上の写真は、紙飛行機を飛ばす道具を作る小学生たち。
電池の向きを変えると、モーターの回転の向きが変わるので、
飛行機が飛ばないことに気づいて驚いていました。
(過去記事です)
コメント欄で次のような質問をいただきました。
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この4月から、4年生の理科を担当しています。
1学期は、自然観察、天気と気温の関係、電気のはたらきと学習を進めてきました。(教科書の順です。)
前の2つの学習では、テストをしても大した差は見られず、平均点もよかったのですが、
「電気」の授業・テストをして、これは!と歴然とした差が子ども達の中にあるのを感じました。
前の二つの学習は、目に見えるものを扱っています。
気温にしても、体感でどの子もある程度の経験量がある。
でもこの「電気」は、目に見えない上に、経験にも大きな差が。
問題を解こうとすると、抽象的な思考を要するんですよね。
するととたんにできなくなる子が続出!
見えないものをイメージするのがかなり難しい様子。
担任の先生方に聞くと、算数でも同じような状態になっているとのこと。
抽象的な考え方って、どれくらいで身につけていくものなんでしょう?
9歳~10歳の4年生の今が、そういう時期なのかなとは思うのですが、
(だからこそ、教科書にもそういった内容を扱う学習が出てくるのだと思うのですが)
一朝一夕に、身につけられる力ではないと思うのですが、
そうであっても、ただ何もせずそういう力がついてくるのを待つしかないのでしょうか?
そんなことを考えながら、ブログを読んでいたら、この記事に出会いました。
自分の手を使って、切ったり、貼ったり、組み立てたり・・・。
「工作」する中で、抽象的なものの見方などを育てることもできるのでしょうか?
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この質問をいただいてから、以前、教員をされていた☆さんと、
このコメントの内容についてお話する機会がありました。
(質問主さんと☆さんは別の方です)
「抽象的な見方や考え方は、どのようにして育つのでしょう?」とたずねると、
☆さんは、小学校高学年と低学年のふたりのお子さんをこれまで育ててくるなかで、
感じた考えを聞かせてくださいました。
☆さんの上のお子さんは、小さい頃から飲み込みが早く、記憶力が良くて、
人と関わりながら学ぶのが大好きな子でした。
おまけにまじめで聞きわけが良く、学習習慣もつけやすくて、
自分から進んでワークをするおりこうさんでした。
それで、☆さんは、この子にさまざまなことを教え、この子は驚異的なスピードで
マスターしていました。
ところが、このおりこうさんぶりが災いして、
9歳~10歳になった頃、抽象概念の理解につまずきはじめました。
この子はとても賢い子ではあるのですが、それまで大人が教えることを
できるだけ効率的に受動的に学ぶ習慣が身についていました。
そうして、教わってできるようになることの繰り返しでは、学習をどれほど先に進んでも、
それが抽象的な見方に発展していかないところがあったのです。
「ひとつの答え」を急いで求めようとする早押しクイズをしているような態度や、
大人から正しい解き方の説明をしてもらって、できるだけ素早く正確にマスターしようと
する態度は、抽象的な思考につながりにくいどころか、
それを邪魔するような遠ざけるような面があったのです。
一方、下のお子さんは、工作やブロック制作や自由遊び、親子の会話や日常生活の中で、
自分で体験して学ぶことが主で、☆さんは、極力、「教える」ことを控えて子育て
してこられました。すると、下のお子さんは、まだ低学年なのにも関わらず、
自分で論理的な筋道を立てて考えたり、抽象的な概念も正確に理解して問題を解いたり、
高い思考力で問題解決をするように育ってきました。
そこで、☆さんは、上のお子さんにも、教え込んで、その日のうちにわからせて
しまうことを避け、自分で自由に試行錯誤するゆったりした時間を与えるように
しました。また、日々の生活をゆっくりマイペースに過ごせるようにしたり、
友だちとの遊び時間を大切にしてあげるようにしました。
すると、時間はかかりましたが、上のお子さんにも、
抽象的な見方や考え方が芽生えてきました。
