この作品は、東京に行く前日に観たんですが、感想の下書きをしていたら、だんだん危ない思想家みたいになってきたのでUpするのをやめたんです。
でも、昨日のテル君のグスティを改めて観たら、ビックリするくらいグスティとイエス・キリストが似ていて、あ、考え方がね。原田先生は、この映画を観たん?敬虔なクリスチャンなの?と思うくらい人物像や展開が似ていて、グスティはまさにこの映画に出てくるイエスそのものなんですよ。
映画を観ていて疑問に思ったことが、グスティが答えを出してくれたみたいな感じでビックリだった。
なので、危険な思想家みたいなこと書いてますが、一意見としてお読みください。ま、読まなくていいです。かなり意味不明文章になっているので…。
映画を観終えた後の率直な感想は、やはり、私はクリスチャンにはなれない…と思った。
この作品が本当に聖書通りなら、イスラエルの内戦や紛争は永遠に終わらないと思った。
本当にイスラエルに平和をもたらす気があるなら、キリスト教徒もイスラム教徒もユダヤ教徒も皆一緒に、イエスが十字架に架けられて死んだ場所に行って弔いをすべきだと思った。宗教の隔たりを捨てて、イスラエルの民として弔うべきだと思う。
イエスだけ弔らったら、イスラム教徒やユダヤ教徒から反感をくらうのは目に見えるから、メディナのマホメットのお墓に行くことが最善だけど、それはあまりにも遠すぎるから、エルサレムにあるドームに行ってマホメットの弔いをするとか、ユダヤ教には開祖がいないからユダヤ教の中心的建物シナゴーグ、または神殿跡に行って、神様に祈りを捧げるべきだと思う。
まずは、エルサレム内、イスラエル内で宗教対立を解決すべき。宗教統一はしなくても、宗教対立だけはやめようよ。とりあえずお互いの宗教を尊重しよう。めちゃくちゃ理想論だけど。
それでも紛争が絶えないと思うよ。もはや紛争の原因は宗教問題じゃないからね。初めからそうなんだよ。宗教対立と思わせておいて実は利権争いと金儲けだもんね。
戦争で金儲けなんてマジありえん。もちろん、神様で金儲けしてる方々もね。あと、国民の血税を湯水のように使う政治家もありえん。増税するなら、土下座はしなくてもいいからせめてお願いの演説をしろ!と言いたい。
「天国は、ほんとうにある」の牧師さんみたいに、教会運営のために、副業して汗水流しているのはとても素晴らしいと思ったけど、お布施で金儲けしている宗教家とか、血税を財産の肥やしにしている政治家やその類はマジありえん。
この作品を観たら、思わず、政治家と税金のあり方に疑問が生じる。どこの国も昔から何も変わらないけど、国民はいつも権力者のいいように使われてるな…と思った。
全く、イエス・キリストに関係ない話ばかりして申し訳ありませんが…、
私は、クリスチャンじゃないので、旧約聖書も新約聖書も読んだことありません。が、家には新約聖書はあります(笑)
ミッションスクールの生徒でもなかったけど、何故か小さい頃からキリスト教とは縁があった。
小さい頃は、キリストの物語のアニメを観ていたし、学生時代はクリスチャンの友達もいたので、カトリックとプロテスタントの違いの説明も聞いて知っていた。旧約・新約聖書の噛り程度に勉強はしたことはある。
教会建築も好きだったから、ヨーロッパに行った時は教会巡りした。ステンドグラスが好き。教会なら、死ぬまでに、もう一度バルセロナのサグラダファミリアには行きたいね。
西洋絵画も好きだから、必然的に宗教画を見る機会も多い。
一時は、本気でクリスチャンになりたいと思ったこともあった。やはり、何故か宗教に対して冷めた自分がいる。神様の存在は信じるけど、特定の宗教には染まれない自分がいる。
どうも私はイエスの奇跡の数々が解せぬ。胡散臭いという意味じゃなく、イエスは奇跡を起こして結局何がしたかったのか疑問に思った。あんなことしたら反感買うにきまってるやん。
哲学的な言葉は、曖昧な表現に不信感を抱くし、それ以上に、死人を蘇らせたり、全身不随の人間を歩かせたり、傷を治したり…、思わず不公平って思ってしまうのは私だけ…?
