あれは、一月ほど前のことだろうか。高校の同級生だったクミコから電話がかかってきた。
クミコというのは、信濃グランセローズ球団に入っている、松本匡礼(まさひろ)選手のお母さん。
さては松本君の試合観戦とかの、お誘いかな。
松本君は、2009年春より信濃グランセローズに入団しており、その激励壮行会にお招きいただいたときの事を、09年2/12のブログにもUPしている。
松本君は、入団三年目にして、今季キャプテンに就任し、地元新聞でも紹介されていたばかりである。
と、思ったら、お誘いは思いのほか、中原監督の講演会についてであった。
今度K町のジュニアスポーツ連盟主催で中原監督を呼ぶので、もしネコタが来たいというのなら、子供と関係者対象なのだが、頼んでやってもいい、とのこと。
もちろん、二つ返事でお願いした。
中原英孝監督は、現在長野日大高校野球部監督。
2008年、就任3年目にして長野日大高校を、創部50年にして初の甲子園(春のセンバツ)へ連れて行き、ベスト8まで勝ち進む。更に翌年2009年には、初の夏の甲子園にも出場を果たし、K町出身の2年生投手K君を擁して、ベスト16まで勝ち進んだ。
それ以前に、松本市の松商学園高校野球部の監督をしていたときに、長野県の高校野球史上に残る大活躍(センバツ準優勝、夏ベスト8、国体優勝)を見せたチームを率いて、その名を全国にとどろかせた経歴を持つ、名監督。
その年、1991年の快進撃は、野球不振と言われ続けた長野県じゅうを、熱狂と興奮の渦に巻き込んだ。
かくいう私も、当時東京にいながら、郷里のチームの活躍を、「長野県人の名誉」とばかりに熱を込めて応援していた。
そして一年間熱中した挙句、その感動をなんとか形にして残したいと、快進撃とその舞台裏を追い続け、執念で『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』という本にしてしまった。
快進撃から15年もの時を経た、2006年3月のことである。
松本匡礼君は、その中原監督の松商野球部時代の秘蔵っ子で、09年の壮行会にも、こんな山奥のKくんだりの、Fよりさらに奥のM地区まで、監督自らが運転してかけつけて下さっている。
豪快で快活。熱血漢。
歯に衣着せぬ、迷言?にして名言の数々。
それでいて、人間味のある温かい包容力と指導力、名将らしからぬ腰の低さと気遣いは、多くの人を魅了してやまない。
私は、91年当時から、中原監督の大ファンなのだ。
本が出た時も、長野の日大野球部部室まで、特急「しなの」に揺られながら(←ホントに揺れるんです、この電車。きもぴわるい・汗)、本を届けにいった。
この本は、郵送ではなく、自分で直接、中原監督の手に届けたい、と思ったからだ。
もちろん、とても喜んでくださって、ついでに部長さんが部員全員に読ませたいと、50冊も本を買ってくださった。
思い出しても、夢のようなひと時だった。
その後、2009年の松本匡礼くんの壮行会で中原監督とはお会いできたのだが(これもクミコの計らいで、中原監督が来るからネコタもぜひ、と声をかけてくれたのだ)、今回は講演会ということで、また、違ったドキ2感がある。
お土産に、Kの銘菓とKの地酒をたづさえて、いざ、出発。(監督、たしかお酒お好きだったよね? ウチ、酒屋だし・笑)
講演は、ジュニアスポーツ連盟の指導者、父兄、子供たちが対象なので、会場に集まったのは、必ずしも野球をやっている子供、とは限らないのだが、やはり、野球小僧達が、前のほうに陣取り、熱心に聞き入っていた。
中原監督の幼少期に野球に熱中したことから始まり、高校、大学(明治・高田繁氏と同期)と指導者に恵まれたこと、大卒で母校、松商学園に監督として就任、最年少で夏の甲子園に連れて行ったこと、などが語られる。
大人の指導者向きの、やや難しい内容だったので、とちゅう監督みずから子供たちの前に出向いて、名前を呼び、語りかけ、質問をする、というコミュニケーションをとりつつ、子供の注意を引くという、ここでも、抜群の指導者ぶりを発揮。
最後まで飽きさせない、名調子“中原節(ぶし)”で、会場を魅了した。
