壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

お賽銭

2012年02月29日 | あじわう

神までは届いていないお賽銭 幸手 まりちゃん

●以上、本日(1月29日)の毎日新聞、万柳より。

途上国へのODA、被災地への義援金、その他、こういう事例は多いですよね。ITの時代、単なる中抜き業者は、滅びへまっしぐらだと思います。中間業者は、何らかの付加価値をつけないとね。人柄の良さなんてもの、いいと思いますよ。この人と取引すると、ホッとして癒されるとなると、多少高くても、そこを通したくなりますから。

中国の先富論じゃないですが、まず大企業優遇で、中小企業は後回しにされがち。大企業の社員が豊かになり、消費する。それで、地元商店街がうるおう。戦後の資源困窮時、大企業へ優遇して資源を回す政策が取られました。そういうことは、許されるんでしょうか?

経済学にも「乗数効果」なんて考えがあります。不景気時は、公共事業をやる。ゼネコンが潤う。次に下請けに仕事がまわり活気付く。さらに孫受けに仕事が行き、豊かになる。最後は個人請負です。本当に、そこまで回って行くんでしょうか?

以前、家計に直接お金を入れる政策がされましたが、そのときは、どうだったんでしょうかね。

今朝の東京は雪です。積雪だけでなく、降雪も続いている。まとまった量のボタン雪です。いつまで降り続くことか。牛込中央通で、ころんでいるサラリーマンがいました。「あるくみるきく」読者の皆さまも、お気をつけ下さい。


お通夜

2012年02月28日 | あじわう

金欲しい神様に見る人間味 柏原 柏原のミミ

晩酌も同窓会もいるお通夜 神奈川 カトンボ

座ったら話題途切れた立ち話 米子 浮々

どの時代生きるかそれも人の運 東京 麻子

「国民の皆様」聞くとゾッとする 松山 本の虫

●以上、本日(2月28日)の毎日新聞、万柳より。

第一句。お布施やお賽銭やお供えや、いろいろあります。
第二句。僕の通夜には同窓会は、なさそうだ。故郷を後にしてきたから。寂しいねぇ。
第三句。あはは。こういうの好きです。
第四句。その通りやなぁ。
第五句。増税ですか?

本日の東京は、寒さが戻っていますが、天気は快晴です。夜か原は雪の予報ですが、こんなにいい天気なのに、ほんとうに降るんかいな。「あるくみるきく」読者の皆さまも、お気をつけて。


『僕のお父さんは東電の社員です』、続き

2012年02月27日 | かんがえる

『僕のお父さんは東電の社員です』が、本として企画が成り立ったわけ。これも素人発想で考えてみますよ。

それは、ゆうだい君が小6だから。お父さんが50代、子どもが30歳前後では、いくら正当な内容でも、その手紙が新聞に取り上げられることはなかったでしょう。

子どもって、良くも悪くも、変われる可能性がある。ぼくは、先のブログで批判精神なんて言ったが、子どもには素直に育って欲しいな。素直と批判精神は矛盾しないですよね。正反合ですね。


教室の照明の配線

2012年02月27日 | きく

「あるくみるきく」読者の皆さんは学生(生徒)ですか? 会社員ですか? 学生であれば、教室を思い浮かべてください。教室でなく、オフィスでもいいです。

その部屋の天井の照明は、どう配列されていますか? 黒板に向かって水平に並んでいて、列ごとに、スイッチのON/OFFができるように配線されていませんか? これだと、前を点けて、後ろを消すといったことができる。生徒が少ないとき前に集め、後ろの電気を消す、という対応ができるでしょう。

ところで、なぜ、黒板に対して垂直に照明が配列されることは少ないのか。窓から廊下側へ列を成した照明を、列ごとにON/OFFできるように配線されていれば、曇天のときは、廊下側だけ電気を点ける、といった対応ができますよね。

べつに、配列なんて、黒板に向かって縦でも横でもいいじゃないですか。なのに、横が圧倒的に多い。これは、そもそも建築設計者(配線設計者)に、節電という発想がないから。スイッチを入れれば、教室が一様に明るくなる、それでいいでしょ、というわけです。

この話、震災前に千葉工業大の建築学(照明学)の先生から聞きました。目から鱗が落ちました。この先生は、研究室の窓辺にデスクを置き、ふだん(来客がないときなど)は照明を点けないそうです。神は細部に宿るといいますが、ほんとうに大切なことは、日常のちょっとした工夫なんですね。


『僕のお父さんは東電の社員です』(森達也編)

2012年02月27日 | よむ

『僕のお父さんは東電の社員です』(森達也編)を読みました。

3月11日の震災、福島第一原発の事故。その2週間後の、3月27日に、毎日小学生新聞に、経済ジャーナリストで、元毎日新聞記者の北村龍行さんが、東電批判の記事を書きました。

これに対して、小6のゆうだい君(仮名)から反論の手紙が寄せられ、紙面に載った。手紙の内容は、「(父が勤める)東電ばかり批判されているが、電気を求め、便利を求めた(主に都市の、広く世界中の)住民も同罪でないか」という内容です。

