「神は死んだのか」

2014-12-22 01:14:31 | 映画
う~ん、ラストの展開は頂けない…。

最初は、えっ!?(マイナス)と思い、途中から、おお~!!(プラス)と思ったのに、ラストで、はぁ!?(マイナス)と、感情の三段階・序破急があった内容でした(笑)意味不明発言をお許し下さいm(__)m

ぶっちゃけ書くと、ラストのキリスト教至上主義的な展開がアウト~!でした。

最初の、無神論者の教授と敬虔なクリスチャンの学生の対立が、ま、この作品の主題なんですが…、

私に言わせれば、神様がいるいないの論争自体が超くだらんわ!そんな論争が戦争を生むんや!と思いながら観てたので、学生に自分の価値観を押し付ける教授にも腹が立ったし、それに対抗する主人公の学生にも腹が立って、想像してた展開と違っていたので、えっ!?超くだらん!と思ってたら、

途中から、教授の無神論説を覆す学生の反撃の内容に、おお~!と思ったら、

ラストで、まるで、キリスト教が一番正しい宗教なんだ!と言わんばかりの、その押し付けがましさに、はぁ!?と思ってしまった訳であります。

内容的には、前回の「天国は、ほんとうにある」に通じるものがあったし、私が言いたかったことも描かれていて、途中からええ作品やん!?と涙までこぼれたのに、ラストの改心(改宗)させる押し付けがましさに辟易してしまいました。

たくさん登場人物がいて、各々全く関係がないように見せつつも、実は一本の線で結びついていた人間関係の見せ方は良かったし、無神論≠反有神論{=(神様はいない≠神様を恨んでいる)}の展開も良かったし、愛が分かっている・分かってない登場人物の描かき方も上手かったし、何より、偶然の出来事の描き方が良かった。

私は、偶然の出来事=神様のイタズラ、だと思っているので、いろんな出会いや出来事が偶然ではなく必然であるかのようにちゃんと描いていたから、途中からは涙が出るくらい感動してました。

なのに!なのに!あんな人道的でない改心シーンにムカついた。

具体的な言葉は忘れましたが、ドストエフスキーの言葉が引用されていて、神様がいなければ道徳はない、みたいな言葉にまたもや導かれた感を感じてたのに(笑)その言葉を否定するかのような非人道的な改心シーンがマジ頂けない!
キリスト教はええ宗教やろ?みたいな描き方にマジ幻滅。

あそこは、まず救急車を呼ぶことが先だろ!?それか、神を信じる=深い愛、を描くべきだろ!?神様の存在を信じさせることより、愛の力を学ばせることの方が大事だろ!?と思ってしまった。

学生が教授に、自分の価値観を学生たちに押し付けるな!みたいなことを言わせておいて、最後は、キリスト教徒のライヴで『God is not dead!』をメールするように呼び掛けなんかも超押し付けがましい。神様を信じるか信じないかは、自由意志だと言っておいて、あの半強制メールはないやろ!?と思ってしまったのは私だけか???

本当に、途中の描き方は良かったんだよ。神を信じる者の暴力シーン。私が言いたかったのはこれっ!と思ってたけど、ラストの展開を観てしまうと、これも反イスラム教的なキリスト教側の描き方だったから違う意味で不満。

私は、聖書の言葉を全く否定する気はない。聖書の言葉には曖昧な表現もあってキリスト教内でも解釈の違いがあるようだけど、解釈も人それぞれあって仕方ないと思うし、悪く解釈しなければ、良い言葉だと思う。

ほんま、宗教があるからこそ、道徳があるのは確かにその通り!だと思ったから、良い作品やん!?と思ってたのに、本当に残念なラストでした。

ラストのメールのシーンで、私も友達や家族にメールしよう!と思った方がいたら、これが全体主義の怖さだと知って欲しい。まさしく洗脳です。危険…。

ぶっちゃけ、監督、脚本家、プロデューサーは何を一番に伝えたかったのだろうか?めちゃくちゃ疑問に思う内容&展開でした。アメリカ至上主義派?それともアンチ?まったくもって謎…。どちらとも解釈できる。

は、いいとして、この作品を観て、ラースの「アンチクライスト」と「ニンフォマニアック」の共通台詞だった“夕陽に多くを求めすぎた”の意味が分かった気がした。

人間は、神様に多くを求めすぎ!なんでかんでも、困った時の神頼みで、都合よく上手く事が運ぶことはない。そんな都合のいい神様はいない。いたらこの世の中本当に犯罪だらけ。逆に、上手く運んでいたからといってそれが本当の幸せでもない。

ちゃんとそこも描いていたのに、何故あんなラストにしたんだろう…?

人生最期の時の恐怖を和らげるにも、宗教の力は大きいと思う。怒ることより、受け入れることの方が数倍も楽になることもある。それも描けていたのにね…。ちなみに、私が最期の時は、寿命が分かっているなら力がある限り愛の言葉をこのBlogに残しますよ!(笑)

偶然の出来事って、本当に神様のイタズラだと思うね。いつも拝読しているブロガーさんと、同じ日に同じ作品を同じタイミングで観てたことも一度や二度だけでなく多々あってビックリしたことがあります。顔は存じ上げませんが、ニアミスの確率は高いですよね。不思議なこともある。

最近、タイムリーという言葉をよく使っているんですが、本当に偶然の結び付きに驚いてます。

つくづく、縁は必然なんだと思う。

好い人に出会えたら、そして良い出来事に遭遇したら感謝の気持ちを忘れず、その逆だったら、自分に課せられた試練だと思ってあの手この手を使って円満に乗り切ることを心掛ける。これが今の私の信念。

昔は本当に短気だったからよく家族や他人様にキレてた。今思えば、あれは、私の人間性を試す神様のお試しだと思ってる。常々自分の器の小ささを思い知らされてた気がする。そもそも愛も知らなかったし、反発ばかりで感謝の気持ちがなかった…。

映画の登場人物のように神様の存在を完全否定していた時代を思い出すと、生きにくい人生を自分で作り上げていたことにつくづく後悔している。人生の半分は損してたね。神様の存在を信じるだけで、大分生き方が楽になった。神様はちゃんと私を見ていると思うと悪いことは出来ない。

もし、今の精神状態で当時に戻れたら全く違う人生を歩んでただろうね。でも、あの過去があったればこその今だから、結局は経験が全てなんだよね。最初から悟りをひらいてる方が不自然なんだよ。人生は常に学びの繰り返しってことやね。

そうそう、あの主人公の学生が、どうしてあんなに敬虔なクリスチャンなのか?神様を信じているのか?を描いて欲しかった。

この作品はオススメしませんが、「天国は~」の方をオススメします。

今日のまとめ:ということで、クリスマスが終わる前にシネリーブル梅田に行ってきました。そして、白カップGet!っていうか、白カップしかなかった…。

今日も一段と寒い日だったのでグリューヴァインがめちゃくちゃ美味しかった!