ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

ブラック・スワン

2016-04-11 18:13:18 | 映画
今日も午後のロードショーで

「ブラックスワン」

見ちゃいました。
ナタリー・ポートマン主演のバレエ映画(バレリーナが主役の映画)です。
(ダーレン・アロノフスキー監督作品 2010年公開)
最初に見たとき、あまりに後味が悪くて二度見する気になれなかったのですが、
今回は、よく出来た映画だなあと感心しました。

この映画は、母親の支配下にある女性の自立(というか、いかにして母親の支配から逃れるか)を描いているのですね。
こういう母親って、とっても多いと思います。
私の母にもこうした傾向がありました。
自分と娘の境界がない。自分の果たせなかった夢を娘に託すのですが、
自分のコントロール下から出てはいけない。自分より優秀になってはいけない。
無意識のうちに娘を縛る。がんじがらめに縛りあげる。
でも、本人はそれが愛情だと思い込んでいるからとても厄介です。

最初に、あれ?と思ったのは、
ニナ(ナタリー・ポートマン)が「白鳥の湖」の主役を射止めたお祝いに、母が作った巨大なケーキ。
「そんなに食べられないわ」とニナが言うと、いきなり、
「それじゃ、これはゴミね」
といって、ケーキを丸ごとゴミ箱に捨てようとします。
ゾッとしましたね。
これでもう、この映画の意図するところが明白にわかります。

母親もかつてバレリーナでしたが、ニナの出産でバレエをあきらめた、という過去があります。
だから、娘にかける思いはとても強い。

ニナは母の期待通り完璧な主役になろうと努力しますが、監督のトマスから
ニナの演技には色気がないと言われてしまいます。
でも母の言いつけを守る従順なニナは恋愛さえできないのです。

おお、かわいそうなニナ。
最近見た映画はかわいそうな主人公ばかりですね。

主役という重荷に耐え切れず、どんどんおかしくなっていくニナ。
リリという友人がニナの役を横取りしようとしていると被害妄想に陥り、
(リリはただニナと仲良くなりたかっただけだと思う)
ついにリリを殺す幻覚まで見てしまいます。
でも、実際に、鏡の破片を突き立てたのは、リリではなくニナ自身であり、同時に(自分の中に巣食っている)母親でもあったのでした。

かくして、
ニナは、ニナと母親の双方を殺し、ようやく一人前の女性になることが、
できたかどうかは、映画の最後で語られないのでわかりませんが、
あれでニナが死んでしまったら、かわいそうすぎますね。

ミヒャエル・ハネケの「ピアニスト」も同じテーマを扱ってます。
自分の胸にナイフを突き立てるというラストも同じ。
こういう映画が作られるということは、世にこうした母子がいかに多いかを物語っていると思います。

また、同じテーマで、父親と息子を扱った「シャイン」という映画もありますね。
これは実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴッドの自伝的な映画です。
ここに登場する父親もまあハンパなく凄いです。

いやあ、ホントに家族って怖いですね。
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アナザー・カントリー

2016-04-10 18:00:08 | 映画
今、GYAOで、古い映画が無料で見られます。
昨日見たのは、

「アナザー・カントリー」

これもまた1930年代のイギリス。パブリックスクール、イートン校の学生たちの話です。
(マレク・カニエフスカ監督作品。1983年公開)
主人公のベネット(ルパート・エヴェレット)は下級生のハートコートに恋をしている。
ベネットと同室のジャド(コリン・ファース)は共産主義に傾倒し、どこに行くにもレーニン像を抱え、分厚い本(資本論か)を読んでいる。

この時代の学生寮でも同性愛は暗黙の了解のもとにあったようで、
でも、表ざたになると一大事。舎監に見つかり、自殺する生徒まで現れて、恋人のいるベネットは大変です。
彼は寮生の代表になるためにこれまで努力を重ねてきました。でも、ついにハートコートとのことが表ざたになり(といってもプラトニックなものだけど)代表になる特権を捨ててまで、ハートコートを守ろうとするのですね。

