雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

わらべうた

2011-11-22 | 日記
 「ふっ」と、子供の頃に歌った歌が頭に浮かんだ。その一つをネット検索してみたら、私が憶えてているのと、所どころ違っている。 どうやら地方で変形しているようだ。 

   一は 因幡の白兎(白兎神社)  (一の宮) 
   二は 日光東照宮
   三は 讃岐の金毘羅さん     (佐倉の宗吾郎)
   四は 信濃の善光寺
   五つ 出雲の大社(おおやしろ)
   六つ 村々鎮守さん
   七つ 成田の不動さん
   八つ やはたの八幡さん
   九つ 神戸の楠公さん      (高野の弘法さん)
   十  ところの氏神さん     (東京二重橋)

        ( )内は、ネット検索で出てきたもの

 数え歌ではないが、ある武将の幼少時代を歌った童謡を思い出した。 

  父は尾張の露と消え  母は平家に捕えられ  兄は伊豆(み)に流されて  己一人は鞍馬山

 こちらは、ネットにたくさんUPされている。 (み)は、伊豆だけだと字足らずになるので、勝手に加えて歌っていたのだるう。 「こんな歌聞いたことがない」人にクイズ「その武将は誰」ネットで調べるまえに考えてほしい。 4托(1、鞍馬天狗 2、平清盛 3、源義経 4、猿飛佐助)

 もう一つ、ある出来事を歌った歌である。

  義に勇むますらおが 忍び しのび入る 狙いよる君の仇 吉良の義央 更けし夜の雪空に 人はいねたり 時はよし いざ進め 今宵さいごぞ
  
 これも少し間違って覚えているようだが、強いて記憶のままで書いてみた。 


お馬鹿タレントって、賢い

2011-11-21 | 日記

 お馬鹿クイズ番組が、MCの不祥事とかで一つ消えた。 似たような番組があって、ここでもお馬鹿タレントが活躍している。 義務教育を受けている筈なのに、九九が言えない。 そればかりか、ABCが言えない。 H I J K の次あたりから怪しくなり、何度繰り返しても、ハチャメチャ。 私は、このようなタレントは、テレビのお馬鹿クイズ番組に出たいがために、きっと演技をしているのだと思っている。 この演技でガッポリとギャランティーをせしめているのだから、クイズ番組を見て、「お馬鹿だ、お馬鹿だ」と大笑いをしているサラリーマンよりも余程賢くてしっかりしているように思える。

 「このひと、おかしいんじないのか?」と思えるマンガ家もいる。 60才を悠に超えている爺が、クイズに答えられなかったら、「習っていない」所為にしていた。 人生、学校で習うよりも学校を卒業してから学習することの方が余程多い。 そして、知らないことの方が、誰しも多くて当たり前だ。 それを「習わなかった」所為にするなんて、どうかしている。 答えられなくて、きまりが悪いのなら、勉強すれば良いと思う。 クイズ番組にでるのも仕事だったら。   (写真が種切れになったので、(部屋に飛び込んできた枯葉を写した)

 


マツサージチェアーを作りました

2011-11-21 | 日記

 「作りましたシリーズ」の第3弾は、磁気按摩椅子です。 あの有名若手プロゴルファーも使っていただくことになりました。 その名も「たよらんとって」

 マッサージチェアーの背もたれ部分全面に、3000ガウスの小粒磁石を取り付けました。 磁力線は血液中の鉄分に働きかけ、鉄分をくっ付けるのではなく、何故か血流をよくすると言われています。 また、座面は全面をマグネットラバーにして、痔の予防効果を期待してみました。 

 モミ玉はバイブレーター機能も備わっていて、振動とモミモミ機能が相まって、首筋、肩、背筋、腰までを万遍なく揉み解すと思われ、「かたたき」の歌で多分気持ちよく夢の世界に誘ってくれます。 15分経つと自動的に電源が切れます。

