奈良教育大学の学生さんはいつもバスで通学している人が多いですね。
破石町のバス停前に「ウェルネス・イン飛鳥路」がありますね。
その左手の通路から、下の写真のように、なにやら石積みのものが見えますね。
それが、「奈良のピラミッド」なんです。
もっと近寄ってみてください。
間違いなく、ピラミット状ですよね。
それには、こんな話が伝えられています。
* * * * * * * * * * * * * * * *
玄の頭塔
むかし奈良時代に玄(げんぼう)という偉いお坊さんがいたんや。
遣唐使で17年間も中国に滞在し、当時の仏教・文化を学び、
帰国後は聖武天皇のもとで政治をつかさどっていたんや。
しばらくして、玄は、藤原仲麻呂との政争に破れ、
天平17年(745年)に九州の太宰府に左遷されたんや。
ところが、九州では、かつて玄と対立して処刑された藤原広嗣の怨霊が待ち構えており、
玄はその祟りで翌年に死んでしまったんや。
しかし無念のあまり、玄の頭が奈良まで飛んできて落ちてきたんや。
その頭を葬ったのがここであり、そのため頭塔と呼ばれるようになったそうや。
* * * * * * * * * * * * * * * *
頭塔は、奈良文化財研究所により、昭和61年から12年間にわたり発掘調査が行われました。
その結果、頭塔は、東大寺の僧、実忠というお坊さんが奈良時代後期に築いたものであることが確認されました。
これは本来、五重塔と同じく仏舎利を収める仏塔であり、玄とは無関係です。
しかし、玄に対する庶民の思いが今も伝説として息づいているのです。
それにしても、規模ははるかに小さいが、
同時代に築かれたインドネシアのボロブドール遺跡とそっくりですね。
破石町のバス停前に「ウェルネス・イン飛鳥路」がありますね。
その左手の通路から、下の写真のように、なにやら石積みのものが見えますね。
それが、「奈良のピラミッド」なんです。
もっと近寄ってみてください。
間違いなく、ピラミット状ですよね。
それには、こんな話が伝えられています。
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玄の頭塔
むかし奈良時代に玄(げんぼう)という偉いお坊さんがいたんや。
遣唐使で17年間も中国に滞在し、当時の仏教・文化を学び、
帰国後は聖武天皇のもとで政治をつかさどっていたんや。
しばらくして、玄は、藤原仲麻呂との政争に破れ、
天平17年(745年)に九州の太宰府に左遷されたんや。
ところが、九州では、かつて玄と対立して処刑された藤原広嗣の怨霊が待ち構えており、
玄はその祟りで翌年に死んでしまったんや。
しかし無念のあまり、玄の頭が奈良まで飛んできて落ちてきたんや。
その頭を葬ったのがここであり、そのため頭塔と呼ばれるようになったそうや。
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頭塔は、奈良文化財研究所により、昭和61年から12年間にわたり発掘調査が行われました。
その結果、頭塔は、東大寺の僧、実忠というお坊さんが奈良時代後期に築いたものであることが確認されました。
これは本来、五重塔と同じく仏舎利を収める仏塔であり、玄とは無関係です。
しかし、玄に対する庶民の思いが今も伝説として息づいているのです。
それにしても、規模ははるかに小さいが、
同時代に築かれたインドネシアのボロブドール遺跡とそっくりですね。