もはや十字架に架けられるのは必然であり、イスラエルの紛争が未だに絶えないのも必然と思ってしまう。まさしくノアの方舟と同じ考えになってしまうんだけど…。
昨日のグスティを観たら、イエスは王になりたかったんじゃなく、平和な世の中をただ創りたかっただけなんだと理解した。
グスティは、リリホルンに暗殺計画があるから舞踏会に出席しないように忠告を受けたのに、まるで死を覚悟したかのように舞踏会に現れたグスティは、イエスと同じなんだよ。
イエスも、自身の死の預言を、神様の言葉でなく映像で神のお告げを悟るんですが、ユダに裏切られることも鞭打ちの刑も分かっているのに、お告げを受け入れるんですよ。
映画の中のイエスは、殺されても仕方ないくらい、洗脳力の怖さを私も感じてしまった。あんな奇跡を起こしたらアカンわ。KYな面もあるもんね。考え方も、一休さんのトンチみたいなこと言って、余計反感をくらうし。ユダもイエスの行いにやりすぎ感を感じたんだと思う。まさか自分の裏切り行為がイエスに死刑をもたらす結果になるとは思ってなかったんだと思うよ。
っていうか、映画が聖書通りならイエスは十字架に架けられなかった可能性もあったわけだし、イエスが殺されなくても当時は法律的に誰かが犠牲にならないといけなかったわけだから、当時の法律や制度にも大いに問題があったわけだよね???
グスティもイエスも、血を血で洗う争いの世をなくして、平和な世の中を築きたかっただけなのに、親友のヤコブを含め仲間や反対派の反感をくらってしまう。そりゃ、平和国家建設と舞踏会会場建設が結びつかないと思うよ。戦争好きな政治家なら余計。そもそも平和思想がないのが問題。
それに、重い税金を課すローマ帝国も今の日本となんら変わらない。なんのための消費税8%引き上げだったんだろうね。それから、なんのための消費税10%引き上げ先送りなんだろね?ちゃんと2%に見合うことしてるやん!?全くもって意味不明な今の政治。
だんだん、書きたいことが次々湧いてきて、益々意味不明な文章になってきた…。自分でも収拾がつかなくなってきたので中途半端ですが、切ります…m(__)m
結局言いたいことは、グスティとイエスは似てる、ということです。
宙組とメッセージは明日以降にUpします。
今日のまとめ:この映画、上映館数が少ないのに、大好きな美奈さんが日本語字幕担当されていてビックリでした。
いっときミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」の英語版のCDをヘビロテしてた時期があって、当たり前なんだろうけど、同じ台詞があって更にビックリした。
内容的にも「ジーザス~」とほぼ同じだったし、メル・ギブソンが監督した「パッション」と同じようなシーンがあって興味深かった。観る必要性を感じました。
去年の映画「ノア・約束の舟」から偶然&必然的にキリスト教関係作品や神様関係作品をたくさん観てますが、私は本当に神様はいると信じてる。でも、都合のいい神様はいないと思ってる。
でも、昨日のテル君のグスティを改めて観たら、ビックリするくらいグスティとイエス・キリストが似ていて、あ、考え方がね。原田先生は、この映画を観たん?敬虔なクリスチャンなの?と思うくらい人物像や展開が似ていて、グスティはまさにこの映画に出てくるイエスそのものなんですよ。
映画を観ていて疑問に思ったことが、グスティが答えを出してくれたみたいな感じでビックリだった。
なので、危険な思想家みたいなこと書いてますが、一意見としてお読みください。ま、読まなくていいです。かなり意味不明文章になっているので…。
映画を観終えた後の率直な感想は、やはり、私はクリスチャンにはなれない…と思った。
この作品が本当に聖書通りなら、イスラエルの内戦や紛争は永遠に終わらないと思った。
本当にイスラエルに平和をもたらす気があるなら、キリスト教徒もイスラム教徒もユダヤ教徒も皆一緒に、イエスが十字架に架けられて死んだ場所に行って弔いをすべきだと思った。宗教の隔たりを捨てて、イスラエルの民として弔うべきだと思う。
イエスだけ弔らったら、イスラム教徒やユダヤ教徒から反感をくらうのは目に見えるから、メディナのマホメットのお墓に行くことが最善だけど、それはあまりにも遠すぎるから、エルサレムにあるドームに行ってマホメットの弔いをするとか、ユダヤ教には開祖がいないからユダヤ教の中心的建物シナゴーグ、または神殿跡に行って、神様に祈りを捧げるべきだと思う。
まずは、エルサレム内、イスラエル内で宗教対立を解決すべき。宗教統一はしなくても、宗教対立だけはやめようよ。とりあえずお互いの宗教を尊重しよう。めちゃくちゃ理想論だけど。
それでも紛争が絶えないと思うよ。もはや紛争の原因は宗教問題じゃないからね。初めからそうなんだよ。宗教対立と思わせておいて実は利権争いと金儲けだもんね。