舎監だの寮の代表だの幹事だのといった、寮生活独特の表現があって、ちょっとまぎらわしいのですが、
つまりは、まだ同性愛が公認されていなかった時代に、同性愛を貫いて特権を捨てた男の若き日の話、というお話かな。
「元祖耽美派系同性愛映画」だそうです。

コリン・ファースがとにかく若い!
去年見た「キングスマン」のコリン・ファースもかっこよかったけど、若いコリン・ファースも素敵です。
「ブリジット・ジョーンズの日記」の人権派弁護士の役柄に通じるものがあります。

最後の方で、ベネットが寮の代表にはなれないとわかり、
「絶望だよ!」
と頭を抱えるシーンがあります。
ジャドが慰めるのだけど、そのとき、ベネットはこういいます。
「やつら(ベネットの代わりに代表になろうとしてる生徒)は偉くなる。次のフランス大使か・・でも俺はコロンビア大使、いや、ハイチでよかろう、寮代表もしてないし・・」

ここまで見てきて、すっかりベネットに寄り添っていた私はずっこけましたね。
そっか、やつらは寮の代表になろうがなるまいが、世界の国々で外交官としての地位が約束されているんだ。

ここで口あけてぼーっと映画見てる我々とはそれこそ「アナザー・カントリー」に住んでいる人たちなのだと、改めて認識した瞬間でした。

何が「絶望」だ!

唯一、共産主義かぶれのジャド(コリン・ファース)だけが
スペイン内戦で戦い、ファシストに殺されてしまいます。

1930年代のイギリスの(上流階級の)事情がよくわかる映画でした。
そして、
だからこそ、去年見た映画「イミテーション・ゲーム」のアラン・チューリングの悲劇を思い出さないわけにはいきません。
なぜ彼は死ななくてはいけなかったのだろうか??
戦争が終わった後で!
この映画(アナザー・カントリー)の1930年代よりずっと後で!!
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エデンより彼方に

2016-04-09 11:48:34 | 映画
夕べはGYAOで映画を見ていました。

「エデンより彼方に」

これ、最近公開された「キャロル」のトッド・ヘインズ監督作品です(2002年公開)。
「キャロル」はバンコクに行った帰りの飛行機の中で見ました。字幕がない上に飛行機の音がうるさくてほとんど台詞はわからなかったのですが、ストーリーは大体わかりました。

両方とも、1950年代のアメリカが舞台です。
そして、両方ともゲイの話(「エデン~」の方は黒人差別問題も)。

「エデンより彼方に」は1957年のアメリカ、コネティカット州ハートフォードが舞台。
ちょうど秋の紅葉のシーズンから始まるのですが、全編通して色調が非常に美しい。
主人公キャシー(ジュリアン・ムーア)の家の周囲の紅葉の美しさ!
そして、キャシーとご近所のブルジョワ婦人たちがこれまた美しいドレスで集まるのです。
基調は赤で、グラデーションが効果を発揮して本当に綺麗。

ストーリーはこう。
1950年代のコネティカット州といったら、ブルジョワの家庭では黒人のメイドや庭師を雇っていた時代。
黒人差別も当たり前のようにあります。
黒人の庭師の肩に手を置いただけで(彼の父親が亡くなったと聞き思わず肩に手を置いた)噂になるという世界。
そんな中でキャシーは見事な良妻賢母ぶりを発揮して、地元の雑誌にも取り上げられます。
でも、実は信頼していた夫がゲイだとわかった。
そこから少しずつ、キャシーは、うわべだけのブルジョワ社会に気づき、本当の自分に気づいていくという話です。

キャシーの苦境を見かねて声をかけてきたのが、黒人の庭師であるレイモンド。
彼はインテリで美術に対する造詣も深い。
キャシーは彼に惹かれていきますが、周囲がそれを許さない。
噂は噂を呼び、ゲイの夫までが自分のことを棚に上げて、キャシーを非難します。

