梅雨晴間の一日、山仲間と地元の田上山へ水晶取りにいった。先ずは、事前予約していた田上鉱物博物館に立ち寄り、館長より説明をうける。田上山が禿山となった由来、それが水晶の発見につながったこと、日本人は水晶に興味を抱いたが、トパーズには興味がなく、鎖国がとけて日本に来た海外の宝石商は谷底にごろごろ落ちていたトパーズを筵のかます包んで海外に送り出したことなど。そして、トパーズ、石英、雲母などの標本をガラス越しにみる。晶洞標本を見るなどして、館長に礼をして、水晶が沢山掘り出されたという鎧堰堤に向う。途中、ツルハシ、採石バッグ、ゴム長の3人グループに遭う。珍しい笹百合にむかえられて鎧堰堤に辿り着く。阿弥陀が原で昼食。一息ついてから、河原の砂を篩にかけて水晶探し。Mさんは白雲母のかけらを見つける。太陽に照らすとキラキラときれい。しばらくすると仲間の何人かがゴロリゴロリと河原に寝る。涼しい風。鶯の囀り。30分程して次の目的、堂山をめざす。堂山の頂上に着いた頃にはみんな景色のすばらしさに水晶取りのことは忘れたようだ。五味谷を下山。こんな近くにすばらしい山のあることを感謝して帰る。
笹百合の薄紅かおる二輪かな
夏鶯や笹舟の流る水晶採り
梅雨晴れや河原に遊ぶ水晶採り
手の平に夏日かがよう白雲母
惟之
田上山は明治期から花崗岩鉱物の山地として、日本で岐阜県恵那地方、福島県石川地方とともに三大産地の一つに数えられた。もともと水晶は飾り玉にするなどして産物となっていたが、トパーズは加工には向かないために放置されている状態だったという。これに目をつけたのは来日した外国人宝石商だ。地元の人々を雇って拾わせ、海外に持ち出されたトパーズは明治年間に700kgに及んだ(田上鉱物博物館ホームページより)。
田上山は明治時代トパーズの世界的な産地であった。トパーズを筵のかますに詰めて馬で送り出したと伝えられている。また、「ナウマン象」や「フォッサマグナ」の発見で知られる東京大学の初代地質学者E.ナウマン(1886~1951)は田上山の調査とともに日本で最初の多面体結晶の研究をおこない、その採取標本の多くは大英博物館に収められている(田上山案内図パンフレットより)