花道を通って、拍手で会場をあとにする際、場内で挙手をして目立っていた男の子に、中原監督自ら手を差し伸べて、握手をしていた。
近くだったので、あとで「よかったねー」と語りかけると、はにかみながら、すごく嬉しそうに笑っていた。
あの子にとっては、おそらく、一生の思い出になったのではないだろうか。
大卒で、初めて監督に就任したのが22歳。
現在65歳の中原監督は、まだまだ充分若く、エネルギッシュ。相変らず元気いっぱいである。
だが、平成産まれの子供たちからしたら、既に祖父の年代になっていることも確か。
1991年の松商快進撃でさえ、生まれる前の出来事なのだ。
91年、5対5の同点で迎えたセンバツ決勝戦。
広陵の攻撃に2アウトをとり、延長戦突入かと思われたそのとき、下松の打った球は、それまで35イニング連続無失点記録を打ちたて、7回途中までをたった一人で投げ抜いて降板、ライトについていた上田佳範の、はるか頭上を越えていく。
サヨナラ。
このとき、すぐ近くまで打球を追っていたセンター清沢悦郎は、上田の足に当たって跳ね返ったボールを拾い、試合終了後の両チーム整列の際に、広陵チームの選手に手渡した。
「あの痛恨の敗戦時に、相手チームを思いやれるとはさすがである」。主審の永井さんをうならせ、そのような選手を育てた名監督として、中原を賞賛した。
という話が監督の口から語られたとき、なつかしさに、思わず、涙が出そうになった。
あのときの松商チームの思い出は、中原監督にとっても、永遠に、特別なのだ。
そしてそれは、私たちにとっても・・・。
一生懸命取材をしたけれど、本にならなかった。
私は、松商野球部に足を向けて寝られない。
そんな、罪の意識にさいなまれた15年だった。
縁あって、15年目にして、ようやくそれが本になった。
控え室で、中原監督は、もう既に絶版になっている私の書いた本のことを、知人の男性に熱心に紹介してくださった。
私のことを立ててくださっているのだな、と思ったものだが、どうして、監督のおっしゃっていたことは、心からの本音なのではないか、と思えてきた。
選手達にとってももちろんだが、中原監督にとっても特別な、青春の、心の軌跡。
それを言葉にして、本という形にして、残せて、ほんとうによかった。
そのお陰で、こうやって今でも時々、お元気な中原監督に、堂々と?会うことができるのだ。(もちろん、いつも声をかけてくれるクミコには感謝です)
ほんとうに、嬉しいし、ありがたいことである。
中原監督、いつまでもお元気で、その熱血漢ぶりで、野球少年たちをエネルギッシュに指導していてくださいね。
ちょうど15歳下の私は、中原監督というお手本を見ながら、がんばってみようかと思います。
人生、まだまだ、これから、ですよね!?
今回、講演対象者でもないのに、クミコの計らいで混ぜていただいて、しかも、監督の控え室にまで、お邪魔させていただいてしまった。
まことに恐縮です。(^^;)ゞ
と、いいつつ、しっかりカメラを用意し、ご一緒に撮らせていただくという、ぬかりのなさ・笑。 (掲載に関しては、もちろんご本人のご了承を得ています。)
中原監督とツーショット。 久しぶりの再会で、ちょっと緊張。ドキ2。
左端は、同級生で松本匡礼くんのお母上であらせられる、松本久美子さん。
アネゴ肌の肝っ玉かあさんで、どーんとしていて、とても頼りになる。
野球部仲間のお母さんたちからも信頼され、一目置かれる存在なのでス。(*^^*)v♪
* * * * *
参考
自著書『松商ナイン1991年の快進撃~球児たちの15年~』(2006年郷土出版社刊・絶版)
この年の甲子園で、松商チームは、あのイチローやゴジラ松井とも対戦しています。
ご興味をもたれた方、県内の図書館、または古本ネットでお求めいただけます。ぜひ、ご覧になってみてください。著者、渾身の「スポーツドキュメンタリー」です。
ついでに、ちょっと、宣伝。えへへ。(^^;)ゞ
絶版なのに宣伝しても、今更しょうがないってか!? 笑。
帯(オビ)は、中原監督が放った名ゼリフ。松商快進撃を象徴しています!!