 おまけ機能として、手が自然と震える年配の方のために、振動腕バンドが付きました。 これは、手の震えに位相反転した振動を与え、相殺作用により震えと振動が止まる効果をを期待するものです。 振動数と位相は手の震えにあわせてツマミで簡単に調整が出来ます。  

 おまけ機能がもう一つ。 頭上に顔までスッポリと入るヘルメットが付きました。 手元のボタンを押すと、このヘルメットが上がり下がりします。 この中には、ゲルマニウム・ローラーが装着されていて、顔面をコロコロしてくれます。 これにより、美肌効果を期待してみました。

 なお、当方はさまざまな効果を期待するものであって、効果を保障するものではありません。 念のため。


ルームランナーを作りました

2011-11-19 | 日記

 皆様のご要望にお応えしまして、多機能ルームランナーを開発いたしました。 一歩も戸外へ出たくない、人に接することに苦痛を覚える、そのようなナイーヴな方向けに、既に市販されている機能の上に、さらに「ボランティア機能」を付けました。 

 ボランティア機能とは、付属の「篭」を背負って走り、ボランティア機能ボタンを押しますと、お部屋に散らばっている空き缶とか、ビン、カップラーメンの器、ちり紙、ポリ袋などをマジックハンドが拾い集めて、背中の篭に放り込んでくれます。 さらに優れたところは、篭を背負い忘れた場合ボタンを押しても動作しません。 まだあるんです。カップラーメンの器や、ビン、缶に液体がのこっていた場合は、バキューム機能が働き、内蔵のポリ容器に吸い込んでからゴミを篭に入れてくれます。 まだまだあるんです。 ランニング終了後、ゴミを分別してくれるんです。

 吸い込んだ液体は再利用され、本体横のコックを回すと、栄養ドリンクとして紙コップに注いでくれます。 運動が出来、部屋の片づけも出来、栄養ドリンクまで作ってくれる高機能ルームランナーは、あなたのニーズにぴったりではありませんか? 

 うん、それはいい。 素晴らしい機能ですね。 私も一台買ってみようと思います。 (さくら=偽客)


好きな曲6・家路の歌詞

2011-11-19 | 日記
 ふと口遊んでいる「家路」の歌詞が曖昧だったので、学生時代に使っていた歌集を探してみた。
 (株)学生社発行の「学生歌集・第二集」に、久野静夫さん訳詞の「家路」があったが、 自分が覚えていたのとは少し違っていた。

   1   もりのこずえ、くれそめて、
       ねぐら急ぐ、鳥七つ
       ごともるる、灯の、
       うるみうすれ、またたけば、
       遠き彼方、ふるさとの、
       母のかげの、なつかしや、なつかしや

   2   さぎりこめて、道細く、
       たどる家路、なおはるか、
       しじまもるる、せせらぎの、
       調べ淡く、ささやけば、
       遠き彼方、ふるさとの、
       母のかげの、なつかしや、なつかしや


 赤文字の部分を間違えて「鳥の群れ」「夜ごともるる」と記憶していた。 しかし、「鳥七つ」より、「鳥の群れ」の方が情景的にはいいと思うけれど…。 「夜ごともるる」は、やはり「家(や)ごともるる」の方がいい。

      「家路」(漢字多い版)
    1  森の梢暮れ初めて
       塒急ぐ鳥七つ
       家毎漏るる灯火の
       潤み薄れ瞬けば
       遠き彼方故郷の
       母の影の懐かしや

    2  狭霧込めて道細く
       辿る家路尚遥か
       静寂漏るるせせらぎの
       淡く調べ囁けば
       遠き彼方故郷の
       母の影の懐かしや

開き直って…

2011-11-19 | 日記

 このブログ、閲覧数がどうだの、訪問数がどうだの、昨日比がどうだのと、メッチャ親切だ。 しかし、私はそんなことはどうでもよくて、例え一人の方にでも読んでいただければ、大いに満足である。 暇つぶしと、気を紛らせるのには充分なひとり遊びの場所だと思っている。 特に、亡き妻を思い出して眠れないときは、無理に眠ろうとせずに、開き直ってPCと向き合っている。 主治医は、「いつでも睡眠導入剤を処方するよ」と、言ってくれたが、お断りした。 私の睡眠導入剤は、一杯の熱いコーヒーだ。 逆か?

