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「弥々」

2013-08-22 23:50:41 | 舞台
今回はこの作品がメインで東京に行ってきました。偶然「二都物語」と時間が合い、どちらも東京でしか観れないということで1ヶ月前から計画を立ててました。

それはさておき、

1994年の木村光一さん演出版、2009年の一人語り版、NHKで放送された木村光一さん演出版も観ているし、2009年の時にとんちゃんのサイン入りの台本も買って読んだことあって、自分の中ではもう内容を消化しきっているもんだと思い込んでいたんですが、今回観させてもらってまだまだ消化出来ていなかったことが分かったし、自分の勘違いにも気付いたし、新たな発見もあって、何より初めて泣けました。本当、東京まで観に来た甲斐は大いにありました。

ブログにも書きましたが、私本当にドストエフスキーが好きで、本当に死ぬまでに一度はペテルブルグに行きたいんですよ。それはここ数年の夢ではないのに、最近になって台本を読み直した時に、“アリョーシャ”と“ペテルブルグ”とまさにmyキーワードがこの台本に書かれていて、なんで今まで気付かず完全にスルーしてたのかビックリでした。

アリョーシャと言えば、まさに「カラマーゾフの兄弟」の一応主人公。舞台などでは長男のドミートリーが主人公になることが多いですが…。

ペテルブルグはまさにドストエフスキーの作品群のほぼ舞台となる街だし、ドストエフスキーのお墓があるとこです。

だから今回の東京出向は、ディケンズとドストエフスキーに導かれたと思ったんですよ。導かれたからといって特別何か良いことが起こる訳じゃないけど、ま、有意義な1日ではありました。

それはさておき、今回、とんちゃんの一人舞台を観て、何回も観ていたはずなのに、同じ台本なのかと疑いたくなるくらい響いてくるものが今までと違ってました。

こんな台詞あったっけ…?と思う箇所があったり、もちろん、演出自体も今までとは全然違っていたので、感じ方も違って当然なんだけど、やっぱり今日はドストエフスキーに導かれた!と思う瞬間があって、弥々が一瞬「白痴」のナスターシャを思わせる台詞があって、矢代氏も間違いなくドストエフスキーに傾倒していたはずと思いました。実際は分からないけどね。

ドストエフスキーもまたマグダラのマリアを描こうとして「白痴」を書いたんじゃないのかと思ったら、めちゃ勘違いだと思うけど泣けてしまったんですよ。

とんちゃんの作品に対する思い入れは今までと違っていたのも分かったし、今までは矢代氏が描かくマグダラのマリアだったけども、今回はとんちゃんの「風立ちぬ」のような“生きる”ことに対する強いメッセージを感じました。

これもぶっちゃけ書くと、今回観させてもらうまで、弥々がマグダラのマリアだとは思ってなかったんですよ。ふしだらな女性だと思っていて、宮城野の方が断然マグダラのマリアだと思っていたんですが、弥々もマグダラのマリアだと思えたらまた泣けてきました。

弥々は自分に正直な女性だったんだよ。そして正真正銘心から自分に素直になるまでに随分と年月を費やしただけなんだと思えたらまた泣けてきてね…。

たくさんたくさん苦労してたくさんたくさん傷付いて、それでも生きていく源には良寛がいたんだと思えたらまた泣けてきた…。

なんで今までその弥々のピュアさに気付かなかったんだろう…と思ったら、自分の理解力のなさを凄く思い知らされました。

本当に今回の「弥々」が見納めになるのか分かりませんが、新しい弥々に出会えたこと、新たな発見できたことに、東京まで来た甲斐が本当にありました。導いて頂き感謝してます。今回観なかったらずっと勘違いしたまま過ごしていたかもしれないからね。

プラスな勘違いならいいけど、マイナスな勘違いはよくないもんね。

観れる方はもう限られてますが、チャンスに恵まれた方はラッキーだと思いますよ。私自身、初めてこの作品に出会ったのは、私が観たくて観たわけでなく、たまたま地元で演劇を観るサークルに友達と入っていて定期例会として観たのがきっかけだったんです。これからご覧になる方はとんちゃんファンではなく、純粋に演劇が好きな方がメインなので本当にラッキーだと思います。