☆さんは、現在も教育関連のお仕事をなさっていて、そこで、子どもたちの知能の
発達や抽象概念を扱えるようになる子とならない子のちがいについて、
ていねいに観察しておられました。
☆さんいわく、「抽象的な見方や考え方は、大人に抽象的思考を教えられたから
身につくものではなく、子どもが自分で日常の体験を味わうことが大事で、
そうして自分の時間を過ごしている子は、脳が、ちゃんと抽象的な思考ができる状態に
自然に発達していくものですよ」というお話でした。
次回は、『よみがえれ思考力』(ジェーン・ハーリー 大修館書店)に書かれて
いる抽象的な見方や考え方を育むための方法を紹介しますね。
『よみがえれ 思考力』 ジェーン・ハーリー 大修館書店
には抽象的な見方や考え方について、次のように書かれています。
(要約して紹介します)
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十代の初期には、物の世界を習熟し終えて、抽象的な考えの操作へ進まなければ
ならない。
ある人は、ピアジェのいう「形式操作の思考」である抽象的な思考の段階に
達しているのは大人のに3分の2だけだと考えている。
おそらく、抽象的な問題に対して創造的な答えを生み出すことが要求される「課題発見」
とよばれる究極の段階に到達する者は、きわめてわずかだろう。
われわれの社会が、そういった能力をもつ人々をもっと多く必要としていることは
誰も異存はないだろう。
<抽象的思考の手立て>
◆ 演繹的推論
人間の脳は経験の中に規則や秩序をさがし求めるようにされている。
幼い子どもは情報のさまざまな断片に注目し、大きな規則や広いカテゴリーへと
それらの情報をまとめていくことを学習する。
「昆虫は全て足が6本みたいだ。だから昆虫であるということの規則は足が
6本であることにちがいない」というのは、帰納的推論である。
この語、一般的原理を取り入れ、未知の状況へ応用する。
◆ 仮説検証
問題について可能性の高い答えを考えだし、うまく機能する答えが見つかるまで
系統的に検証していくことは、科学的な推論の基盤である。
一つの考えに固執して、事実を無理やりそれに合わせてしまう傾向がある時期は、
大人の援助が必要。毎日出会うさまざまな問題に、心をひらいて対処していくことは、
この仮説検証という重要な成長へと向かう明確な水路である。
◆ 命題的論理
「メアリーはサリーより背が高く、サリーはマージーより背が高い。一番、
背が高いのは誰でしょう」という問題は、具体的操作を習得した子なら理解できる。
しかし、「雨が降っている。夏にちがいない。とすれば、夏であれば雨が降るのじゃ」
といった命題を理解することは困難である。
◆ 比率
比を扱う問題を心で操作できるようになるには、具体的な材料や公式を必要とする。
◆ 二次表象システム
代数と文法はどちらも別のシンボル体系を表すシンボル体系である。
幼い子たちには、規則を抽象的に応用することを期待すべきではない。
◆ 「抽象的な心的態度」
状況の外側に立ち、通常のかたちでは相伴うことのない考えを結びつける能力。
隠喩、文の中ではあからさまに述べられていないような推論、ある種のユーモア、類推、
自分自身の現実的な評価などである。
感受性の高い大人であれば、質問を正しくすることで、この種の推論へと
子どもたちを引き上げることができる。
◆ 抑制することの重要性
われわれは脳が活動的であることを好むが、過度に活性化された脳というのは、
一度にあまりにも多くの刺激に反応し、
考えから考えへと飛躍してしまうといった問題を生じやすい。
前頭葉の発達の研究では「内言」(自分自身との心的な対話)の重要性を強調している。
衝動的に行動を起こすのではなく、問題に対して心の中で一通りの言葉を使って
考えることができる生徒は学校において優秀であり、高次の思考技術をより早く
獲得することができる。
◆ 意志決定
身につけた新しい精神的見識が、個人の意志決定のための全く新しい構造を
若者たちにもたらす。その構造を使って実践するにつれて、
彼らは依存したいことと主張したいことをふるい分けるようになる。
(『よみがえれ 思考力』 ジェーン・ハーリー/大修館書店より)
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前回の記事で、知人の「抽象的な見方や考え方は、大人に抽象的思考を教えられたから