戦争で金儲けなんてマジありえん。もちろん、神様で金儲けしてる方々もね。あと、国民の血税を湯水のように使う政治家もありえん。増税するなら、土下座はしなくてもいいからせめてお願いの演説をしろ!と言いたい。
「天国は、ほんとうにある」の牧師さんみたいに、教会運営のために、副業して汗水流しているのはとても素晴らしいと思ったけど、お布施で金儲けしている宗教家とか、血税を財産の肥やしにしている政治家やその類はマジありえん。
この作品を観たら、思わず、政治家と税金のあり方に疑問が生じる。どこの国も昔から何も変わらないけど、国民はいつも権力者のいいように使われてるな…と思った。
全く、イエス・キリストに関係ない話ばかりして申し訳ありませんが…、
私は、クリスチャンじゃないので、旧約聖書も新約聖書も読んだことありません。が、家には新約聖書はあります(笑)
ミッションスクールの生徒でもなかったけど、何故か小さい頃からキリスト教とは縁があった。
小さい頃は、キリストの物語のアニメを観ていたし、学生時代はクリスチャンの友達もいたので、カトリックとプロテスタントの違いの説明も聞いて知っていた。旧約・新約聖書の噛り程度に勉強はしたことはある。
教会建築も好きだったから、ヨーロッパに行った時は教会巡りした。ステンドグラスが好き。教会なら、死ぬまでに、もう一度バルセロナのサグラダファミリアには行きたいね。
西洋絵画も好きだから、必然的に宗教画を見る機会も多い。
一時は、本気でクリスチャンになりたいと思ったこともあった。やはり、何故か宗教に対して冷めた自分がいる。神様の存在は信じるけど、特定の宗教には染まれない自分がいる。
どうも私はイエスの奇跡の数々が解せぬ。胡散臭いという意味じゃなく、イエスは奇跡を起こして結局何がしたかったのか疑問に思った。あんなことしたら反感買うにきまってるやん。
哲学的な言葉は、曖昧な表現に不信感を抱くし、それ以上に、死人を蘇らせたり、全身不随の人間を歩かせたり、傷を治したり…、思わず不公平って思ってしまうのは私だけ…?
もはや十字架に架けられるのは必然であり、イスラエルの紛争が未だに絶えないのも必然と思ってしまう。まさしくノアの方舟と同じ考えになってしまうんだけど…。
昨日のグスティを観たら、イエスは王になりたかったんじゃなく、平和な世の中をただ創りたかっただけなんだと理解した。
グスティは、リリホルンに暗殺計画があるから舞踏会に出席しないように忠告を受けたのに、まるで死を覚悟したかのように舞踏会に現れたグスティは、イエスと同じなんだよ。
イエスも、自身の死の預言を、神様の言葉でなく映像で神のお告げを悟るんですが、ユダに裏切られることも鞭打ちの刑も分かっているのに、お告げを受け入れるんですよ。
映画の中のイエスは、殺されても仕方ないくらい、洗脳力の怖さを私も感じてしまった。あんな奇跡を起こしたらアカンわ。KYな面もあるもんね。考え方も、一休さんのトンチみたいなこと言って、余計反感をくらうし。ユダもイエスの行いにやりすぎ感を感じたんだと思う。まさか自分の裏切り行為がイエスに死刑をもたらす結果になるとは思ってなかったんだと思うよ。
っていうか、映画が聖書通りならイエスは十字架に架けられなかった可能性もあったわけだし、イエスが殺されなくても当時は法律的に誰かが犠牲にならないといけなかったわけだから、当時の法律や制度にも大いに問題があったわけだよね???
グスティもイエスも、血を血で洗う争いの世をなくして、平和な世の中を築きたかっただけなのに、親友のヤコブを含め仲間や反対派の反感をくらってしまう。そりゃ、平和国家建設と舞踏会会場建設が結びつかないと思うよ。戦争好きな政治家なら余計。そもそも平和思想がないのが問題。
それに、重い税金を課すローマ帝国も今の日本となんら変わらない。なんのための消費税8%引き上げだったんだろうね。それから、なんのための消費税10%引き上げ先送りなんだろね?ちゃんと2%に見合うことしてるやん!?全くもって意味不明な今の政治。
だんだん、書きたいことが次々湧いてきて、益々意味不明な文章になってきた…。自分でも収拾がつかなくなってきたので中途半端ですが、切ります…m(__)m
結局言いたいことは、グスティとイエスは似てる、ということです。
宙組とメッセージは明日以降にUpします。
今日のまとめ:この映画、上映館数が少ないのに、大好きな美奈さんが日本語字幕担当されていてビックリでした。
いっときミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」の英語版のCDをヘビロテしてた時期があって、当たり前なんだろうけど、同じ台詞があって更にビックリした。
内容的にも「ジーザス~」とほぼ同じだったし、メル・ギブソンが監督した「パッション」と同じようなシーンがあって興味深かった。観る必要性を感じました。
去年の映画「ノア・約束の舟」から偶然&必然的にキリスト教関係作品や神様関係作品をたくさん観てますが、私は本当に神様はいると信じてる。でも、都合のいい神様はいないと思ってる。