 以前に作ったブログでは、1日に1人の訪問があるか無いかだった。 しばらく更新をサボって、久しぶりにのどいてみたら、消されていた。 

 写真はカーネーションなのだが、なんだかスシロー(回転寿司)の、生姜みたい。


好きな曲5・「新世界より」

2011-11-19 | 日記

 新世界とはアメリカ大陸。 ドポルザークがアメリカの地から故郷のチェコへの望郷の念にかられて作曲した交響曲第9番「新世界より」。 私はこの4楽章からなる曲を、カラヤン指揮ベルリンフィルの演奏レコードを持っている。 この曲の第2楽章が邦題「家路」または、「遠き山に日は落ちて」である。誰もが口ずさんだことがある筈の歌だ。 

 よく知られているのは、堀内敬三さんの詞「遠き山に日は落ちて」 であるが、私が憶えたのは久野静夫さんの詞「森の梢暮れ初めて、ねぐら急ぐ鳥の群れ、夜ごともるる灯の、潤み薄れ瞬けば、遠き彼方ふるさとの、母の影の懐かしや」 というもの。 わたしの頭に残ってたものなので、もしかしたら少し違っているかも知れない。 長年の間に、ぼやけてしまったので…。


爺の料理8・安くなった野菜の巻

2011-11-18 | 日記

 つい最近、大根がバカ高くて焼きさんまに添える大根おろしを省略した話を書いた。 この期にきて、野菜がメッチャ安くなっている。 天候の所為なら、このスパンは短か過ぎないか。 決して誰かが値段の操作をしているとは言わないが、私は密かに疑っている。 

 一抱えもありそうなデカいキャベツが、1玉100円だった。 もし、こんなデカいキャベツを買ってきたなら、迷わずロールキャベツにする。 たくさん作って冷凍しておけば、来年の正月まで食いつなげる。 

 大根は、田楽がいい。 5センチぐらいの輪切りにして、圧力釜でふっくら炊き上げ、そのまま冷やして出しごと真パックに入れておけば、来年の春まで食える。 

 いずれも飽きなければの話で、飽きてしまったらどうしようか。 やはり捨てるだろうな。 倹約家なのか、ただのバカか判断ができない自分である。

 


100円ショップ6.電卓

2011-11-17 | 日記

 特に買う必要もなかったが、台所に置いて、価格の比較をするときにでも使おうと一つ買ってきた。 100円電卓をいじっていると、昔の高価な電卓を想起し自分が場違いの時代に生き残っているような気分になった。 写真左の電卓は、105円のもの。 右は、サラリーマン時代に買った関数電卓。 

 105円で、いろんな物が買えて重宝するのだが、日本の経済を考えると決して好ましいことではないと思うのだ。 人件費の安い国から入ってきた安い商品のために、どれくらいの日本の企業が倒産させられたのだろうか。 どれくらいの労働者が職を失ったのだろうか。 人手がたりなくて、中高卒者の就職率が100%に近かった頃の景気は、もう戻らないだろうか。 

 工場で「何を作っているのか」を当てるクイズや、紹介番組をよく見かける。 広い工場に労働者は2~3人なんてところで、ロボット(人型ではない)が淡々と動いている。 我々は、それを見て「わーすごい」 「へーそうなんだ」と叫んでいるが、その陰に合理化という波に流された労働者が居たことを思う人は少ないだろう。 

 その昔には戻ることないだろうが、新しい創意で失業者を無くし、労働者の賃金を上げ、購買力を上昇させ、景気を回復に導いてほしいものだ。

 


