足助城は、標高301mの真弓山の山頂を本丸として、四方に張り出した尾根を利用した、連郭式の山城です。
真弓山は、足助の町並みを眼下に見下ろす要害の地です。足助城は「真弓山城」とも呼びますが、「松山城」「足助松山の城」とも呼んだようです。鎌倉時代に足助氏が居城したという「足助七屋敷」のひとつとも伝えられますが、この時代の遺物は発見されず、現在残された遺構は、15世紀以降に鈴木氏が築城した跡と考えられます。16世紀に入ると岡崎の松平氏との間で従属離反を繰り返しますが、天正18年康重のとき、徳川家康の関東入国に従って足助城を去りました。<パンフレットより>
この近辺は香嵐渓、三州足助屋敷、足助の町並みなど観光地なので観光化されている感じはあるが当時の雰囲気は大事にされている。入場料300円
南の丸・・すべての曲輪から建物の痕跡が確認され、一部復元されている。手前のカマド跡からは焼けた石や炭が発見されている。
物見台から本丸を見る。
本丸高櫓
高櫓より足助の町並みを望む
足助町から徳川将軍家のルーツである「松平郷」に寄ってきた。
<パンフレットより>
江戸幕府を開いた初代将軍徳川家康の祖先は、ここ豊田市松平郷より勢力を拡大して行きました。
家康から8代前・初代親氏(ちかうじ)は、徳阿弥と名乗り時宗の僧として諸国を行脚していて松平郷へやってきたと伝えられています。松平郷で松平太郎左衛門家の婿となり家を継ぎました。親氏は西隣の林添村の薮田源吾忠元を討ち、南方の額田郡乙川上流地域を支配下に治めました。また松平郷中に松平城を築きました。のちに岡崎、三河平野に進出し松平氏は西三河の半ばを治める事に成功しました。
ここにも東照宮があった。「松平東照宮」
あちこちに葵の御紋がある。狛犬はでかいマスクをしている。
徳川家康と松平氏の始祖、松平親氏を祀っている。かつては松平氏の屋敷跡であり、家康もここの産湯を使ったとされる。
東照宮となりにある産湯井戸
門扉には葵紋
井戸には石の屋根があり、中へ降りていく。
岡崎城において松平元康(徳川家康)が生まれたとき、太郎左衛門家七代当主親長(ちかなが)が竹筒へ詰めて速馬でここの水を運んで産湯に用いた記録がある。
下にある二の井戸と三の井戸
始祖、松平太郎左衛門親氏の像
松平家の菩提寺「高月院」
元信君(徳川家康公)御手植の立て札がある枝垂桜
見たことがない花を調べてみたら「ショウジョウバカマ」というらしい
高月院の門が老朽し、建て直すために特別御朱印で寄付金を集めていたので協賛しました。2年後に建て替える予定だそうだ。
">【大改修】高月院山門の改修企画!!〜みんなで山門を創ろう〜
ふるさと本舗の松平饅頭、キャラクターは松平親氏です。
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