壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

『松本清張初文庫化作品集(2)断崖』読後記

2012年12月26日 | よむ

『松本清張初文庫化作品集(2)断崖』を読みました。所収は「濁った陽」「断崖」「よごれた虹」「粗い網板」「骨折」。

濁った陽は、短編「ある小官僚の抹殺」、長編「中央流沙」と同じモチーフ。政官財の癒着があり、警察や検察がそれに迫るのだが、課長補佐級の自死で追及がそれ以上に進まない。自死とはいえ、上層部を守るため半ば無理やり自殺に追い込まれる。組織第一の時代ならまだしも、今ではやや考えにくい構図です。

これは実際にあった事件で、ドミニカ輸入原糖の輸入割当をめぐる汚職だそうです。太平洋戦後は、石油はじめあらゆる物資が不足し、中央の担当省庁が割り当てし、大企業優遇策が取られたとか。砂糖も同様に、割り当てがあり、自社に多く分配してほしい企業が袖の下を政治家に流し、政治家が官僚に指示し、という構図があったのでしょう。

「汚れた陽」では、その動機やからくりの部分は薄く、アリバイ崩しの部分が厚く描かれています。この辺り、清張作品には異質だと思います。

また、劇作家とその女弟子が、素人探偵よろしく事件に迫るという構成も、清張作品らしからぬ軽さを生んでいます。最後の「私たちが探偵ごっこをしなければ、第二の殺人は起こらなかったのですわ」という女弟子の言葉に、複雑なものを感じてしまいました。

また、「粗い網板」は新興宗教と国家権力がテーマ。オウム真理教が世間を騒がせるはるか以前に、その出現を預言しているような内容です。

清張ファンの方は、ぜひ。


『オレたちバブル入行組』(池井戸潤著)読後記

2012年12月19日 | よむ

『オレたちバブル入行組』(池井戸潤著)を読みました。都市銀行を舞台にした、出世競争もの。池井戸さんは『下町ロケット』で直木賞を受賞した、評判の書き手です。

同じ銀行内で、足の引っ張り合いがあります。野球チームでもレギュラーを目指して、仲間の競争があります。ぼくは、そういうのは好きでないのですが、残念ながら、世の中そういうもんなのかもしれません。池井戸さんは元三菱銀行員です。本部による支店の臨検とか、国税の動きとか、粉飾決算とか、資産隠しとか、差し押さえとか、実にリアルでした。

ただ、主人公、半沢に敵対する、大阪西支店の支店長、浅野の不正など、やや誇張があったと感じます。半沢(善)vs浅野(悪)という構図にする意図でしょうし、そのほうが物語として分かりやすいですが、本当にそんなヤツいるの?居たとしたら銀行って何?と思う。銀行とはほとんど縁のない自分の目には、本当に銀行って何?と映りました。

最後、半沢は、不正をした浅野を告発し、法的手続きで処分という、正攻法を選びません。浅野の弱みを出汁にして、いわば彼を脅迫することで、重要ポストに就く。毒を以て毒を制す、ということでしょうか。その辺は、単に正義の味方の半沢でなく、複雑なキャラクター造形ではあります。

物語の後半、メールの発信者として、半沢の妻、花が出てきます。また、バブル期の同期入行で、かつ慶応の同窓の仲間もチラチラ出てきます。が、彼らの描き方がやや不足していたきらいがある。『オレたち』というのだから、同窓生もストーリーにもっと関与させればよかったのに、と感じました(そうすると筋が複雑になりすぎるのかな)。

いずれにせよ、よくできたエンタメです。一気に読めました。銀行の構造や行内の空気、金融の実務、組織のドロドロといったことに興味のある方は、ぜひ。



肉離れを連発してしまった

2012年12月16日 | 雑記

昨日、ソフトボールの練習中に右足、ふくらはぎを肉離れしてしまいました。ノックの外野フライを取ろうと、落下点へ走る。キャッチとほぼ同時に、バシッとやりました。

2カ月半前は、左足、ふくらはぎを肉離れしました。だから、入念に準備体操、柔軟体操をして、練習に臨んでいたのです。なのに、やってしまった。バシッと棍棒で叩かれたような鈍痛。2カ月半前のことがあり、すぐ肉離れだと分かりました。

1月にはソフトボールは大会もあります。左がやっと治り「さあこれからだ」と思った矢先です。ショックです。

このたびの一連の肉離れ、生まれて初の経験です。なにか体質が変化し、肉離れしやすくなっているのでしょうか? 認めたくないですが、老化なのか? ショックです。

「あるくみるきく」読者の皆様も、健康にはご注意ください。


『ホームレス人生講座』(風樹茂著)