身につくものではなく、子どもが自分で日常の体験を味わうことが大事で、
そうして自分の時間を過ごしている子は、脳が、ちゃんと抽象的な思考ができる状態に
自然に発達していくものですよ」という発言は、上の<抽象的思考の手立て>を読むと
納得できるものです。
「演繹的推論」ができるようになるには、自分で身の回りの世界から規則や秩序に
気づく体験の蓄積が必要です。
でも、大人が教えたり、図鑑を見て最初から一般的原理を教えたのでは、
脳が経験不足に陥ったり、考えずに鵜呑みにする悪い癖が身に付きますよね。
また、「仮説検証」についても、子どもに教え込んでいく学習をさせると、
「自分が大人に教わったものだから正しい」というよく考えを練りもせずに、
ひとつの考えに固執して、事実の方を無理やりそれに合わせてしまう癖がつきがちです。
私が、大人や現代の環境が、子どもから、「内言」が発達することを奪っているように
感じています。自分自身との心的な対話は、子どもが自分でいろんな体験をして、
ゆったりしたその子の時間を与えられなかったら生じてきませんよね。
子どもをお勉強マシーンのように捉えて、次々課題をこなさせて、
そうした過度に脳を活性化させるばかりの活動が続くと、自分で自分と対話する
静かな時間が失われるのです。
その静かな子ども自身の時間を、学習漫画やパソコンやゲーム機でする知識を
インプットする知能が向上しているような錯覚を覚える活動で埋めては、
お得感(時間を無駄にせずにすんだという理由で)を感じるという親御さんがいます。
抽象的な思考力の発達という点からすると、そうした反射的な思考回路ばかり
強化するのはとても危険なことのように思われます。
子どもはボーッとしてゆったり過ごす時間に、自分で自分と対話をし、
自分の経験を振り返ってそこから規則を見出したり、自分の意志で選びたいものに
ついて夢想したりするからです。
といっても、ただ放任して時間を十分に与えたからといって、
どの子も抽象的な見方や考え方ができるようになるかというと、難しい問題です。
-抽象的な見方や考え方ができるようになるには、
次のふたつの体験がベースになっています。
◆ 身体、五感でする体験。
◆ 物に触れて、操作しながら具体的に考えること。
このふたつの体験の豊かな蓄積の上に、抽象的思考は成り立ちます。
「抽象的な思考力がないと「9歳の壁」を越えられない……だから、思考力を鍛える
ワークや頭脳パズルを早くから学習に加えよう」と考える方もいます。
でも、それは抽象的な思考力のごく一部にしか通用しないかもしれません。
思考力を養う教材で抽象的な思考を養おうとするのでは、
実際、抽象的に考える段階になったときに、身体感覚からのインプットの量も、
遊びや創作活動を通して触れる具体的に目で見て、手で扱って考えた体験の量も
少なすぎるからです。
物事を正しく認識し、文字や数など抽象的なシンボルを扱う思考力は、
身体を通して学び、感覚を統合させていく体験と、おもちゃや工作の素材に、
自由に働きかけて、手を使って何かを作りだしたり、想像力を使って見立てたり、
自分のアイデアを形にしたり、うまくいかない時には工夫して解決したりする体験を
通して養われます。
↑の写真は、ユースホステルでの工作作品です。
機械が大好きな2歳の★くんが、クーラーの室外機のファンが回る様子に
強い興味を示していたので、お母さんが★くんといっしょに作ったものです。
★くんは、紙コップで作ったファンをくるくる回したり、
スイッチをつけたり消したりする真似をして、大喜びでした。
2歳くらいの子にとって、「ある物が、何かの内部にある」という関係も、
実際、手で触れて出し入れしてみないと難しいものです。
このようにティッシュ箱の中に何かが入っている状態というのも、体験して初めて、
「わかる」ものだし、こうして手で扱えるものになってから、
「こうしたらどうなるのかな?」「こうやったらこうなるのか」
「あの機械は、こんな風な力で動いているのか」「くるくる回るのはこうするから
回るのか」と具体的な体験を通して考えることができるのです。
抽象的な思考をする力を育むには、
「身体と五感を通じてする体験の蓄積」
「遊びや創作活動を通じてする具体的な物の操作」
「内言を育むこと」
「親子の対話」
「読書」
「身近な大人が抽象的な思考を使う姿を見せること」
