気持ちを引き立てる言葉を返すことが
大事だからです。

つまり、「語りかけ」が上手になるということは、

まず大人が「聞く」のが上手で、
「うなずく」のが上手で、
子どもの言葉をうまく膨らますという点で「語りかける会話が豊富」という
意味だからです。

そんな風に大人が上手に「聞く」姿勢をしめしていれば、
子どもは自然に、どうやって人の話を
聞けば良いのかマスターします。
「聞く」といった簡単な動作でも、やはりお手本がないと難しいからです。