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トゥーランGLi (1年8ヶ月&39,410km) 

【大平宿・オオダイラジュク】にて。

宝暦4年(1754年)に開通した、飯田城下と妻籠宿を結ぶ太平街道の宿駅としてスタートしたこの宿場町も、
過疎化の問題が激化し、昭和45年に、最後の28戸が集団移住という形で、村全体が消滅したという。
ビジネス的な話をすれば、最後は炭焼きで生計を立ててきた彼らが、
石油資源に押される前に集団移住した際、土地を県に買い取って貰ったというから、
色々な意味で「エコ」と「金融」が成り立った、大変頭の良い例である。
さすが教育県・長野!

しかし、ストーリーはここで終わらない。
民間の勇士により保存再生運動により、今でも多くの建物(学校を含む)や
未舗装の道路、自然は当時のまま保存され、「大平宿をのこす会」に連絡を入れれば、
ほとんどの建物は泊まる事も出来るという(注意:夏季のみ営業・要予約)。

囲炉裏もあって、トイレは外と、アーヴァンな人間には魅力的に見えるのだが、
実際は当時をそのまま体験出来るので、不便を勉強するのにはもって来いのようだ。
実際、学校の林間学校などで使われる例も多いと言う。
標高1,100mの山間部ということもあり、夏でないと快適な生活は出来ないようだが、
僕が訪れた5月下旬はまだ、お客様も無く、昼間でも肌寒い時期であったので、
気持ちは良かったものの、誰も居ない旧宿場町はSF映画のようにも見えた。
逆を言えば稲川淳二がここで怪談話をしたら、確実にオーバーベンチレーション(過呼吸)で
搬送される人が多く出るような雰囲気だ。
もっとも救急車が来るのに、最低30分はかかると思うが・・・(笑)

こういった民間による廃村復活計画ケースは大変稀であり、また高く評価され
海外からも視察が来るようだ。
知らぬは、日本の都会人だけかも知れない(苦笑)

画像はメインストリート入口に車を止めて撮影。
誰も居ないから、一人だとやっぱりちょっと恐い?!
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