壁際椿事の「あるくみるきく」

東京都内在住の50代男性。宜しくお願いします。

小沢裁判

2011年10月07日 | 考えたこと・調べたこと

民主党元代表の小沢一郎衆院議員の、政治資金規制法違反をめぐる裁判が始まりました。小沢元代表も、弁護団も、焦点である4億円の説明はせず、検察批判に終始しています。

いま、検察は、郵便事件をめぐって証拠捏造をするなど、厳しい立場に置かれてます。小沢陣営の検察批判は、こうした検察の置かれた立場を突く、明らかな法廷戦術だと思います。違法ではないが、正当ではない。これを裁判官がどう判断するか……。

ところで、「国策捜査」という言葉が出てきました。つい先日、憲法の勉強で「公共の福祉」なるものは名目であり、実際に公共の福祉が問題となるのは、個別具体的な権利義務が衝突する場合だ、ということを学びました。

国策捜査という言葉からも、公共の福祉と同じように、抽象的なイメージを受けます。なにやら国家権力が隠然とした力を振るっているというイメージです。

しかし、国策捜査にも、誰か個別具体的な黒幕がいて、指示を出しているはず。小沢陣営の言うように国策捜査なら、誰がその指示を出しているのでしょうか? 自民党幹部でしょうか。まさか自党内の誰かということはないでしょう。検事総長でしょうか。特捜部トップでしょうか。

小沢議員を有罪にすることに、それぞれの人はどんな動機があるか。自民党幹部には、ライバルを蹴落とすという動機があります。検察には法律の正しい実行という動機があります。いったい、誰が糸を引いているのか? 個別具体的に考えるというのは、なかなか面白いですね。


ぬか漬け

2011年09月23日 | 考えたこと・調べたこと

ぼくは、自宅で、自分でぬか漬けを作っていません。たまにスーパーで既製品を買ってくる程度です。

スーパーで売られているぬか漬けは、八百屋の家内制手工業でなく、中小の工場で生産されているでしょう。たぶん、ぬかどこは電気で攪拌されている。そのぬか漬けを食べています。

えらそうなことは何も言えないですね。それでも読みたい。書きたい。性かなぁ。


批という字

2011年09月15日 | 考えたこと・調べたこと

法律の勉強をしていて、「批准」という語に引っかかりました。批はどういう意味か、准とは何か?

批は、手偏です。手に関する意味があるのでしょうか? 批判、批評といった熟語があります。文芸批評とかありますよね。調べました。

【批】(音)ヒ、ヘイ、(1)ウつ、空手で打つ、(2)示す、良い悪いの批評をする、(3)品定め、(4)けずる、(5)押し開く、(6)ならべる、(7)上奏文に対する答え、(8)詩文書画の品評。

「批判」は、臣下の上奏に対し、天子や大臣が良し悪しを決めること。これが原義なんですね。それが時代が下って、一般的に良し悪しを決めるという意味になった、と。

「良し悪しを決める」わけだから、必ずしも「悪い」だけでない。「自己批判せよ」というのは「反省せよ、卑下せよ」という意味でなく、「自己が良いか悪いか自分で判断せよ」という意味なんですねぇ。

今は「批判する」というと、「悪く言う、厳しく言う」という意味になっている。批難(非難)と混同されたんでしょうね、たぶん。

「批准」は、臣下の上奏に対し、天子が許可を決めること。法律用語では、条約の案文を当事国の主権者が承認すること。

【准】は、準と同義で、「許す」という意味だそうです。

以上、「明解漢和辞典」より。ほんと、漢字ってオモシロいですね。


ヤジロベエ理論、続き

2011年09月10日 | 考えたこと・調べたこと

ヤジロベエは、錘の重さと腕の長さによって、バランスが取れます。片方をプラス、片方をマイナスとすると、両者は均衡する、というのが前回の話でした。

もう二つ、観点があります。

1)両腕がなく、軸だけだと、立たない。こけてしまう。錘がいくら軽くとも、腕がいくら短くとも、それはバランスを取るのに必要だ、ということです。どんなに平凡な人生でも、小さいながらも喜びと悲しみがありますよね。

2)腕の強度。あまりにプラスが大きく、かつマイナスも大きければ、腕が折れてしまいます。強いショックを受けて心的外傷後ストレスになるのは、一時的に腕が折れた状態とも言える。両腕に重い錘を抱えて耐えている人は、包容力のある人をイメージします。

なお、基本的なことですが、腕は2本とは限りません。いろんな方向に、多くの腕が出ている。喜怒哀楽だけでも4本の腕がある。経験は置かれた境遇によって異なるし、経験から得る教訓や感情は、人それぞれ、さまざまです。それらを単純化すると、プラスとマイナスの2本になるということです。



ヤジロベエ理論

2011年09月08日 | 考えたこと・調べたこと

『ウラオモテ人生録』(色川武大著)によると、良いことと、悪いことは、バランスが取れます。

プロのばくち打ちだった著者は、運を味方に付け、勝負に勝つため、私生活を厳しく戒めていた。ばくちに大勝ちしても、浮かれない。むしろ私生活で自分をわざとおとしめる。貧乏になればなるほど、ばくちに勝てる。そんな感じです。

悪いことがあると、次はいいことがある。その逆もしかり。悪いことの程度が大きいと、いいことの程度も大きい。悪いことの程度が小さいが長く続くときは、小さないいことが長く続いたり、あるいは一気に大きないいことに遭遇したりする。

これを、「ヤジロベエ理論」と勝手に呼んでいます。ヤジロベエの両手の長さと、両手の重りで、バランスが取れる、ということです。株の世界では「谷深ければ山高し」という格言があるそうです。「贈る言葉」にも、「人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから」という歌詞がありますよね。

おいしい牛肉は、コレステロールという悪い面がある。ジョギングは気持ちいいけど、捻挫のリスクがある。ビールはおいしいけど、アル中になるかもしれない。エスカレーターは便利だけど、運動不足を招く。

地方の学生にとって、東京の大学は刺激が多いけど、父母の庇護の元から離れなければならない。父母の庇護がないのはツラいが、自立のきっかけになる。

火力発電による電気は便利だけど、CO2を排出する。水力発電による電気は便利だけど、ダム工事の犠牲者や渓谷美の破壊がある。原発による電気は便利だけど、放射能のリスクがある。

文明の発達は生活を便利にしてくれるけど、人間は堕落する。

『ウラオモテ人生録』には、翌日のマージャンでツキを呼ぶため、あえて寒風のなか路上に寝床を求めた、という記述がありました。印象的でした。