水彩画と俳句の世界

自然を愛し、感性を大切にして「水彩画と俳句の世界」を楽しんでいます。

花えご

2008年06月28日 19時29分34秒 | 夏の俳句
花が落ちた後に星雲のように渦まいている卵形のエゴの実。この白緑色の実は、サポニンの一種を含み、潰して水に溶かすと良く泡出るので、昔は子供がシャボン珠遊びをするのに使ったり、洗濯石鹸の代わりにしたりしたようだ。

花えごの匂いの風と仰ぎけり    神山佳子
咲き初めて早散りかかるえごの花  ほうきのぶゆき
えごの実や葉裏に涼しさ吊り下げぬ 





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スーホーの白き馬

2008年06月27日 21時48分29秒 | 春の俳句
夏椿

スーホーの白い馬駆け霾ぐもり 池田洋子

「スーホーの白い馬」はどんな馬? 
空は黄砂でどんより曇り
きっと白い馬は山の麓か稜線を駆けている雲
どんどん形は崩れてやがて消えてしまう

雲を見ているとあきないですね。
夏の句ですが 

「クレーンを吊上げそうな夏の雲」
「湖風や頭突きしそうな夏の雲」
「スピッツの如く夏雲比良駆ける」
       
                惟之
    





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額紫陽花

2008年06月26日 13時45分34秒 | 静物

額紫陽花を略して額の花ともいう。
花の中心に細かい粒状の花があり、
それを囲むように大形の装飾花が
並び、額縁を思わせる。
紫陽花の母種とされる。やはり、
梅雨の花は紫陽花が一番よくにあう。

雨つけしまま剪らせたる額の花  川崎展宏 

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特急ひばり(クレパス)

2008年06月24日 15時51分43秒 | 子たちの作品
研介5歳の作品

このころ、わら半紙に電車の絵ばかり描いていた。わたしも一緒に。

なにしろ、公園にさくらを描きに行ったらキャンパスに桜色の電車が走っていた。
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ふねにのって(クレパス)

2008年06月24日 15時34分31秒 | 子たちの作品
だいすけ 5歳の作品

「おおきくてきれいにふねにのって うれしそうですね」

と先生の赤鉛筆の記載あり。

画面いっぱいの船・窓・煙突・煙・タイヤ・波・太陽・人物・レーダー

構成が緻密で大胆、色の配色もいい。
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赤い靴の女の子(ちぎりえ)

2008年06月24日 15時21分56秒 | 子たちの作品
ゆか5歳の作品

平成2年度の幼稚園修了記念作品

赤い靴の女の子と花と樹と蝶
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戦時下の小学5年生が描いた絵日誌

2008年06月20日 21時32分42秒 | 写生会・展覧会
龍谷大学瀬田学者で戦時下の瀬田国民学校の小学5年生(担任西川綾子教諭)が描いた絵日誌が公開された(6月13日から6月23日)。大津市歴史博物館に保管されていたわら半紙の絵日誌191枚は、私をタイムマシーンに乗せて、戦中の昭和19年4月から20年3月の60余年前の世界に運んでくれた。印象を17文字に詠んでみた。

戦争の影濃き絵日誌夏の展
桜咲く建部神社の祭かな
国のため誓いも新た始業式
巣作りの藁を銜えぬ親燕
憎らしき頭上に敵機黒き影
実験の教材黒ぐろ瀬田しじみ
天長節の唱歌練習しかる声
楽しみやえんどう豆の試食会
蜂取りや道具の一つかんかん帽
大根を遺影に供え授業かな
壮行式終えて下校や麦の秋
麦刈りや「かかえ刀」の薙刀(なぎ)の形
苗代の虫取り数え50匹
疎開の子足元軽き夏衣
瀬田の子のモンペ姿の草鞋かな
草取りの子らに手を振る汽車の人
遠足で模型飛行機飛ばしおり
七夕の笹に飾りぬ兵隊さん
にこにこと胡瓜の花や学習園
女の子田草抱える素足かな
秋の朝日の出の刻を計りおり
芋蔓と唐辛子炊く試食会
警報や頭巾の奥の冬めがね
雪の日の「敦盛の最後」の授業かな
湯たんぽや甘酒作りの麹菌
左義長や伊勢神宮に焼夷弾
麦の芽のぐんぐん伸びて敵機来る
玉入れは敵機落しの運動会
運動会胸ドキドキと一等賞
教室の国語の時間菊一輪
稲すずめ飛びて案山子も風揺れる
裁縫の針の運びや赤い糸
冬の日や東京・大阪大空襲

