雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

髭彦閑話50「ふるさと福島の原発危機」⑫

2011-05-30 00:01:28 | 髭彦閑話

5月11日(水)

(18:23)
ふるさとの核の荒野になり果てしなす術もなきこのふた月よ

(18:43)
F姉へ。
無事を祈ります。
花巻はともかく、大船渡、陸前高田はまだ大変な状況でしょう。
帰ったら、状況を教えてください。
僕も、石巻で被災した親戚のいる<旅の友>Nさんとでも、行けるものなら行ってみたいと思い始めていたところでした。

(18:49)
F姉へ。
あちら(オバマ)もまた政権浮揚のためでしょうが、こちらのハマオカ運転停止と較べればはるかな蛮行・愚行です。
弁舌はこちらより百倍も千倍もさわやかですが。

5月12日(木)

(11:25)
S子へ。
アーサー・ビナードはえらい!
「原発は塀の上の卵―アーサー・ビナード講演」

(13:44)
芙蓉さん、こんにちは。
<もう、二か月。やっと二か月>。
本当にそうですね。
東北の大地震、特に大津波の傷痕もまだ癒えるまでには程遠い状況ですが、フクシマはそれに加えての原発=核被災。
7万から10万の人々のふるさととそこでの生活を根こそぎ奪い、未だに終息の見通しは実際にはまるで立っていません。
隠されて来たチェルノブイリを超える放射能汚染の深刻さは、日々明らかになっています。
それを考えると、<まだ二か月>なのかもしれません。
関東以西にもじわじわと放射能汚染は広がってきています。
浜岡原発が停止になったのが唯一のいいニュースでしょうか。
原発の危険性をある程度知りながら何もしてこなかったことを悔やみ、せいぜい次の世代のために僕にでもできる範囲で微力を尽くしたいと思う毎日なので、3.11以前のようにジョギングや写真を楽しむ心の余裕もまだありませんし、短歌もほぼ原発危機についてしか歌うことができません。
<まだ二か月>なんですね、やっぱり。

(23:09)
忽然と神隠しのごと十万の民消え去りぬ核に追はれて


5月13日(金)

(18:03)
爆発のなきぞ奇跡よ原子炉のすでに起こしきメルトダウンを

(22:50)
F姉へ。
無事でなによりでした。
テレビの映像で見るのと、自分の目で直接見るのとでは、大違いでしょうね。
トシですからボランティア活動はできないにしても、現地を自分の目で見ることだけでもできれば、何かが開けるような気がします。
考えて見ます。

(23:09)
F姉へ。
放射性物質が3月15日以前の水素爆発などによって大量にばらまかれ、東京以西にも降り注いでいたのですね。
しかも、それ以後も流失は続いている訳ですから。
東電・政府による極めて悪質な情報隠蔽が次々に露呈し始めています。
今後、どんな形でこの結果が表れて来るのか、恐ろしいかぎりです。
僕たちの足柄茶事件は、恐らくその始まりの一つなのでしょう。


5月14日(土)

(12:41)
N田さん。
メール拝見。
そうか、石巻に行ってたんだ。
実は、芭蕉本の出来具合も素晴らしかったし、芭蕉の旅の関係で被災した地域を訪ねがてら、石巻などを訪ねてはどうかと思い、相談しようと思っていたところでした。
フクシマには近づけないにしても、僕もこの目で被災地の惨状を見ておかないことには、どうにも心の整理がつかないように思うのです。
秩父にはいつまでいますか?
月曜まで晴れマークですね。
いずれにしても、石巻の話を近々聞かせてください。
5日は、N田さんの出版を祝う会だった筈なのにワリカンにしてしまったので、改めて僕がご馳走したいとも思うので。

(19:55)
世代越えいのち蝕む魔物をば解き放ちたり吾ら愚かに

(22:24)
F姉へ。
石巻で被災した親戚のいる<旅の友>Nさんは、所沢のNさんのところに1週間ほど来ていた親戚を送りがてら、すでに石巻に行って帰ってきたばかりでした。
彼と相談して、近いうちに東北被災地を訪ねる旅を計画したいと思います。


5月15日(日)

(12:24)
F姉へ。
フクシマの子どもたち、若者たちは、東電・政府の許しがたい情報隠蔽によってすでに事故当初の爆発で飛散した高濃度のヨウ素で被曝し、今もセシウムによる高い放射能で被曝し続けています。
さらに、被曝はフクシマから北へ南へと確実に広がっています。
最近の調査研究によれば、チェルノブイリ事故による発ガン死者は100万単位に上っているそうです。
この「魔物」を、海に囲まれたこの狭い列島で解き放ってしまった結果は、僕たちのふるさとを壊滅させただけでなく、将来にわたって恐るべき災厄を日本と世界に与えることになるでしょう。
本当に取り返しのつかないことになってしまいました。

(12:49)
じわじわといのち喰らはむ列島でこの先長く核の魔物は
母眠るいわきの墓所の安否さへ知らで迎へぬけふ命日を


5月16日(月)

(17:26)
setuさん。
若松丈太郎さんという詩人を、ご存知ですか?
南相馬の詩人で、長く地元の高校で国語を教えられ、何と今は小高の「埴谷島尾記念文学資料館」の調査員をしていられる方です。
僕は『東京新聞』5/8朝刊「こちら特報部」の紹介記事で、その衝撃的な詩と共に初めてその存在を知りました。
さっそく『福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告(1971年~2011年)』(コールサック社)
を買い求めて読みましたが、その詩も文章も、現在のフクシマの惨状を予言するかのような鋭い内容に満ちていて、圧倒されました。
Amazonでは買えませんが、出版社からインターネットで買えます。
http://www.coal-sack.com/02/Copy%20of%20index_shinkan3.html
http://www.coal-sack.com/01/index.html
西には小出先生のような方々、東京には高木仁三郎さんが、そして福島にはこの若松丈太郎さんのような方が、心底からの警告を発し続けていたというのに、それに応えるような何事も為して来なかったわが身を恥じざるを得ません。
せめてこれから少しでもこの方々の跡を辿れればと、思っています。

(22:27)
この星のいのちの未来左右せむフクシマ襲ふ核の試練は


5月17日(火)

(21:39)
旅人さん。
僕も見ました。
この一昨夜のNHK・ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」もそうでしたが、昨日の『毎日新聞』山田孝男編集委員のコラム「風知草:原発に頼らぬ幸福」も、瀕死の日本ジャーナリズムに再生の兆しを感じさせる鋭い内容で、共に感動的でした。
暗澹たる現実ですが、それに立ち向かうための情報として貴重です。
心からのエールを送りたいと思いました。

(21:54)
Aくん。
メールありがとう。
(シカゴ大博士課程への進学は)とてもいいニュースです。
Aくんには、やっぱりカジノ資本主義の企業人としてではなく、それを克服すべき研究者として歩んでもらいたいと思っていましたから。
いつ日本を発ちますか?
発つ前に、ぜひ会いたいと思います。
できたらご家族にも。
日程を教えてください。

(22:08)
Kさん。
(教職員写真展の)ご連絡ありがとうございました。
学校もいろいろと大変なようですね。
実は、僕が6歳まで生まれ育ったふるさとは福島第1原発から7キロの富岡町夜ノ森というところなので、3.11以降、写真もほとんど撮っていません。
今回は直前に撮ったダイサギの写真1枚だけで参加します。
20日(金)のお昼ごろに持ってゆこうかなと思っていますので、よろしくお願いします。

(22:26)
直ちには何あらざれど遠き日に正体見せむ核の魔物は


5月18日(水)

(14:09)
N田さん。
では、(20日)10時半では?
被災地の写真、タイムリーですね。
「被災地の現状」の講演つき昼飯も楽しみです。

(15:11)
チッソをばはるかに超えて東電のいのち奪はむ核もてあそび


5月19日(木)

(17:50)
パニックを避けるためとて核汚染隠せる者ら悪むべしにくむべし
発電も兵器もなにも無差別にいのち奪はむ核にしあれば
あと一つ事故を起こさば列島のすべて終らむ知るも知らぬも

(22:04)
F姉へ。
もはや、これだけの放射能を撒き散らしてしまった以上、十年、数十年先に「魔物」がその恐るべき正体を現わさないわけはないでしょう。
まさか僕たちのふるさとがその震源地になるなどと、それこそ亡父には想像すらできなかったことです。

(22:24)
setuさん、こんばんは。
(小高の)「埴谷島尾記念文化会館」が無事だったのは、せめてものことでしたね。
『福島原発難民』を書かれた若松丈太郎さんには、何とかお会いしてお話をうかがいたいような気持ちです。
すごい人です。
『夜の森』という、僕のふるさとを題名にした第一詩集を収録していると思われる詩集などもAmazonで注文し、届くのを心待ちにしています。

(22:53)
Kさん。
明日は研究日だそうなのでお会いできませんね。
N田さんと待ち合わせ、準備をしておきます。
いつもながらお手数をかけますが、キャプションの方、よろしくお願いします。
<狩りを為す白鷺のほかこの世から何も失せけり暗き水辺で>
     ―原発大震災の3日前、六義園にて―


5月20日(金)

(23:09)
晶子哭け馨断ぜり核事故を事もあらうに神の仕業と
被曝死のいづれ数多に顕れむわれら亡き後若き世代に


5月21日(土)

(21:40)
緩慢なジェノサイドをば列島にもたらす責めを誰ぞ負ひうる

(22:15)
F姉へ。
(『週刊現代』の)佐野真一のルポは僕も読みました。
「旧陸前浜街道の国道六号線とほぼ並行して走るJR常磐線に、夜ノ森という駅(富岡町)がある。/私が「浜通り」を歩いてみたいと思ったのは、一つには、夜ノ森という駅名にひどく心ひかれたからである。/海岸線のすぐ近くにある同じ富岡町の富岡駅は、津波で駅舎それ自体が流され、富岡駅前の商店街も瓦礫で足の踏み場もないないほど壊滅していた。流された富岡駅の向こうには静かな太平洋が見えた。/だが、それより一つ北に行った夜ノ森駅は、少し高台にあるせいか、奇跡のように無事だった。駅に向かう無人の街路には桜並木がつづき、満開の桜が誰にも見られることなく咲いていた。」
その後に、佐野は梶井基次郎の有名な「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」のフレーズを引いて、こう続けていましたね。
「このフレーズに込められた梶井基次郎の寓意は、原発事故で住民全員が逃げ出し、将来彼らが帰る見込みがないかもしれない、この美しい夜ノ森の街を象徴していないだろうか。/ちらほらと葉桜になりかけた枝には、飼い主を失って野犬化したペットが餓死するのを待って、その肉をついばもうとするカラスが群れをなしてとまっていた。」
これが僕たちの生まれ故郷、夜ノ森の現状です。
なんと言うことでしょう!

(22:25)
F姉へ。
Eおばさんは(与謝野)馨の叔母さんに当たる訳ですね。
お茶の行商をやられていて、時々わが家にもいらしてましたね。
頼まれて、外大に行ったお嬢さんが高3の時、短期間でしたが家庭教師をしたことを思い出しました。
Eおばさんがご存命ならば、さぞかし憤慨されたことでしょう。


髭彦閑話49「ふるさと福島の原発危機」⑪



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