朝早く起きて植木鉢のサフィニアやコニファー、クチナシなどに水やりをすることが日課の始まりだ。いつものように空を見上げて雲の有無や流れる方向を見つめていて思い出した。昨日の早朝3時のNHKラジオ深夜便だ。なぜか雑念が頭に湧き出して眠れなくてつけたラジオが“氷川きよし特集”をやっていた。うつらうつらと聞いていた歌声の中で、なぜか一曲『甲州路』だけに頭に残ったフレーズがあった。”恋はこりごり甲州路” に続いて、一番は“明日はいずこか浮浪雲(はぐれぐも)”、二番は“なんで振り向く浮浪雲”、そして三番の“足の向くまま浮浪雲”で曲は終わる。「はぐれ雲」なる雲の名称があるのかどうか定かではないが寂しいイメージが“つきまとう。
僕は氷川きよしの演歌などをしっかり聞いたことがない。ましてやご本人のことは名前以外には全く知識がない。ただ周りの人から彼はカミングアウトしてジェンダーレス(社会的男女の区別をなくすという考え方)になったということは聞いている。社会から期待される生き方より自分の思う生き方を選ぶ人が増えてきた。自分を大切にしてくれる人は自分以外にはいない、などとの主張は度々耳にする。それは性別に関係することだけではない、“私は貴方の期待に沿うために生まれてきたのではない。あなたはあなた、私は私(I’m not in this world to live up to your expectations. You are you and I am I.)” と詩にしたのは心理学者、精神分析のFrederick S. Perlsだ。社会が複雑化してきて僕らの世代には生きにくい社会になってきた。シンプルに残りの人生を…などと考えながら、空にポツンと置き忘れられた浮浪雲に共感を覚えるのはきっと僕だけではないだろう。
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