壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

『日本経済の真実』

2011年10月11日 | 読書(ノンフィクション、実用)

「ある情報番組で同席した、高名な経済評論家は生放送でこう言いました。(中略)私は、二の句が継げなくなりました。(中略)こんな奴を野放しにしておいていのかと唖然としましたが、つい最近同一人物が、比較的一流どころの週刊誌に、民主党政権の経済政策を肯定的に評価する記事を書いていました。つまり、トンデモ評論家のゴミのような見解をありがたがる人々が、(中略)存在するということなのでしょう」

「ある時、経済ジャーナリストとして、テレビや週刊誌で有名な人物がこう言いました。
(中略)。この発言を聞いた瞬間、その場にへたりこみそうになりました。この人物が本当にそう信じて発言しているのなら、ただのクルクルパーですが、状況を知っていて言ったとすればほとんど犯罪に近いと思います」

以上、『日本経済の真実』より引用です。

2~3週間前に読んだ『経済学的思考のすすめ』は、ある本とその著者を酷評していました。経済学をロクに学んでないテレビキャスターが、誤った経済の知識を吹聴している、という趣旨で批難しているのです。

それで手に取ったのが、同書で批難されていた『日本経済の真実』です。「クルクルパー」ですからね。いきなりの批判です。批判の対象は「高名な経済評論家」とか「経済ジャーナリストとして(中略)有名な人物」とか、実名は伏せてあります。これが『経済学的思考のすすめ』の著者なのでしょうか?

経済学というのは、客観的に誰もが納得できる科学だと思っていました。しかし、これだけ異なる立脚点に立ち、やり合えるということは、進化論と創造論みたいなものかもしれません。そういうことが分かっただけでも、もうけものです。



『学力問題のウソ』(2)

2011年10月06日 | 読書(ノンフィクション、実用)

『学力問題のウソ』(小笠原喜康著)には、次のようなことが書かれていました。

知識を得ることを、他との関わりから独立して捉える考え方がある。表象主義という。これに対し、知識を得る、学ぶ、参加する、関わる、といったことを同一視する考え方がある。この反表象主義が、勢力を強めている。

これって、知行合一じゃないですか。「助け合いって大切だよね」とただ学ぶだけでなく、実際にボランティアをする人が増えたり、NPO活動が活発になったりするのは、まさに、このことなんだなぁ、と思いました。


『学力問題のウソ』

2011年10月05日 | 読書(ノンフィクション、実用)

『学力問題のウソ』(小笠原喜康著)を読みました。

試験やテストは、点数や偏差値などで、測ることができる。だから知識は「量」である。しかし、本当に量なのだろうか? という疑問から書き起こされています。

冒頭部でビビビッと来たのが、「知識は『ふるまい』である」という主張。読み進めると、中ほどでも福沢諭吉『学問のすすめ』を引いたりし、詳しく解説されていました。

せっかくの知識も、「論語読みの論語知らず」であるなら、役立たない。知識は、場に応じて使ってナンボです。あ、もちろん金融工学の知識ではありませんよ(★)。

「役割期待行動」という考え方も、よく理解できました。いわゆる「受験知識」は、「受験者」という役割を演じる限りにおいて、役立っている。つまり、試験会場以外では、役立たない、というのです。

いや、一つ、試験のほかに、受験知識が役立つ場を思い浮かびました。テレビのバラエティです(★)。


(★)の2カ所は蛇足。こういう「ふるまい」(脱線)をするから、ぼくはダメなんでしょうね。反省です。


韓国の現状

2011年10月05日 | 読書(ノンフィクション、実用)

●以下は『ニューズウィーク』の記事より、まるまる引用です●

日本は「今の」韓国をモデルにすべきでない
2011年09月06日(火)14時04分
今週のコラムニスト:クォン・ヨンソク
〔8月31日号掲載〕

 日本の官僚や産業界の人と話をしていると、彼らの一部に韓国を経済分野における成功モデルにしようとする意識が働いていることに気付く。いわゆる「ルック・コリア」と呼ばれる風潮だ。

