『粗にして野だが卑ではない 石田禮助の生涯』(城山三郎著)を読みました。
石田氏は、明治19年、西伊豆の松崎の網元の次男として生まれました。三井物産に就職し、アメリカ、インド、満州、再びアメリカと長く海外駐在を経験し、業績を上げ、社長も務めています。その石田氏の伝記、聞き書きです。
退職後は、神奈川県の国府津で、ブレイン・ファーマー(頭を使って農業する)になり、牛やヤギを飼って暮らしますが、請われて、第5代の国鉄総裁になります。国鉄はいろいろ問題が多く、経営が難しく、誰も引き受け手がいないんでした。財界人からの総裁起用は初めて。このとき年齢、78歳。
明治男の一徹さ、長い海外経験で身に付いた合理主義。なかなか痛快なリーダーです。
業績は多々ありますが、一つだけ紹介します。青函連絡船です。それまで戦時輸送に使っていた古い船を利用していたのですが、安全上、不安とし、新型船に置き換えていくのです。1艘10数億円するのですが、横揺れ防止の装置を付けるのに1億円。それを、何艘にも、惜しみなく付けて行きます。
同じ国営企業である日本たばこ(現JT)。当時は、国鉄と給料は同じだったとか。これに対し、週刊誌記者に、「こちらは24時間365日、安全に気を付け、輸送しているんだ。いざ故障となったら、いつでもすっ飛んで行く。たばこより、高い給料を取って当然だ」と言い放つ。
これで、「へんな爺さんが来た」と警戒していた国労の心をつかむ。一方、日本たばこからクレームを持ち込まれるんですが、常に正論で応対し、相手を「仕方ないな」と思わせてしまう。
こんな経営者がいたんだ。一種、清々しい読後感です。
70歳になっても、ヤング・ソルジャー。経営を志す人、リーダーシップつについて学びたい人は、ぜひお読みください。