当時はとんちゃんの七色の声音と表現に感動してましたが、まさかそれから約二十年の縁となる作品、しかも「宮城野」もしかり私に大いなる影響を与える作品になるとは思ってもみませんでした。

演劇は心です。表面の上辺ではなく、人間の中の心を表現し観るのが演劇です。演劇に関わらず、芸術は想像し創造する美学。とんちゃんの「弥々」はそれを教えてくれます。

弥々に代わって私も言わせて頂きます。過去も未来もあるけど、いつでも今が一番若いんです。そう、『今だって行ける』んだよ!頑張れ、若者たちよ!

お前も頑張れなんて言わないでね(笑)

今日のまとめ:矢代静一って何者???恐るべし劇作家です。

訂正:ここで書くべきじゃないんですが、字数制限のためここで訂正させて頂きます。一つ前の「二都物語」に関して。浦井君の帝劇出演は2011年の「ダンス・オブ・バンパイア」以来でした。超勘違いでした。なんか、全然感慨深くなくなった(笑)

「二都物語」

2013-08-22 16:58:52 | うらけん
超久々の東京に行って参りました。いつもだと見えない誰かに後ろの襟首掴まえられて“てめぇ、東京に行くんじゃねぇ!”←ちなみに広島弁じゃなく、関東弁だからね(笑)って感じで何某の理由で行く手を阻まれていたんですが、今回は何事にも邪魔されず、逆に“えっ、行っていいの???”と不安に思いつつ、「ヒアアフター」じゃないけどディケンズとそしてドストエフスキーに導かれて東京に行って来ました(笑)

そんな話はさておき、本題に入ります。

率直に書くと、一幕目はなんやってん!?と思うくらい二幕目が良かった!一幕目もそうなんだけど、井上カートンが素晴らしい!まさか、泣かされるとは思わなかったくらい二幕目ラストの井上カートンに感動しました。奇跡は自分で起こすものなのに、カートンは自分を犠牲にして愛するルーシーのために奇跡を起こしてあげるという流れが、宝塚版もそうなんだけど、東宝版はよりリアルに描かれていてめちゃ泣けました(涙)

宝塚版だとあそこで(←どこやねん)終わるんだけど、東宝版は伏線の延長線があって、カートンってずっと孤独だと思っていたけど、最後の最後まで同じ囚人に対してまるで神父様のように寄り添っている姿がまたエエんよね(涙)

台詞も素晴らしいけどその台詞を決して胡散臭くなくリアルに発した井上カートンが本当に良かったです!

これ、ぶっちゃけ書いて申し訳ないですが、わたくしあまり濱田さんの癖のある歌い方が好きじゃなかったんですが、二幕目は役が乗り移ったかのような歌い方だったのでめちゃ良かったです。迫力ありました。物語のキーパーソンでもあるので、二幕目の濱田さんも良かったです。パンフの濱田さんの言葉でファンになりそうになった(笑)

色々言われているすみれルーシーはそんなに悪くなかった。確かに日本人なら日本語頑張って欲しいと思った。厳しいこと書くけどマテ・カラマスと違って来日されたお客さんじゃないんだからね。歌も声もいいし、何より見栄えする容姿なのでこれは努力あるのみ。

すみれルーシーは、その日本語が邪魔して、ルーシーの深層心理が見えないのが非常に残念だった。深層心理ではカートンに惹かれているか?やはりチャールズだったのか?っていう細かい部分が曖昧で微妙でした。このルーシー役はすみれさんよりすみ花の方が良かったのでは?と思ってしまった…。ラストのチャールズを想ってのソロはめちゃ良かったですよ。

で、この作品の観るきっかけのメインの浦井君は、低音がより深みが出ていてとても良かった。井上君とのハモリは素晴らしかった!でも、ソロでは何故か高音で歌ったりと、さっきは低音で次は高音…みたいな歌い分けが意味不明だった。思わず、低音で通せよ!と思ってしまったほどm(__)m