 サムスンや現代、LGといった企業の躍進や、世界各国との自由貿易協定(FTA)締結、教育改革などによるグローバル化の推進が、日本にそうした意識をもたらしているのかもしれない。(中略)

 だが現在の韓国は、本当に日本のモデルになり得るのか。隣の芝は青く見えるもの。僕が思うに、少し韓国を買いかぶり過ぎだろう。

 実際のところ「超圧縮成長」を遂げてきた韓国経済は、その裏で国内に大きなひずみを生み出した。超大企業中心主義、超輸出依存体制、土建と土地バブルに象徴される極めて不健全な経済構造......。大企業躍進の陰では、5割を超える人が非正規雇用に転落している。国家と市民が企業と資本に主導権を奪われた、究極の企業社会・格差社会が「サムスン共和国」とも称される今の韓国なのだ。

 さらに深刻なのは、未来を担うべき若者たちが病んでいること。バラク・オバマ米大統領も称賛する韓国の教育システムだが、小学校からの英語教育義務化により、就学前から月100万ウォン(約7万円)もする英語幼稚園に通い、勉強のし過ぎで視力が極端に落ちる幼児や、ストレスで鬱になったり犯罪に手を染めたり自殺する子供も増えている。親にも月100万~200万ウォンもの教育費がのしかかる(韓国の平均月収は約272万ウォン)。

 それでも勝ち組への門はあまりに狭い。ソウル、高麗、延世のいわゆる「SKY大学」に行けなければ、二流三流の人生が待っている。ソウル大学を目指して何度も受験したが失敗し、あえて大学の近くで首をつるという事件も起きるほどだ。

■この長い競争にゴールはない

 厳しい受験戦争を勝ち抜いても、今度は「青年失業」が待っている。(中略)貧しくとも義理人情と仁徳を重んじ、何より生命を尊ぶかつての韓国人の面影はない。カフェや居酒屋で聞こえてくるのも、財テクや子供の教育の話題ばかりだ。

 だが忘れてはならないのは、これはかつて韓国が日本をある面でモデルとし、追い付け追い越せで疾走してきた結果でもあることだ。また国内には、こうした矛盾を克服しようとする機運もある。

 日本はそれでも「韓国に学び」、より速くトラックを駆ける競走馬を調教するのか、それとも日韓の無為なサバイバルレースを改め、人間的な新しい社会システムをつくるために協力するのか。3・11を経験した日本だからこそ、韓国にアドバイスできるのではないか。それが日韓の真の友情にもつながるはずだ。

●以上、長い引用終わり●



『世論の曲解』(2)

2011年10月05日 | 読書(ノンフィクション、実用)

一段落は、「ひと段落」だと思ってましたが、「いち段落」なんですね。『世論の曲解』(菅原拓著)に教えられました。念のため辞書を引くと、確かに「いち~」であり、「ひと~」ではありません。一つ、勉強になりました。

同書はデータ分析の書なので、主張をしていません。しかし、分析を素直に受け取ると、「選挙に勝つには、農業と土建業を保護する従来型の政策でなく、(人口が多く、眠れる有権者が多い)都市型の政策をすべき」と読めます。選挙とは、より多くの民意を反映する、つまりより多くの票を取るシステムですから、これは当然の戦略でしょう。

いま、東日本大震災の混乱がひと段落し、TPPに参加すべきか否か、などの議論が、再び始まっています。都市型政策とは、例えば「TPPに参加する」ということですね。

都市型の政策というのは、例えば、サムスンやLGが世界を土俵に健闘している韓国みたいなものでしょう。韓国は、英語教育、受験競争、留学など、官民上げて、めちゃくちゃ教育に力を注いでいます。大きな成功者も出るが、一方で、高い失業率などの問題も抱えています。

とはいえ、グローバル化は避けがたい。となると、外交が、とても重要になってきますね。