壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

『法服の王国』(黒木亮著)(下巻)読後メモ

2014年05月15日 | よむ

『法服の王国』(黒木亮著)下巻を読み終えました。
裁判官を主人公にした小説で、上巻は昭和40年代が舞台でした。
下巻は、昭和50年代から現代まで。
愛媛の伊方原発、石川の日本海原発(現実には志賀と思われる)……。
原発の設置許可申請の無効確認など、行政訴訟が出てきます。
なんか、この辺りでラストが読めますね。
そう、2011年3月11日です。

とても興味深かったです。
保守本流を歩んでいるはずの最高裁長官が、晩年、
「俺はずっと野党だった」と述懐する言葉。
なかなか重いです。

1点、変だなと思う点がありました。
下巻のP86、北海道・旭川庁舎内の食堂での、裁判官同士の昼食風景より。

「若い女の子が、男から金をもらってセックスするのを、仲間うちでは『援助交際』って呼んでるそうです」
旭川家庭裁判所に勤務する三十歳の若手判事補がいった。(中略)
「援助交際? そんないい方があるの?」
三十八歳の村木は、不思議そうな表情をして、ざる蕎麦をすする。(中略)
「それで、今度その女子高生に、なぜ援助交際がいけないのかを説諭しないといけないんですが、何ていったらいいと思いますか?」(中略)
少年事件では、処分の決定を告げるとき、今後どう生きるべきかについて裁判官が説諭する。処罰を主な目的とする成人事件と違い、少年事件は更生を主な目的としているからだ。(後略)

このシーンは、昭和55年10月17日です。西暦1980年で、俺は11歳です。
この時代、「援助交際」って言葉があったのか? 疑問に思いました。

ウィキペディアで調べてみました。
「(援助交際は)かつては日本の若者が使う売春の隠語であった。しかし1996年に刊行された『援助交際 - 女子中高生の危険な放課後』(黒沼克史)がヒット、同年の流行語大賞にも入賞したことから社会的認知が進み、現在では隠語として成立しない。」

援助交際が、一般に使われ出したのは1996年。
「かつては」が、どれほど過去まで遡るのか?
1980年以前まで遡るのなら、小説の描写は正しい。
が、そこまで遡らないなら、おかしい。
ぼくは、そこまで遡らないと思うんですが……。
版元は産経新聞社。産経の校閲者は、どう調べ、どう判断したのか?

全く、小説の本論とズレてしまいました。失礼しました。

が、日本の司法の歴史の流れ、正体、政治や行政との関係(三権の関係)、裁判所内の人事や評価システムなどに興味のある方は、ぜひお読みください。お勧めです。




期待しすぎない

2014年05月03日 | かんがえる

期待するから、満たされない場合、心に不満・不平が生じる。
であれば、最初から期待しなければ、不満・不平は芽生えない。
けど、子であったり、部下であったりすれば、期待する。
子なら、勉強しろ、部屋を片付けろなど、
部下なら、これくらい売り上げろ、俺の若いころは等々。
期待するなというのが無理な話だ。
期待する。でも、淡々と接する。
そんな人に私はなりたい。


『本気で言いたいことがある』(さだまさし著)読後メモ

2014年05月02日 | よむ

いまの日本は「義」を失ています。
正義ではありません。一文字の義です。
義という言葉の中には、既に「人としての正しさ」という意味が含まれている。「義によって助太刀いたす」とか「義を見てせざるは勇なきなり」とか。「義」にはもともと「人としての正しさ」という意味があるのに、あえて「正」という字を付けているのが正義です。
分かりきったことを、敢えて「正しい」と重ねて強調することに、かすかな胡散臭さを感じなくてはならない。
以上『本気で言いたいことがある』(さだまさし著)より。

なるほど、確かにそうだ。
親切の押し売りみたいなことって多いですよね。ありがたいんだけど、そっとしておいてよ、俺のやりたいようにやらせてよ、ということがある。

「俺のやりたいように」が誤っていると思うなら、本気で制止してよ、と。でも、多くの人は、そこまで本気でなかったりする。なんとなく、正義のポーズをせねば、という風潮がある。

こんなことも書いてありました。
JR尼崎線の事故。救急隊が、がれきの下からかすかな声を聞き出そうとしてるのに、ヘリがぶんぶん飛び交う。報道の義ってなんだ、と。

以下引用。
(事故の遺族に)「今のお気持ち」なんて聞かなくったって人間なら分かるだろう。それを敢えてレポーターは聞く。「なんだお前ら、カメラどけろ、帰れ」と食ってかかる人も多いのです。しかし、そういう人の姿は画面で流されない。
逆に涙ながらに故人の思い出を語ってくれる人、「好意的な取材対象」の姿だけを何度も繰り返し流す。(中略)
「協力的な人」の映像を流すことは、ある種のサブリミナル効果となって、次に「何か」が起きたときは「協力することが正しい」と視聴者に感じさせます。(引用終わり)

確かに、そんな側面はある。正しいかどうかは別として、「マスコミの取材は受けないとならない」という感じは受けそうです。

この本、とてもいいことが書いてありました。要は、「察する」ことだと思うよ。相手の立場になって考えてみる。相手の言動に対し、条件反射のように反応するんでなく、いったん受け止め咀嚼し想像力を巡らせ、しかる後に(見守りや無視も含め)対応する。

いよいよ40代も半ば。受け止め咀嚼し想像力を巡らせられる大人になりたいと思いました。



駅弁の二極化

2014年05月01日 | かんがえる

駅弁が二極化してるんだって。そもそも駅弁の地元では、列車の特急化、新幹線化で、素通りされ、駅弁が売れない。特急は窓が開かないから、窓越しの販売ができないんだって。一方、東京など都市部ではデパートなどの物産展で、ご当地名物の駅弁が人気という。

ブームに乗って物産展で人気になる駅弁は売上を伸ばし、地元だけで売っている駅弁は右肩下がり。二極化が進んでる。今朝の東京新聞が報じてたよ。

これでは、駅弁でなく、ハレ弁じゃないか。「仕事がんばったから、自分にご褒美、今日は駅弁」ってね。プチ贅沢。コンビニのスイーツと同じだよ。もっと言えば、日にちこそ未定だが、2月14日のチョコ、12月24日のケーキと同じ構造だよ。

僕も地方から出てきて東京にのうのうと住んでる身。だから、偉そうなこと言えないんだけど、これじゃ駅弁らしくないし、地元がかわいそう。

かく言いつつ、地方出張時、地元の赤のれんを探しつつも、チェーン店に入ってしまう自分がいる。ブランドってのは強い。