そういえば台詞も声もシーンごとにトーンを変えてたね。私には不自然に聞こえた。これは遊び心だとは言わない。チャールズという人物の軸がズレるのでやめた方がいいと思う。たまにチャールズと違う人物が入ってくるのも見ていて残念だった。チャールズとカートンは顔は似ているけど性格は全く違うわけだから、それにチャールズは超二枚目な役なんだから、物足りなさがあるのか余裕があるのか分からないけど余計な遊び心は要らないと思った。

二幕目は完全に悲劇の人になるので全く問題なかったんだけど、浦井君に関わらず、一幕目は無駄なことが多くて、再演があるならカットしてもっとスッキリした方がいいと思うm(__)m

チャールズって、一見誠実そうに見えてちょっとズル賢さもあり、でもやはり誠実さがあるという人物描写は良かった。←ルーシーに告白するシーンね。人間臭さがあってそれがリアリティーになるのでとてもいいと思いました。

カートンも同様に、飲んだくれのようで、実は誠実さがあるのと同じで、人間臭さが見事に描写されていましたね。カートンやチャールズだけでなく他の人物にも人間臭さがあって、キャラクターは面白いのが揃っていると思いました。全て二幕目で活かされてましたね。

ぶっちゃけ、この作品期待してなくて、一幕目が終わったとき、ま、こんなもんか~と超上から見てましたが、二幕目が殊の外ミュージカルらしい展開で、テンポよく、群衆の見せ方や流れがとても自然で良かったです。なのに、何故に一幕目はあんなにテンポも悪く、長くしたのか不思議に思った。思わず、休憩入れたトータルは三時間じゃないとアカンのか!?2時間半じゃダメなん?って思ってしまったほど…。

色んな意味で、第一幕は第二幕の引き立て役になっていて、第二幕は見応えありました。

ストレートプレイ畑の演出家の鵜山さんのミュージカル演出は、ぶっちゃけ、栗山さんの「マリー・アントワネット」より良かったです。ただ、帝国劇場でのミュージカルなのに、マイクの響きがストレートプレイ並みだったのが、あまり聞き心地が良くなかった。生声にこだわりたかったのか分かりませんが、歌声に迫力が欠ける原因になるのでボリュームを上げた方がいいと思います。あれは帝国劇場で見せるミュージカルの演出方法ではないと思います。それが一番演出として気になりました。

今日のまとめ:久々の東京で、十年以上ぶりの帝国劇場。感想を書こうと思って浮かんだのが、浦井君も「エリザベート」以来の帝国劇場出演だったってこと。2010年、浦井ルドルフ観る気満々だったのに…と思うと、帝国劇場の舞台に立つ浦井君という視点で考えると感慨深いものがありました。観劇中は一切そんなこと思わなかったけどね(笑)

井上君はそれこそ「マリー・アントワネット」以来だったのですが、やはりあなたは凄い!帝国劇場で観る井上君はそれこそ「エリザベート」以来やもんな。実は記憶にないけど…m(__)m「マリー~」はぶっちゃけ作品自体好きではなかったのですが、今回のカートン役は座長だけはある説得力のある演技でした。一幕目、井上君が現れて空気が変わったもんな。浦井君、井上先輩からたくさん見倣うとこがあるよ。やはり一番は姿勢やと思うけど(笑)

東京に着いて「二都物語」観劇までの2時間半で都庁と新国立劇場に行ってきました。今回の目的の一つ?2つ?だったので…。昔、新国立劇場のZ席チケットゲットのためによく並んだことを思い出してました。中劇場の空間は東京の劇場では一番好き。全部の劇場知らないけど…(笑)そんなこと受付の人と喋ってました(笑)仕事中すみませんでしたm(__)m目的は観劇ではなくパンフレットを買うことだったんですが…。まだ売ってて良かった「ヘンリー6世」(笑)それにしてもめちゃ凄いキャストやな!?

都庁はもちろん、ガラカメファンは行かないとダメでしょ!?っていうのが目的でした。あんなモニュメントがあるなんて知らなかった…。

今回の東京出向のメインの目的は実は「二都物語」でないんです。また後でか、後日書きます。