の6つが、とても大切なように感じています。
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虹色教室のグループレッスンでは、それぞれの年齢の子たちが好む遊びの機会を
提供して、それがより洗練されたものに展開する手助けをしています。
さまざまな年齢のグループレッスンに付き合っていると、
非常にさまざまな内容の濃い遊びや活動を展開する幼児たちに比べて、
小学生のグループは年齢が上がるにつれて、地味であまり活発とはいえない
遊び方に変化していきます。
<教室で子どもたちがしている遊び>
◆機能
1歳くらいから、目と手を協応させる遊び、手指の感覚を育てる遊び、
身体を使ってする遊びがはじまります。
★象徴
2歳くらいから、つもりやみたてがはじまり、
3歳くらいから、ごっこ遊びがはじまります。
模倣や社会的役割の理解と獲得が進みます。
☆構造
2歳半くらいから。
空間認知、創造性、仲間との協調性が育む構造遊び。
○数の世界
2歳半くらいから。数の敏感期とともに遊びが展開していきます。
■ルール
3歳半くらいから ボードゲーム カードゲーム
●知恵
4歳くらいから 頭脳パズルなど ニキーチンの積み木など
■抽象的思考
対話の中で、抽象的な考え方を深めていく
でも、表面的には、同じトランプゲームを繰り返したがったり、
だらだらおしゃべりしていたがったりして非生産的に見える時も、
それに適度に関わっていると、子どもの内面で具象から抽象へ、
興味の変化が起こっていて、大人の手を借りてそれをより深めたがっているのが
わかります。
現代の小学生は、きょうだいが少ないので、自分の家にも近所にも、
少し年上のお姉ちゃんお兄ちゃんという存在と接することができない子が多いです。
そのため、抽象的な思考力が発達する時期には、同年代の友達同士のおしゃべりや、
ひとりでぐるぐるろ同じところを回っていた考えを、
身近な大人にそっと軌道修正してもらう必要があるように思います。
間違いを正してもらうのではなくて、脱線しそうになる考えを、ひとまわり大きな
枠組みから捉えたり、他の視点から眺めたりできるような
質問をしてもらったり、相槌を打ってもらうことがいるんだな、と感じているのです。
先日も、小学校高学年の女の子たちのグループで、
「私はいつも運が悪いわ。先生(私のこと)は、今、運が悪いんだったら、
後でいいことがたくさん起こるんじゃない?なんて言ってたけど、前に運が悪かった
ときから思うと、今は後だと思うけど、やっぱり今も運が悪いわ」とぼやいている子が
いました。
「運が悪いって、具体的にいうと、どんなことがあったの?」とたずねると、
「具体的にいうって?」と聞き返します。
「ほら、よく石につまずくとか、くじびきで、はずればっかりだとか、実際に
運が悪いと思う理由になったひとつひとつの出来事のことよ」
「なら、ウノをするときは、運が悪い。配られたカードが悪いのばかりだから……でも、
ボードゲームとかだと、運が良いときもある。トランプのときも、
あんまり運が悪くない」
「Aちゃんは、ウノだと運が悪くて、他のゲームだと運が悪くないのね。
それなら、私はいつも運が悪いわって言葉は、私はウノをするときいつも運が悪いわ、
っていうある部分に限定した言い方に変えた方がいいんじゃない?」
「そうだけど……」と、ちょっと不服そうに口ごもりながらも、考え込んでいました。
グループのお友だちもこの問題についていろいろ考えていました。
<AはBである> (私はいつも運が悪い)
なんていう子どものつぶやきも、それをテーマに対話をすることによって、
抽象的に考えていく方法を学ぶ機会になります。思春期に近くなるにつれ、子どもたちは、
活発に楽しげに遊びを繰り広げるのではなくて、こうした日常で感じた心のささくれの
ようなものを相手に、「ああでもない、こうでもない、でも……」とぐずぐずと悩んだり
愚痴ったりするようになります。
でも、よく聞いていると、それは抽象的な思考を試して練習している場合が多いです。
脳が、そうした脳内の言葉だけの操作を求めるようになるんですね。
でも幼い頃から、「はやくはやく」とせかされて、ひとつの正解を求めて練習を
積むような訓練をたくさんしている子は、こうした自然な抽象的な思考への移行が
見られないときがあります。
子どもにゆっくりと考えを練る時間を与えてあげたいですね。