秋山菜津子さん、めちゃキュート!
涼風のカナメさんのミュージカル版の方がめちゃ悲劇性が強かった。
秋山さんのストプレ版は、同じ不条理劇なのになぜかユーモアに溢れていた。
ミュージカル版の方が圧倒的に不条理で残忍で救いようがなかったのに、
ストプレ版には、なぜか救いがあった。同じ悲劇なのにね。
そう思えたのは、もちろん脚本演出が違うのは当たり前のことですが、一番の違いは、やはり、カナメさんと秋山さんの演じ方と復讐心の度合いと表現の違いだと思った。
クレールは、かつての恋人でとんでもない裏切りをしたイルの死と引き換えに多額の寄付するというとんでもない条件を市民持ちかけるわけですが、
ストプレ版は、悲劇性というよりかは、滑稽というよりかは、ブレヒトの「三文オペラ」や「セツアンの善人」に似た風刺が利いた作品だと思った。
ミュージカル版は、カナメさんの狂気さ、市民が狂気に染まる様、イルがいつ殺されるか分からない緊張感が始終漂い、音楽がさらに助長させる役割を担っていましたが、
ストプレ版は、人間の心理を上手く描いている風刺劇だと思った。
誰もお金目当てにイルに死んで欲しいとは望んでないんよ。だけど、お金は欲しい。無意識ではイルに死んで欲しいわけよ。だれも自分の手を汚そうとはしないだけ。結局、…な展開になりますが、恐怖心は一切ない。ただただブレヒトみたいだと思っただけ。
設定は不条理だけど、伝えようとしているメッセージ性は、誰もが善悪の二面性を持ち合わせている、時と場合と状況と現実が善を悪に変えるということ。
まさしく今の世情を反映している。
どうでもいいスキャンダルに対して、あんた直接関係ないやん!?被害を被ってないやん!の方々によるSNS攻撃。ロシアと同じやんか!
私も人のことは言えないけど、身割れしていると思って書いてますけどね。
どこの社会もそうだけど、1人1人は善人なんだよ。でもね、集団になるとたちが悪くなるケースが多い。
1人の悪口に反応し、共鳴していく。収まるとこ知らず。そんなこと言ったらあかんで!なんて言うもんなら村八分にされてしまう。無意識にハミゴになりたくない心理が働く。
まだニ極に分かれて対立できるならまだいい。もちろん議論にかぎるけど。戦争みたいに武力で押さえつけるのは、善悪関係なくルール違反。
議論されできれば、我にかえれるチャンスがある。政治みたいに本音でなく自己都合しか語らないなら全く意味ないけど。
たちが悪いのは、少数派が多数派に支配されること。どちらが善であろうと悪であろうと圧倒的多数派が支配する。そこには平和はない。
その象徴がイル。過去の過ちが何十年も経って不条理な形で罰せられる。
皆、権力者財力者に傾倒していく。本音をぶつけても結局は現実に負けてしまう。
それが本当の現実。
本来の第一目的が、その目的を叶えるための手段が第一目的に取って代わることは大いにありうる。
いくら正義を主張しても、その正義を貫くための手段が第一目的にとって代わる。
クレールにとっての本来の正義は、イルを殺すことだったのだろうか?
街が裕福になるためには、イルを殺すしかなかったのか?
結局、市民はイルの二の舞いになって裕福になっただけ。きっとそのことは、将来、仕方なかったこととして揉み消されるだけなんだろね。
不条理だけど面白い戯曲だった。
ただ一言、あまりにも単調な見せ方だったので、正直眠たかった。
ミュージカル版みたいに、感情がぶつかり合うシーンはほぼないからね。
秋山クレールはずっとキュートのままだったからね。ミュージカル版みたいにクレールの狂気は感情では表現されていない。
今まで味わってきた屈辱を、究極の条件をつきつけることで楽しんでる感じ。もはや、サイコパスの領域やね。
ミュージカル版と似て非なるストプレ版でしたね。見比べると面白い!
ということで、今年初東京に行ってきました。
たまたま連休を貰ったから、今どんな作品をしているのか検索したら、この作品がヒットした。
ミュージカル版も観たしな…、ドイツ戯曲じゃなくスイス戯曲だけどドイツ語圏の作家だしな…、これだけのために東京に行くのはな…、同じ東京に行くならもう一つ観たいしな…
ということで、別の舞台も興味をそそられたので、東京に行くことにしました。
戯曲としては、本当に面白い。ミュージカル版とも似て非なる内容だったし、
なんせ、何度も書きますが、秋山さんがキュートにクレールを演じられていて、本当にカナメさんのミュージカル版とは別物の印象!
秋山さんは、声の出した方も振る舞いもキュート。確かに内心は、復讐心が煮えたぎっているのかもしれないけど、確かにサイコパスにも思えたけど、秋山さんのクレールには、最初から最後までアルフレードへの愛しかなかったように思えた。
イルを殺すことは、憎さや恨みだけではなく、独占めにしたい独占欲の表れのようにも思えた。
それは生きた形でなくていい。どういう形であれ、誰よりも自分がイルの側にいたいだけ。
究極の条件を突きつけて、結果的には、妻や子供が裏切るように仕向け、見捨てさせ、そして、イルが眠っている(喩え)棺と共に街を去る。
ミュージカル版は、置き去りにしてクレールだけ飛行機で出ていったよね?
秋山さんのクレールには、戯曲として観たらサイコパス要素が強いけど、演じ方は、圧倒的にユーモアの方が優ったね。
だから、ラストが余計、イルを殺すことが目的というより、イルと一緒にいたいことが第一目的だと思うクレール像でした。
やっぱ、秋山さん、元タカラジェンヌとちゃうの??と思うくらい歌が上手い!また、その歌詞がウケル!(笑)
ミュージカル版の時は、なぜカナメさんは杖をついて歩いていたのか、きっと聞き逃しているだけだとは思うが、理由は分からなかったけど、
ストプレ版は、むしろ強調してたね。足だけでなく腕も義手だった。
クレールは、何度も何度も死にかけたのに、何度も何度も生き返った、ある意味強運の持ち主。
財力も手にいれ、何でも財力で欲しいものを手に入れてきた。最後に、抜け殻でもあり、魂でもあるイルを手に入れた。
秋山さんには、やはり、残虐非道さだけではない、イルと愛し合っていた若いままのクレールだったんだろうな、と思った。ほんと、キュート過ぎて憎めなかった。
相島一之さん演じるイルは、この作品のヒロインならぬヒーローでもなく、悲劇の人ですが、相島さんもユーモア度が強いイル像でした。
クレールとイル、どちらに感情移入したかというと、正直どちらも感情移入しなかった。
そこはやはり、ブレヒト作品と同じで、登場人物に共感させることより、俯瞰して社会を見る、見比べさせる作品だと思った。
演出は、たしかにヤマ場がない単調な見せ方だったけど、ギュレンの街の貧しさを、特急列車も各駅停車も止まらない、客席側を列車に見立てた演出は良かった。貧しい市民たちが、エセ裕福になる様の見せ方も良かった。個人的にはイルが魂になる見せ方が好き!藁
あと、歌舞伎じゃないのに道行の台詞があったことに驚いた!
秋山さんと相島さん以外は存じ上げない方ばかりでしたが、皆さん声が素晴らしかった!
ミュージカル版をご覧になられた方は、比べる楽しさがありますよ!