壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

『震える牛』(相場英雄著)読後記

2013年09月19日 | よむ

『震える牛』(相場英雄著)を読みました。

JR中野駅前の居酒屋で起きた殺人事件。犯人が捕まらず、捜査本部は解散されたが、継続捜査班の刑事、田川信一が新たに手掛ける。地取り、鑑取りの達人、田川は、外国人による粗暴犯という当初の筋読みが誤っていたと気付き、さらに捜査を進める……。

日本実業新聞を辞めてネットメディアで健筆をふるう鶴田真純は、巨大流通チェーン、オックスマートの強引な商法を追求する……。

2つの別々に進行する話が、ある一点で重なり始め、やがて流通の裏側で展開される、消費者無視の「儲かればいい」というエゲつない業者へと行きつき……。

流通の闇、食品加工の裏側が暴かれ、資本の論理の限界が暗示され、警察組織の内実がほのめかされ、広告に頼るジャーナリズムの限界が語られ、下町界隈の風情が描かれ、楽しい小説でした。小説の舞台である中野や新井薬師前は、3年ほど暮らした街でもあり、懐かしかったです。

小説中、ミートステーションの八田社長が、工場の社員に、消費者を愚弄する言葉を投げかけ、叱咤するくだりがあります。「消費者は安ければ買うんだ。中身なんて吟味しない。だから悪い肉を薬品で加工し、香料を付け、水膨れさせたハンバーグを作ってもいいんだ」と。確かに業者は悪いが、ジャンクフードを受け入れてしまうのは、我々、消費者にも「安さにつられる」弱さがあるのかもしれません。「ある国は、その国の民度以上の政治家を輩出できない」という言葉を聞いたことがありますが、まさに、それと同じかもと思いました。

話は横道にそれますが、原価3割という原則があります。外食するときは、このことを覚えておくといいでしょう。例えば500円の弁当。原価は3割で150円です。その弁当の食材は、ス-パーで自分が買い物するとき150円くらいかな、と。150円なら適正、100円なら弁当屋が暴利を取っているのだし、200円くらいするのなら「訳あり食材」が50円安く150円で仕入れられ、使われている。そういうふうに考えるのです。訳ありといっても色々で、曲がったキュウリなら歓迎ですが、薬品漬けで水増しした加工肉だと許されない。

小説のラスト。警察組織の闇も恐ろしいですね。現実の世界では、北海道警などで裏金問題が騒がれたことがありましたが、今は、忘れられていますね。関心を持つ者は減った。だから警察もほとぼりが冷めたと、再びやっているかもしれません。慣れっこになっているのが恐ろしい。悲しいことですが、人間は、自分に直接関係がない事柄には、なかなか継続して関心を持ち続けることが難しいものですね。

そんな警察組織ですが、刑事個人として田川は、新井薬師の自宅で開くすき焼きパーティに、鶴田を誘う。ほっこりした終わり方で、救われた気がしました。

ちなみに、クローズ・キング(クロキン)=ユニクロ、日本実業新聞=日経新聞、東都商業バンク=帝国データバンクなど、実在の企業を連想させる企業が多数登場します。「あの会社はこんな社風なんだ」などと連想しつつ読むのも面白かったです。



香りの残る洗剤

2013年09月18日 | かんがえる

洗濯後に香りが衣類に残る洗剤、が人気だそう。我が家も妻が使い始め、自分のシャツが匂うが、どうも気になる。

これ、学校で問題になるのでは?「○○ちゃん、いい香り」「何の匂い?」「○○ちゃんは匂わないね」「なんで」「臭い」とか。

考え過ぎかな。でも、ちょっとこの匂いは、ぼくは嫌味に感じるよ。

で、止めてくれと妻に言ったんだ。すると、あんたの衣類の臭さを誤魔化すために使ってるんだって。ヤブヘビでした。


『民意のつくられかた』(斎藤貴男著)読後記

2013年09月18日 | よむ

『民意のつくられかた』(斎藤貴男著)を読みました。

以前、ラジオで内橋克人さんが「パブリック・アクセプタンス」という用語を紹介しており、興味を持ったのです。

民意というと「独立した一人ひとりの市民が、個別に深く考えた意見の、結果としての多数の意見」だと思っていました。僕も民意を形成する一人だ、ってね。が、違う。強制されることはなくても、本人にそれと悟られないよう、巧みに誘導されていることがあるんです。原発の受容なども、そのいい例です。怖いですね。

