壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

物語性

2009年09月30日 | 雑記
チョコレート菓子のキットカット、大型バイクのハーレーダビッドソン。これらはなぜ売れたのか。

以前、このブログ「あるくみるきく」で、これらヒット商品の売り方について考察しました。結局、これらは、モノそのものでなく、モノに付随する物語に価値があり、その物語を愛する人がいるからこそ、売れる。そういうことでした。

先日読んだ、『仮説力を鍛える』という親書も、解説でなく、ドラマ仕立てでした。私たちは、マニュアルは面白くないと感じる。取扱説明書など読む気になれず、いきなり機器を操作する。そんな人は多いはずです。一方、一部の人気作家に偏るとはいえ、小説は現代も売れている。読まれている。それは、物語、波瀾万丈のドラマだからだと思います。

テレビも新聞もない時代、庶民は紙に記録することすらできなかった時代、人々は、親から子へ、子から孫へと、囲炉裏端で物語を伝えていったのだと思います。イノシシと格闘したとか、大川から灌漑用水を引いて米作をラクにしたとか、そんな偉大な先代の話が、口承されて、一家の物語になっていく。日本最古(?)の家系、天皇家の物語は、ヤマタノオロチ退治などの神話になっていますね。

そこで、思ったのです。狭義では死を意味する「一巻の終わり」という言葉。これは、「おれの代の物語は終わった。二巻目は頼む」と親から子へ、物語を引き渡すという意味でないのか。そう仮説をたてました。

さっそく国語辞典を調べてみました。
【昔、活弁が無声映画の終わりに(一巻の終わり)と言ったことから派生し、それまで続いてきた事柄や話がそこで終ること。おしまい】

どうやら、私の仮説は大いに間違っているようです。

ブレークスルー

2009年09月29日 | 川柳
難題の 方が出やすい 新発想

課題は大きいほど、ブレイクスルー(技術の革命的な進歩)を生む。確かにそんな側面があります。

かつて、アメリカが定めた厳しい排ガス基準(マスキー法)を、はるかに上回る性能のエンジンを、ホンダは開発しました。たしか、CVCCという技術だったと記憶しています。

この前、取材したあるシステム開発会社の社長も、「従来システムの100倍の処理速度を実現せよ」といった課題を、社員に与えると言っていました。1・2倍や1・3倍でないのがミソです。もちろん具体的な成果を求めているのではなく、あくまで研修の一環。思考するプロセスを重視しているのです。人は、スロープ(斜面)を登るようになだらかに成長するのでなく、難局にぶつかるたびに、階段を上るように成長するのだ、とのことでした。

鳩山首相が世界に公約した、25%というCO2削減目標も、きっとクリアできるはず。産業界からは反対の意見が多いのですが、ホンダのような会社は、内心では「チャンス」とさえ思っているのではないでしょうか。各社の知恵の絞り合いに期待したいです。

時は下って2020年、「国際公約が守られなかったじゃないか」と詰め寄る野党に対し、
詰問に 苦し紛れの珍回答
とならないよう、新政府の産業振興施策にも期待したいものです。


『仮説力を鍛える』を読んだ

2009年09月28日 | 読書
なぜビジネス書が読まれるのでしょうか? ビジネスはドラマだから、です。
「ドラマには、さまざまな人間模様があり、どろどろとした人間の営みがある。嬉しいこともあれば、悲しいこともある。(中略)あるときは人に助けられながら、あるときは人とぶつかりながら、仮説とは何かを考える」(まえがきより引用)

『仮説力を鍛える』(八幡ひろし著、ソフトバンク新書。ヒロシのヒは、糸ヘンに比、ロは草冠に戸、シは史)を読みました。そのタイトル、新書という体裁からはちょっと異質な物語仕立てで、仮説力の大切さを説いたビジネス書です。

主な舞台は、主人公、八木健一の会社。しかし、冷蔵庫の買い替えで妻と交わすやり取り、小学生の息子と一緒に行く虫取りなどでも仮説について考えるキッカケとし、とても親しみやすい味付けがしてあり、スラスラ読めました。

