壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

『本質をつかむ思考法』を読んだ

2010年12月14日 | 読書(文芸、フィクションほか)

以前、ある弁護士の本を読んでいて、こんな事例が書かれていました。ある痴漢被害者の女性の代理人となり、相場より高い慰謝料を勝ち得ることに成功した、と。痴漢した人は最近ローンで家を買ったばかり。それを知り、こんなふうに迫ったそうです。「被害者は痴漢をした相手が近所に住んでいると怖くて夜も眠れない。引っ越して欲しいと言っている」と。家を買ったばかりの彼は引っ越したくありません。それで、高い慰謝料を引き出したというのです。交渉術、としては上等なのでしょう。

しかし、相手が、真心から謝り、「出来心でした、すみません。引っ越します」という態度だと、どうなのでしょう? 慰謝料は相場並みで手を打ち、あとは知らない、で済ますのでしょうか? ずっと、このことが引っかかっていたのです。

読書中の『本質をつかむ思考法』(伊藤真著)に、デボノ博士が提唱した「水平思考」という発想法が紹介されていました。悪徳金貸しが借金のカタに、ある商人の娘を奪います。商人は皮袋に白と黒の石を入れ、「白を取ると親の借金を帳消しにしてやろう」「黒を取ると俺を結婚しろ」と娘に迫ります。商人は、こっそり黒の石を二つ入れるのです。その様子を見た娘は、機転を利かせ、一つ石を取り出したと同時に言うのです。「あ、(石敷きの地面の上に)落としちゃったわ。でも、袋に残っている石を見れば、私が何色の石を取ったか分かるでしょう」と。

一般的には、どんな窮状でも、考え抜けば、打開策は見つかる、諦めるな。形式どおりでなく、破格の発想も必要だ。そんな教訓であり、同書では「視点の移動」の教訓として引かれていました。

しかしぼくは思うのです。金貸しが、公正に白黒一つずつ石を皮袋に入れていたら、どうなのでしょう? それでも娘は、「あ、落としちゃったわ」と言えるでしょうか?

ぼくは、こうした教訓を見て、素直が一番なのだ、と思いました。素直よく論理を制す、です。子どもが、何に対しても「なぜ?」と聞くように、「なぜ?」と聞けばいいのだと思います。なかなか難しいことですが。

自立とは?

2010年12月14日 | 街ネタ
自立とは?

先日、ある大学の先生をインタビューしていて、「大学は学生を自立させるところ。自立とは経済的にも精神的にも一人立ちすること」というお話しをうかがいました。

自立だけでは足りない、とぼくは思いました。身近では年老いる親の面倒をどう見るのか? 社会的には引退世代をどう支えていくのか? 20代の若者にとって自分一人が食える(経済的自立)、というのは確かに自立ではあるでしょうが、まだ足りない。

自立とは、自らの足で立つだけでなく、二親をおぶって立つくらいでないと。
(自分のことは棚に上げています)
こんなことを考えるのも、年を取ったからかもしれません。