爺の料理7・油ものの後始末の巻

2011-11-16 | 日記

 夕餉が済んだ。 ほうれん草と豆腐の味噌汁、手作り鶏むね肉の竜田揚げ(ばったもん)、納豆、甘酢らっきょう、煎りニラ玉、以上。 竜田揚げは、そぎ切りにしたむね肉を料理酒と中華だし粉をもみ込んで暫く置いていたものを、揚げる直前に小麦粉を入れて混ぜ合わせたもの。 揚げおわったら、油が熱いうちにストッカーに移し、空になった天ぷら鍋に直接キッチン洗剤を少し入れ湯を注ぐ。 使った揚げカス取り用のストレーナーでくるくるかき混ぜて泡立てる。 湯を捨てたら、スポンジたわしでサッと洗い、水を張って熱いストッカーを入れて冷やす。 手に油が付かないし数分で後始末ができるので、冷凍とんかつ1枚揚げるのも、全く面倒くさくない。

 


あたりまえ

2011-11-16 | 日記

 私の部屋の窓は車道に面している。 上下2車線の両外側は歩道になっている。 バイパス道路ではないので、車通りはそう激しくない。 車が途絶えてシーンとなると、女性の足音が響く。 ブーツなのだろうか、ハイヒールだろうか、まるで馬の蹄(ひづめ)のように パッカ パッカ と聞こえる。 うまく揃って二人であるいてくれると、「暴れん坊将軍2」のオープニングを聞いているようだろう。

 テレビを見ていたら、ミストと肌の水分量を測定する小物のCMが流れた。 乾燥している状態の肌を測定すると、単位は知らないが15だった。 ミストをぶっ掛けて測定したら、35にはね上がっていた。 テスト対象役の俳優さん(多分)が「わーすごい!」なんて驚いていたが、これって当たり前じゃないの?

 サラダ油を切らしたので、業務スーパーまで買いにいった。 一番安いのがキャノーラ(菜種)油、しかもコレステロールゼロと表示している。 しかし待てよ、これって当たり前じゃないの? コレステロールは、動物の体の中で作られるものだから、植物油には入ってなくて当然。 ひまわり油であろうと、ベニバナ油であろうと、ライス油であろうと、パーム油であろうとコレステロールはゼロ。 しかし、この油で、一度でもとんかつや鶏のから揚げをつくると、コレステロール入りの油になる。 何度も使って古くなった油は、酸化はしていなくてもコレステロールがたっぷりの油ということになる。 油を捨てるか捨てないか迷った時に思い出そう。


恋人がサンタクロース

2011-11-15 | 日記

 街はもうクリスマスの装い。 毎年聴きなれた歌が流れる。 山下達郎の「クリスマス・イヴ」、松任谷由実の「恋人がサンタクロース」 今年もクリスチャンでない家庭も、クリスマス・ツリーの準備をし、子供たちへのプレゼントをそろそろ考えておく時期になった。 子供たちが小さい頃は、無神論者の私でさえも、似非(エセ)クリスチャンになったりしたものだ。

 子供たちがまだ幼稚園にも行っていない頃のある年のクリスマス・イヴ、私たちはマンションの一階に住んでいたので、子供たちへのプレゼントをベランダの外に置き夜が更けるのを待った。 ケーキも食べ終わった頃、急におしゃべりを止めて、私が小声で言った。 「ベランダでなにか音がしたぞ、サンタクロースかな?」  子供たちは目を輝かせてベランダにすっ飛んでいった。 ベランダのサッシュを開く音がして、子供たちは「わっ」と叫んだあと一瞬の沈黙があった。 隣のおっちゃんがマンションの角を曲がるのが見えたらしい。 子供たちが嬉々としてプレゼントを抱えてリビングに戻ってきて言うのだ。 「サンタクロースは、となりのおっちゃんやった」 「おっちゃん、ありがとう」 この年は、なんだかあほらしいクリスマス・イヴだった。 


