ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

愛したこと、それとも愛されたこと?

2016-04-07 13:34:31 | 映画
映画「サヨナライツカ」にこういう台詞があります。

 豊「沓子、君は死ぬ間際に誰かを愛したことを思い出す、それとも愛されたことを思い出す?」
 沓子「……愛されたこと」

なかなかクサい台詞ではありますが、
これけっこう重要なテーマです。映画に限らず、私たちの人生にとっても。

愛したことか、愛されたことか・・

能動的か、受動的か。
沓子は受動的に「愛されたこと」を思い出す(と表明します)。
多くの男性は女性に、受動的であってほしい、という願望を抱いているようです。
でも、実際は、どうなんだろうか。

私なら、即座に「愛したこと」と答えると思う。
愛されたことがないからだろう・・って?
いえいえそんなことはございませんよ。

人生を能動的に生きるか、受動的に生きるかでは、
生きる醍醐味が違うと思うのです。

そして、能動的であろうとしたら、
「好き」かどうかが、とても重要になります。好きじゃない人から愛されてもなあ・・

「好き」は強い。
「好かれる」より何倍も強い。
だって、好きかどうかは、自分が一番よく知ってるから。
「好かれている」や「愛されている」は
もしかすると、勘違い、願望、空想、妄想・・の類かもしれないじゃないですか。

自分は何が好きか。
人生の早い段階でわかった人は強い。
そして、
誰を愛したか。
しっかりわかっていると、思い出は鮮明でかつ色あせない。
老後の楽しみも増す(ほんとよ)。

というわけで、
子どもから「好き」を取り上げてはいけないと思うのです。
(ここにつながるのね。先日の話題は…)
そして、
なぜ、私たち団塊の世代の親たちが(全員ではないけれど)子どもに好きなことをさせるのはよくないことだと思っていたかについては、次回あらためて考察します。

沓子は死ぬ間際に絶対、「愛されたこと」じゃなくて「愛したこと」を思い出したはず。
私はそう思います。
コメント
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