ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

好きなことだけしてちゃダメなのよ (2)

2016-04-24 11:52:53 | 日記
子どもの頃、母から
「好きなことだけしてちゃダメなのよ」
と言われた、という記事を前に書きました。その続編。

私の両親が生きた時代は戦争のただ中でした。
皇国史観で育てられ、青春時代は戦争に明け暮れました。
父は中国に出兵しましたし、亡くなる直前まで、
「天皇陛下、万歳!」の人でした。
日本はアジアを解放したのだ。決して侵略戦争ではなかった。中国を解放しようとしたのだ。
そう言い続けました。

母はすべてにおいて父に従属し、父の思想や言動に逆らうことは決してありませんでした。
(あるいはそういうふりをして生きてきました)
あの時代を生きた人たちというのは、大半がそうだったので、
私の両親が特別というわけではありません。

戦争に勝ち抜くには、
我を通すことは許されないことでした。

我慢が大事。

したがって、
好きなことも我慢しなさい。
みんな我慢して生きているのだから。
好きなことだけしていたい、というのは恐るべき自己中心の考えであり、それは国を亡ぼすことにつながる・・・

戦争が終わったからといって、いきなり人生観が変わるものではありません。
母の言葉は無理からぬことだと言えるのです。

子どもの立場から言えば、たまったもんじゃないのですが。

そして、今、
東日本大震災、今回の熊本大地震、
と大きな災害が続き、
日本人は何と我慢強く礼儀正しい民族だろうかと
世界じゅうから称賛されていますが、
その根っこにあるのは、
あいかわらずの、
「我慢が大事」
という人生観、というか道徳なのですね。
日本人の心に深く植えつけられた感性です。

それが今回は国を亡ぼすのではなく、再建するのに役立ったというわけですが、
(我慢の果てに亡くなった方も大勢いると思います)
本当にこのままでいいのだろうか、
という疑問を抱かざるを得ません。

災害はいずれは収まります。
でも、収まらないものもあります。
たとえば、
原発事故、政権の横暴。

日本人は我慢強い。
だからこそ、
原発事故も政権の横暴も、いずれ過ぎ去る嵐のように、
我慢してやり過ごそうとしているのではないでしょうか。

きっとまた同じことが起きる気がしてなりません。
私の両親のように
我慢は美徳、辛抱が大事、好きなことだけするのは慢心、
そうした道徳がはびこり、
人々が「絆」という都合のいい言葉のもとに、互いに監視しあう社会が
すぐそこまでやってきているような気がして、
(もしかするともうやってきているのかもしれません)、
それは、どんな災害よりも恐ろしいという気がしてなりません。

父と母が亡くなってから、かなりの年数がたち、
私もようやく両親の生きてきた時代を冷静に見ることができるようになりました。

戦争は父にとっての青春だったのだ・・
今ではそう理解しています。
私たちにとっても青春時代が大事なように。
青春時代を戦争の中で過ごさざるを得なかった両親に選択の余地はなかったわけですから、
責めることはできません。
でも、子どもたちには同じ思いをさせてはならない、
そう強く思います。

最近になってようやく、私は、両親にねぎらいの言葉をかけることができるようになりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする