カダフィが「死んだ」。正確に言えば「殺された」のだろう。
リビア国民は歓喜し、一部の報道では死体が現地で「市中引き回し」されたともいう。
独裁者が倒され、独裁政権が崩壊したのは、もちろん歓迎すべきことだ。
しかし、どんな残虐な独裁者であっても、問答無用で「殺す」のはよくない。
ましてや、それを喜び、賛美すべきではない。
ビン・ラーディンをオバマ政権が「暗殺」し、それをアメリカの国民が歓喜し、賛美したのも、まちがっている。
借金で首が回らなくなったギリシア政府がIMFとEUの脅しに屈し、過酷な「ショック・ドクトリン」政策をギリシア国民に押し付けようとして、ギリシア国民の猛烈な抵抗にあっている。
基本的には非暴力的な抵抗だが、報道を見る限り一部の若者が警官隊に投石し、火炎瓶を投げつけるなど、「暴徒化」している。
高い失業率に苦しみ、未来まで奪われようとしているギリシアの若者の怒りは理解できる。
だが、それを暴力に訴えるのは正しくない。
それでは、国民的な抵抗運動が分裂し、結局は敗北に追い込まれてしまうだろう。
仮に暴力で現政権を倒すことに成功したとしても、次の政権下にその経験は継承され、いずれ暴力の連鎖が始まる。
大多数の民衆を独裁と強欲から解放するという正しい「目的」を、暴力という「手段」で達成できるというのは、幻想である。
「テロ」は「反テロ戦争」では根絶できないのだ。
ニューヨークから始まった「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street )」運動は、アメリカを先頭とする世界中の強欲資本主義者たち1%の支配から99%の民衆を解放しようとする運動である。
すでに1000名前後の参加者が、警察によって後ろ手に手錠をはめられ、逮捕・拘束されている。
しかし、運動は広がる一方だ。
NY市民の70%近くが共感・支持し、運動は全米から世界中に広がり始めた。
その一つの理由は、この運動が非暴力による抵抗という思想を強固に持っていることだろう。
その思想を逸脱しない限り、この運動を分裂させ、敗北に追い込むことはそう簡単にはできない。
99%の民衆の深い共感と連帯をかち得ない限り、運動の成功はない。
逆に、それが得られるならば運動は成功する。
世界の民衆は、この運動を注視し、そこから深く学び、連帯し、起ち上がるべきだろう。