これに対し、小学生はもちろん、中学生、高校生、大学生、社会人からも、賛同、反論が寄せられ、紙面をにぎわせたようです。それをまとめたの同書です。巻末には、大人世代代表として、映画監督で作家の森達也氏が、「ぼくたちのあやまちを知ったあなたたちへのお願い」が載っています。

■以下要約■東電の幹部も政府の人も、テレビで謝る。無表情。これだと何も伝わってこない。もし焦っていたら、「きっと(事態収拾の)作業に集中しているんだな、苦労してるんだな」と思うはずなのに、無表情だから、何も伝わってこない。無責任だ。(T・E 小4)

放射性のゴミは、ロケットに乗せて宇宙に持っていき爆発させる。そうすれば、地上は放射能とオサラバし、自由になれる。(K・K 小4)

マスコミや評論家の人が、(東電や政府に対して)批判ばかりで、前向きな意見を言うことはめったに見かけません。そういうことは、悲しすぎます。被災地は助け合っている。それなのに、助ける側がもめて、どうするんですか。(久保君 小6)

僕の父は海洋保安庁で働く公務員です。今回の地震で、国家公務員の給料が1割カットされようとしています。しかし、これも被災地の方のために使われるのであれば、仕方の無いことだと思います。父は自分の仕事に誇りを持っています。ゆうだい君のお父さんも、そうでしょう。だから、少しくらいマスコミや評論家に批判されても(彼らの仕事は、批判することです)、自信を持って欲しいです。(帯屋君 小6)

★私のコメント★さすがに学年が上ると、内容がしっかりしてきます。

小学生の手紙は、次のようなものが多い。「僕は東電が悪いと思います。理由は第一に~~~。第二に~~~。第三に~~~」と構成上は、しっかりしている(こういう指導がされているのでしょうか?)。ですが、「話し合いが大切です」という結論のものが多い。ゆうだい君が、「いまは東電批判をするのでなく、解決策を話し合うべきでは」と呼びかけたためでもあります。

が、しかし。話し合いで解決するのであれば、近代民主制の成立以降、すべての問題は解決されているはずですよね。でも、そんなことはありません。リーマンショック後の中国経済の回復の早さを見て、開発独裁を羨ましく思った経営者もいたのでは? 話し合いは万能薬でない。譲歩する精神こそ大切なんだと思います。

■要約の続き■私は、原発事故は、神様のくれたチャンスだと思っています。節電して、発電所を作らず、すごくイイ世の中を作るためのチャンスです。(荒井さん 中1)

選挙になると、よく一票の重さということが言われます。人口によって議員の数を決めていけば、田舎の声はますます小さくなり、都会の声だけが大きくなる。もう田舎は人の住めない世界になってしまうでしょう。(★私のコメント>先日、このブログで一票の価値について、疑問を呈しました。私と同じことを考える人は、他にもいるもんですね。「人の住めない世界」にしてしまえば、核廃棄物の貯蔵場が作りやすくなるとでも思っているのでしょうか?)

(先の人の手紙続き)私は人の作ったものに100%の安全は無いと考えています。この(素朴な)考えは、誰もが持っているでしょう。それは、都会の真ん中に原発を作らないことでも分かります。そう考えれば、あの事故は「想定内」だったのです。田舎に住む私などは、都会の高いタワーマンションを見ると(万が一の際はきっと倒れるだろうと)恐ろしくなります。専門的知識を持たない私にとっては、それも「想定内」のことなのです。(茨城県 社会人 農業)

★私のコメント★この発想、すごく分かります。専門家よりも、素人の素朴な目線が、本質を射ることは、多々あるんですよ。

行政訴訟では、裁判所が、「この事案は専門的な内容だから司法介入すべきでない。専門知識を持つ行政に、裁量権を広く認めるべき」と判断し、訴えを門前払いすることが多々あります。専門的知識って、何でしょう。今回の震災では、震度の大きさ、津波の高さ、原発の安全性……、全てが専門家の判断と違うものでした。いったい専門家って何なのでしょう?

「私は、人の作ったものに100%の安全は無いと考えています。この考えは、誰でも持っているでしょう」と、投稿子は書きます。ほんとうに、その通り。「専門家の言ったことに100%の真は無いと考えています」です。

今後の僕たちに必要なことは、改めて批判的精神を復活させることなんだと思います。

原子力発電の導入は、日本は資源小国だから、石油にばかり頼れない、という理由で決断されました。でも、「よく考えればウランだって輸入するしかないし、(中略)そこまでは誰も考えなかった。あるいは思っても口にしなかった。」(編者の森達也氏より引用)。これも、素人発想ですよね。

マンモスの牙は、先が丸まり、武器にならない、食事にも邪魔になる。なのに、なぜ丸まっているのか。この秘密を知るには、進化を調べる。何らかの理由で丸まることが必要だったが、行き過ぎて進化してしまったからだ、というのです。これを「過剰進化」というそうです。過剰適応だとも言えると思います。

「利便性や快適さを求める人の進化も、もしかしたら過剰進化の例かもしれない。」(引用)

もっともっと素人発想、素朴な疑問、野生の感覚、本能、直感というものを大切にしたいな。そう思いました。