壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

「日本人の戦争 証言記録」を見た

2012年11月26日 | みる

連休中、NHKスペシャル「日本人の戦争 証言記録(1)(2)」を見ました。放送は2011年8月。ビデオに撮っており、やっと見ることができた次第です。

4年にわたり、日中、太平洋の戦争に従軍した400人の証言を集めた番組です。

もともとは、軍紀の乱れを正すために出された通達が、いつの間にか死を美化する風に変わっていく。武士道は死ぬことと見つけたり。葉隠の思想があります。日本には死を美化する風があるんでしょうね。それに巻き込まれる人は、たまったものでないです。

本当にすごい証言内容です。

人肉のことを語る人もいました。人肉を食すは厳罰に処す。ただし異邦人は除く、と。そんな軍から通達があったそうです。

伊江島では、壕のなかで泣き叫ぶ乳児の首を絞めたお母さんの話がありました。米兵に見つかるから、黙らなければならないんだけど、相手は乳児。刺すような壕の中の空気。

ニューギニア戦線。ジャングル内の行軍中、自分の目鼻からウジが湧いた。死んでいる。切り株に腰掛けたら、生きている。そんな証言もありました。

(1)は中国戦線、(2)は南方戦線で、(1)は長野県の旧南向村、(2)は岩手県の藤根村にスポットライトを当てている。そんな編集の妙もありました。この二村だけでなく、日本中に、こうした村があったのでしょう。

貴重な記録です。機会があれば、ぜひ見てください。



『14階段』(窪田順生著)読後記

2012年11月13日 | よむ

『14階段』(窪田順生著)を読みました。副題は「検証 新潟少女9年2カ月監禁事件」。事件発覚は2000年1月。いまから12年前。今でもその衝撃は覚えています。

著者の窪田氏は、私と同じく、第一報に触れ、強い衝撃を受けます。当時、写真週刊誌フライデーの記者ということもあり、志願して同事件取材に関わっていきます。

それにしても、どうして、自宅2階に、9年にもわたり、誘拐した9歳児(発覚時は18歳!)を軟禁し、階下に住む母親に気づかれずに過ごしたのか! 2人分の食事を作らせられるなどしているのに、母親は変に思わなかったのか? 自分は非力でも、親戚や近所などに頼み、強行突破で2階へ上がらなかったのか? 不思議でなりません。本書を手にしたのも、こうした疑問があったからです。

一つ見えてきたことは、暴力による支配力の強さ。健康な成人の私は、暴力を振るわれても、正当防衛する術もあるし、しかるべきところに訴える道理も分かりますが、9歳の女児なら、どうでしょう。一度、暴力の支配下に置かれると「そういうもの」と思い込まされ、反抗できなくなるのでないか。犯人は家庭内暴力がスゴかった。母親にしても、腫れ物に触るように接していたのでしょう。

第五章は「王国」という章タイトル。古代ローマの支配者は、余興のため殺人ゲームをさせたり(パンとサーカス)、中国の古代王は、纏足で少女の足を奇形にさせたりしました。基本的人権なんて概念すらない時代です。柏崎の家の2階は、犯人にとって、古代や中世の王国にも比肩する王国だったんでしょう。

いま、尼崎の怪事件が、世間を賑わせています。これも暴力による支配がガチガチに行き渡っていた犯行組織なのでしょう。恐ろしい限りです。

余談ですが、事件発覚は、暴力にたまりかねた母親が保健所に相談し、保健所職員や精神科医が家庭訪問したことによります。警察のいい加減さは、ここでも露呈しました。
助っ人を要請され、「担当者がいないので折り返し連絡する」(全員を動員しなければならないほどの大事件が当時あったの?)
女性発見の二報を受け、「人手が足りなくて行けそうもない。そちらで対応して欲しい」(世紀の大事件なのに?)
現場が現場なら、上司も上司。この日の夜、県警トップは、事件の報を受けているのに、「あとは頼む」とばかり、関東圏の警察官僚(彼にとって上司)と、雪の見える温泉で接待マージャンに興じていたとか。なにをかいわんや。電話応対した人の個人的資質というより、組織的欠陥としか思えません。