認知症推定論

2011-11-15 | 日記

 認知症とは、長年正常だった脳の一部が壊れていく症状だ。 人間は知能が発達し過ぎて、年を取って死が迫ってくると恐怖や苦痛を覚えるようになりその苦痛、恐怖を回避するために自然に備わった自己防衛本能が認知症ではなかったのだろうか。 老化した野生動物に死がせまると、どこかに姿を消してしまう本能が備わっているように、人間も野生に近かったころは、そういった本能がゲノムに組み込まれていたのではないかと私は想像してしまう。 やがて、宗教を作り出した統率者が現れ、社会生活が行われるようになると、そんな本能はぼやけて、認知症は病気として認識され、現在は治療法まで確立されてしまった。 と、専門家でもないのに、勝手に思う。

 年を取ってきて、そろそろ死を意識しはじめるのはアラフォー世代。 「人生も半ばに達した」感が芽生え、そこからは、徐々に増していく。 「そろそろお迎えが…」なんて口にするころは、死への意識がかなり身近になってきている。だからこそ、開き直るように平然を装って死を口にする。 「おばあちゃん、そんな縁起の悪いことを言わないで」などと止めないで、思いっきり言わせてあげよう。 そして、「気が悪いけど」おばあちゃんの口癖に慣れよう。 「そうねぇ、そろそろ来るわよ、お迎えが」と、相槌を打ってあげよう。 しらけちゃって、言わなくなるかも。 (写真は本日撮ってきたハナミズキの実)


紫陽花問答

2011-11-15 | 日記

 毎年大房の花(本当はガク)をたくさん付けていた紫陽花が、今年は一輪の花も付けなかった。 妻の死と関係があるのだろうか。 霊能者に電話で尋ねてみることにした。 

 『多分、奥さんは貴方のことが心配で、成仏出来ずに彷徨っておられるのでしょう』 「紫陽花の花が咲かないことと関係あるのでしょうか」 『奥さんに大切に育てられた紫陽花が、奥さんに遠慮したのでしょう』 「なるほど、それで花を咲かせなかったのですね。では、どうすればよいのでしょう」 『まず、奥さんを成仏させてあげることです。 それには、私ども霊能者が奥さんの霊を説得することでしょう』 「費用はどのくらいかかりますか」 『お心付け程度で構いません。 たとえば、大先生に依頼したい場合は、100万円程度でしょうか』 「その下は?」 『そうですねぇ、50万円程度で大先生の弟子が参ります』 「まだその下はありますか」 『あります。10万円程度で霊能協会が行う一週間の講習を受け、霊能者検定試験に合格したフリーターが参ります』 「違いはどのようなものですか?」 『大先生の場合は、霊を説得して完全に極楽浄土へお導きいたします。 弟子の場合は、とりあえず成仏させます。 フリーターの場合も、成仏させる方向に向かいますが、稀に途中で地獄に落してしまうことがあります』 「はァ? クレーンゲームみたいですね」 『そうです、そうです、成功の確率がわりに高いクレーンゲームと思っていただければよろしいです』 「・・・・・」

 紫陽花の花が咲かなかったのは、昨年改装工事をしたので、紫陽花の鉢を日の当たらないところへ移していたため葉が部分枯れしたので、まだ夏が終わらないうちに剪定しまった所為かも知れない。 それに、紫陽花に毎朝水をやって、大切にしていたのは私だ。 もう一つ打ち明けねばならないことがある。 実は、会話の部分は私の妄想である。 


好きな曲4・「テネシーワルツ」

2011-11-14 | 日記

 ピー・ウィー・キング作曲というより、アメリカ民謡の感がある曲、「テネシーワルツ」 テネシー州の州歌でもある。  私は、この曲を、カントリー調に歌った、ハンク・ウィリアムスと、ジャズ調のパティ・ペイジのレコードを持っている。 この曲、メロディーは好きなのだが、旧友に恋人を取られた女の後悔をうたったレッド・スチュワートが付けた詞は気に入らない。 

 YouTube では、いろんな歌手のカヴァー版が聞けるが、やはり私は、ハンク・ウィリアムスと、パティ・ペイジのものが好きだ。 なんだか、YouTube の宣伝マンのようだが、決して薦めているつもりはない。

 序でに、ジョージア州の州歌、「我が心のジョージア」も、私の好きな曲である。