2012年12月14日 | よむ

『ホームレス人生講座』(風樹茂著)読了。

以下、カバーより。過酷な状況に置かれているホームレスには、時代の矛盾が凝縮されている。様々な世代のホームレスの個人史を辿ることにより、日本が失ってきたものを浮き彫りにした異色のルポルタージュ。

(以下、引用より)無縁な人々を救うのは、もともと宗教であった。教会、寺院というのは避難所であり、日本でもかつては乞食が集う寺などがあった。だが今現在の宗教機関である寺や神社はホームレスが逃げ込むような場所ではない。私が知る限りでは、無縁の人を救うどころか忌み嫌うのがこれらの宗教機関である。(中世には乞食が集う寺やお堂があったのに、今はない、という指摘は、なるほど)

(以下、引用より)日本は縁を失った脆い社会である。ほかの国ならばさまざまな縁がセーフティネットの役割を果たすが、日本の場合は無縁の人が頼るのは、国の制度になってしまう。そして制度というのは、万人に平等ではなく恣意的に扱われるものである。制度は役人が扱いやすいように運営されるのであり、ある意味彼らのためにある。たとえば、法律のどこにも規定はないが、住所がなければ生活保護を受けられないなどというのは、その例の最たるものであろう。(確かに、その通りですね)

日本マクドナルド会長の原田泳幸さんが、かつてエンジニアだった頃。ある現場に機械を入れた。その機械が壊れた。工事している職人が言うんですね。「コードが1本切れたくらいで止まる機械は使えない。俺たちの仕事に合わせて機械を作れ」と。ふつう、使う人間が、機械に合わせますよね。職人の言は乱暴ではありますが、ヒント満載です。原田さんは、これで気づくんですね。で、その工夫で特許も申請したといいます。

公共サービスの制度は、どう設計されるといいのか。役人が運用しやすいようにか、サービスを質・量共に充実させるためにか。「法律のどこにも規定はないが、住所がなければ生活保護を受けられない」というのは、その際たる例ですね。

住民票がなければ生活保護を受けられない、というのは、不正利用防止の意味もあるんでしょうが、これでは、まさに役人が運用しやすいように、と言われても仕方ないですね。

先日『ベースボール・パラダイス』を読みましたが、そこに所収のタイガースがテーマの短編(タイトルは忘れた)と似ています。末期ガンを告知されたエリートサラリーマンが、職も家庭も整理し、一人、タイガースの追っ掛けで球場から球場に暮らす、という話です。彼はガンでしたが、別段理由がなくとも、ふと失踪したくなる、何もかも投げ出したくなる、という気分になるときは誰にもあるでしょう。両書には、なにか共通するものを感じました。

テーマは「縁」。地縁、血縁、婚姻縁、社縁、宗教縁……。それらの変遷、現状に興味のある方は、ぜひ。



『聖域捜査』(安東能明著)

2012年12月12日 | よむ

『聖域捜査』(安東能明著)を読みました。1~2年ほど前『殺人予告』をテレビドラマで見て、面白かった。それで、同じ著者の、同書を手にしました。

『予告殺人』は、過去の事件で窓際に置かれた新聞記者が主人公。その事件にからんで、殺人の予告がなされます。過去の事件との関連に気づいた記者は、事件のナゾに迫る……という内容でした。

『聖域捜査』は、刑事に憧れながら、長く制服を着て地域課と交通課を行ったり来たりしていた結城公一が主人公。その結城が、私服を着ます。異動先は、強盗を扱う捜査1課でも、経済事件を扱う捜査2課でもなく、生活安全部内に設けられた「生活安全特捜隊」(生特隊)。12名の部下を抱える班長としての異動です。40歳、人生のこもごもも見てきた年代。自分の年とも重なり、感情移入もできました。

生特隊の扱う事件は、援助交際、ゴミ屋敷、老人虐待、家庭内DVなど、民事不介入ともいえるグレーゾーン。そのグレーゾーンこそ、公権力の介入を許さない「聖域」であり、介入がないだけに厄介な事件が生起している。

「現代における市民犯罪の最前線がここに活写されている。(中略)結城公一は、むしろ捜査1課の刑事よりも21世紀型都市犯罪の最前線に臨んでいると言えよう。」(吉野仁氏の解説より)

なかなか面白かったです。生まれ変わるなら、事件記者もいいけど、刑事もいいなと思いました。