キャシーはどんどんボロボロになっていくのですね。
かわいそうなキャシー。

でも、どんなにかわいそうでも、彼女は美しいドレスを着て、ほほえみを浮かべ、
しっかりと前を向いていきます。
(こういうのって男性好みよねえ)

映像が綺麗なのでつい見てしまいますが、
細部まで計算されつくしすぎていて、逆に見終わった後の感動が薄くなるタイプの映画です。
同じテーマなら
「ヘルプ~心がつなぐストーリー~」
のほうがよかったなあ。
そういえば、「ヘルプ」にも登場していたヴィオラ・ディヴィスがここでもメイド役で登場しています。

「キャロル」もそうでした。
計算されつくした感がすごくあって、いい映画なのだけど、鼻につくというか。
ま、好みの問題ですけどね。

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愛したこと、それとも愛されたこと?

2016-04-07 13:34:31 | 映画
映画「サヨナライツカ」にこういう台詞があります。

 豊「沓子、君は死ぬ間際に誰かを愛したことを思い出す、それとも愛されたことを思い出す?」
 沓子「……愛されたこと」

なかなかクサい台詞ではありますが、
これけっこう重要なテーマです。映画に限らず、私たちの人生にとっても。

愛したことか、愛されたことか・・

能動的か、受動的か。
沓子は受動的に「愛されたこと」を思い出す(と表明します)。
多くの男性は女性に、受動的であってほしい、という願望を抱いているようです。
でも、実際は、どうなんだろうか。

私なら、即座に「愛したこと」と答えると思う。
愛されたことがないからだろう・・って?
いえいえそんなことはございませんよ。

人生を能動的に生きるか、受動的に生きるかでは、
生きる醍醐味が違うと思うのです。

そして、能動的であろうとしたら、
「好き」かどうかが、とても重要になります。好きじゃない人から愛されてもなあ・・

「好き」は強い。
「好かれる」より何倍も強い。
だって、好きかどうかは、自分が一番よく知ってるから。
「好かれている」や「愛されている」は
もしかすると、勘違い、願望、空想、妄想・・の類かもしれないじゃないですか。

自分は何が好きか。
人生の早い段階でわかった人は強い。
そして、
誰を愛したか。
しっかりわかっていると、思い出は鮮明でかつ色あせない。
老後の楽しみも増す(ほんとよ)。

というわけで、
子どもから「好き」を取り上げてはいけないと思うのです。
(ここにつながるのね。先日の話題は…)
そして、
なぜ、私たち団塊の世代の親たちが(全員ではないけれど)子どもに好きなことをさせるのはよくないことだと思っていたかについては、次回あらためて考察します。

沓子は死ぬ間際に絶対、「愛されたこと」じゃなくて「愛したこと」を思い出したはず。
私はそう思います。
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今日もお花見(3度目)

2016-04-06 22:37:02 | 日記
今日は最高のお花見日和でした。
やっぱり桜は青空の下が一番。

なんか最近、お花見したり、サロンに行ったり、遊んでばかりいるなあ・・
と思っていたら、
日本語を習いたいという人が現れました。
仕事をせよ、ということらしい。
この年でも仕事ができるのは、ありがたいことです。
そして、いくつになっても、新しい出会いは嬉しいです。

というわけで、
にわかに忙しくなりそうです。

あんなに寒い寒いといっていたのに、気がつけば若葉の季節、
そして、
初夏・・
と季節は移っていくのでしょう。
日本に四季があるのは、
とても幸せなことだと思います。

日本人でよかったとそういう時は思います。
別のときは、
ったく、日本人て・・
と思うのだけどね。



今日捨てたもの。
(久しぶり!)
(ホントは捨てたんじゃなくて、もらってもらったのだけど)

扇風機とダウンジャケット。

そして、
ソファーも近々なくなる予定です。
実は着々と歩んでおりまするぞ、
ミニマリストへの道。
なんつって。
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