 戦争の記憶展

冬の夜の灯火管制深き闇
オクラホマ轟沈記事のセピア色
鍋囲む出征前夜の子ら若き
終戦のあとの戦死の多かりし

                  惟之

               
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第50回響高槻句会

2008年06月19日 20時01分28秒 | 句会・吟行
          

日時:平成20年6月19日(木)13:30~17:30
場所:高槻市統合市民交流センター 遊の工房

句会のいつものとおり楽しい雰囲気の中、選句は以下のとおりでした。

4点句 梅雨寒や天変異変を恐れつつ よう子
3点句 峠まであと一呼吸夏薊    よう子
    入梅や道草少年畦にあり   久子
    新生児並ぶ病室さくらんぼ  敬子
2点句 夏木立百用箱の屋根ひかる  惟之
    光秀の逃避適わず木下闇   心太
    睡蓮の未だ眠りおり朝の池  惟之
    万緑や忙しくなる庭仕事   照子
    短夜や浅き眠りの明け早き  捨弘
    年金でたたぬ暮しや衣換え  哲雄
    噴水のところと決めて待ち合わす  よう子

お気に入りの一句
    白ばらの一片ひらりムーンサルト  ひろよし
    

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畑の棚田

2008年06月17日 21時01分47秒 | 風景
 
新緑の峪へ落込む棚田かな

暑き日や水音ばかりの棚田かな
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梅雨晴間の水晶採り

2008年06月15日 19時25分52秒 | 夏の俳句
                    

 梅雨晴間の一日、山仲間と地元の田上山へ水晶取りにいった。先ずは、事前予約していた田上鉱物博物館に立ち寄り、館長より説明をうける。田上山が禿山となった由来、それが水晶の発見につながったこと、日本人は水晶に興味を抱いたが、トパーズには興味がなく、鎖国がとけて日本に来た海外の宝石商は谷底にごろごろ落ちていたトパーズを筵のかます包んで海外に送り出したことなど。そして、トパーズ、石英、雲母などの標本をガラス越しにみる。晶洞標本を見るなどして、館長に礼をして、水晶が沢山掘り出されたという鎧堰堤に向う。途中、ツルハシ、採石バッグ、ゴム長の3人グループに遭う。珍しい笹百合にむかえられて鎧堰堤に辿り着く。阿弥陀が原で昼食。一息ついてから、河原の砂を篩にかけて水晶探し。Mさんは白雲母のかけらを見つける。太陽に照らすとキラキラときれい。しばらくすると仲間の何人かがゴロリゴロリと河原に寝る。涼しい風。鶯の囀り。30分程して次の目的、堂山をめざす。堂山の頂上に着いた頃にはみんな景色のすばらしさに水晶取りのことは忘れたようだ。五味谷を下山。こんな近くにすばらしい山のあることを感謝して帰る。

 
笹百合の薄紅かおる二輪かな
 夏鶯や笹舟の流る水晶採り
梅雨晴れや河原に遊ぶ水晶採り
 手の平に夏日かがよう白雲母

               惟之


 田上山は明治期から花崗岩鉱物の山地として、日本で岐阜県恵那地方、福島県石川地方とともに三大産地の一つに数えられた。もともと水晶は飾り玉にするなどして産物となっていたが、トパーズは加工には向かないために放置されている状態だったという。これに目をつけたのは来日した外国人宝石商だ。地元の人々を雇って拾わせ、海外に持ち出されたトパーズは明治年間に700kgに及んだ(田上鉱物博物館ホームページより)。

 田上山は明治時代トパーズの世界的な産地であった。トパーズを筵のかますに詰めて馬で送り出したと伝えられている。また、「ナウマン象」や「フォッサマグナ」の発見で知られる東京大学の初代地質学者E.ナウマン(1886~1951)は田上山の調査とともに日本で最初の多面体結晶の研究をおこない、その採取標本の多くは大英博物館に収められている(田上山案内図パンフレットより)



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