はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

江戸城跡

2023-04-28 20:31:41 | お城巡り

ゴールデンウイーク突入前の平日、皇居の東御苑にある江戸城本丸・二の丸・三の丸に行ってきました。

中学の修学旅行以来の皇居です。東京も久しぶり、初日に行く予定だったがあいにくの雨で翌日に行った。前日とは打って変わって雲ひとつない上天気、最高の城巡りとなりました。

7時すぎ、東京ドーム近くのスパラクーアを出て水道橋駅から大手町へ・・皇居東御苑には9時からしか入れないので東京駅に向かう、

駅の正面はまだ閉まっている。丸の内口から構内に入り、おにぎり専門店「ほんのり屋」で朝食、海老天と焼き鮭のおにぎりと貝出しみそ汁で710円はちと高い。(一個は持ち帰りだが)・・その後、帰りの新幹線切符を事前に購入、日本橋まで足をのばした。

昔の江戸の町は水路が発達していて、多摩川や井の頭などからわずかの高低差を利用して水路が張り巡らされたそうだ。城の堀土で埋め立て地も出来て、八百八町といわれる大江戸の町が出来た。

日本橋の上は首都高速

獅子像や麒麟像がシンボルだ。

日本橋魚河岸跡(魚市場発祥の地)

旧街道の起点はここから

日本橋駅から大手町駅へ・・まだ入れないので大手門から北はね橋門まで歩く。

大手濠緑地にある「和気清麻呂像」

関東大震災で焼け野原から生き残った「震災イチョウ」ここに移植された。

 

北はね橋門近くの高さ20mの石垣

北はね橋門から東御苑内へ・・・入城前に持ち物検査があった。

こちらから入るとすぐに天守台がある。

江戸城は、扇谷上杉家の重臣「太田道灌 」(おおたどうかん)によって築かれました。鎌倉時代に建てられた「江戸館」跡に築かれ、1457年(康正2年)に完成したと言われています。当時の江戸城は3つの曲輪で構成されており、多くの堀が設けられていた他、櫓や石門などで守りを固めていました。城下町も発達していましたが、太田道灌が暗殺されてしまい、江戸は寂れてしまいます。

その後、江戸城は北条氏の支城のひとつとなりますが、北条氏が滅亡したあと、1590年(天正18年)に「徳川家康」が江戸城に入城しました。

徳川家康は江戸城の改修工事を計画。天下普請(諸大名に対して城などの工事に参加することを強制した徳川幕府の命令)により全国の大名を召集し、改修工事に参加させます。このとき参加していた大名は、「加藤清正」(かとうきよまさ)や「福島正則」(ふくしままさのり)、「加藤嘉明」(かとうよしあき)など。なお、城の設計は、徳川家康の信頼が厚かった築城の名手「藤堂高虎」(とうどうたかとら)が担当したと言われています。

 

非常に大規模な改修工事のため、徳川家康の代では終わらず、二代目将軍「徳川秀忠」(とくがわひでただ)、三代目将軍「徳川家光」(とくがわいえみつ)に引き継がれました。大改修が始まってから約30年後の1636年(寛永13年)、ようやく江戸城の全容が完成。江戸城は日本最大の規模を誇る、徳川幕府の権力を示す威厳あふれるお城となったのです。

しかし、1657年(明暦3年)、江戸では「明暦の大火」(めいれきのたいか)と呼ばれる大火事が起きて、城下町の多くの建物とともに江戸城は焼失。この大火事のあと、本丸や二の丸などは再建されましたが、権威の象徴とも言える天守は再建されていません。これは、「城下町の再建で財政難の時期に、実用性に乏しい天守を再建させる必要はない」という、当時の副将軍「保科正之」(ほしなまさゆき)の進言を幕府が聞き入れたからです。

 

それからの徳川幕府は江戸城を政治の中心地として長期政権を保ちましたが、1868年(慶応4年)に起きた明治維新により、幕府成立から約270年の歴史に幕を閉じました。これにより、江戸城は明治政府に明け渡されることに。

明治時代になり、首都が京都から東京へ移ると、江戸城は天皇陛下の住居となり、「皇城」(こうじょう)、「宮城」(きゅうじょう)と呼ばれていました。現在の江戸城は、皇居であるとともに、国内外から多くの人が訪れる東京を代表する観光地となっています。<ネットより>

天守台の上から

本丸御殿の建物があったところ(表・中奥・大奥の3つに分かれていた)

石室(大奥の台所保存庫だったといわれている)

吉良上野介と浅野内匠頭の刃傷沙汰で有名な「松の廊下」

 

「富士見多門」内部

富士見櫓

門の石垣(天下普請で築かれたのでいろんな石、積み方がある)

同心番所

百人番所(今でいう警察官詰め所だ)

二の丸庭園

諏訪の茶屋

明治45年に御所内の吹上地区に建てられたもの。昭和43年に現在の場所に移設された。

 

三代将軍・徳川家光が築いた天守のモデル(寛永年間)

石垣を除いた天守の高さは45mで日本一だった。現在の大阪城再建天守は42m、名古屋城は36m

平川濠

巽櫓

坂下門

桔梗門

皇居正門

二重橋

皇居正門石橋と伏見櫓

外桜田門

日米修好通商条約に調印した大老・井伊直弼が尊王攘夷派の水戸藩士らに彦根藩の行列中にこの桜田門外で暗殺された。

 

この後、桜田門駅があったので東京駅まで地下鉄で戻り。お土産を買って昼過ぎの新幹線に乗った。そして乗ってから気が付いた。しまった!百名城スタンプを押すの忘れた!( ;∀;) 何しに行ったんだ。

この江戸城は東御苑の外(外苑)に3か所あり、一番近い和田倉休憩所で押すつもりだった。向かってたのに道路の反対側だったので先に桜田門まで行ったのが間違い。しかも桜田門駅入り口を見つけたのも間違い。今日も大分歩いたので楽して東京駅まで行こうと思い、すっかり忘れてた。

歳のせいでもあるんですかね。まあ、まだ千葉の佐倉城や茨城の水戸城にも行ってないからその時ですね。東京駅に近いから・・・・。

お土産は東京駅限定のレンガぱん1個360円 テレビのワイド番組でみてスマホにメモしてた。

120円のあんぱんとクリームパンを3個ぎゅっと固めたみたいなものだからこんなものか

帰りは富士山がくっきりと見えました。『去年は剣が峰まで行ったなあ』と心でつぶやく。いつでも見れる人はいいね。

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