雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

好きな曲4・「テネシーワルツ」

2011-11-14 | 日記

 ピー・ウィー・キング作曲というより、アメリカ民謡の感がある曲、「テネシーワルツ」 テネシー州の州歌でもある。  私は、この曲を、カントリー調に歌った、ハンク・ウィリアムスと、ジャズ調のパティ・ペイジのレコードを持っている。 この曲、メロディーは好きなのだが、旧友に恋人を取られた女の後悔をうたったレッド・スチュワートが付けた詞は気に入らない。 

 YouTube では、いろんな歌手のカヴァー版が聞けるが、やはり私は、ハンク・ウィリアムスと、パティ・ペイジのものが好きだ。 なんだか、YouTube の宣伝マンのようだが、決して薦めているつもりはない。

 序でに、ジョージア州の州歌、「我が心のジョージア」も、私の好きな曲である。 


爺の料理6

2011-11-14 | 日記

 生意気に、タイトルに「料理」と謳っているが、立派なレシピを紹介している訳ではない。 妻に先立たれた爺が、どんな餌を食って暮らしているかを綴っているもので、何の参考にもならないだろう。 しかし、長年妻の食事を用意していた分だけ、濡れ落ち葉族(もう死語になっているが…)よりも、多少自活力があると思う。 

 スーパーの鮮魚売場で、鮪の兜が陳列してあった。 兜焼きにすると、実に美味い。 「食べたいな」と思ったが、一匹分まるまるだったので、とても買って帰れない。 別に珍しいのではないが、しばらく眺めて立ち去った。 代わりにブリかまが有ったので、一切れ買ってきた。 ブリは生臭いので、ひと手間かけることは知っている。 まず水で洗って煮え立った熱湯に入れる。 数秒で引き揚げ、冷水にとる。 これだけで、生臭さは無くなるので、半分を塩焼きに、残りは粕汁の出しに使った。 私は酒が全く飲めないのに、粕汁が大好物。 思えば、大酒のみの友達は、粕汁が大嫌いだった。 そういうものなのか、たまたまなのか、面白いものだ。 昔は、粕汁に必ず「くじころ」がはいっていて好物だったが、最近は手に入らないので、ちょっと寂しい。  

 昨日の夕餉は、一切れ150円の「ぶりかま」のお蔭で、ちょっと豪華だった。 しかも、粕汁はまだ残っていて、今夜の食卓にもあがる。 

 因みに、「ぶりかま」は、鰤の鰓の下(腹がわ)のアラである。 また、「濡れ落ち葉族」は、退職後妻が居ないと何もできない爺ちゃんのこと。


種談義

2011-11-14 | 日記

 子供が生まれた頃から、悪戯半分に種とあれば何でも土に植えるのが私の「癖?」になった。 食べたあとに残ったみかんの種や、柿、葡萄、銀杏、グレープフルーツ、アボカド、パプリカなど、何でも芽を吹くので、「子供に見せる」とか理由をつけて植えていた。 子供たちは全く興味を示さないうえ、グレープフルーツは成長が早くて、鋭い棘があるので、子供たちが危険だと判断して抜いてしまった。 山で拾ってきたどんぐりも、翌年の春に芽を出した。 パプリカなどは、まだ未成熟の白い種なのに一斉に芽を吹き、ニョキニョキと成長して実を付けた。 妻もまた、全く興味を示さなかった。 

 今年の春、かぼちゃの種を撒いてみた。 つるが伸びて、夏に花が次々と咲いたが、肥料が足りなかったのか、水をやり過ぎたのか、咲いたのは雄花ばかりだった。 雌花らしき蕾が出来ても、小さいうちに枯れて落ちた。 咲いた雄花は早朝に摘み取り、妻の仏壇に供えた。 妻の遺影が苦笑しているように見えた。  (見出しの写真は、菊花展にて先週撮影)