同書には、道路行政、原発、オリンピック誘致、捕鯨など、各章ごとに、どのように民意が形成されたのかが、詳細に記されています。たとえば先の2016年のオリンピック招致。競技場を「既存」「新設」に分け、「既存が○%と多いからコンパクトに開催できる」とアピールしました。

が、実際は「既存」じゃないんです。既存(施設)を壊し、新たに作り直す施設も多い。それは既存(会場)なんだそうです。だから「○%」という言い方は誤魔化しです。著者が、都の誘致推進部施設担当課長に取材するくだりは、もう市民を愚弄している、としかいいようがありません(同書P138)。

(著者に鋭い質問を浴びて、窮した担当者は……。以下引用)
「屁理屈ではありますが、立候補ファイルには既存「施設」ではなく、既存「会場」と書いてあるでしょう?施設をそのまま使うとは言ってない。……ただ、一般には分かりにくいかもしれませんね」
(自ら「分かりにくい」と認めている。分かりにくいと分かって、分かりにくい表現を放置している! 故意です)

著者も「そういうのをミスリードというんじゃないですか」「はっきり言って、ウソ。違いますか」と迫りますが、ノラリクラリとかわされます。

新聞やテレビの報道は、「既存の施設が○%でコンパクト」とばかり言っていた。著者が見破ったような観点から迫る記事も番組も、不勉強ながら僕は見聞きした記憶がありません。

この本で触れられた2016年オリンピックは、東京はリオに敗れました。が、つい先ほど、2020年の東京開催が決まりました。2020年の誘致でも、2016年同様の誤魔化しが用いられたのでしょうか。

一スポーツ好きとしては、東京で開催されることは嬉しいことですが、市民を誤魔化してまでやって欲しくないな、と思います。

ことオリンピックに限りません。いろいろな事柄について、民意は誘導されています。今後は特に「汚染水は仕方ないな」というふうに「民意」が形成されるんじゃないでしょうか。注意してウォッチしていきたいと思います。



なぜ東京は信号無視の自転車が多いのか?

2013年09月12日 | かんがえる

小田原に実家があり、いまは世田谷に住む方と話したよ。たまに家族を連れて小田原に帰るそうなんだが、「息子が、なぜ東京は信号無視する自転車が多いの?」と聞くんだって。息子さんは小2。目の付け所が鋭いね。ぼくも「東京は信号無視する自転車が多い」と感じてたよ。

なぜか。考えた。

地方は、自動車が必需品だよね。ちょっと買い物するのにも店が遠いから車に乗る。東京は、店が近くて徒歩で用が足りる。鉄道網やバス網も発達している。人口密度が高いから、駐車場は自前でなく、借りることが多くお金がかかる。だから、自動車を持つ人の割合は低い。

確かに絶対数としては、東京は自動車が多いよ。だけど、歩行者や自転車との比率でいうと、低いんだよね。

感覚値として、自動車、自転車、歩行者の量が、地方は10:2:1なのに対し、東京は30:10:10くらいかな。割合だと10:2:1に対して3:1:1だよ。これじゃ、自転車や歩行者は「天下の公道は歩行者のもんだ」って強気になるよね。そうでなきゃ、スマフォ操作しながら道を歩けないよ、怖くてさ。

ある種の動物は、オスが多くても、その数がある一定割合を超えると、一部のオスがメス化する。男子校に女性っぽい生徒が出てくる現象だよ。これと同じで、公道の自動車に対する自転車の割合がある一定値を超えると、自転車は信号無視しやすくなると言えるのでないかな。

我ながら、なかなか面白い仮説でないかな。

でも、これでは、歩行者はそうでもないのに、自転車の信号無視が多いというのは説明がつかない。藪蛇だね。