本題に戻ります。著者は締めくくります。「我々がひたすら『現実』から逃げ、目をそらし耳を塞ぎ続けた結果、なんの罪もない幼き少女たちが犠牲になっているのだ。母親が二階に足を踏み入れなかったばかりに、Aさんの9年2カ月が奪われてしまったように。」

直接、自分には影響が及ばない問題は、我々は見て見ぬふりをする傾向にあるのでないか。そうした風潮が事件の温床になったのではないか。私たちも現実を直視する必要がありそうです。

読み物としても面白いです。事件そのもの、ノンフィクションの手法や表現、作法に興味のある方もぜひ。


『松本清張短編全集(3)張込み』読後記

2012年11月09日 | よむ

『松本清張短編全集(3)張込み』を読んだよ。「菊枕」「断碑」「石の骨」「父系の指」……。(3)は暗い小説が多い。でも、なんだか沁みてくるんだな。

小説だから、強調がある。学会の権威のような敵(かたき)を立て、主人公(孤高の学者)と対比させる。学会に容れられない苦しみ、恨みつらみが描かれている。社会に容れられないフラストレーションって、誰にもあるでしょ。それを、小説の虚構を借り、強調して描いてるんだね。歴史小説も史実という設定を借りるだけで、テーマは人間にあり、現代に通じることが書かれているよ。

「隣の部屋からは中年の夫婦者らしい話し声が高くいつまでも聞こえていた。こみった面白くない話題とみえ乾いた声だった。この奥の出雲の者らしく、東北弁のような訛である。こんな宿で、人生に疲れたような夫婦の苦労ありげな話し声を聞いていると、私は自然と自分の父と母のことを連想せずにはいられなかった。」「父系の指」より。

「父系の指」は、清張作品で数少ない自伝に近い作品。「全体の半分くらいは事実だが、半分は虚構になっている」(あとがきより)。

方言の「カメダケ(亀嵩)」に見られる同心円状の広がり。『砂の器』の有名なトリックだけど、あれは完全な創出の産物でなく、自身の幼少の経験から引っ張り出されたことなのかな。

『砂の器』は、1960~61年に読売新聞夕刊に連載。
「父系の指」は、1964年9月号「新潮」に発表。

「諦めろ、悪くあがくんじゃねえ、観念しな、と寄ってたかって役人どもは言った。言葉の責め道具である。その折檻に神経がすり減って本心の抵抗を失ってしまう。どうでもなれ、と自棄(やけ)になるのだ。(認めると)やっぱり、いい度胸だと役人はほめてくれる。“送ってしまう”まで役人は魔術を心得ている。」「佐渡流人考」より。

郵便不正事件の本村さんも、元福島県知事の佐藤栄佐久さんも、こんなふうにして、自白に追い込まれたんだろうね。なぶる方には、良心の呵責はないのかな。それをも麻痺させてしまうのが、組織の恐ろしさだね。この前、読んだ『検事失格』を思い出したよ。


『メンタル・コーチング』(白井一幸著)

2012年11月09日 | よむ

ダルビッシュいなきゃいないで日本ハム 幸手 まりちゃん

本日(9日)の毎日新聞、万柳より。いなくても、リーグ制覇しました。強いですね。

『メンタル・コーチング』(白井一幸著)を読みました。白井氏は、日本ハムで、ヒルマン監督の下、ヘッドコーチを務めた方です。現在は別のチームにいるようです。

ただ体力や素質に任せ、ガンガンやるだけが野球でない。選手が自ら考え、動く。プレイを楽しむ。だからこそ、ここ一番に力を発揮できるんです。

5つの準備は、分かりやすかった。試合に備え、体の準備だけでなく、心の準備、頭の準備、あと2つ、何だっけ。とにかく心技体、気剣体を準備せよ、というわけ。いきなり本番ではダメなんです。

一昨日かな、NHKでダルビッシュの特集をしていました。彼は賢いですね。体も頭も柔軟だ。一流選手は、みな、体力や技術だけでなく、賢い。

どこぞの球団みたいに年棒の高いスター選手はいないが、一人一人自立した選手が多い。日本ハムは、そんなチームだと思います。来シーズンが楽しみです。