創立50周年で初の甲子園出場では第80回記念大会の2008年春の選抜ベスト8です。
よろしくお願いします。
直しましたので、目を通していただけると幸いに存じます。
加藤さんて、もしかしてあの加藤君の・・・ご本人ではないと思うから、ご家族の方ですか?きゃぁ☆ だったら嬉しいけどハズカシイ・・・(^^;)
中原監督の講演会ではお世話になりました。m(__)m
加藤くんは、大学でもがんばっておられるのでしょうね。よろしくお伝えください。
カテゴリーとしてはスポーツかなと思ってここにコメントすることにしたよ。
長男の軟式野球チームが、全国春季大会(3月の震災で10月に延期になりました)で優勝しました。私も開催地の静岡で2泊して応援してきました。まさか優勝するとは思っていなかったので、ビックリびっくり、子どもたちのパワーってすごいんだねえ。
それまでずっとベンチが多かった(試合には時々でては交替されたり)長男が、怪我で出られなくなった子もいて、全国大会では全試合ほとんどフルで出て、優勝の瞬間の感動をグラウンドで味わうことができたのは本人にとって大きかったようよ。あんまり感情を出す方ではない長男の、あんなに泣いてる姿を見たのははじめてだった。私も楽しませてもらいました。
しかし、余韻に浸っているわけにはいかない。ウチの子は高校でも野球は続けたいようだけど、強豪校でレギュラーを目指すような気概や実力はないから、早く頭を切りかえて、受験生の自覚をもってほしいわあ。
ただ、これまで野球を続けてきたことや、仲間は財産だから、この経験を自分のこれからに生かしていって欲しいと願う母です。
ちなみにチームのキャッチャーは女の子なんだよ。
ちょっと嬉しくってジャレへの報告です。
カテゴリーとしてはスポーツかなと思ってここにコメントすることにしたよ。
長男の軟式野球チームが、全国春季大会(3月の震災で10月に延期になりました)で優勝しました。私も開催地の静岡で2泊して応援してきました。まさか優勝するとは思っていなかったので、ビックリびっくり、子どもたちのパワーってすごいんだねえ。
それまでずっとベンチが多かった(試合には時々でては交替されたり)長男が、怪我で出られなくなった子もいて、全国大会では全試合ほとんどフルで出て、優勝の瞬間の感動をグラウンドで味わうことができたのは本人にとって大きかったようよ。あんまり感情を出す方ではない長男の、あんなに泣いてる姿を見たのははじめてだった。私も楽しませてもらいました。
しかし、余韻に浸っているわけにはいかない。ウチの子は高校でも野球は続けたいようだけど、強豪校でレギュラーを目指すような気概や実力はないから、早く頭を切りかえて、受験生の自覚をもってほしいわあ。
ただ、これまで野球を続けてきたことや、仲間は財産だから、この経験を自分のこれからに生かしていって欲しいと願う母です。
ちなみにチームのキャッチャーは女の子なんだよ。
ちょっと嬉しくってジャレへの報告です。
同じもの2度投稿してしまいました。
あと大会は10月ではなく9月でした。
それは、親子でいい体験をしましたね。ほんとに、そういう体験は「宝物」だね。
でも、何も強豪高でレギュラーを目指すだけが野球ではないのだから、普通の高校で部活として楽しんでもいいのではないですか? 本人が続けたいのなら、やってみればいいような気もします。(ただその向こうに大学が控えているとしたら、部活命、だけでも困るかもしれませんが・笑)
大丈夫よ。野球でそれだけがんばれたんだから、受験勉強もきっとがんばれるよ。
それを信じて、見守ってあげてね。(^_^)v
キャッチャー、女の子だったんだ。女子だけのチームじゃなくて、男の子と一緒のチームでそれだけできるなんてすごいね。いまはもう、そういう時代なんだね。(HPの「スポット」の記事、前号がうちの地元の少年野球チームのことが載っているの。よかったら、のぞいてみてね。(^_-)☆)
ワカ、いつも見てくれてありがとう!
そういっていただけると、うれしいです。がんばります。o(^^)o
そうだねジャレのいうとおり、何かを掴んだ息子を信じて見守りましょう今は文化祭に頭を切りかえて、ダンスに熱中しているぜっ
またねっ