不正を働いていると思しき電材事業部長との、土壇場の対決シーンには、物語とは知りつつ、手に汗握り「がんばれ」と心の中で叫んでしまいました。

それにしても仮説力。あらかじめ仮に答えを決めておき、その答えが妥当かどうか確かめる。言うは易し、行うは難しですが、改めて日々の仕事で実践していこうと思いました。

『勝つ兵法、負けない兵法』を読んだ

2009年09月27日 | 読書
敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず――。中国の古典『孫子』の、この有名な一文をはじめ、多くの古典の名文句を解説した『勝つ兵法、負けない兵法』(守屋洋著、PHP研究所)を読みました。兵法とは、狭義では戦争のやり方、戦略のことですが、広義には国家の統治法、組織の管理法、ビジネスのマネジメント法まで含みます。

同書を読んで、発見したことは、2つ。

1つ目は、統治には、バランス感覚が大切だということです。アメとムチ、厳と寛。プリンシプル(原理原則)を軸に、状況に応じて使い分けることが大切だと説きます。

有能なリーダーは、アメとムチを使い分けるのが上手なのは、みなさんも実感しておられることでしょう。ただ、「厳しく当たって恐れられ、やさしく接して慕われる」のは当たり前。これでは、まだまだ凡庸なリーダーです。「厳(げん)にして愛せられ、寛(かん)にして畏(おそ)れらる」リーダーこそが本物だと同書には書かれています。なるほど、その通りだと思いました。

兵法には、「欲キン姑縦の計」(キンは手ヘンに禽で、ヨクキンコショウのケイと読む)という考えがあるそうです。「禽(とら)えんと欲すれば、姑(しばら)く縦(はな)つ」です。政治でいえば、国民から税金を多く取ろうと考えると、国民に嫌気がさし活力が失われる。税金を納めてもらう前に、まず国民が生活を成り立たせられる政治を行わなければならない。そういうことです。今回の民主党の子ども手当、亀井金融相の借入返済の3年間の猶予(モラトリアム)などは、当面はありがたい政策ですが、いずれ、増税という形で取り立てられることになるのでしょうか?

著者によると、バランスが大切とはいえ、中国では厳しい方にウェイトがあるそうです。「泣いて馬ショクを斬る」(ショクは言ベンに田、ム、久)という格言があるほどですから。原理原則に反した者は、たとえ目をかけていた部下でも斬る。とても厳しい処遇です。建前では、バランス感覚が大切といいつつ、現実には、プリンシプルを信奉する教条主義なのかもしれません。信賞必罰です。これでは綱紀は正されるでしょうが、兵員はかなり息苦しいでしょうね。

2つ目は、日本人と中国人は、姿形は似ているけれど、考え方は非なるものだ、と改めて感じたことです。数々の放伐で歴代の王朝が変わってきた中国に対し、日本は名目上、天皇家が国家を治め続けています(現在は象徴ですが)。だから、天皇を「大きな親」とすれば、子たる国民はみな家族です。だから仲良くできる。聖徳太子の言った「和をもって尊(たっと)しとなす」です。他人を警戒する必要性を、感じ得ないのです。他国からの侵略をほとんど受けた経験のない島国だからこそ生まれた国民性だといえるでしょう。

一方、広大な土地に多くの民族が住む中国は、いつ、どこから、誰に攻撃を受けるか分からない。昨日の味方が、今日、寝返るかも分らない。だから、アメとムチの「統治法」が発達した。それが「兵法」なのだ。私は、このように解釈しました。

同書には、リーダーの仕事は、中国では重く、日本では楽勝だったとも書かれています。日本では、みな仲が良いことが前提だから「やれ行け、それ行け」と旗を振っていれば、まじめな兵の奮闘で何とかなり、将の無能が表面化しないが、中国では、統治を一歩間違えば部下が「いち抜けた」と離反してしまうということです。

現在は、いろいろなバックグラウンドを持った多様な考え方の人でも、必然的に交わらねばならないグローバル化の時代です。日本的な付き合い方では、一方的に損を押し付けられかねません。中国的な、あるいは契約を重んじる欧米的な付き合い方が、ますます大切になるでしょう。現代のリーダーが、改めて「兵法」を学ぶ意味は大きいと感じました。